盗人騒動 五

「もう半分か」
「何だって?」
「あっと言う間に、駒が半分まで減ってしまったと思って」
「ああ、そういう事か」
「しかし、先輩方の数が減っていると思うか?」
「うーん、それはどうだろうねえ。さっき悲鳴が聞こえたは聞こえたけど、その後八左ヱ門がどうなったのか判らないな。三郎も戻ってこない。だいたい先輩達が暴れたくないのではないか、というのもただの予測だし」
「考えたんだが、それを何処かに隠した方が良いんじゃないか」
 兵助が雷蔵の抱えている酒瓶に目をやった。相変わらず、摺り足で走り続けている。
「溢れるのを心配して走っていては、いずれ捕まってしまう。先輩達を撒こうにもそれが邪魔だ」
「確かに」
「問題は何所に隠すかだな。この辺に適当に置いて、見つかってしまっては元も子も無いし」
「そうだなあ」
 雷蔵が口元に指を当て、考え始める。
 これはいつもの迷い癖だな、と兵助は見て取った。直ぐに良案は出ないだろうので、当てにはせずに自ら周囲を見回して、相応しい隠し場所が無いかと思案した。
 周囲は相変わらず倉が並んでいる。食料庫から武器庫まで、あらゆる物資が蓄えられている。百を越す学生、職員が生活する忍術学園だけに、その数は夥しい。倉庫の並びだけで、遠目に見ると立派な武家屋敷の如く見える。
 従って隠す場所などいくらでもあるのだが、殆どの倉の戸には当然ながら鍵が掛かっている。先程三郎が入っていったように、鍵の掛かっていない倉もあるにはあるのだが、そのような所に隠しても、すぐに見破られてしまうだろう。
 何とか意表を付くような隠し場所は無いものか。
「よし、煙硝倉に隠そう」
「ん?」
 やや驚いて聞き返した。雷蔵にしては素早い決断だったのと、突飛な案だったからだ。煙硝倉は忍術学園の所有する火薬の全てが保管されている倉で、兵助の所属する火薬委員の管轄にある。
「先輩達もまさか煙硝倉に隠すとは思わないだろう」
「そりゃ、水気厳禁だからな」
「酒ならそのうち蒸発するから良いんじゃない? 兵助、合い鍵持ってなかったっけ」
「持ってる」
 火薬委員顧問の土井半助より、兵助は緊急時に備えて合い鍵を預けられていた。とは言え、勝手に出入りして良いものでは無いのだが。
「良し、これで行こう。煙硝倉はすぐそこだ」
「それは知っている。相変わらず切れると大胆な発想だな」
「切れてはいないよ」
 苦笑いをした。
 雷蔵の言うとおり、煙硝倉はもう殆ど目と鼻の先だ。屋根に防火用の水桶が仕掛けてあるのが、それである。戸は見えない。丁度、彼らの見ている壁の反対側に入り口が作られている。
 その煙硝倉の壁を曲がった瞬間だ。
「見つけた!」
 危うく、鼻先をぶつけそうになった。何故かそこに現れたのは、先程部屋で別れた七松小平太だった。
「盗みはいかんな、五年生」
 握り拳を顔の前に作り、明らかに攻撃の構え。どうやら、彼は捕り物をする側に回る事にしたらしい。
 予想以上に厄介な事態になってしまった。
「雷蔵、あっち」
 兵助は小平太の前に自ら立ちふさがり、首をしゃくって別な方向へ逃げろと示した。
「盗品は、雷蔵か」
「おれが持ってるように見えます?」
「見えないな。まあいいか、面白い事になってきた」
 逃げ去る雷蔵を見送り、小平太が片足を引く。対峙する兵助も腕を持ち上げ、構えた。
 ちっとも面白くなどない。おもわず真っ向から殴り合う姿勢を取ってしまったが、それをするのにこれほど面倒な相手は忍術学園の生徒では他にないだろう。
 しかし今は手持ちの武器も碌になく、策謀巡らすには唐突すぎた。仕方がない。
「武術は得意だという話を聞いた。お手並み拝見だ」
 言うや否や小平太は大きく踏み込み、兵助の顔面へ向かって渾身の力を込めた籠めた握り拳を突きつけた。
 その大振りの初手を屈んでかわし、姿勢低いまま素早く相手の懐へ入り込む。胸ぐらへ両手を伸ばした。
 両手で装束の襟を掴み、立ち上がり態に持ち上げる。
「おぉ、力持ちだな」
 地面から両足が浮いても、小平太は余裕綽々たる態度のままだ。
「はっ」
 兵助が勢いよく両手を振り、小平太の体を投げ飛ばした。
 隣り合う倉の壁に叩き付けられるかという瞬間、まるで猫の様なしなやかさで、小平太の体がくるりと反転した。それどころか、兵助がぶつけるつもりだった倉の壁を蹴り、反動をつけて飛びかかる。
