盗人騒動 三

 結局、酒の栓は開かない。他の四人は手ぶらだが、三郎だけは隠すには少し大きすぎる玻璃の筒を抱えている。腕を組んだまま、不自然では無い様に見せかけている。三郎にとってはこういった偽装は寧ろ得意分野なのだが、つい先程文次郎達には見破られてしまった。
 三郎のやり方が下手だったわけではなく、他の四人の態度やその他諸々の偶然が要因だったのだが、それにしても三郎はこれはもしかして厄介なものなのではないか、と考え始めた。
「やっぱり、ぶち壊してしまおうか」
「それはそれで、後片付けが面倒になるね」
「しかし雷蔵、それは無事飲めたとしたって同じ事じゃあないか」
「なら、飲んだ方が良いに決まってる」
 八左ヱ門が力強く言った時、後ろを歩いていた兵助が僅かに表情を曇らせていた。その隣にいた喜八郎だけが気がついた。
「どうしたんですか?」
「いや、さっきの潮江先輩の話を思い出してたのさ。仮にばれたとしたら、やっぱりおれだけがお咎めを喰らうんじゃないか、とね」
「悪い予想ですね。ばれるとも、限らないじゃないですか」
「ん、まあそうだが」
 聞こえていたのか、八左ヱ門が振り返ってにやっと笑った。
「尚のこと、飲んでおかないと浮かばれないなァ」
「浮かばれないとは言い過ぎだ。何も殺されるわけじゃあるまいし」
「いや、実際先生方は恐ろしいぞ」
「しかし、南蛮の酒の一つや二つ盗んだ罪で殺されちゃあ、たまらない」
「冗談さ。そう本気に取るな」
「冗談にしても間が悪いよ。以前、学園に侵入しようとした盗賊を、潮江先輩が一晩中追いかけ回して半殺しにしたという話があっただろう」
「ああ、あったな。今思い出したよ。そうだな、それを考えると殺されるのも強ち冗談でないな。その潮江先輩だけど、実を言うと、おれはさっき潮江先輩の話を聞いた時に、これは占めたぞ、と思った」
「何でですか?」
「だって先輩は兵助の風体しか言わなかったじゃないか。単独犯だと思われてるとしたら、言い逃れができる」
「はあ、なるほど。六年長屋に来たのも、玻璃の蓋をこじ開けようとしたのも、何も知らずに担ぎ出されたのだと言えますね」
「それはちょっと薄情すぎるんじゃないか」
「非情が忍者の宿命なのさ」
 先頭を歩いていた三郎と雷蔵が、ひた、と足を止めた。六年長屋に向かって歩く人影が目に入ったのだ。平易な服装で傘を被っているため、遠目には何者かは判らないが、風体からして五年か六年かのどちらかだ。五年も六年も体格的にはそう変わらないので、装束を着ていなければ、身形だけで所属を判断することは難しい。
「あれは立花先輩じゃないか?」
 三郎が指差すと、人物はふとこちらを振り返った。自分が指差されているのに気がついて、おや、と驚いている様だった。間違いなく、立花仙蔵だ。
「どうする?」
 酒について相談しようかどうか、と彼らが議論に入る前に、仙蔵は駆け足で近寄ってきた。
「おや、綾部と五年連中か。珍しい組み合わせだな」
「そうですか」
「私の記憶違いでなければ、珍しいはずだ」
「そうでしょうか」
「そうだ」喜八郎が何度も薄らぼんやりとした返答をするので、仙蔵は短く言い切った。
「それで、私に何か用事か?」
 五人が顔を見合わせた。相談するか否か、結論は全く出ていなかったのだ。騙りではあったとはいえ、先程文次郎と留三郎に肝を冷やされたことを覚えている。
「立花先輩、お使いに行ってらしたんですか?」
「そうだ。綾部、質問に質問で返すのは関心しないな」
「どちらへ?」
