05 沈没記念


 タカ丸さんが指さした1-ハの連中は、今やサンジロウとトラワカ、そして手負いのダンゾウのみになってしまった。
 勿論連帯プログラムなのだから、彼ら三人だけを残して他がどれほど重大なダメージを受けていても、直ぐに修復が出来る。だから何も心配は無いのだが。
「とにかくこれで僕の勝ちです。もういいでしょう、兵助さんを出して下さい」
 AYABEがいつもよりもぼーっとした表情となって、敵を順繰りに見回した。無関心を装っているように見えるが、寧ろ彼本人は勝利を噛み締めているつもりだろう。
「勝ちか、勿論私たちには勝ったのだろうが、忘れてはいないか?」
 縛られてなお不敵なTATIBANAがニヤリと笑った。
「何をですか」
「その兵助がどこにいると思う」
 起きるはずのない風が通りすぎた。世界が揺らいだのだ。何者かが、不正に世界を移動した。
「あそこ!」
 真っ先に気がついたのはダンゾウだった。指さした先に、一人男が立っている。
 今までは存在しなかった。ログインした兆候もなかった。突如現れたのだ。1-ハの連中が得意とするような、瞬間的な移動でもってここに現れた。
「兵助さん」
 AYABEが呆然と――はっきりと呆然として――言った。
 男は染められたようにも見える深い黒髪で、私やAYABEよりも頭一つほどの身長だ。人なつっこそうな笑顔を浮かべて、大股でこちらに歩いてくる。
 初めて見る顔ではなかった。以前、1-ハを調べていたときに見たログの映像で一度見た事がある。イスケの襲撃を受け、二度とログインしていなかったはずの人物だ。
 確かにネームプレートには<KUKUTI>とある。名前は同じ。
 ネット上では同名の人物が存在しないのかというと、決してそんな事はない。重複する名前であってもその他の情報が別ならばアカウントは作成されるし、そもそも操作している人物が別であれば、名前が同じでも別人と言える。
 だが今目の前にいる男は、今ここで手にはいるだけのあらゆる情報を総合すると、確かにあのログで見た人物に違いなかった。
 よもや私が調べ違えた?
 いや、その筈はない。この世界に置いて右に出るもののない私がアカウントや細かな情報を全て検索し、以後どこにも現れていない事を確かめたはずだ。となると、偶然にも調査期間のみログインしていなかったという事だろうか。確かに一度きりしか調査はしていないが、何か引っかかるものがある。
「どうしておれを忘れるかな」
 にっこりと笑うが、隙がない。
 男の足下にグルグル巻きにされたランタロウ、キリマル、シンベエの三人が現れた。