 投げ飛ばした勢いで、兵助は重心が平時とずれていた。その体で兵助が振り仰ぎ見ると、まさに再び小平太の拳がこちらに向かって叩き連れられようという所だった。
 戦きつつも、なんとか蹌踉めくように紙一重でかわす。
 小平太の拳が地面を剔った。地鳴りの様な打撃音と共に地面が揺れ、砂塵が顔に向かって打ち付ける。薄い砂煙の中で、小平太がにっと笑って兵助を見上げた。
 これでは殺される。まさか本気で殺すつもりなど無いだろうが、僅かでも気を抜いたらどうなるか、判ったものではない。大体、今の一撃もかわしきれたから良いものの、喰らっていれば致命傷は免れなかった。
 そもそも、まともに戦おうというのが間違いか。
 小平太が立ち上がりつつ、拳を突き上げる。兵助の鼻先を掠め、再び重心を崩した。
 いや、兵助は後ろに倒れ込みつつ、間髪入れず小平太の腕だけを狙って回し蹴りを打った。果たしてつま先が腕の付け根に命中する、が、小平太の体が幾らか蹌踉めくだけで、逆に兵助の方が反動を受ける。
 反動を受け、小平太とは逆方向に兵助の体が回った。そのまま地面へ座り込むように落ちた兵助の背中へ、小平太が追撃の拳を突き出す。
 しかし、その事は判りきっていた。自分が軽くでも一撃を食らった後に相手が隙を見せたならば、手を出さずにはいられないだろう。
 前へ飛び、拳をかわす。目の前に煙硝倉の白い壁がある。そのままの速度で飛び上がり、倉の壁へ片足を掛け、更に飛び、壁の中程にあるある採光用の小さな窓へ片手をかけ、ぶら下がった。
 壁に立ち止まったかのような形になる。
「おい、卑怯だぞ!」
 小平太が眉を吊り上げて叫んだ。壁の中程、といっても煙硝倉は背の高い建物だ。兵助が取り付いたのは、小平太の頭より遥か高い位置で、勿論手が届かない。
「勝負に卑怯も糞も無いでしょう。だいたい先輩と殴り合いなんて、命が幾つあっても足りませんよ」
 その手の届かない位置から、兵助は小平太を見下ろしつつ言った。
「敵に背中を見せるのは良いのか?」
「死ぬよりも恥を取れと授業で習いましたから。盗品なら雷蔵が持って逃げたので、追いかけたらどうですか」
 兵助が雷蔵の逃げていった先に視線を向ける。しかし、肩を寄せ合って並ぶ倉に遮られて、雷蔵が今どこに居るのか、高い位置にあっても見える事が出来ない。
「おれは敵に背中を見せたりはしない! 第一、後ろを向いた瞬間に飛びかかるつもりだろう」
「わかります?」
「当たり前だ! これを喰らえ!」
 小平太が懐から取り出した苦無を投げつけた。

 来た道を戻ってしまったのが問題だった。前に進めないなら後ろに帰るしかないのだが、彼ら――今は一人だが――はそもそも後を追ってくる者が居たから逃げていたのだ。当然、追っ手は彼の来た道を辿っている。
「やっと追いついたぞ」
「やい、お前らはいい加減神妙にとっつかまれ!」
 こうして見つかってしまうのも、事の成り行きとして当然だ。
 倉庫の間を文次郎と留三郎が、やっと追いついた盗賊を逃がすまいと突進してくる。やはり三郎も八左ヱ門も、数を減らす事はできなかったらしい。顔面から多少血を流している以外は、負傷も無さそうに見える。
 自分一人で彼らを相手にするのか、と考えると、悩むまでもなく無理な注文としか思えなかった。素直に降参した方が幾らかましな判断であるようにさえ思える。
 留三郎が腕を振り、袖口からかぎ爪のついた縄を飛ばした。雷蔵は軽く後ろに飛んで、かわす。
 地面に落ちたかぎ爪を見て、おや、と雷蔵は目を見張る。威嚇のつもりなのか、随分甘い狙いだった。
「雷蔵、てめえ一人で六年二人に敵うと思ってんのか」
 文次郎が叫んだ。手に手裏剣を構えているが、投げては来ない。あの血の気の早い二人の先輩が、妙にぬるい対応だ。何時もなら問答無用で攻撃してきそうなものなのに。
 もしかして、予測していた通り、あまり暴れたくはないのだろうか。理由、はというと。
 雷蔵は両手でしっかりと抱いた盗品に、一瞬だけ俯いて視線を向けた。この筒の材質は南蛮渡来の玻璃で、下手に扱うと粉々に砕けてしまう。文次郎と留三郎が強引に奪おうとすれば、何かの弾みで壊れる可能性が多分にあった。
 彼らはそれを回避しようとしているのではないだろうか。尤も、中身を飲みたいが為に、口の部分は既に破壊してしまったが。
