沈む。
 情報と活気に満ちた仮想は、沈む感覚を覚える。世界の中に自己を埋め込み自らの思考以外の全てに手厚く保護され、ぴったりと張り付く世界という感覚は狭く狭く寧ろ距離を忘れ時間軸のみを知覚し満ち溢れる者共に充足する。
 物質に空虚な寂れた現実は、落ちていく感覚を肌に伝える。生存の感覚すら充分でない現実は物質という、意味を持たない者共をただ与え存在を許し何も教えずただ私たちを享受する。思考を現実に持ち出さなくなった人間達は空虚だ。空虚に溢れている。だが酸素はそれでも生存を許し、心臓の鼓動が無機質に時折乱れながら生命という意味と定義を持たない感覚が存在を続ける。現実は時間軸のみならず縦横の距離のための軸が、広く広く今でも広がり続ける知覚出来ない世界にあり、それは複雑化した思考を持つ私たちにとって興味の対象で、そして恐怖の根源だ。
 眼前に広がる三次元の世界はゆったりと反転し、落ちていく速度を教えた。
 七松先輩が笑いながら睨んでいる。それは二次元の静止画だ。
「さあ」
 私が言った。いや七松先輩が言った。落下はあまりに一瞬の出来事で、複雑な思考は不必要な情報を振り払い生存のための認識以外は瞬く間に跡形もなく消滅する。どちらが言ったにしても問題ではないのだ。ただタイミングを計っただけなのだから。
 私は階段の半分程を落ち、背中を強かにぶつけるところで先ほどの声を聞いた。
 片手を伸ばす。最も近い段の角を押さえ、腕の力で世界を跳ね上げた。実際跳ね上がったのは私の身体の方だったが、私にとっては世界が上下を無視し激しく飛び上がった様に見えた。何の違いが在ろうか。
 空中で再び一回転し、下の踊り場に着地した。思わず構えの体勢を取り、七松先輩を見上げる。太陽を背にした先輩は一五にしては大柄で、力強い。日の光を受け今生まれたような強い目をしていた。
「ちゃんと訓練を続けてたな」嬉しそうに言う。
「も、勿論です。この私ならば、この程度の距離を落下したところで――」二十段程の階段は私の身長の二倍以上はある。見上げて少し背筋が冷えた。「何の問題もありません」
「よし、よく言った! でもちょっと反応遅かったな?」
「不意打ちでなければ」
「戦争中はいつでも不意打ちだったじゃん。やっぱり鈍ってるよ。近いうちにちゃんと学校に出てきな、いいな」
 私は答えられなかった。
 七松先輩は命の恩人で先輩で武術の師でもある。そして私が最後に頼りにするのは恐らく七松先輩だろう。
 だが常に、常に恐いと思う。戦後子どもらしい無邪気さを取り戻したあの人は、それ以前の兵士としての顔を消さぬままに生きている。あの日私に銃口を向けたあの顔そのままで笑う。だが彼に他意は無く、時間軸の遙か向こうが現在私たちが存在する点に何の影響ももたらさないと私は知っていても、何かが軋む音が聴こえる。気のせいだ、それは現実にない音だ、と昔田村が言った。実際何も考えず全て有りの侭に受け入れてみるとしたら、あの人ほど無邪気に笑う人間は見た事がない。
「小平太!」
 階下でTATIBANAの呼ぶ声が聞こえた。
「今行く! じゃあな、滝夜叉丸。俺は仙ちゃんに付き合って1-ハの討伐やるから、どっかで会うかもね。まさかまた敵になったりしないよな」
「さあ、どうでしょう」負ける気はしなかった。
 現実の腕っ節は明らかに敵わないが、嘘の世界は私の庭だ。
「自信があるみたいだな。ならもう容赦しないよ? 久しぶりに本気でやろうか。どうせ死なないんだしさ、気楽だけどな」
「でも今度は負けません」
 七松先輩が階段を駆け下りてくる。擦れ違いざまに肩を叩かれた。今度は攻撃性は無く、ただの激励である。
「滝」
 綾部だ。階段の一番上にいつの間にか立っている。下で七松先輩が振り返り、綾部を見て手を振った。
「敵だよ」短く言った。
「何故だ」
「兵助さんが……まあいいや、別に滝夜叉丸には関係ないし」
 綾部が肩を竦める動作をした。家に戻ろうとする。そこに娘二人が顔を出した。
「情報、交換ですよね」
「隠し事は信頼関係に響きますよ」
「私も同意見だ。どうする、綾部。この天才滝夜叉丸の協力が欲しいのだろう?」
 綾部が視線を漂わせるが、特に困惑した様子でもない。七松先輩達が丘の下一般的な居住区の方へ消えていくのを眺めているだけにも見えた。
