私を追っていた七松先輩が、ちょうど蛇の上に現れた。蛇は現実に存在するそれと同じ素早い動きで突然の来訪者をかわすと、牙を立てて反撃を試みた。だがその牙は虚しく虚無を噛み締める。
「何の毒だ?」
「蛇はただ冷たい穴が好きなだけなんだ」
AYABEの答えは答えになっていない。
「1-ハが五体集まってるよ。仙ちゃん捕まえないの?」
「動けないのさ」
「そうか!」
七松先輩が地に潜った。TATIBANAの救出を、私を追うよりも優先したらしい。まずい。
「NANAMATUは連れて行ってよ」
「無論、判っている。キンゴ、ショウザエモン、アレだ」
「はい!」
二人は準備しておいたプログラムを実行に移し、私は煙に巻くため、大仰な動作で戦輪を呼び出した。ダンゾウは逃走経路の確保。
私は相変わらずTATIBANAへの一方的で威嚇的な攻撃を続けるAYABE達に向かって合図を送った。AYABEが頷いた途端、さらに新しい存在が空間に現れる。その殆ど実態を持たないプログラムはYUKI、TOMOMIが得意とする<毒>の分野。
「後、ログインしていないのは二人ですよね」
「何の話だ?」
TATIBANAが、ぽん、と地面を蹴った。途端に爆発が地面で起こり、足下に大穴が開く。
「助けに来たよ!」
「ご苦労、だが無駄足だ」
TATIBANAが囁くと、あっという間の勢いで火花が中を縦横無尽に走った。
「黙って手をこまねいていたわけではないのだよ。AYABE、騙し合いを続けようか。小平太はあっちだ」私を指さした。
「俺役立たずだった?」
「そうでもないさ。いい時間稼ぎだ」
「それならもっと時間稼ぎに無駄話でもしましょうよ、先輩。あと二人来るんでしょう?」
「お前のペースに乗っていては話にならん」
TATIBANAが再び手を翳した先、空間が弾けた。もくもくと煙が上がるのに紛れて、キンゴ、ショウザエモンが七松先輩への攻撃を開始する。
キンゴ、ショウザエモンが準備していたのは強烈な煙幕だ。しかも個人回線を攻撃するために特化した、毒を操るYUKI、TOMOMI特性。ただし正確に発動するためには、対象に極力近づかなくてはならない。
二人は近距離の移動にもかかわらず、裏道を開いた。二方向から強襲すれば、あの七松先輩とはいえ――特別ネット上での行動が得意というわけではないのだが、現実の反射神経と洞察力があるのだ――多勢に無勢、多少は隙を作るだろう。私もサポートのために戦輪を投げた。
「その程度じゃあ」当然七松先輩に到達する前にたたき落とされる。
「もっと何か無いの?」
七松先輩の背後にショウザエモンが現れた。本当に何もないところから出現するのだ、見ているこっちが――そういえば客観的に彼らの移動を見るのは初めてだった――驚いてしまう。
「くらえ!」
直後に七松先輩の頭上にキンゴも出現する。二人合わせて埋伏の毒、殆ど不可視の煙幕弾を七松先輩に向かって投げつける。
爆発!
TATIBANAの爆弾のような空間を破壊する爆音はない。静かに高濃度のノイズが一点に発生する。何が起こっているのか、当然私たちの目からは見えない。
「便利だね、アレ。僕が先に使っておけば良かった」TATIBANAと対峙中のAYABEが眼球だけを私に向けて言った。
瞬間移動による妙を見せられたTATIBANAは七松先輩と同じ手を食うまいと、警戒を始めたのが判る。
「いけいけどんどん!」
気合い一発、七松先輩が煙の中から飛び出してきた。回線を攻撃された七松先輩の仮姿はノイズ混じりで、どこか不確定だ。だがその手に小型の刃物を構えている。先程まではTATIBANAのサポートでも始めてしまいそうだったが、今は明らかに攻撃対象を私たちに限定していた。
攻撃対象を失った煙幕が晴れる。そして予想通り、ショウザエモンとキンゴの姿は無い。あの毒は回線を利用していない彼らには無効な筈、つまり煙幕中での乱闘で斬られたか、はたまた。
