少女試作機 002

「仕方がない。奴には私からしっかりと言っておこう」
「え?」
 何故驚く。
「わたしの言い分の方信じるの? あいつと友達なんじゃないの?」
「一応は……友人として交流を持っている。奴は信用がないわけではない。しかしながら、同時に君が言うような、ストーカーとか、そういった奇行を行う奇人としてもまた、信用があるのだ」
「ストーカーって、そこまでじゃないけど」
「なんだ違うのか」
「や、多分違う。でもやっぱり変な子なんだ。兄さんが言ってた通りだな」
 兄さん、と彼女が呟いたそのキーワードは、ごくごく日常的な耳当りで鼓膜に馴染んだ。同時に、その日常感に何とも言えない些細な違和感を抱いた。
 AYABEの人となりを知る人物に、彼女の兄がいるらしい。知り合いだろう。AYABEにも、私と共通でない、数多の知り合いがいるのだろう。その内の誰かだろう。私は奴との共通の知人に、彼女を妹とする人間はいない。知らない誰かだが、それを一つ飛ばしに、彼女と接触した。
 一瞬の間に、私の関わらない縁に触れた偶然。不思議だが何てことのない遠回り。
「まあ、いいよ。とにかくそれだけ」
 じゃあね、と彼女は無関心に戻った人込みに消え去ろうとした。
「ちょっと待ってくれ」
「ん、何?」
 振り向いた屈託のない表情に、見覚えが、あるような、やはりないような。
「私としたことが名を名乗っていなかった。私は平滝夜叉丸というもの。この名を覚えておいて将来的に損はない」
「え……何で」
「いつか歴史に名を残す」
「え?」
「むしろ今この若い時分でさえ世間の注目、噂の的だ。ほら、今名を聞いて思い出しただろう」
「ごめん、知らない」
「む、あ…いや、そうか、オンラインではTAKIのアカウント名で通っているから、いくら私と言えど本名はまだ知られていなかったか」
 私は彼女のみならず、周囲のギャラリーへも大々的に、優雅な視線を振り撒いてやった。目立つのは本当はあまり好きではなく、できれば静かに日々を過ごしたいと思っているのだが、しかし私と彼女の会話を耳にした私のファンである人々が、私と接触を持ちたいと考えるのは自然の理である。私はそんな人々を拒んだりはしない。懐の広い私は、サインをねだる人の並みにも快く……誰も来ないな。誰も私を見てもいない。
 幻覚だろうか。きっとそうに違いないない。
「ごめん」
「謝るな! 返って虚しくなる……」
「ううん、わたしさ、全然物を知らないんだ」
「へ」
 視線を彼女に落とすと、本当に彼女は申し訳なさそうに、僅か下の位置から私を見上げていた。15センチほどの身長差、その、上向きの、視線。
「平滝夜叉丸? TAKI? 君は有名な人なんだね。なにやってるの? 俳優? 歌手?」
「そういった方向性では……そのなんと言うか、私としてはもっとインテリ系であるから……」
「あっ、ごめんなさい。学者とかなの? わたしと年、変わらないように見えるから、わかんなかったよ」
「学者というか、まあ学者としてもやっていけるほどの頭脳は当然持っているのだが、しかしそういった地位を得ているという訳ではなく」
「え? え? どういうこと?」
「君が知らないというのならいいんだ。私はそれまでということなんだ」
 居た堪れない心地である。こんな気持は初めてかもしれない。変な汗が出てきた気がする。オンライン上のキャラクターは自然に汗を流すことはないが、しかしこれは。
「ごめんなさい。わたし、全然話噛み合わないね」
 しゅん、と彼女は小さくなる。眦の下がった顔でしっかり見上げている。私を。
「いやいやいや、そう気に病むことは、ない。私もまだまだ下積み生活の身だ……」
 なんだか私は本当に消え入りたい気持ちになってきた。こういう純粋な目が一番堪える。
「私が真に有名になり、人々の話題に上らない日はない、とまでなった時、思い出してくれ。平滝夜叉丸の名を」
「へー、なんか、いいね。おっきな夢があるんだ」
 もうだめだ。何かが、何かが、突き刺さる。
「じゃあさ、わたしソーコって名前なんだけど、わたしの名前も覚えててよ。で、TAKIが有名になったら思い出してね」
 思い出すだけでいいのか? などと鬼が笑い死にするような質問は、さすがにしなかった。