「……滝夜叉丸なら上手く使えると思ったんだけどなぁ」
「この私が単純だとでも言いたいのか」
「別に、悪い意味だけじゃなくてさ。うん、滝の協力が欲しいのは本当だよ。情報も欲しい。でもそのために個人的な話を宣伝して回る気は無かっただけで、隠したいわけじゃない」
「私たちにもお教え頂けます?」
「いいよ、知りたいならね。別に大した話じゃないけど。それより暑いから部屋に戻ろうよ。原始的だけどちゃんと冷房施設は付けてるから」
 実に飄々とした態度だ。

 綾部が原始的だと言った冷房施設は、古典的な扇風機と氷柱という文化賞物の代物だった。しかも豆腐だらけの台所で作成されたらしい氷柱は半端無く豆臭い。豆腐が嫌いなわけではないが、何とも言えない心地だ。
「昔からの知り合いと賭けをしてるんだ。どっちが1-ハを先に捕まえられるかって」
「それが兵助さんですか?」
「そう。それだけだよ。別に面白い話でもないでしょ? で、滝夜叉丸の方の話は」
 本当に何でもないように言っているが、それは真実か? どうも信用ならない。
「待て。何を賭けているのだ」
「別に、負けた方が勝った方の言う事を聞くってだけ。疑わないでよ、ホントに何も企んでないからさ」
「その割には真剣になってるな」
「だって兵助さんが立花先輩たちに助力を頼んだんだよ。本気出さないと勝てない」
 成る程、これで話は繋がった。だが真剣になる理由はまだ別なところに在りそうだ。だがもうこれ以上問答しても答えは得られないだろう。真っ直ぐ空中を見つめる喜八郎の目がそれを物語っている。
 言いたくないと感情が先行し計算高い思考を遮っている。
「TATIBANAって何者なんですか?」
「本名は立花仙蔵、僕の学校の先輩。あと結構有名なクラッカーすれすれのハッカー。<六番目>とか<SIX>とか<SECHS>、色々名乗ってるけどあれって実際は五人しかいないんだよね。あの情報を売ってくれた後に、兵助さんに肩入れするって突然言い始めたんだ。それ以上は学校で時々会うだけだからよく知らない。それより滝がここに来た目的をそろそろ教えて欲しいんだけど」
「1-ハの事だ。ユキ、トモミがリアルで仕入れてきた情報と、この私がネットで身体を張って調べてきた情報を伝えに来た」
「それは僕が知らない事?」
「知らないな、絶対に」
「へえ」少し笑った。「先にユキちゃん達の話が聞きたいな。僕の情報が役に立ったんだろう?」
「はい、それは勿論。私たちは綾部さんが仰ったとおり、1-ハの最古送信元の地点へ向かいました」
 綾部の持ってきた情報というのは要するに1-ハの発信源の事だった。
「制作者らしき人物への接触はしなかったんですけど、周辺の調べはついたんですよ。制作者、二人です。名前は土井半助さんと山田伝蔵さん。居住区から判ると思いますけど、二人とも元教師です。何で1-ハを作ったかどうかは判らないんですけど」
 以前の人口飽和の時代、効率化の為に居住区は職業別となっていた。現在の過疎状態の世界ではその区分けも最早意味がないが、それでも住み慣れた場所をおいそれ離れるのは人情に反するのだろう。今でも旧世代の名残が残っている。
「作成の目的って、単なるいたずらじゃないの?」
「違うな」私は言い切った。「もっと深い理由があるようだ」
「どういう事?」
「説明の前に、一端ログインしてみればいい。田村がプライベートスペースに1-ハの一部とともに待機している」
 何の事か判らないとでも言いたげな三人だったが、娘二人は直ぐに携帯端末を取り出し、田村との会話に入っていた。小声で何事か話していたが、暫くして「了解しました」と私と田村両方に答えた。
 問題の綾部の方はどうも信用出来ないらしく、自分の端末でログインした後も説明を要求してきた。
「田村やウィルス本体達の言うシステムAIってのが本当だとしたら、その土井と山田っていうのは管理者ってことになるわけだよね?」
 綾部がユキの方へ訝しげに訊ねた。私に訊ねない辺り、信用が全くないのを匂わせる。
「多分ですけど、繋がりは有るみたいでした」
「ふん」虚空を見つめて考えあぐねる。「じゃあどうやったら兵助さんとの賭けに勝てるんだ」
