嘘つきへーくんと壊れた×× 『真実の証明は嘘』 003

二、赤の他人の名探偵

 つまりこれが、あーちゃんという人物なのだった。
 誘拐される前までは、壊れてなかったんだけどなあ。でも閉じ込められた暗い部屋と暴力によって形成された記憶は、おれも同じ。どうせおれも壊れている。一緒一緒。
 しかしこれがあーちゃんの破綻だとすると、彼女を社会的に守るのは大変だ。
「あーちゃん、言っておくけど、あれは犯罪だよ」
「どうして死体遺棄なんてしてしまったんだ」
「でも殺したのはあーちゃんじゃない。信じてるよ」
 ひとりごとだ。あーちゃんは眠っている。
 後片付けに手間取ったおれは、あのあとあーちゃんに追いつくことはできなかった。
 家に戻ってきたら、既にあーちゃんはベッドの中。着替えもせずに、汗と泥まみれのジャージで、真っ白いベッドの中だ。静かな寝息を立てている。
 困った。シーツが泥だらけなのはいい。そんなのは明日洗えばいいだけだ。あーちゃんのための家事なら、別全然苦にならない。洗濯とかしたことないけど。とにかく洗えばいいんだよね。
 おれが困っているのはあーちゃん自身が泥だらけのままでいることだ。明日の朝、シャワーを浴びさせればいい。それはそうだ。でも、その前に、警察が自重聴取にやってきたら、言い逃れなんて一つもできない。ほとんど現行犯逮捕で、やってもいない殺人罪まで問われるのが当然の成り行きだろう。
 何しろ既に死体は明るみに出たわけで。夜中に外を歩き回っていたあーちゃんの目撃証言もある。今晩中に警察が証言を集めきれるわけがない、と言うけど、ね。
 おれも事情聴取、あるかな。
 疲れた。
 おれは真っ暗なベッドサイドに突っ立ったまま、ぼうっとあーちゃんの顔を眺めては、ため息を吐いた。
 白いベッドに青白い顔。あーちゃんは、痩せている。可愛いけど、女の子から見たら理想的かもしれないけど、ちょっと病的な細さ。
 その冷たそうな頬に触れようと手を伸ばして、思いとどまった。おれには斎藤タカ丸くんとの約束があった。おれはへーくんで、あーちゃんの保護者だ。それだけだって。
 ベッドから離れて、その隣の白いソファに倒れこんだ。
 今日は……いや、これからは、多分このソファがおれのベッドってことになるはず。慣れよう。病院のベッドより寝づらそうだけど。
 眠れない、覚醒しきったた目玉で真っ白い天井を見上げた。
 白いあーちゃんと白い天井と、それ以外も全部真っ白い部屋。生活に必要なもの以外、何も無い。
 分厚い雨戸を閉めきった窓に、白いカーテン。その隣に、あーちゃんが眠る一人分のベッド。足元の壁に、小さいクローゼット。その扉に、制服と通学鞄がハンガーにかけてある。ベッドと並べて部屋の真ん中におれのソファ。ソファの前に、ガラスのテーブル。その向こうの壁に、テレビを置くためのくぼみがあって、そこにはちゃんと大きなテレビが置いてある。それだけ。
 これは変な間取り、らしい。おれにはよくわからないけど。
 そもそもこの部屋は一軒家の中のリビングに当たる部屋で、カウンターに区切られてシステムキッチンがくっついている。
 一人暮らしなら確かにそれで事足りそうだ。でも、何も一軒家じゃなくたっていいだろう。
 他の部屋のドアノブには、全部埃が積もっていた。どの部屋も長期間使ってない証拠。高校生の少女一人が暮らすには、一軒家なんて広すぎる。
 事件後にあーちゃんを引きとったっていう親戚の人は、どうして彼女をここで一人暮らしさせているんだろう。
 調べようと思っていたけど、手が回らない。その前に、あの死体が出てしまったから。
