盗人騒動 四

 六年長屋の廊下を脱け、倉庫の並ぶ方向へと四人足並み揃えて走る。広い校庭を脱けた先であり、五年長屋とは逆方向なのだが、長屋に戻るのでは待ち伏せされている可能性がある、と鉢屋が指摘したのだ。
 しかし、逃げ出したは良いが。
「逃げて、どうしようか。どうせ既にばれてるんだし」
「気弱な事言うなよ。雷蔵、お前が警告を出したんじゃないか」
「いや、八左ヱ門の言う通りなんだけど……」
「ばれてるとしても、潮江先輩と食満先輩にとっつかまるのは癪だね。先生達ならともかく」
「いい事言った、三郎! おれたちゃ盗人で共犯、こうなりゃとことん逃げ切ってやろうじゃあないか」
 八左ヱ門と三郎が意気込み、その後ろで雷蔵が大きくため息を付いた。
「共犯って僕もかあ。さっき手を出したから、言い逃れも出来ないな」
 雷蔵の手にはあの酒瓶が握られている。口の部分が切れているため、上下に降ると溢れてしまう。そうならない為に、無意識のうちに雷蔵の足取りは慎重なものになる。極端に速度が落ちるわけでもないが、平常の早さでは走れない。他の三人はその速度に合わせていた。
「兵助、お前もだぞ」
 一番後ろで思案顔をしていた兵助に向かって、僅かに咎める様な言い方で、八左ヱ門が声をかけた。
 実際、実行犯の兵助が犯人に含まれないはずがない。逆に自分達が共犯と言わなければ、兵助のみが犯人となってしまう。咎める様に言ってしまったのは、負い目からだ。
 しかし当の兵助は軽く頷くだけで、全く別な話をし始めた。
「というか、あの人達は最初から判ってたのか?」
「最初に六年長屋で顔会わせた時から? 多分そうだろう」三郎が答えた。
「おれたちが潮江先輩と立花先輩の部屋に来たのは、予想外だっただろうな。即座に捕まえようとしなかったのは、準備が足りないと考えたからか」
「本気で怪我が痛んだのかもしれないな。それか、何か他に理由」
「暴れたくない理由」
「あん? そうか、暴れたくなかった、という事も考えられるな」
「どっちにしろ、おれたちに有利じゃないか? あっちはあんまり暴れたくない、で数はこっち上」
 八左ヱ門が乱暴に目算する。
「勝ち目があるかな」
 ふむ、と雷蔵が考え始めた。
「しかしどうやったら勝ちになるんだ。つまり、先生方にはばれてるんだろう?」
「気を削ぐような事を言うなよ、兵助。とにかく潮江先輩達に負けるなんてのは考えられないんだ」
 三郎がそこまで言い切った時に、彼らの背後に走り寄ってくる足音が聞こえた。いや、聞こえてきたのは足音どころではない。追いかけながら言い争っているものだから、とにかくけたたましい。
「ちっ、結局勘付かれてるじゃねえか」
「お前の治療に時間がかかったから手遅れになっちまったじゃねーか!」
「それは伊作が薬をぶちまけたせいだ! おれの責任じゃねえ!」
 云々。
「また喧嘩か」
「何で、あの二人が協力して追ってきてるんだ?」
「ともあれ、あれなら勝てそうだ」
「そんな簡単にいくかなあ。追いつかれそうだし」
 雷蔵の言う通り、既に直ぐ後ろまで追っ手が来ている。やはり荷物の為に、速度を出せないのだ。
「おれが足止めする」
 突然八左ヱ門が足を止め、後ろを振り返った。他の三人はその横をすり抜けて行く。
 追っ手たる潮江文次郎、食満留三郎が二間ほどの距離に近付いていた。
「竹谷八左ヱ門! 他五年三名! 盗品を大人しく差し出さねば」
 大声で文次郎が呼ばわった時、八左ヱ門は懐に手をかけ、勢いよく胸元をはだけた。