「盲点だった?」
「そのようです。その子達、どうしたんですか?」
 AYABEは呆然とし、次第に悔しげに対応を変えた。
「捕まりましたー」
 言っている事の割には、ランタロウの顔には緊張感がない。キリマル、シンベエにしてもそうで、シンベエに至っては棒飴を口にくわえて幸せそうですらある。
「残念だけど、そういうわけで賭けはおれの勝ち」
 KUKUTIが勝ち誇ると、
「まだ全員捕まったわけではありません」
 AYABEは憮然と答えた。
「うん。だから、彼らは人質だ」
「え?」
 ランタロウが顔を上げる。
「捕まえるって、本気ですか? でも久々知さんって」
「しっ」
 人差し指をランタロウの口に当てた。古来から伝わる「黙って」のジェスチャーだ。
「それはまだ秘密」
 片目を瞑って密約の取り決めを匂わせると、ランタロウも「そうなんですか?」という顔をして黙った。
「……そうですか」
 AYABEが静かに言い、真っ直ぐにKUKUTIの方を見た。じっと見つめるだけで、それ以上何も言わない。
 これは怒っている。何故だか知らぬが、この顔は怒っている顔だ。それも生半可な怒りではない。
 対するKUKUTIは笑っているが、その二人を取り囲む私たちは何とも言えない空気に言葉も失った。何を言えばいいのか皆目検討も付かない。ただAYABEは静かにはっきりと怒っている。
「最初からこの子達とはお知り合いだったんですか」
 ややあって開いた口には棘があった。
「知り合いっていうより、友達かな。な?」
「は〜い」
「それで賭けを言い出したんですね」
 AYABEの怒りも尤もではあった。その言葉が本当だとしたら、私たちはまんまとKUKUTIに騙された事となる。私も当然驚いたし、口惜しいが、今はその問題以上にAYABEの方が気がかりだった。
 今にも何かしでかしかねない勢いだ。未だかつてこれほど怒りを顕わにしているAYABEを見た事がない。
「おい、喜八郎」止めた方が良いのではないかと思った。
「TAKIは黙ってて。それで、僕には言わない秘密があるんですね」
「いやそれは……」
 KUKUTIが押し黙ると、再び柔く押しつぶすような沈黙が辺りに充満した。
 AYABEは先程から相変わらず素直な怒りの目でKUKUTIを睨み付けている。その気迫だけにこの場を支配されてしまっていた。
 だがそれは何とも人間的な行動だ。私の知るAYABEはもっと人間離れした、或いはバグ付きのコンピューターの如き行動様式を持っていたというのに。
 そのAYABEが今感情を顕わにして怒っている。
「僕には何も教えてくれないくせに」
 呟きは聞こえよがしだった。責め立てる口調である。
「トラワカ」
「へ?」
「撃て」
 AYABEは迷い無き本気の目で、人差し指でKUKUTIを真っ直ぐ指さした。
「だってランタロウ達が」
「そんなの知らない。撃ち殺せ」
「そんなことできないです!」
 トラワカが拒否するのも無理無からぬ事だ。友が捕獲されているのだし、今し方聞いた話によれば、KUKUTIと1-ハの連中は友好関係にあるという。
 それを「撃ち殺せ」などと。本気で殺せるわけは無いのだが(何しろここは仮想だ)、穏やかならぬ指令だ。
 渋るトラワカを見て口をへの字にしたAYABEは、今度はこちらをキッと見た。
「滝夜叉丸!」
「私の攻撃ではあそこまでは届かない」
 と咄嗟にかわしてみたものの、無論何をやっても完璧なこの私が、あそこに棒立ちしている男を攻撃出来ないはずもない。美しく素晴らしい戦輪投げを披露することも出来よう。
 だが私には今賭けに填められた事以外、あのKUKUTIという男に何の恨みもないし、そもそも足下にいるランタロウ達が人質とされている。それにAYABEの今の言葉、本気には取れなかった。ただ怒りにまかせただけではないのだろうか。
「じゃあ三木ヱ門、三木ヱ門は何所だ?!」
「ログアウトして戻っていない」
「ちっ」今明らかに舌打ちした。「使えないやつ。もういい、貸せ!」
 言ったAYABEは今までにない素早い動きで、トラワカが肩に掛けていた小銃を奪った。これは古い時代に日本軍が開発した四式自動小銃を摸した骨董品的外見を持った銃で、トラワカのお気に入りでもあった。
「あ、何をするんですか」
 持ち主の静止の声も聞かず、AYABEは銃の照準をKUKUTIへと合わせた。
「え? 本気?」
 KUKUTIが今更になって焦るが、
「いつだって、本気です」
 ドン!
 問答無用の銃声が鳴り響いた。それも一発のみではない。複数回の執念深い弾丸と銃の上げる煙が、KUKUTIの立つ辺りを覆った。

「AYABE、止めんか!」
「危ないよー」
 タカ丸さんが真っ先にAYABEを止めに出た。一瞬見えなくなったかと思うと突如AYABEの背後から顔を出し、後ろから羽交い締めにした。
 タカ丸さんはAYABE(の使っているキャラクター)と比べれば、遙かに体格が良い。従ってAYABEは攻撃の手を止めざるを得なかった。
「ランタロウ達もいるんだよ」
「そんなことは、僕にはどうでもいい!」
 と強い口調で――いつもと比べれば―叫んだが、最早何も行動を起こす気はないのか、銃を持った手を無気力にだらりと垂らした。トラワカが慌てて銃を取り返すが、やはりAYABEはその事については無反応だった。
 それよりも自分が銃を乱射した先の空間を凝視していた。もうもうと砂煙が上がり、先で何が起こっているのか判らない。
「何故そこまで」
 私の問いかけに、AYABEは睨み付けることで答えた。
「後で話す、気になるなら。兵助さん」
「何?」
 声だけが伝わってきた。存外涼しげな反応だ。だが音声の響きが先程迄の通常のものと少し違い、不自然に直線的な響きである。煙を避けるためにあえてそうしているのかもしれないが、もしかしたら先程のAYABEによる攻撃で大損害を被り、音声だけで対応しているのかもしれない。
「何が望みなんですか」
「重いなぁ」苦笑した。
 煙が晴れる。KUKUTIもランタロウ達も完全に無傷で、男は相変わらずあの人なつっこそうな笑みを浮かべて立っていた。