 一人なんて寂しすぎる。それにこの部屋は、なんだかあの時の部屋に似ているよ。おれは空寒い。眠れない。

 何があったって、朝は勝手にやって来る。明けない夜はない。
 The night is long that never finds the day.――なんて、半端なサブカルかぶれよろしく、マクベスの引用をしてるんじゃない。あの台詞はもっと絶望的な意味で、夜が明けなきゃ、未来もないってこと。つまり泣かずにカタキを射つために戦えよってさ。じゃなきゃ世もおしまい。お前がいつまでも泣いてるせいだ。しかしおれはこの台詞を吐いたマルカムよりさらに無神経な奴で、つまりどんな酷い事件が起きようが、何も知らない世間様は爽やかな朝を迎えるのが当然だと言いたいわけだ。だっておれが昔監禁されて地獄を見てた間も、世の中じゃ普通に朝が来たり夜が来たりしてたんだし。
 どんな陰惨な殺人事件が起ころうと、その第一発見者のおれが、重要参考人として一晩中事情聴取を受けて寝不足だったとしても。
 自動的に朝が来てしまった。
 一端家に帰ったまでは良かったんだけど。また明日にしてもらえるかなとか淡い希望。結局呼び出し。
 流石に今日は学校に行きたくない。そう思いながらも結局、普通に登校してたのがおれという男なんです。問題行動起こしてるとか思われて、やはり頭がおかしいと周囲に目をつけられても困るわけだし。
「おい、兵助、大丈夫か」
「一応」
 正直全然大丈夫じゃない。朝、HRの後半から寝てた。しかし暫く現実と妄想の間を往き来しているうちに、薄い意識の真上から、尾浜の声が聞こえてきたのので、返事をした。
「そうかそうか。昼なったぞ」
「昼」
 何故かその一言で急に目が醒めた。勢いよく顔あげて目を開いたら眩しい。
 ちなみにおれは本日最後の記憶(教室の机で睡魔に負ける前)とまったく同じ体勢のまま、だった。
「うわっ」と、尾浜が軽く叫んだ。
「急に起きんなよ」
「急に目が醒めた」
 昼って言われて、それの何がおれの意識に突き刺さったのか知らないが、とにかく急に眠気が飛んでいった。基本、人間の意識なんてのは意味が判らない。
 しかし眩しい。まばたきしまくり。
「なにお前、腹減ってた? 朝ちゃんと食ってきた?」
「減ってない。食ってない」
「駄目だ。朝飯抜かすと馬鹿になるぞ」
「それは初耳」
「昼どうする? 持ってきた?」
「持ってきてない。買ってくる」
「ついでにジュース買ってきて」
「あ、パン持ってきてた」
「おい」
「行ってらっしゃい」
 尾浜は渋々と教室を出ていった。
 奴は、おれにジュースを買いに行かせるために、昼休みに入ってすぐにおれの前の席に移動してきたのだった。多分。だいたいそういうパターンだ。今の前の席の奴はいつも学食に食いに行くため、授業が終わった瞬間教室を出るからもういない。なぜ直ぐ学食に行っていることを知っているかというと、時々おれも一緒に学食にで飯を食うからだ。
 正直に言うと尾浜は友達である。前の席の奴も友達である。つまり皆さん覚えていますね、最初にでおれが自分は友達がいないと独白したのは、ちょっとした完全な嘘なんです。おれは実際のところ、そういう奴。
 ところでおれは自分も飲み物を買って来てないってことに、今気づいた。
 で、結局自分も購買までジュースを買いに行く。なんか間抜けだ。すぐ追い付いた。
「あれ?」
「飲み物買って来るの忘れてた」
「なんだよ」
 と、廊下で笑った。
「追いかけてくるからさ、若干焦った」
「やましいことが」
「ないって。いや、なんかさ、事件の香りみたいな」