 考える事はそれだけらしい。1-ハの置かれた境遇など、田村達に聞きはしなかったのだろうか? 彼らの事を知りつつも知り合いとやらの賭けに固執するとは、よっぽど大切な問題があるのか或いは他者に興味が向かないのか。そのどちらが正しくとも綾部らしいが、さっきのログイン時間の短さから考えて、情報全てを聞き出した訳ではないのかも知れない。だがもう綾部喜八郎が何を選択しようが、私の選ぶ道は一つだ。
「TATIBANA達が1-ハを捕獲したらこちらの負けなのだろう。つまりその逆だ。1-ハを保護し捕獲の邪魔をすればいい」
「功城より防城戦の方が難しいって昔から言うけど……それ以外に方法は無い?」
「無いな。というよりも私はもう彼ら側に付く事にした」
「彼らって」
「1-ハ、やつらは人の子だ」
 綾部が目を丸くする。娘二人は神妙な顔で頷く。やはり綾部には正確な情報が伝わらなかったらしい。綾部は頭が悪いわけではないのだが、時々こういう事がある。目的意識の持ちすぎだ。自分の目的に必要な部分しか聞いていなかったのだろう、七松先輩とは別な意味で猪突猛進的な所がある。
「あれほど子どもらしいウィルスなど見た事はないだろう。子どもらしい所か子どもそのものだ。何が言いたいか判るか?」
 そう、彼らは確かに現実に子どもなのだ。生まれて間もないプログラムだという意味ではない。彼らは人の子として生まれたのだ。
「……判ってきた。そういうのは大嫌い」
 普段あまり変わらない綾部の顔が嫌悪を微かに見せた。成る程、綾部の好みは何となく判るような気がする。
「察しの通り、やつらは本当は人工知能ではなく十一人の子ども達の複製体だ」
「私たちが調べた範囲内には、1-ハのオリジナルらしい存在は見つかりませんでした」
「オリジナルが今現在どうなっているのかの情報が全く無い為に、彼らが作成された本当の目的は全く判らん。だが私はもう彼らの味方になると決めたのだ。どうする?」
 ユキ、トモミが顔を見合わせて頷いた。
 そして綾部は、一度深呼吸をした後、「判った」と呟いた。

 綾部が見込んだ、<SECHS>のログイン時間まであと数分。
「こういう間が一番嫌ですね」ショウザエモンがため息と共に言った。
「上手くいくでしょうか」
「この天才滝夜叉丸が信用できんのか」
 私は周囲を見回した。未だ影はない。ただニセ者の荒野が広がるばかりだ。
 本物の心臓が強く脈を打ち、緊張を煽る。だがその脈動はこの世界には伝わらないし、全くの無意味だ。
 逃げ切る、というのは本当は殆ど無謀な事だった。何とも分の悪い話だ。何しろ人間というのはネットでは何度でも死ねるし何度でも生き返る。だがこの私の周りに集まる三体のプログラム――1-ハのうち、ショザエモン、ダンゾウ、キンゴ――はバックアップの存在が確認できず、酷く破壊を受ければ完全消滅の危険性がある。
 それは現実において常に死と直面している人間とよく似ていた。
 画面を境に別な世界が広がっている。だがその世界は嘘だ。限りなく嘘だ。人間にとって、私にとって。ではこのプログラムの子ども達にとっては、現実は嘘なのだろうか。
 私は一番近くにいたキンゴを抱きかかえた。ふと、手が出たのだ。
「温度がない」
 判りきった事を私は言った。仮想は温度が必要でなかった。だから温度というデータは存在しない。仮想には誰かが必要だと判断したデータしか存在しない。温度は、その変わりになるものも、何一つ無い。
「悲しいですね」とキンゴが私の膝の上で言った。
 私は荒野の岩の一つに腰掛けている。重力に変わる縦軸の強制力が、私の膝に座るキンゴの重みを告げている。
 悲しいとダンゾウ、ショウザエモンも口に出さず、ただ感じていた。彼らは温度という懐かしい、そして二度と得難い感覚に思いを馳せているのだった。
 どうしてこんなに小さな子ども達のコピーが作られたのだろうか。今ユキとトモミはリアルでそれを調べているが、私にはどうしても判らなかった。判らない、想像も付かない、考えたくない。
 違う世界に別な存在として分岐する自分の事。
 無論私ならどんな世界でも天才として名を馳せるだろうが、だがそのもう一人の自分は、果たして私と同一となりうるだろうか。
 同一ではない。では別人か。私の過去を持った別な存在、だからその自己を感じ取る事は出来ない。
 だがキンゴ達は、分岐した。そして仮想に強制移住させられている。別世界に移された側の自己は、どのようなものだろう?