「ダンゾウ、逃走経路は?」
「バッチリです」
私はまた裏道を使っての逃走に入った。七松先輩もAYABE達の戦闘区域を離れて追ってくる。
再び始まった光速の鬼ごっこ、そして同時に戦闘中であるはずのTAMURAへの回線を繋いだ。やつは新たな顔
TAMURAとの会話でルートを決定する。
私の方はキンゴとショウザエモンを失い、TAMURAはSHIOEとの戦いでイスケが大きなダメージを受けているらしい。だが1-ハは強力な連帯プログラムで、一体でも残っていれば修復が可能だ。中でも一番修復を得意とするのは、ナンバー01ランタロウ。そのランタロウにダメージを受けた三名を報告するために、予め定めていたポイントを逃走ルートに組み込む。これならばランタロウ達の別動隊と直接連絡を取り合うという危険を冒さずして、単純な情報が伝達出来る。ランタロウ達は定められたポイントを随時監視していれば良いとおいうワケだ。
機動力に優れたダンゾウと行動を共にしているため、連絡は私が担当する事になっていた。だがそのためにはTAMURAの方の損害を知っておかなければならない。
(イスケのデータが三十二%程破損された)
三十二%といえば並のAIなら既に活動停止状態だ。人間が三十二%、身体を失った時と同じ状態となるわけなのだから。
しかし細かく送られてくる状況を見るに、破損しながらもイスケはSHIOEとの激しい戦いをTAMURA達と共に続けている。
「イスケもそうだが、お前らはやたらと生命力が有り余っているな」
「毎日走り回ってますから」
ダンゾウも私を連れて光速で走り回り、その立ち回りの早さはあの七松先輩ですら差を中々詰める事が出来ない。実際の移動速度が速いのもあるが、移動が的確で無駄がないのだ。
足下に冷たい穴が空く。電子の裏道、蛇が好む道。私たちが飛び込むと、先程AYABEから託されたじゅんこが続いて穴に潜った。
じゅんこはこの瞬間移動の際に発生するログとノイズを好んで食す。ログは無機質でノイズは破壊的、恐ろしく冷えたでデジタルの落とし穴だ。ログが残っていれば警察に不正が知られる可能性があるし、七松先輩が追跡の足がかりにするだろう。ノイズも同じく、足跡である上に世界を浸食する本当の姿は恐ろしい化け物だ。それを私は後ろに走らせ、先手を打っているわけである。
(西の浜の方)TAMURAから再び連絡が入る。勿論暗号化された会話である。
ランタロウ達への連絡ポイントが決まった。TAMURAからの連絡で、私は西の浜へと飛んだ。
一瞬にして視界は潮風の元へ。
「読んでるよ!」
七松先輩が眼前に!
だが私は浜にはいなかった。実際に飛んだのは浜から少し離れた入り江。そして私に代わり、七松先輩を待ち受けていたのは大砲を構えた、TAMURA。
「行け、<りかこ>!」
閃光が世界で弾けた。
TAMURAの咆吼と共に、最重量砲の<りかこ>が火を噴いた。攻撃力に比例した巨大さで機動力に欠け、発動まで時間がかかる非常に極端で不便な代物。だが相手の端末まで破壊しかねない、TAMURAの必殺技だ。
上手く七松先輩、それにTAMURAと交戦中であったSHIOEを砲口の最も近いところへおびき寄せ、逃げる暇もない一発を食らわせる。
入り江からもその場にいた六体が砲撃に巻き込まれ、消滅したのが確認できた。六体というのはつまり、七松先輩とSHIOEに加え、TAMURAと彼と行動を共にしていたイスケ、サンジロウ、ヘイダユウの三人。TAMURA達の尊い犠牲によって敵はマイナス二。
その筈だったが、
「捨て身の攻撃とは中々だな! だが、こんな所で観察してりゃ誰でも気付くぞ」
SHIOEが私達の隠れていた入り江に突如飛び込んで来た。その勢いのまま、鋭い拳が飛んでくる。私は慌ててかわしたが、一回目はフェイント、次の攻撃で狙うのはダンゾウの方だ!
