ラビリンス・ヒーロー 020

 三日後、私は些か緊張した面持ちで、潮江の指定した地点に待機していた。彼が指定したポイントは、仮想ではなく現実にある場所だった。私の良く知っている場所だ。
 私が緊張していたのは、この私の行為が田村の記憶を左右するんじゃないかという予感があったからだ。やつの人生に関わってしまいそうな気がした。今日の行動はいわば神崎左門と次屋三之助という行方不明者二人を捜すことだけが目的であって、田村とは間接的な関係しかない。だけど予感は止まらない。
 天才の私には判るのだ。きっと何かある。
 上から四分の一ほどが爆撃によって折れた校門に凭り掛かって、田村はどこか遠くを見ていた。夕暮れである。
 私は校門のきっちり中心に立ち、そこから見えるそびえ立つ校舎を眺めた。
 かつて終戦直前の爆撃によって半壊した校舎は、しかし生きている。昼夜問わず教師があり、生徒がいる。その二者が存在する限り、学校というのは機能するのである。ただし今日は静かだった。恐らく何らかの方法で人払いしているのだろう。
「学校内にいるってことかな」
 私の背後に喜八郎が近付き、言った。
「恐らくそうだろうな」
「しかし、あの男が来ない」
 約束の時間まで、あと十秒。
 時計通りに動く人間などいないのだ。約束の五時きっかりに現れなくても、大した異常ではない。
 と、思いつつも私は校舎に掲げられた時計の秒針を見つめる。時を刻む。五、四、三、二、一、ゼロ!
 その時急に空に虹が走った。寅の方角から申の方角へ、七色の視界の歪みが一瞬にして空を嘗めた。
 この感覚は身に覚えがある。そうだ、田村と出会ったあの時、あの直前に見た風景だ。
 異常はそれだけではない。虹が嘗めた影の跡が、見る見る真に色と形を変えた。半壊した校舎の風景が、一息飲む間に真新しい校舎の風景へと入れ替わったのだ。
「滝、これは?」
「合図だ」
 何の核心も無かったが、私はそう悟った。
 この嘘くさい世界の景色には見覚えがある。うら淋しい二次元風景に酷似している。これでもし、私の予感が当たっていれば……。
「TAKIさーん」
 校舎の遥か後方から、聞き慣れた幼い声。
「キンゴか?」
 小さい体が走ってくる。
「SHIOEさんから聞いてます。僕が案内します」
「どういうこと? ぼくら、いつログインした?」
「さっきの虹だろうよ。これが夢か現か幻か、定かでないが」
 潮江という男は来ない。だがもう合図が出た。
「さて、私は行くが、お前等はどうする?」

「残る。何かの罠かも」
「何で罠なんぞ必要有る」
 喜八郎は怯えているだけだろう。存外、気が小さい。
「田村は――」
 私は田村を振り返り見た。
 これまで見た事もないような顔を、している。
 目を僅かに見開き、唇を柔らかく開いている。冷たくも、温かくもない顔だ。あるがままの、表情だ。だが、確かな表情だ。まるで、たった今、田村という存在がこの世に確定したかのような、表情だ。その顔は視線の先の風景を見ている。
 今はきっと、私が触れてはならない時間だ。
「行ってくる」
 私はキンゴを伴い、歩き出した。
 完全な直線に削り取られた四角柱二本を並べた校門を、くぐる。柱から続く塀の後ろに、黒く塗られた鉄格子が収納されていた。
「さて、案内と言ったが?」
「二人の居場所は、知らないんです」キンゴが申し訳なさそうに答える。
「それでは案内にならないではないか」
「でも逃亡の傾向は聞いてるんで」
「逃亡の傾向」
 復唱する。なんだか、少し変わった響きだ。何故だろうか、わくわくする。未だ正体不明の左門と三之助に、ようやく会えるかも知れないという期待?
「何で逃げているか知っているのか?」
「そこまでは……」
 校舎のガラス張りの大きな扉を開き、アルミの四角い靴箱が並ぶ玄関を通過する。
「足下、気を付けて下さい」
 何だ? と聞き返そうと思った瞬間、私は地面の見えない何かに足を取られて、前につんのめった。と、と、と二歩跳ねて、立ち止まる。
「そうか、映像が覆い被さっているだけなのか」
 つまり、ここは確かに私の知る学校だ。現実に半壊した建物であり、私が見ているのはホログラムか何かなのだろう。見えていないが、壊れた物は壊れたままだと。
「これはちょっと厄介だな」
 だが、覚えている。通い慣れた学校なのだから、私の頭はきちんと記録している。