 ネット上は現実よりも多くの情報で溢れている。現実よりも、仮想の方が多くのものが残っている。だが、仮想に移り住んだ彼らは、多くを喪失している。頬をなでる風の本当の強さ、熱という情報、それと時間軸。現実を持っている私には判らない、その他の沢山。
「どうして正規のガードプログラムが発動しないんでしょうか」
「そんなものがあるのか」
「はい、あるはず、なんですけど……止まってますね」
 遠見が利くダンゾウが一瞬のうちに調べ上げた。
「<SECHS>の妨害か?」
「あー、細工の後があります。けど、未遂ですね。止まったのは、システム側からちょん切られてたからみたいです」
「どういうことだ」
 私は首をかしげた。システムにあるシステムの防御システムが、どうしてシステム側から(判りにくいな)停止させられているのだ?
 このバグだらけのセキュリティプログラムが管理者に見限られたという事だろうか。
「山田先生かなあ」ダンゾウが眉をへの字にした。
「山田? お前らの制作者の」
「学校の先生なんです。僕らじゃなくて、オリジナルの方のですけど」
 答えたショウザエモンの顔は暗い。
 オリジナルの方の、という事は現実の記録としてはそうだった、ということだ。つまり彼らとは切り離された別世界の思い出の話。
「あんまりバグばっかりだからなー」
「見捨てられたかのな」
「その先生はシステムを切る権限があるのか?」
「いえ、根拠は無いんですけど、何となく。スパルタだったから、このぐらい乗り越えて見せろ! とか言って」
「成る程」頷いてみたものの、ここが現実で彼らが授業中の学生だったのなら、その予測もあり得るだろう。だけどここは仮想で彼らは逃走中のプログラムだ。プログラムに対してその予測は、当てはまらない。
 もしかしたらオリジナルの彼らは、今頃そういう授業を受けているのかも知れないが。
「もしそうだとしても、もう関係ない事です」
 言いながら、膝の上のキンゴが飛び降りた。
「予測したって僕らにはもうどうしようもないんです」
 彼らはここから出られない。その上現実に干渉する術がない。
 オリジナルが何をしていたとしても、もう別な存在なのだ。
 それは恐くないか?