 そこから、白い綿のような丸い塊が一斉に飛び出してきた。細かい羽音を立てながら、文次郎と留三郎の顔面向かって群れが移動する。
「なんだこりゃあああ」
 二人揃って悲鳴を上げた。数匹の綿が顔に取り付いて、噛み付いている。囓る場所を得られなかった残りの者は、二人の顔の周りをキィキィ鳴きながら飛び回った。
 蝙蝠だ。羽を広げて二、三寸程の大きさしかない。毛むくじゃらで、その毛が白いために綿花から収穫したばかりの綿に見える。
「クソ、お得意の変な生き物かよ!」
「変な生き物じゃありません。吸血蝙蝠の古犬一族です」
 八左ヱ門がそう言う間にも、文次郎と留三郎は蝙蝠を追い払うのに必死だ。何しろ小さな体のために、振り払おうとしても、掴もうとしても上手くいかない。
 二人とも、小さな牙の噛み付かれた所から、じわりと血が滲んでいる。
「吸血って、お前なあ」
 留三郎が、顔に噛み付いていた一匹を掴んで引き離し、何とも情けないような表情をした。体を掴まれた蝙蝠が不平を言いたげに留三郎を睨み、鳴いている。
 あまりに小さい生物が必死に声を荒げているため、握りつぶすのも気が引ける。
「毒とかは無いのでご心配なく」
 それだけ言って、八左ヱ門は再び走り出した。が、
「待てィ」
 文次郎の投げた石礫が、八左ヱ門の後頭部に直撃した。ごーん、と小気味よい音がした。前につんのめって、転びそうになる。
「こんなもん、痛いだけじゃねえか!」
 文次郎の周囲にはまだ蝙蝠が集っている。しかしそれにも関わらず、地面から石を拾い上げて八左ヱ門へ投げつけたのだ。既にその状況に慣れきってしまったらしい。
「確かに。毒がないなら、単に痛いだけだな」
「ええ? でも血を吸うんですが……」
 八左ヱ門の喋りが覚束無い。頭に石をぶつけられたせいで、目の前が白黒と点滅した。
「こんな小さな動物の食う量なんぞたかが知れてる。そんなのいちいち気にしてられるか」
「文次郎、これは置いといて逃げた連中を追うぞ!」
「おまえに言われるまでもねえ」
 呆気にとられている八左ヱ門を残して、二人の先輩は蝙蝠を集らせたまま走っていった。蝙蝠達は主の令に忠実に、猛烈な速度で走っていく二人に攻撃を続けている。
 彼らの鳴き声が八左ヱ門の朦朧とした意識に波打った。それが聞こえなくなる程の距離まで文次郎と留三郎が走り去ってしまったとき、漸く八左ヱ門は頭の靄が晴れた。
「やばい。古犬一族、戻ってこい!」
 その一声で、敵に取り付いていた彼らは一斉に飛び上がった。命令の解除だ。白い綿が、再び竹左ヱ門の懐に向かって集まってくる。白い体の一部を、僅かな返り血で汚している者ばかりだった。
「怪我は無いか? 変なもん食わせて悪かったなあ」
 一匹一匹の顔を覗き込みつつ声をかけ、同時に頭の片側では、走り去った二人の先輩を如何にして襲撃するか、という事に頭を働かせていた。
 どうせならば、もっと沢山の生物を連れているべきだった。手数が足りないのだ。しかし、今更生物小屋まで駆け込んでいる暇もない。
 八左ヱ門は空を仰ぎ見た。酒を溢すまいと抱えて走る同胞と、猛烈な早さで突進する敵の走り比べだ。悩んでいては、間に合わない。近くに、使える生き物が有るはずだ。

 一つ倉の影へ隠れ、尚も走りながら、
「八左ヱ門は成功すると思うか?」
 三郎が言った。
「虫か動物を使うんだろうな。多少の時間稼ぎにはなるだろうけど」
 と、兵助が答えたところで、後ろから潮江文次郎、食満留三郎が揃って悲鳴を上げたのが聞こえた。
 丁度話題に上がった所だったため、三人は思わず吹き出した。とはいえ、笑っている場合でもない。