直ぐに気がついてダンゾウの襟を背後から掴んで引き寄せた。
「わっ」とダンゾウが叫ぶ。
間合いからギリギリ離れた筈だったのに、ダンゾウの片足は浅く切り裂かれていた。見ると相手の手にはいつの間にか短い刃物――日本の伝統的な暗器、苦無だ――を構えている。
私も寸延びの短刀を抜き、応戦の体制に入った。
「そういえばお前、以前会ったな。何でウィルスに肩入れする?」
顔を改めて見ると、以前伊作さんの店で会ったあの強面だった。何とも嫌な予感がする。
「そうしたかったからです。それ以外に行動に意味を付けられましょうか」
答える義理は感じなかったが、相手の攻撃意志による緊張感を紛らわせたかった。相手はじりじりと間合いを詰めてくる。呼吸が止まるように、意志が一点にのみ集中される。
私に与えられた仮の双眸は、相手の姿全てを把握しようと必死だった。
仮想の世界は、現実と同じように精密だ。相手の目線、筋肉の動きで次の動きが読める。
「小平太の後輩なんだってな。できるのか」
直後に架空の風が切れる音。何が起きたのかを理解する前に、殆ど条件反射で心臓を短刀で庇う。
キン、と金属音がして苦無が地に落ちた。落ちた苦無をちらりと見て、そして初めて相手が苦無を飛ばしてきたのだと気がついた。
すう、と血が冷たくなる感覚。
反射的に心臓を庇ったのは、七松先輩との現実の訓練を積んでいた私には当然の行動だった。実際に命を守るための。だが、もしその感覚を忘れていたとしたら、私の心臓は貫かれていた。
それは仮想の話だ。だが現実に体験した、命を失いそうになった瞬間の、あの感覚に似ていた。七松先輩が向けた銃口。全ての熱を失い、自らの存在を失ったと錯覚したあの感覚。酷く現実的な恐怖。
勿論ここは仮想だ。だが現実に私は恐怖を思い出していた。
「やるな」と相手は笑う。
このSHIOEという男は七松先輩と同類だ。再び彼の手元に暗器がちらついている。先程SHIOEは予備動作全くなしで苦無を飛ばしたのだ。接近戦は、好ましくない。
「逃げるぞ」
「はい」
切られた片足を庇いながら、ダンゾウは私を導いた。
捨て身のTAMURAの攻撃は、成功だったのだ。七松先輩しか巻き込まれなかったとしても。
ダンゾウの怪我もすでにランタロウへの連絡を済ませた。完治も時間の問題だ。
そう、私の立てた作戦が失敗するはずもない。「罠は幾重にも」喜八郎の助言も的を得ていた。
「上手くやるもんだな。だが<ログ処理>の蛇の足跡が残ってんぞ! 09ダンゾウ!」
何度目かに飛んだ先を読まれていた。だが読まれていた事も読んでいた。読ませるためにじゅんこを走らせていたのだ。そうして知っていて敵の待ちかまえるこの場所を選んだ。
SHIOEがダンゾウの足首を掴もうと手を伸ばす。
「文次郎、後ろ!」その時何者かのメッセージが響いた。誰だか知らぬが、もう遅い。
あっという間にSHIOEの空間は隔離され、続いて行動の著しい制限を与える縄がぐるぐると巻き付く。
「おなわです」
「ザマーミロ」
物陰から主犯格の二人が顔を出した。
サンジロウが空間の隔離を担当し、ヘイダユウが拘束のための罠を張っていたのだ。二人はTAMURAの砲撃に巻き込まれたと見せかけて一時待避し、私がここへ敵を導くのを待っていた。
「チクショウ、見てた癖に気がつかなかったのかよ」
SHIOEが上空に向かって悪態を吐いた。
「悪かったね。サポートしてやってるだけ感謝しろよな」
身動きが取れないSHIOEはもう戦力外だろう。それより彼が会話する相手が、聞き覚えのある声。だが誰が来ようと私たちは完膚無きまでに勝利しなければならない。
「下りてこい!」
「はいはい、助けりゃいいんだろ。まったく、小平太も文次郎も」
SHIOEの周囲にログインを示す歪み、それに驚いたサンジロウとヘイダユウが私の足下に飛んできた。ヘイダユウはこの間見せた二番えの弓を取り出し、その狙いを出現した
サポートに回っていたらしいISAKUさんがわざわざログインしてきたのは、完全勝利を目指す私たちにとっては好都合であった。
だが分は悪い。何しろ私はあの人の店をたびたび利用していたのだから、得意とする事や癖などを既に知られていると考えて良いだろう。だがISAKUさんがネット上で如何様な動きをするのか、私たちの側は全く知らないのだ。
一応判っている事は、ISAKUさんがリペアに関しては右に出る者はいないほど得意だという事。
その証拠に、私たちが苦労して捕獲したSHIOEの拘束を何の労もなくするすると解いていっているのだ。
この状態でさらにSHIOEが戦線に戻ってくるのは、まずい。
私は弓を番えたヘイダユウに軽く目線をやった。待ってましたと言わんばかりに彼はうなずき、素早い動きでISAKUさんに向かって矢を放った。
「うわっ! 文次郎、悪いけど……」
ISAKUさんがSHIOEの所持していた暗器を手に取った。
「君らの相手が先かな……って」
喋る間もなくヘイダユウの矢が飛ぶ、飛ぶ。
「ちょ、一寸待ってよ!」
「敵に待てと言われて待つバカはいないです」
「まあそりゃそうだ、あ」
ぐちぐち喋っている間に、ISAKUさんの肩に矢が一本当たった。見たところ結構な痛手で、満を持して登場した感じのある割には何とも呆気ない。
もしかしてISAKUさんは戦闘は得意ではない?