 私は口に出して言いはしなかった。嘘は張り付いて表情に変化を起こさないように操作を行った。何事もないように装う、が、不自然な沈黙が出来てしまった。
「もしかしたら僕らのオリジナルって、もうヨボヨボのおじいちゃんかもしれないし」
 ダンゾウがおちゃらけて言った。彼らなりの嘘か、強がりか。
「こーんなに太っちゃってるかもしれないし、今頃糖尿病にかかって死にかかってるかもしれない。もしかしたら地球の裏っかわで象を追いかける人になってるかもしれない」
「そうなってたとしても、もう他人だから関係ないんです。痩せなさい、とか注意する事はできるにしても」
 ははは、と三人皆困った顔のままで笑った。もう何度も繰り返された問答なのだろう。
「どうせどうにもならないんだから、なら走り回って、遊んでいたいな」何でも判ってるみたいな顔で、キンゴが笑う。
「遊びって言ってもな、本気で行かねば」
 何せ相手は、あの史上最悪で今のところ敵なしの<SECHS>。
「あ!」ダンゾウが遠くを指さした。
「そろそろだな」
 さあ、逃走開始だ。

 光の速さとはどの位だろうか。私たちは現実が近づけない早さで、空間を移動し始めた。
 X、Y、Zの三つの軸を仮に横、縦、奥行きの距離だとする。だとするとこのネットにはZ軸が存在せず、XYだけの平面で全てが表される。もちろん画面にはあたかもZ軸が存在しているかのように、仮の奥行きが表現されているが、事実それは存在しない。つまりこの世界は二次元上に存在し、私はもう一つの軸――つまり時間――を不確かだが認識している。現実世界ではXYZ全ての軸を知覚し、仮想と同じく時間軸を不確かだが認識する。つまり現実は三次元上にある。この事からそれぞれN次元上に存在するオブジェクトは、N+1の軸を不確かであるとしても認識できることが予測される。
 二次元上で私はXY軸と時間軸の三本の軸を認識する。頬をなでるように足早に走り去るように、私の認識は時間軸を走っていく。
 私たちの走る速さは、三次元上を走る時間よりも光よりも、或いは早いのやも知れない。
 最初にログインしたのは、<NANAMATU>七松先輩だった。助走無しであっという間に私達のスピードに追いついてきた。
「滝夜叉丸、TAKIか! もうすぐ追いついちゃうぞ!」
「ご心配なく。ダンゾウ!」
「はい!」
 元気に答えたダンゾウが示した先は、違法の道だ。先日ヘイダユウを追った時に通った道と同じものだが、四人いっぺんに通れるように改装した上、さらにちょっとした細工を施してある。
 道無き道に飛び込むと、あっという間に別な空間へ出た。短い距離であるならば、仮想の時間軸を極力移動しないように、まず一つ細工を施した。その私の天才的な手腕により、七松先輩の目にはまるで一瞬のうちに消えてしまったかのように見えただろう。
 だがその程度で追跡を止めるはずもない。私のアカウントは今の一瞬で知られただろうし、1-ハのデータも見えた範囲は知られた。それぐらいが判れば後は検索で直ぐに位置は判明してしまう。
 知られているといっても、足は止めない。止めればあっという間に網にかかる。走りつつ、七松先輩の影が現れた所でまた細道へ飛び込んだ。

 追いつかれては消え、現れてはまた追いつかれる。七松先輩に追いつかれるまでの間隔はだんだん短くなり、先輩に動きを少しずつ読まれてきているのが判る。
 逃走・消滅、二つの点と点が連続する。消滅する時は考える暇もなく、事前に複数定めたルートを無作為に選択する。直線を走り抜けていくと、別行動で戦闘中のTAMURA、AYABEと遭遇した。TAMURAとの遭遇は一瞬だったために作戦に必要な行動を取るのに精一杯だったが、AYABEと遭遇したときには短い間だが足止めを食らった。AYABEの作った罠が、敵味方関係なく動きを封じていた。
「先輩、動かない方がいいですよ」と棒立ちのAYABEが言う。
 やつの足下では自走式のオブジェクト・プログラム――這い回る動きは遅く、その過ぎた後は粘着して物理法則を滞らせる、現実のナメクジにそっくりな疑似生命体生命体――を大量に発生している。発生源は1-ハ05キサンタだ。空間同士を結合させ堅固な網を形成し、先日とは逆にTATIBANAの方が網にかかろうとしていた。そしてその隣で10トラワカが動けないTATIBANAを狙撃している。
 傍目に卑怯に見える程、見事に罠にはめている。
「お前にこんな特技があるとは知らなかったぞ」
「言いませんでしたから。降参します?」
「まさか」TATIBANAがちらりと私に目を向ける。「彼が動けなくなっているぞ」
 ずどん、とトラワカが構えた狙撃中から発砲音。TATIBANAの手にしていた手榴弾に見事命中し、弾けた。
「TAKI、邪魔なんだけど」つい今し方気がついたらしい。
「動けないのだ」
「蛇は冷たい穴が好きなんだよ。行ってらっしゃい」
 地面から、にゅっと蛇が顔を出した。真っ赤な長い舌をちろりちろりと手招きするように揺らす。じゅんこ……いつ借りてきたんだ?
 蛇の穴へ飛び込もうとすると、じゅんこはいきなり素早い動きで穴からはい上がってきた。
「先輩、ちなみに蛇の毒ってどんなものか知ってますか?」
「有る程度なら五年前に習ったかな。そいつを嗾けるか」
「はい。逃げるなら今のうちです」
「先程からそればかりだ」TATIBANAが笑った。

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