「そんな大したことじゃないんだけど」
「何ですか」
「それより、訊くということは負けを認めていると考えていいのかな」
「引き分けです。こっちにもまだ生き残りがいる。このまま時間が経てば、ランタロウでなくとも他の個体の修復ができます」
 ダンゾウが傷ついた足の手当をしていた。傷はそう深くないが、修復は苦手らしい。
 それによく見るとトラワカも右肩から血が滲んでいて、それをサンジロウがいま修復しているところだった。傷口に修復プログラムを刻んだ白い切片を幾つも貼り付け、世界の法則を裏切っている証拠の揺らぎ(ノイズ)を小さく発声させながら、壊れたデータを――もっと言うと、実際に破損しているデータと、破損しているという記録を――元通り復帰させようとしている。
 仮想は永遠の停滞の礎がある。それを破壊するのも世界の法則を破っている事になるが、その壊れた世界を修復するというのもまた、本来有ってはならないことだ。したがって酷く難しい。
 ランタロウやISAKUさんなどはそれに特化した能力を持っているらしいが、通常ならもっとも時間の掛かる作業だ。
 従って満身創痍。通常通り動けるのは、私とAYABEのみだった。
 そのAYABEは時間が経てばと言ったが、再び体勢を立て直すまでまだ時間がかかると見ていいだろう。
「だから」一瞬俯いた後、少し笑った顔でAYABEは続けた。「時間を稼ぎましょうよ、兵助さん。そうしたら僕の勝ちです」
「それを素直に言ったら意味がないだろ。もう少し、手段は選んだ方がいいぞ」
「じゃあ今から戦いますか?」
「それは、そうだな喜八郎と戦うのか。そうなると嫌だね。顔を合わせるのも久しぶりだっていうのに」
「ここ最近はよく会っていると思うのですが」
「それより前、会ってない期間が長かったという事だよ。それにしても、喜八郎の方こそ何が望みなんだ? そんな手段を選ばないみたいな行動を取ってまで」
「言えません」
「じゃあおれも言えない」
「そうやってはぐらかされそうだから、言いません」
 AYABEが酷く無感情に言ったものだから、KUKUTIは面食らったらく返答が無かった。会話が途切れる。
 時間を稼いでくれるのではなかったのか。そう思いつつも、私は気付かれぬようじりじりと後退していた。
 KUKUTIは見たところAYABE以外にはあまり気を配っていない。
 視界に入ったタカ丸さんが片目を瞑ったのに答え、ひっそりと開かれた抜け道に片手を伸ばした。