 購買横の自販機には、黒山の人だかりだ。せめて昼ぐらい飲まないと退屈な学園生活なんてやってられない。とかみんな思っているに違いない。
「昨日大丈夫だったの?」
「なんとか一命を取り留めて、ドクターストップを掻い潜りながら登校してきました」
「まじで。襲われた?」
「嘘。犯人、後ろ姿しか見てない」
「ふーん。どうなのよ、第一発見者って」
 一人一人、自販機の前から外れていくが、なかなか列は前に進まない。でも後から後から生徒がやってくる。すごい人口密度。そんな列の間だと、周囲のひそひそ声が非常に判りやすく聞こえてくる。
 まして、尾浜が第一発見者とか言うから。
 ほら、あれが件の被害者の久々知兵助だって。とかね。
「何でみんな知ってるんだ?」
「みんな、ね」
 ふっと、尾浜は鼻で笑った。おれではなく、回りの奴らにちらっと目線をやりつつ。
「おれは担任から聞いたよ。一応、知ってた方がって」
「やっぱ容疑者扱い?」
「そんな感じ。学級委員長だからね、そういうクラスメートの人間関係の管理も仕事なんです」
「それは大変ですね。何飲む?」
「ブラックコーヒー」
「背伸びしたい年頃か」
「お前もコーヒーにしといたほうがいいよ。午前中の授業態度は反省を要する」
「昨晩はほぼオールだったんで」
 やっと自販機とご対面である。おれは忠告を無視して緑茶の冷たいやつにした。
「おれの分はー」
「早く買えよ。後ろつかえてる」
 と、おれは素早く列から外れた。尾浜の方をふり返ると、その後ろに並んでいる無数の人間が目に入った。彼らの半分ぐらいは、おれを認識している。無邪気な興味関心を抱いた、光る眼でおれを見ている。だけど彼らは振り向いたおれと視線がぶつかり気味になったのに、多少の気まずさを感じているようだった。腫れ物だ。
 言っておくが、おれはそういう扱いに慣れている。何しろおれが世の中に出た時点で既にそうだった。だから平気。平気なんだけど、世の中的には、そういうのがあまり正しくないのも判っている。
 具体的に言うと、犯罪被害者に対する差別の非正当性。
 感覚と理性の対立だ。こういうことも、よくある。たぶん一生続く。
「尾浜、何にした?」
「ココア」
 でも、こんな風な何気ない瞬間に解放を得られるので、大した問題でもないわけだ。
「ブラック?」
「そんなのあるわけないじゃん」
 尾浜はニヤリと笑って、手に持った紙パックを顔の前で揺らした。
「実は甘党?」
「イエス」
 しかもホットかよ。今日は結構暑いのに。
 事件とは全然関係無い話をしながら、自販機とその周辺の好奇の目を後にした。

「で、結局どう? 大丈夫なわけ?」
「精神的な話?」
「まず睡眠的に無理なのは判ったからさ、次」
 再び教室に戻って、飯食いながら同じ話題。
「一応確認するけど」
 尾浜はちょっと引くぐらい真面目な目つきになて、一呼吸分、おし黙った。何を言うか、想像ぐらいできる。それに対する簡単な正しい返答も判る。おれは真実、その答えを真実に則して答えるけど、しかし仮に真実が間逆だったとしても、同じ内容の答えを示すだろう。嘘を付く。
 生きた人間なんだから仕様がない。
 尾浜はゆっくりと息を吸った。
「やってないよな」
「やってない」
 おれは間髪入れず答えた。
 誰だってこんなに簡単に嘘が吐けるってのに、たった一言の供述に意味があるとは思わない。
 でもそれ以上に思うことは、どうもこいつは本当に無神経な奴だということだ。嫌いじゃない。こいつの徹底した好奇心への真摯さ。時々攻撃的なほど無邪気。判りやすくていい。
 普通聞くか? 昔ガキの頃に誘拐された経験のあるやつに、そんなこと。
 人を殺しましたか?