「街の座の集まりだ。今日の昼頃、重要な伝言を頼まれて、今し方戻ってきた所だ」
「まっすぐ帰ってきたんですか? ここに来るまで、一人だったんですか?」
「ああ、何人もで行くような要事でも無し、昼も学園で食べてから出たから、帰りも寄り道などしなかった」
「使いの終わりを、学園長に報告に行きましたか?」
「行っていない。ちょうど学園長の所に客が来ていたから、小松田さんに伝言を頼んだ」
 ということは、仙蔵は兵助らが酒を盗んだ際に学園には不在であり、その後に事件を耳にした可能性も非常に低いということだ。耳にするというのも、彼らの犯行がばれている場合の話だが。仮に犯行がばれていたとしても、事務員の小松田秀作なら、事件を正しく伝えることはできなかっただろう。
「大丈夫そうだな」
 三郎が慎重に辺りを見回し、それから袖に入れていた玻璃を仙蔵の前にちらつかせた。

 先程彼らが立ち去ったばかりの仙蔵と文次郎の長屋で、仙蔵は押入の中から陶器で出来た粗末な瓶を取り出した。玻璃の酒瓶と見比べるとかなり見劣りするが、口から立ち上る匂いによると、どうやら中身は同じく酒らしい。
 五人が文句を言いたげにしていると、仙蔵は「黙って聞け」と前置きして、講釈を始めた。
「書物に曰く、南蛮では数千単位の古来より玻璃は精製されていた。原料は砂、珪石、塩より作る灰、石灰などで、これを高温で融解し、さらに冷やすことで固形化する。つまり、玻璃は温度変化により形状を変化させることができる」
「火にくべて熔かしますか?」
「残念だが綾部、その方法では任意の部位を破壊することはできない。そこで、この酒を使う。これは安物だ」
 陶器の栓を抜いて、ん? と眉を顰めた。中身が無い。
「文次郎め、勝手に飲んだな」
 逆さにして振ると、申し訳程度に残った酒が机の上に溢れた。清酒らしく、澄んだ色の液体だ。それがあっという間に蒸発してしまう。
「お酒なら何でもいいんですか? 五年長屋に戻れば、誰か持っているかも。しかし、誰に声をかけようか」
 雷蔵が提案と思案を一遍に行った。
「いいや、それには及ばない。六年の誰かから貰えばいい」
 仙蔵が立ち上がり、部屋から出ようとしたところで、ちょうど人が通りかかった。通りかかったと言うより、猛烈な勢いで通り過ぎようとしていたという方が正しい。
 それを仙蔵が、
「いいところに」
 と呼び止めた。廊下に地響きの様な大きな足音を鳴らして、七松小平太が立ち止まる。
「お前、何か酒を持っていないか」
「酒ェ? この時昼間っから飲むの?」
「飲みはしない。少しだけでいいから、別けてもらえないだろうか」
「飲まないんだったらやだよ。勿体ない」
「上手く行ったら、もっと高い酒が飲める」
「んん?」
 小平太が障子の隙間から首を突っ込んで、部屋の中に居た五人を眺めた。犬が鼻を利かせている様に似ている。こうして真偽を嗅ぎ分けることが出来るのか、と八左ヱ門はいたく驚いた。飼っている犬を思い出したのだ。
 その小平太は、仙蔵の机の机の上に置いてある玻璃の筒を見つけて、不思議そうに瞬きをくりかえした。
 だが、すぐに「うん」と頷いた。
「酒なら何でも良い?」
「安いので構わない。それと、ついでに食堂のおばちゃんから氷を貰ってきてくれ。あとは水も」
「ついで、が多いよ」
 文句を言い切るか言い切らないかで、小平太は走り出した。
「あれなら直ぐに戻ってくるな」
 仙蔵が満足そうに頷く。どうやらこの先輩は、人を使うのにやたらと慣れているらしい。喜八郎を除く四人は関心もしたが、やはり他の六年連中と同じく食えない相手だとも感じた。