「ダンゾウ、逃走経路は?」
「足がまだです」負傷したままの足をさすった。「直ぐには飛べないかもしれませんから、サンジロウに任せた方が」
「いや、サンジロウはこっちのサポートを頼む。合図で起動できるか?」
「はい」サンジロウは頷き、私が伝えるまでもなく、得意の空間制御プログラムの起動を始めた。
「準備にちょっと時間がかかりますから、あと二十秒ぐらい待って下さい」
私は頷き、矢の強襲を受けるISAKUさんとヘイダユウの方へ向き直った。ISAKUさんは数本の矢に痛手を負いながらも、走り回り何とかヘイダユウの矢をかわし回っている。
指先だけ半端に拘束が解かれたSHIOEが、あきらかな攻撃意志を持って私を狙っていた。
先程から呼び出しっぱなしであった短刀を再び青眼へ構える。心臓と首、とかく最も危険な部位だけを庇うようにして、私はそのまま突撃をしかけた。
だがSHIOEは突きに動じた様子はなく、ゆっくりとした動きで握った掌を開いた。
切っ先がその掌を掻き切る寸前、白い粒子<ノイズ>が突如その掌から勢いよく広がった!
慌てて飛び下がる、が、
「まずい、ヘイダユウ下がれ!」
「え?」
言ったときには既に、ヘイダユウ目掛けて鋭い刃が投げられていた。先程見た、目にも留まらぬ早さの苦無打ち――それと全く同じ予備動作無しの鋭い投擲は、ヘイダユウの弓よりも或いは早く、狙いは正確だった。
弓を番えるための右腕を貫かれ、武器を取り落とす。そしてその隙に再び苦無は投げられ、あっという間に片足までも破壊される。
SHIOE――いやISAKUさんの手から放たれた白い粒子は、私たちが彼へ注意を向け、ヘイダユウを孤立させるための細工だったのだ。
「勝ち目があると思っていたのかい?」
SHIOEの姿は一瞬の揺れを見せ、ISAKUさんへと変貌した。そしてヘイダユウをISAKUさんへと成り代わっていたSHIOEが捕獲する。
ISAKUさんの行動は、目に見えるよりもずっと早かった。私たちの目に移る事のない程の間で、或いは何らかのカモフラージュの上で、とにかく気づかぬ内に二人は入れ替わっていたのだ。
完全に出し抜かれた。
「そちらに救援は無いみたいだね。さあ、まだやる?」
ISAKUさんがダンゾウの片足を指さした。未だ修復は成されていない。
別動隊のランタロウ達に何か起こっているのだろうか。
私は戦局を確認するために、ひっそりと複数面モニターを開いた。ランタロウ達から救援サインも、損傷の知らせもない。正常な活動を示す連絡が刻々とログに残っており、五体満足で無事のようだ。
ならば何故、修復が遅れているのだ。
「サンジロウ、壁を」
「はいっ」
取り合えずはの処置で、敵二人から私たちを隔絶するための空間をサンジロウが作り出した。
今や私の手勢はサンジロウとダンゾウだけだ。AYABEの方はどうなっているだろうか。先程開いたモニターで向こうの状況をちらりと見たが、とても救援が期待出来そうな状態ではなかった。
「諦めるのはまだ早いよ」
突如回線に声が割り込んできた。ぎょっとして辺りを見回し声の発生源を探すと、床に大穴が開いていた。
「こっち来て」
私たち三人は顔を見合わせた。だが迷っていても仕方がない。敵か味方かも判らぬが、取り合えず誘われるがままに、その大穴へ飛び込んだ。
直後、サンジロウの壁が破壊された音が聞こえた。
だがそうかと思ったらすぐに目の前が開けた草原へと移る。AYABE達のいたあの場所だ!
私は認識よりも早く攻撃意志を持った。瞬間移動の強制力により揺らいでいた視界は一秒未満の間にクリアに変わり、私に最も近い位置にTATIBANAが将に今AYABEを爆破せんと、手を広げたのが見えた。
直ぐ近くで、派手に爆音が響き渡る。
私の眼前は再び煙りノイズに侵されたが、TATIBANAの立ち位置が掴めているのだから、最早何も考える必要はない。
煙に隠れ、その背中に向かってかます切っ先を滑らせた。
「なっ」
振り向いたTATIBANAの表情は驚愕。
その隙をついて、トラワカが<かなこ>と名付けられた機関砲を発動させた。むろん名付けたのはTAMURAで、作戦開始前に借りていたものだ。
その耳を劈くような連続の爆破音が止んだときには、TATIBANAの姿は消えていた。
「咄嗟にログアウトしたみたいだ」
AYABEの目は既にもう一人の敵に移っている。短い刃にワイヤーを取り付けた一風変わった武器を手にしたその男