 なんてさ。
 こいつに初めて話しかけられた時、それは転校してきた初日の登校途中でいきなりだったんだけど、その時から既にこんな無神経な感じだった。
 要するに、学校じゃもう早々と転校生のおれの生い立ちに関する噂は広まりきっており、諸々の人間関係の形成が困難であることが予想される、興味本意で近づいてくる人間もいるだろう、実はおれがその最たる例なので、まずは友達になって欲しい。こんな口調じゃないが、大体そんな感じだった。
 ちょっと変な奴だ、というのが感想。世の中の狭いところしか知らないおれですらそう思ったのだから、普通の人間からしたらもっと変な奴なのではないかと思う。しかしながら尾浜は、これでちゃんとクラス委員長を友人たちの信頼に支えられながら真面目にこなしているのだった。多分。
「普通に答えるなよ。お前さ、変な奴だよ」
 尾浜は弁当をつつきながら、食い物の合間でそのように発言した。
「おれもそう思ってた」
「やっぱり自覚ありか」
「いや、お前が」
「あ?」
「やったか、とか普通に聞くなよ。普通、聞かないだろ、そんなこと」
「だって気になったんだよ」
 悪びれない。そういう奴だって知っている。尾浜は再び食い物の間で、軽く笑った。
 尾浜は多分きっと母親の手作りに違いない弁当を、人の机の上に勝手に広げて食っている。さすがに自分の椅子を奪われるのは回避したが、やはり前の席の奴の椅子は奪われた。
 大きめの二段の弁当箱の中身は、上の段は唐揚げと出汁巻き卵、ポテトサラダとブロッコリー他、梨が二切れ。下はフリカケつきの白ご飯。安定した家庭の象徴。これを羨ましいと思えたら、そこそこ人間的だな、と考えた。つまり相当、羨ましいと思ってるってこと。
 朝、コンビニで買ってきた変に湿ったパンを食べながら考える。
「一人暮しだっけ、転校生君」
「そう。別に家遠くないんだけど、なんとなく」
 適当に教科書類の詰め込まれた鞄に適当に詰め込まれ、午前中の眠気に逆らえず鞄もろともかなり適当に扱われたパンは、食いやすい厚みにちょうどよく潰れていた。中身のコロッケはパンからはみ出てた。
「一人じゃ昨日の今日で大変でしょ、実際」
「今日は正直、朝コンビニ寄ってくる時間も厳しかった」
 しかし買ってこないと、昼飯がない。購買や学食もこの学校にはあるんだけど、あれはかなり体力を使うのでこの寝不足だと無理。なにしろ腹を空かせた高校生が何十人も一ヶ所に詰めかけるから、一時的に学食や購買はすごい人口密度になる。以前東京にいた頃に体験した朝の満員電車と遜色無い状態だ。誇張無し。
「第一発見者になんてならなければよかったのに」
「見ちゃったもんは仕方ない。善良な一般市民としては通報の義務を果たさずにいられなかったんだ」
「それは当然のことだ。大した手柄だ」
「自分でもそう思ったんだけどさ」
 コロッケパンは頭の方からはみ出ていたので、いや、はみ出ている方をパンの頭とおれが決定しそっちから食い始めたんだけど、食っているうちにケツの方からもはみ出始めた。ビニールの袋の中にコロッケの残骸のみが残る状況。もったいないし当然食べないなんて選択肢はない。袋を逆様に振って、ボロボロのパン粉とじゃがいもを上向いて開いた口の中に落とす。むなしい食べものだ。この構造だと、仮に潰れてなかったとしても、ケツから中身が出る。しかも考えてみるとパンの中にパンで包まれたものが入っているメタ食物。
「まさか。いや、でも疑われてるっても、正直噂レベルでしょ? おれみたいな野次馬根性の奴が、根拠もなく言ってるだけだって」
「それがさ」
 コロッケパンは終了した。
「いや、疑うのはやめて下さい」
「可能性の一つとしてね。でも推理小説の筋書きとしっては、一番最初に怪しいと思われた奴って大体犯人じゃないから」
「だから?」
「怪しいけど違うんじゃないかと踏んでいる。おれはお前を」
「探偵役かよ」
「ワトソンの席は譲るよ」
「ホームズは読んだことない」
「うっそ信じられない。世界の名作なのに」
 つまり尾浜はこんな奴だ。赤の他人の興味本意であり、無関係の無感情。ご近所で起こっている凶悪犯罪も明るい好奇心の対象でしかないようだ。