 分け前を減らされたと感じる部分が強かったのだ。何しろ、酒を持ってきた本人達に何の断りもなく、小平太にも分配すると約束してしまった。
 百歩譲って、小平太に割与えるのは良いとしても、四人にとって後ろめたい品だけに、話が広まってしまうのが嫌だった。これは口止めをしなかった彼らが悪いのだが。詳しい事情を話すことにも警戒したためだ。
「早いとこ、飲んでしまいたいな」
 証拠隠滅のために、と三郎は小声で続けた。誰も返事は返さない。
 小平太のけたたましい足音が遠くなり、聞こえなくなった。仙蔵が筒に貼られた紙を興味深げに眺めている。
「どこで手に入れたんだ?」等と訊ねるのだが、さっきの文次郎と留三郎にからかわれたことで嫌気が差して、正確に答えるのも嘘を答えるのも気が引けた。
「ええ、まあ」と五年の四人が笑って誤魔化す。喜八郎が仙蔵の顔を真っ直ぐに見て、面倒そうに瞬きをした。
「何だ、お前らは」
 仙蔵がつまらなそうに肩をすくめる。
 そうこうしている内に、小平太が戻ってきた。出て行ってから少しも時間は経っていなが、仙蔵の指示通りに酒と、盥に入った水と氷とを抱えている。
「早かったな」
 仙蔵が声を掛けると、にいっと笑って、
「水を抱えて走るってのは、難しいな!」
 と答えた。盥になみなみと注がれた水が波打っている。そこに、氷が幾つか浮いていた。
「で、どうするんですか?」
「まあ待て、三郎。小平太も部屋に入れ。狭い所だが」
「本当に狭いなあ」
「戸を閉めてやれ。何だか知らんが、訳有りらしい」
「へー」興味なさげだった。
「さて、始めるか」
 仙蔵が机の上に玻璃、酒、半紙、火種の入った箱を並べ置き、床に氷水の入った盥を置いた。
 半紙を紙縒状に巻き、それを小平太の持ってきた安酒に浸した。酒浸しの紙縒を、玻璃の筒に詰まったコルク栓のすぐ下に巻き付ける。そして火種を持ち出した。
「やっぱり燃やすんですね」
 喜八郎が声を潜めて言った。目の先で、仙蔵が箱から箸で取り出した火種の小さな赤い点が点滅する。
「それだけではない」
 火種を紙縒に当てた。玻璃の首に巻いた、紙縒の部分だけが円を描いてボウと燃え上がった。同時に安酒の燃える嫌な匂いが立ち籠める。
 紙縒が灰になって崩れる直前に、仙蔵は玻璃の口側を氷水の入った盥に突っ込んだ。
 じゅっと音を立てて、火が消えた。
 仙蔵は玻璃の筒を机の上に置き、布で丁寧に水を拭き取った。火を着けた部分に、得にこれといった変化は見られない。
「まだ、熔けていませんよ」
「玻璃はこの程度の温度で熔けはしない。だが、急激な温度変化を与えた後に、軽い衝撃を加えると」
 そう言いつつ、手刀でもって、火を着けた辺りをぽんと叩いた。
 すると、ぱきん、と軽快な音を立てて玻璃が割れた。
 綺麗に、火を巻き付けいた部分に罅が入り、コルク栓の詰まった部分が折れて飛んでしまった。
「おおっ」と、仙蔵以外のその場にいた全員が関心の声を上げた。
「この通りだ」
「先輩はやっぱり凄いですね」
「こんなのは書に載っている方法だ。喜八郎も本を読め」
「暇があれば」
 栓の開いた酒瓶から、酒の甘い匂いが漂う。
「さて、飲んでみるか。毒味は誰だ?」
 誰も手を挙げる者がいない。
「旨いのかなぁ……」
 小平太が玻璃の切り口に鼻を近づけて、ふんふん、と匂いを嗅ぐ素振りを見せた。やはり、犬のようだ。
「かなり、強い酒だな。匂いだけで酔えそうだ」