 しかし口の部分は雷蔵が掌で握っているために、文次郎と留三郎からは見えていない。
 これを知られなければ、何とかやり過ごす事が出来るのではないか。
 雷蔵と、追っ手の二人が睨み合う。
 しかし睨み合っていたって埒があかない。何とか逃亡して、酒を飲むのが目的なのだから、ここでどれほど時間を稼いでも、さほど事態が好転するとは思えない。共犯の三人は脱落してしまって助けが来るかどうか判らないし、そもそも先程の考えだって、予測にすぎない。
「仕方がない、行くぞ!」
 睨み合っていたのはほんの数秒で、痺れを切らした文次郎が手裏剣を投げた。
 雷蔵が横に飛んでそれを避けると、続いて留三郎のかぎ爪が飛んでくる。やはり狙いは甘く、避けられる程度ではあった。
 しかし今度は文次郎本体が飛んできた。彼の狙いは雷蔵の持つ盗品ただ一つだ。
 雷蔵が玻璃を庇う両手の、片方を文次郎がむんずと掴む。見た目通り、力が強い。骨でも折られてしまいそうだった。
 それでも雷蔵はしっかりと玻璃を握りしめ、力比べのような形になってしまった。
 非常に不味い。このままでは盗品が既に傷物になっているのを知られてしまう。いや、それ以前に奪われてしまうか。
 荷物が有る上で、上級生と二対一だ。これでは貧乏くじを引いてしまったようなものじゃないか。
 半ば諦めかけた時、文次郎と留三郎の背後に、ようやっと三郎と八左ヱ門が駆けつけた。戻ってきたという方が正しいか。
 直ぐに留三郎が気がつき、再び相まみえる二人と戦闘態勢に入る。三郎がそれに応戦し、八左ヱ門が文次郎と雷蔵へ駆け寄った。
 駆け寄りつつ手を振り、
「おーい雷蔵、それをこっちに寄越してくれ!」
 既に文次郎との力比べで疲労していた雷蔵は、助かった、とばかりに握られていない方の手で、酒瓶を投げ飛ばした。
 文次郎の横斜め上を弧を描いて飛び、中身を溢すことなく、八左ヱ門が受け取る、かと思いきや。
 白と黒のまだら模様の鳥が猛然と現れ、玻璃の筒を空中で奪い、空高く飛び去ってしまった。巨大な翼がばっさばっさと羽音を鳴らす。
「な、何だ今のは!?」
 真っ先に留三郎が反応した。その様子に、八左ヱ門が誇らしげに笑っている。
「先輩は大鷲もご存知ありませんか」
「そんなのは見りゃあ判る! あれもお前のか!」
「そうです。流石の先輩方も、空の上までは追えないでしょう」
 白黒の大鷲が、地面にへばりつく彼らを嘲笑うかの様に、大空を旋回している。文次郎と留三郎の目的の盗品は、あの鳥の手中に――いや、足中にある。確かに、あれを捕まえるのは至難の業だ。
 しかし、そういう問題ではない。
「ちょっと待て、中身がむちゃくちゃ溢れてるじゃないか!」
 三郎が八左ヱ門につかみかかった。鷲は何も考えずに筒を横向きに引っ掴んでいったのだ。あの筒は蓋をされていないのだから、三郎の言う通りに中身が見る見る間に地面へ降り注いでいる。
「え? でも奪われるよりは良いじゃないか。多分、半分ぐらいは大丈夫だよ」
「ばぁかかお前は! さっさと呼び戻せ!」
「呼び戻す?」
 八左ヱ門が、明後日の方向を見ながら、顔を人差し指で掻いた。都合の悪い事になってしまった、という顔だ。
「あいつ、最近飼い始めたばっかで、まだ殆ど言う事聞かないんだ」
「お前、本物の馬鹿だろう。どうするつもりなんだこの始末を」
「いやー、恐らく巣に持ち帰るつもりだろうから、そこに行けば」
「その前に中身が無くなるわ!」
「だぁいじょうぶだって」
「ちょっと待て、中身が溢れてるってことは、栓を抜いたのか?」
 つかみ合って言い争う八左ヱ門と三郎の間に、文次郎が割って入った。
「はあ、そうなると何か問題が有るんですか」
「大ありだバカモン! クソ、こっちはあれを無傷で取り返さにゃならんのだ」
「そりゃご愁傷さまです」
 三郎が嫌味っぽく、両手を合わせて言った。
「じゃあ、諦めるしかないですね」
「ふざけるな! こうなりゃ破片にだけでも取り返してやる。あの鳥を追うぞ、留三郎」
「当然だ」
 そうして文次郎と留三郎が鳥を飛ぶ大鷲を追い、その後を三郎と八左ヱ門、雷蔵が追いかける。大鷲の向かう先は、あの煙硝倉の方向だった。

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