「あの二人相手じゃ、完全に仕留めるのは無理だね」
 仕留めるなどと言っても、言葉通り確実に討ち取る事など元々出来はしないのだが。
「次の手を打つ必要がある」
 そう言うと三郎は一人速度を上げ、手近な倉庫の扉を一人の人間がやっと通れるぐらいに開き、滑り込んだ。それは幾つも並ぶ用具倉庫の内の一つである。
 三郎が用具倉庫に入り込んだ所で、兵助と雷蔵はまた別な倉の壁を曲がった。ちょうど現れた、顔中噛み跡だらけの文次郎と留三郎は、彼らの背中を僅かに目撃したが、逃げ去る盗賊から一人減っているのには気がつかない。
「おい、待て!」
 留三郎が声を上げた途端、上方でばたんと音が立った。二階建てとなっている用具倉庫の、二階部分の窓から顔を出した者がいる。三郎が消えた建物から、である。
「食満君、潮江君、ちょっと手伝いなさーい」
「げ、吉野先生」
 事務職員主任の吉野作造の顔だった。腕まくりした片方の手を窓から突き出して振り回している。
 何かやましい事でもあるのか、六年生二人の顔が引きつって、追いかける足を止めた。
「今すぐ倉庫に上がってきなさい」
「修繕は後で良いとの話だったじゃないですか。それに、あいつらを捕まえたら免除だって」留三郎が言い繕いのような発言をした。
「直ぐに授業で使う予定が入ったんですよ。いいから来なさい」
 もちろんこの吉野先生は、三郎の変装だ。言っている事も口から出任せである。
 しかし、上級生二人の反応を見るに、彼らが何かしらの失敗を補うために、自分達の捕獲を教師達に言いつけられたのだと予測が付いた。
 用具委員の吉野先生に対して修繕などと口にするのだから、恐らく彼らは何か道具を壊してしまったのだろう。最初に六年長屋を訪れた直前に、この二人が喧嘩をしていたと善法寺伊作が言っていた。派手な喧嘩で、備品を損壊してしまったに違いない。
 そこまで推理して、三郎は俄に愉快になってきた。根っからの悪戯好きだから仕方がない。まして相手が自分より立場が上の上級生となると、相当なからかい甲斐を見出してしまう。
「そもそも自分達の責任なんですからね。得に食満君は学園の備品を与る用具委員の委員長なんですよ、他の先生方が許しても、私が許しません」
 すらすらと三郎の口を吐いて出るのは出鱈目なのだが、文次郎と留三郎はぐうの音も出ない。
「ともかく、今すぐ修繕を始めなさい。終わるまでは夕食も抜きですよ!」
 げっと二人が唸った。何を壊したか知らないが、そう簡単に修理が終わるような代物でもないらしい。
 実に愉快だ、と三郎が腹の中で大笑いしていると、別な倉庫の入り口から、事務員の小松田秀作がひょっこり顔を出した。
「あれえ?」
 呑気な物言いをする人間なのだが、これが実にまずい。勝ち誇っていた三郎は一転して、冷や汗をだらり。
 この小松田秀作という男、行動が突飛すぎて、読めない。悪戯を仕掛けるに当たっては、そういう人間が一番やりにくい。
「修繕って、夕方からって仰ってませんでしたっけ」
「今すぐです! どうしてあなたはそう忘れっぽいんですか」
 二階の窓から、下に向かって叫ぶ叫ぶ。何とか口八丁で誤魔化したい所存である。
「そうでしたっけえ」
 寝惚けた物言い、何とか誤魔化せそうな。
「それにあの何でしたっけ、あのあっちのあそこのアレじゃありませんでしたっけ?」
「あっちだのそっちだの適当な事を言うんじゃありません」
「えー、でも、なんだったっけ。あのすごい重たいやつ」
 早く名称を言ってくれ。でないと、適当に出任せを喋っていた三郎には、階下の二人がぶち壊した備品の正体など判らない。