 恩のある身でこんなことを言うのは大変失礼であると判ってはいるが、しかしこの人は少々短絡的ではないかと思う。
「どうなんだ、素直に言えよ」
 頭の上から変に明るい、半笑いの声が聞こえる。どうにも馬鹿にされているような感じがして、少しの苛立ちを隠すために、私は俯いた。
 面と向かって怒るような分別のない真似はしないのである。私はこのように社会性にも優れている。
 だのにこの人は、相手の意図などちっとも汲み取らず、
「怪しいな」
 などと言い、ニヤニヤ笑うのである。
 本当のことを言うと、さっきから私は俯いているので、七松先輩がどんな表情をしているのかは知ったところではないのだが、しかしついさっき最後に見た顔は実に楽しげににやついていたので、恐らく未だににやついているということで間違いはないだろう。
 苛立つというかなんというか……多大な誤解を受けている上、その誤解に基づいてからかわれては、不快に思うのも已む無しではなかろうか。
 しかし苛立ちひきつった顔を見せればさらに馬鹿にされるのは目に見えているのだ。ひとまず落ち着け、と自らに言い聞かせつつ、私は両手をついて支えている脚立を睨み付けた。
 この脚立は廃墟の学校の用具倉庫の奥底から発掘された品であり、老朽化が進む校舎以上に老朽化が進み、具体的に言うと四本足の内一本が錆びて、一番下の足場以下が途中で折れているわけだが、そこに無理に、別な鉄切れを宛がっている。しかし宛がわれた鉄切れの長さは他の三本足より微妙に短い。そうすると短いその一方へ傾くことになる。このように不安定なため、使用する際は必ず乗る人間と支える人間の二人一組でなくてはならない。もはや別な足場を探してきた方が早いだろう。しかしこの校舎に愛着を持つ者からすると、終戦前の忘れ形見との見方もあり、結局捨てるに捨てられずの存在感のため未だ使われ続けているというわけだ。この校舎の備品には、そういったものが数多くある。
 で、私は寒風吹き曝しの青空の元、その脚立を支えて何をしているのかというと、七松先輩にからかわれているのだ。
 七松先輩は脚立の上で、何をしているのかというと、私をからかっている――のは、もののついでだ。先輩の目の前には背の高い針葉樹が立っている。ずっとここに生えていたものではなく、七松先輩達がどこからか調達してきたものだ。
 大木だ。私が支えている脚立も二メートルはある代物だが、そんな高さからバランスを崩した七松先輩が落ちてると考えるだけでも嫌なので、早めにここから解放されたいと思っているわけだが、しかし木は七松先輩がその脚立に跨がって立ち上がり、手を伸ばしてやっっと天辺。そんな高さである。
 そんな大木に向かって、七松先輩は一人賑やかに作業をしている。
「よっ」
 掛け声一つ、七松先輩はその大樹の当に天辺の枝に手を伸ばし、器用に手にしていた金の星を引っ掛けた。ぶち差込んだという方が正しいか。
 結果は同じ。古めかしくきらきら光る、クラシックな金メッキのオーナメント。
「次」
 七松先輩が上から声をかけた。
「何にしますか?」
「雪がいい! モコモコのやつ、あっただろ?」
 私は、脚立の横に置いた大きな木箱を除き混んだ。私が簡単に入れるぐらいのサイズのものが五つもあり、一つずつ蓋を開けて見なければいけない。空いた箱は一つもない。今七松先輩が着けた星は、私が呼び出されてここに来た時には既に七松先輩の手のなかにあり、先輩は嬉しそうにそれを太陽に翳したりして眺めていたのだ。
 探すのはいいが、脚立から手を離すのが怖い。上空から先輩が落下してくるかと思うと、恐ろしい。実を言うとさっきから私の目下の命題は、変なことでからかわれている状況をどうするかということよりも、先輩が落下してきた場合は如何にして華麗にかわすかということであった。
 あ、いや、手を離して、箱の中を探せば、その間の落下はかわせるか。簡単なことであった。
「ありました」
「よこせ」
 箱の一つが、埃まみれの白い綿だらけだった。
 しかしこの綿をあの高さにいる先輩に、どうやって渡したものか。
 いやいやその前に、一つ、言っておかなければなるまい。口に出せずとも、言っておかなければ気になって仕方がないじゃないか。
 クリスマスだと? まだ十一月なのに?
 ちょっと気が早すぎるのではなかろうか。

落乱 目次

index