 でも多分、人間ってそんなもんだろう。当事者じゃなきゃ、小説の中と痛ましさは同じ。
 とはいえ尾浜に限っては、当事者になったとしても、同じような赤の他人の目線のままでいられるところがあるんじゃないか、と思わせる件があって、それはまた後の話。
 今はまだ、おれはコロッケパンに次いでコッペパンに油っぽいクリームを挟んだやつを食べている平和な時間である。朝抜きの昼飯でパン二つじゃ足りない気がする。
「ではまず、何故発見したのかを聞こうじゃないか」
「昨日警察にも散々話したよ」
「発言に矛盾が見られるかもしれない。お前、結構嘘吐くから」
 なんだ、ばれているらしい。結構上手な嘘つきだと自分じゃ思ってたのに。
「何時ごろ、どこで」
 目を輝かせて詰問を始める尾浜の目には、警察の取調室のイメージ。こいつは単純な奴。
「昨日の深夜二時か三時ごろ、××駅の北口側の……駅から二十分ぐらい歩いた辺り、住宅街と畑が並んでる辺りの、林の中」
「なんで君はそんな時間にその辺りに居たんだ」
「宿題が片付かなくてむしゃくしゃしてたので、散歩してました」
「むしゃくしゃすると君は散歩をするのか?」
「気が静まるまで一時間でも二時間でも歩きます。しかも健康に良いんですよ」
 深夜にそんなに長時間あてもなくふらつくことが続くようなら、精神的な病を疑った方がいいかと思う。特におれのような経歴があるのなら。
「なるほど、第一発見者久々知兵助君は、日頃から健康に気を使う少年である」
 尾浜は懐から取り出した手帳にメモをとる、フリ。手のひらの上で人差し指を踊らせる。
「それ何か意味あるの」
「続けて」
「食べながらでいい?」
 おれの手には、半分の長さになったクリームパンが居る。半分食べたら半分になってしまった。当たり前。
「どうぞ……ん、まさか、カツ丼を要求するつもりか」
「今時の取調室じゃ出ないらしいよ」
 カツ丼を出されるのは容疑者じゃないのか、と思ったが、よく考えたらおれも容疑者らしいので、それでいいのか。
 しかしおれはカツ丼なんかで自白するような犯人では決してない。貧困に喘いで腹を空かせたための犯行ではないし、愛情や人の暖かさに触れた程度で、突如として罪悪感を取り戻すような精神状態でもないのだ。
 その前に、犯人じゃないんだった。
 おれが食べたいのは潰れたクリームパンの残り半分。中身の脂っこいクリームが、妙においしいから好きだ。でもこのクリームが何でできているのかは判らない。練乳っぽいけど、裏面の成分表には牛乳の文字はないのだ。でもおいしい。正体不明のくせに。
「それで精神と肉体の健康のために、深夜の散歩をしていた所、いつの間にか一駅ほど歩いていました」
「夢遊病じゃないか」
「そういう診断はもらったこと無いですね」
「ではなぜそこまで?」
「特に目的はなく歩いていました。目下、苛立ちを沈めるのと健康の増進が目的だったので、地理的な目的は設定していませんでした」
「なるほど、全くの偶然だったと」
「嘘だけど」
「おい」
「本当は、ちょっと誉められたことじゃないと思うんで、言いづらいんだけど」
「いいぞ、殺しでもなんでも、きっぱり吐いて楽になっちまえ」
 やっていないってのに。
「実は……歩きながら、ふと前を見ると、おれとおんなじように、ふらふら歩いている奴がいたんですよ」
「どこで?」
「どこだったかな? 駅前のファミレス辺りだったかな」
「どの駅前だ」
「そんなに何駅も歩いて移動できない」
 都会の方ならともかく。
「あ、そうか」
「××駅の、北口出た通りにあるファミレス」
「お前、家はどこだ」
「どういう順番で聞くんだよ」
「いいから」
「××町の古い方の新しい所」
「××駅はお前の家の最寄りか。古い方って、小学校とかあるらへん?」
「小学校の手前の方。川の向こうにスーパーがあって、橋の所の分かれ道をスーパーと逆側に……そんな説明しても、その辺り知ってる?」
「一回行ったことあるから覚えてる。あの辺か。駅から徒歩なら十分ぐらいだな」