 出鱈目のばれるのは、得てしてそんな具合だ。そういえば、先程六年長屋で文次郎と留三郎にからかわれた際も、そんな風にして相手の嘘がばれた。あれは嘘がばれたという嘘、二重の嘘だったわけだが。油断させておいて、一網打尽にしようとの魂胆だったのか。
「何だったっけなぁ。実物を見たら、思い出すんですけど」
「全くもう、小松田君ときたら……」
 ここらで名前を出さなければ、脚本の流れに反してしまう。しかし、判らないものは、判らない。
「おい」
 留三郎が三郎を見上げた。
「お前、三郎だな」
 そして文次郎が後を続けた。
 今度は、三郎の方がぐうの音も出ない。吉野先生の顔のまま、しまったと表情を歪めた。
 これ以上しらばっくれることは不可能だ。
「降りてこい!」
 文次郎が大声で呼ばわった。それが言い終わるか否かという所で、三郎が窓から飛び降りた。
 それも、踏みつぶさんとばかりに、ちょうど文次郎の頭の上を狙う。文次郎はさっと後ろに身を引いた。
 三郎の顔は吉野作造のままである。
「そんな大声出さなくても聞こえてますよ」
 青い装束の片手を捲っているが、その逆の袖が不自然に膨らんでいた。ちょうど、腕と同じくらいの太さの筒でも仕込んであるかのような。
 撥ねる様に三郎が逃げる。先程兵助と三郎が逃げ去った先の、真逆だ。
「逃がすか!」
 留三郎が三郎に向かって腕を勢いよく伸ばすと、袖口からかぎ爪の括り付けられた縄が飛び出した。かぎ爪は子供の掌程度の大きさで、鉄で出来ているように見える。腕を振ることで、いつでも飛ばす事ができるように、袖口に仕込んであったのだ。
 かぎ爪と縄が緩やかな弧を描き、三郎の膨らんだ袖に巻き付いた。留三郎が縄を引くと、安物の生地であつらえられた装束は、かぎ爪の引っかかった部分からビイと音を立てて裂ける。
 ぼろぼろに千切れた袖からは、小さな壺が三つ程こぼれ落ちた。
「残念、こちらはハズレです」
「文次郎、さっき逃げた連中の方だ」
「んなこた判ってるよ!」
 二人が三郎を無視し、残る連中を追おうと方向転換した。だが、三郎は正体を見破られたとはいえ、まだ足止めする手段は残っている。
「そうはさせませんよ」
 三郎が懐から苦無を取り出す。強硬手段だ。顔が吉野先生のままなので、何とも緊張感のない光景だが。
 そしてその締まりのない光景の中に、もっと緊張感のない人物が一人。
「あ、思い出した」
 小松田秀作だ。ぽん、と手を打ち鳴らして、今更な台詞を宣う。
「あの壊れた石弓機なんですけど、まだ演習場に置きっぱなしですよ。吉野先生、あんなのとても僕一人じゃ運べませんよぉ」
 等と言いながら、三郎の前に回り込む。わざと彼の邪魔をしているかのようだが、悪気は欠片も持ち合わせていない。
「あの、小松田さん。僕、鉢屋三郎なんで」
「ええ? どう見ても吉野先生だけどなあ。あ、もしかして三郎君が修理を手伝ってくれるの?」
「違います。ちょっとどいてもらって良いですか」
 三郎が横をすり抜けようとすると、何故か同じ方向に避けようとする。ぶつかりそうになる。この、間の悪さ。
「小松田さん、何のつもりですか!」
 それを三回程繰り返した後で、三郎が痺れを切らして叫んだ。
 しかし文次郎と留三郎は、既に走り去った後だ。
「ごめんごめん。何だか難しいよね、廊下とかであっちから人が歩いて来る時も、こういうのってあるよねえ」
「ああ、もう……」
 大きなため息。

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