 タカ丸さんが駆使する瞬間移動の法は、1-ハの連中が使役する裏技と全く同じだった。つまり同じ制作者によるシステムAIだという事なのだろう。システム制作者しか知り得ない裏を駆使しなければ、その抜け道は造れない。
 その移動は一瞬だが、人が消えれば異常に誰でも気がつく。虚をつくには、相手が注意を逸らした瞬間だ。悟られぬよう、背後に近づきランタロウ達を回収する。回収役は恐らくタカ丸さんが適任だろう。そして同時に、私がKUKUTIに攻撃を仕掛ける。
「その頭の色だよ」自分の頭を人差し指で指さした。「喜八郎、それはおれへの嫌がらせか? おれの指図でそうしているだとか、評判を落とすような事を言って――」
「僕が、兵助さんに嫌がらせをしている?」
 今度はAYABEが唖然とした。それからちょっと時間を掛けて、また怒りの表情に戻っていく。怒りと言ってもAYABEの場合は表情では判りにくい。だいたい単に無表情になるだけだ。だが目が鋭い。
「それに羽もそうだ。どうして、五年前から変えてない?」
「だって兵助さんが似合うと仰ったから」
「それは八つの頃の話だろう」
 KUKUTIが仕方ないような笑い方をした。
「いや、その頭に付けているのは、五年前には無かったな。豆腐型のヘアピンなんて」
「売ってませんでしたから、自分で作りました」
「そりゃ売ってないよ! 何で当てつけにそんなに手間をかけるんだ。とにかく、この賭けはおれの勝ち、だからその外見を改めて貰う」
「たったそれだけなんですか」
「そうだ。別に大したことじゃないだろう」
 KUKUTIは笑ったが、AYABEは恐らく口元を僅かにも歪めたりはしなかっただろう。
「僕に言いたいのは、それだけなんですか」
 AYABEの目は薄い茶色で、何も見えていないのではないかと心配になる程に浅い色をしている。その目は今きっと全てを恨んでいるような色になって、彼の全身を見透かそうとしているのだろう。
 私たちはAYABEが何の考えを持って何の怒りを奮わせているのか知る事は出来ない。その表情を覗き込むことも今や不可能だ。
 今、私はタカ丸さんの開いた道へと音もなく飛び込んだ。瞬く間に別な場所へ飛んでいく。先導するタカ丸さんの背が見えたのは一瞬だ。手足も殆ど動かさず、移動した感覚もない。
 だが当然のように私とタカ丸さんは、KUKUTIの背後に存在を移した。
 KUKUTIはAYABEとの会話に気を取られ、私たちの移動に微塵も気付いていない。
「これで、勝ちは――」
 私の手から鮮やかに戦輪が飛ぶその瞬間に、爆発!
 目の前に赤。何が起こった? 考えるよりも早く、爆発をまともに食らって片足が吹き飛んだタカ丸さんが、私を明後日の方向へ突き飛ばした。
 再び数回の爆発が起こる。振り返ったKUKUTIは驚愕していた。
「勝ちは、私だ」
 この爆発は身に覚えがあった。
 TATIBANAだ。捕らえられたはずのTATIBANAが、網を足下に落とし悠然と立ち上がった。
「AYABE、時間を稼ぐのも良いが私の事を忘れていたな。先に始末をつけておけば間違いなくお前たちの勝ちだったんだが。網を抜けるどころか、罠をしかけるのにすら充分だったぞ」
 草原中に、TATIBANAの遠隔操作による爆弾が機雷のように散らばっている。殆ど不可視のオブジェクトは、目をこらさないとその存在を確認するのは難しかった。
 縄を抜け出したTATIBANAが人知れずゆっくりとこの罠を仕掛けて待っていたのだ!
「そんなに時間有ったんなら、ついでに僕らを助けてくれたっていいじゃないか」
 有り難い事にISAKUさんたちは相変わらず拘束状態のままだったが、それが救いになるかどうかは微妙な所。
「…こっちに……」
「なんで爆弾撒いてんだ! せめてこの周りは避けろよ!」
 SHIOEの苦情通り、TATIBANAの機雷はくまなく草原一帯に撒かれており、味方である筈のISAKUさん達も大量の機雷に囲まれている状態だ。回避場所を与えない手厳しい考慮の上だろう。
「お前らは自業自得だ。逃げたければ自力で逃げろ」
「動けないんだって」
「死にはしないんだ、諦めろ」
 冷たく言い放つと、TATIBANAは両手を広げた。この状況は、非常にやばい。
 AYABEは相変わらず怒りと驚きの混じった顔で、身動きできず立ちすくんでいる。その足下のトラワカ達は言わずもがな。手負いの彼らは既に戦力外だ。
 タカ丸さんが片足を引きずって立ち上がると、今度は右手の方で爆発が起きた。機雷のいずれかに触れたのだ。
「言い忘れたが、触れれば爆発するぞ。まあ触れなくとも、私が爆発させるが」
 万事休すか。TATIBANAが手を振って爆発のサインを送るのが、遠く離れてなお、妙に明確な姿で眸に焼き付いた。
 その時、待ち望んでいたメールが届いた。

 接触成功しました

 短いメール本文が人知れず私の眼前に浮かび上がる。<From.YUKI&TOMOMI>。女神の通達か!
 その先に、赤く染まる火花の世界。その派手な幕引きをTATIBANAが演出しているところに、前触れもなく黒い影が飛び込んできた。
 爆発が止まる。驚いたTATIBANAの動きも止まった。
 男はニッと落ち着いた大人特有の虚無的な笑みを浮かべ、そして簡単な操作で全ての時を止めた。動けない。私たちは時間軸から切り取られた。指一本動かせない。
 すぐに目の前が暗くなっていく。
 落ちていく。いや、沈んでいく。
 おかしな感覚だ。世界から切り離されていくというのに、痛みはない。ただ意識は沈んでいく。
 穏やかに、無感情に死んでいく。仮想の世界と死別するのだ。
 一瞬で、現実に落ちていく。

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