「深夜でゆっくり歩いてたからもっとかかったかも」
「どっちにしろ、お前は家を出てそうかからない内に、その人物を発見した」
「うん。始めそいつとおれは同じ方向に向かって歩いてて、ふとその背中を見ると、なんというかそいつは回りが見えてない風で、フラフラ歩いてて、これはまともじゃないな、と思った。で、おれも完全に深夜テンションだったわけ。ちょっとついていってみようかなと」
「まさかのストーキング告白」
「いや、尾行。期待に沿えなくて悪かったな」
「いやいや殺人告白じゃなくて安心したよ。やっぱり級友が殺人犯だと色々問題があるからね。で、死体の発見はそのストーキングの成果?」
「そう。そいつが一駅分も歩いて、住宅街の外れの森に入って行くのを見届けて、まあ悩んだんだけど、気になるだろ。結局森の中までついていって、立ち去った後を調べたら出たんだよ」
「胴体」
「穴の中から。胴体以外もくっついてたよ」
「なるほど」
 ふーっと、尾浜は深く一息吐いた。
「意外に臨場感がある」
「まあね、嘘偽りない真実の告白だから」
「その一言でいっきに胡散臭くなった」
 今更、だ。
「発見時の様子なんかは聞かないの」
「いや、それはまた後で」
 尾浜は後ろを振り向いて、黒板の上にかけてある時計を指差した。
 一時七分前。
「基本は五分前行動」
「教科書出して席に座っとくだけなのに?」
「五限は体育だ」
「あれ?」
 おれは時計の下の黒板の左、窓際の掲示板に貼ってある時間割りを見た。転校してきて二週間目なので、全然時間割りとか覚えてない。
 今日、何曜日だったっけ。
「水曜は五限体育。だから、水曜は飯早く食った方がいいよ」
「腹痛くなりそう」
「がんばれ、一口で行け」
 おれの手の中に残ってたクリームパン、実は喋っている内に存在を忘れてしまって、ほぼ半分がそのまんま残っていた。
 一口は厳しい。
「あるいは半分くれ」
「え」
「食いきれないだろ、ほら早く」
「これを渡したら絶対今日の後半戦腹減ってくる」
「素早く食わないお前が悪い。ケツの方からでいいからちょうだい」
 尾浜はほぼ強引に、おれの手からパンの半分をむしり取り、一口の元に飲み込んだ。
 いや、飲み込みのは無理。口に詰め込んだだけ。
「ひむがほひい」
 水が欲しい、だ。尾浜が飲んでいたココアは底をついているのは判っている。さっきこいつ自身がストローを吸い上げながら紙パックを握り潰していたのだ。
「ひむ」
「いやだ」
 尾浜がおれの緑茶に手を伸ばすが、おれの方が先にパックを掴んだ。これだけは渡せない。おれも最後の四分の一クリームパンが残っている。
 というわけで、二口ぐらいでゆっくりとパンを咀嚼、間に緑茶をはさみつつ悠々と昼食を終えた。口一杯に詰め込んだパンに悪戦苦闘する尾浜を眺めながら。
「そっちあんまりクリーム入ってなかっただろ」
「お前は人でなしだ。冷血漢のサディストだ」
 ちょっと涙目。でも言うことは言う。やっぱり面白い奴だ。
「自分で奪っておいて」
「お茶の一口ぐらい――」
「勘右衛門、と転校生ー、体育遅れんぞー」
 と、その時授業五分前。教室から続々出ていく級友たち、その一人が、出口のドアの所から声をかけた。
「兵助な、こいつ」
 尾浜が笑いながら席を立った。この流れはなんというか、疑いようのない平凡な日常。嫌いじゃない。
 体育っても、まだジャージ来てないんだよな。今日も見学かな? 虚弱体質みたいなイメージついたら嫌だな。そうでもないんだけど。
「あ、そうだ」
「何?」
「もう一つ重要なことを聞き忘れた」
 尾浜は立ち上がり様、再び取調室の演技に戻った。
「その、お前が後を付けた相手の特徴は?」
「おれと同じかそれより下ぐらいの、男。後ろ姿しか見てないけど、身長は低め、痩せ型、茶髪、襟足長めのパーマ。黒い服着てたけど、多分どっかの制服」
「なるほど。高校生ぐらいで、そういった風貌」
 尾浜はうんうんと頷くが。
 つまり供述は全部嘘。

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