「酒に強い者」
 仙蔵は明らかに五年の四人に向かって言ったのだが、やはり誰も名乗り出ない。ここまで焦らされると、逆にいざとなった時は気が引けるものだ。先程仙蔵が「毒味」と表現したのも悪かったのかもしれない。
「鉢屋、どうだ」
「こういうのは、手に入れた本人が先に口を付けるのが筋ってもんじゃないですかね」
「成る程、一利ある。では、誰だ?」
「久々知先輩ですね」
 む、と兵助が顔をしかめた。あまり酒に強い方でもない。何より得体の知れない物を気軽に口にできるような質でもない。
「よし、猪口を出してやろう。南蛮の酒ならば玻璃の椀にでも注ぎたいものだが、生憎そんな物の持ち合わせは無くてな」
「そりゃ、そうでしょうね。別に何でも構いませんよ」
「情緒というのも、酒を嗜む上では重要なのだよ。ああ、これなら良い」
 押入の中を探り、小さな猪口を取り出して見せた。外側に赤や金等の鮮やかな色でびっしりと模様が描かれている代物で、兵助らが持ち込んだ酒と同じく南蛮の品か、唐の輸入品であるかのように見える。
「良い品だ。心して飲めよ」
 白い手ぬぐいでつるりと猪口の内側を拭き取り、机の上に置く。
 何だか、気を持たせられているような気分になった。
「飲んで良いですか?」
 兵助が玻璃に手を伸ばし、自ら酒を注ごうとすると、
「待て待て、私が注いでやろう。これだけ人が居るのに、手酌じゃ虚しかろう」
 と、制した。
 その時、またしても邪魔が入った。
 今度は小平太と違い、足音も無く近づき長屋の戸を無言で開けた者が居る。中在家長次が、細く開けた戸の隙間から仙蔵に向かって手招きしていた。
「何だ?」
 仙蔵は酒を注ごうと伸ばした手を止めて立ち上がり、開いた戸の間に耳を押しつけて押し黙った。長次が囁く様に喋るために、黙って耳を傾けないと、よく聞き取れないのだ。当然、部屋の中に居る六人には聞き取れない。
 いや、一人聞き取れる者が居た。
「まずい」
 不破雷蔵だ。委員会で親交があるため、彼の常識はずれの喋り方に慣れているのだ。
 雷蔵は小声で他の三人に向けた警告を発すると、素早く机の上の酒瓶を引っ掴んだ。
 終に悪事が露見した。逃げろ、とまで雷蔵が言わずとも、三人は一気に動き出した。
 狭く開いた戸を、一番近くに居た八左ヱ門が勢いよく開く。開いた出口から、まず最初に兵助が飛び出した。長次と仙蔵が反射的出した手に掴まれる寸前で、弾く。
 その混乱の後ろを、盗品を抱えた雷蔵がすり抜ける。続いて八左ヱ門が後ろを通り、最後に三郎が兵助と仙蔵、長次の攻防の間を割りながら、兵助と共に揃って逃げ出した。
 あっと言う間の出来事だった。喜八郎が、取り残される。
「お前は何なんだ?」
 仙蔵は騒ぎそのものに呆れ返った様子で、取り残された喜八郎に問い掛けた。
「面白そうだったから、ついてきただけでした。何が起こったんですか?」
「文次郎と留三郎が、あいつらを追っているらしい。引き留めろと言われても、な」
 長次がぼそぼそと何事か呟く。
「うむ。こうなっては仕方ない。まあ私には関係のない事だ」
「何だ、どういう事だあ?」
「小平太、あの酒は盗品だったということさ。五年が盗賊で、文次郎と留三郎が役人だ」
「へえ、面白そうだな。行ってみよう」
 飛ぶ様に後を追って走っていった。酒よりも反応が良い。
「お前はどうする」
「え? じゃあ、行ってみます」
 喜八郎は得に意欲も見せずに立ち上がった。長次も無言で歩き出した。

落乱 目次

index