十三
「左門さんは、高いところにいるらしいんです」
「なるほど。この学校で高いところと言えば、屋上かな」
「行き方わかりますか?」
「覚えている。こっちの階段だ」
 私は当たり判定の存在しない透明で軽いキンゴの手を握り、引いた。
 すり抜ける。
「すみません」
「なにも謝ることはないではないか」
 私はもう一度キンゴの手を握る動作を繰り返し、キンゴは擬似的に私の動きにあわせ、握る形に手を変化させた。温度も、手応えも感じない。この空虚さが、私が見ている世界を仮想と示すのだ。
「手を繋いで行くぞ。頼むから、離さないでいてくれ」
「はい」
 私はキンゴと繋いでいない方の手で、額の汗を拭った。階段を上っているから、疲れて汗が垂れたのではない。この目に見えて、そして偽物で、だけどいつか見た事のある風景が何となく恐いのだ。恐ろしく空虚な感じ。
 カラクリは判っている。以前、伊作さんの所で見せて貰ったあの機械だ。ホログラムで仮想上の風景を構成し、あたかも現実とネットが繋がったかに見せる、ただそれだけ。以前見せて貰った時よりも広い範囲にホログラムを上映しているようだが、あれは中々高性能らしい。
 何故潮江文次郎という男はその機械を使って、仮想に私たちを呼び寄せたのか?
 答えは、簡単だ。しかしそれはあまりにも……。
「三番目の教室に入るぞ」
「なんでですか?」
「見えていないだろうが、この先の廊下は崩壊しているのだよ。大穴が空いている。先に進むには、教室の外側をロープで伝うしかない」
「大丈夫ですか? ロープも、見えなくなってますよね」
「恐らくな」
 私たちは入った教室の窓を開いた。窓の外も嘗ての戦場の空。ボロボロの草臥れた街が遠くに見える。ま、今現在でもさほど風景に変化はないが。
 窓の下を手探りで探す。ロープ、よし、あった。
「見えないと危ないですよ」
「大丈夫だ。私だぞ?」

 窓から身を乗り出し、見えないロープを唯一の足がかりに窓を渡る。視覚に頼る事が出来ないのだから慎重にならざるを得ない。また、現実に触れられないキンゴは、私の背中に掴まった。映像の私にしがみついている。きっと不安だろう。窓は地面まで二メートルほどの高さがある。
「ここは何なのだ?」
 話でもしていれば気が紛れるだろう。私はゆっくりとロープの上に足をなぞらせながら、背中に掴まるキンゴに話しかけた。
「作兵衛さんたちが作った風景の一つです。あのゲームにこういうステージがあったんです。そこと、現実の学校を重ね合わせています」
「なるほどな。結局、あそこ……いや、ここに二人はいたわけか」
「知ってたんですかね?」
「ん?」
「作兵衛さんたち」
「……知っていたのだと、私は思うが」
 知っていて、あえてずっと行方不明ということにしていたのではないだろうか。二人の居場所は、探そうと思えばきっとすぐに判ったのだ。現に、潮江という男が、どのようにして探し出したのかは判らないが、見つけ出している。
 まして藤内、数馬は観測者だ。広い世界のエラーを観測し続ける義務と技能を持った彼らなら、二つの存在を仮想世界の中から拾い上げることなど、容易だったに違いない。
 それでも謎のままに置いておきたかった理由は、きっと。
「あの窓から入るぞ」
 私はロープにぶら下がっていた手を片方外し、辿り着いた隣の教室の窓へ手を掛けた。
 やれやれ。慣れた移動とはいえ、視覚に頼れないのがこんなに骨の折れることだとは。
 窓に鍵はかかっていない。この窓は、鍵が壊れているのだ。窓の桟を押し開ければ、いい。私は窓枠に触れた手に、力を入れようとした。
 その時、窓が勝手に開いた。
「滝夜叉丸」
「うん?」
 そこに現れたのは、田村だった。いや、TAMURAか?

 指を伸ばして、窓枠のあるべき場所に触れる。見えないが、鉄の冷たい感触。
 現れたのはTAMURAの方だ。現実の窓が開いていないのがその証拠。
「待て、今そちらへ上がる」
「わかった」
 窓枠をよじ登り、教室内へ滑り込む。何だか妙な落ち着きがあった。私も、TAMURAも。不意に出会ったにしては――。
「外に田村が居るぞ」
「うん、知ってる」
「そうか」
 窓から一歩引いた所で私を待っていたTAMURAは、何やら決心を固めたかのような複雑な表情をしていた。
「お前も二人を捜していたのだったな」
「そうだ。TAKIも?」
「無論。では、ここで出会ったのは奇遇などでは無かったのだな」
 同じ物を探しているのだから、その過程で出会うこともあるだろう。しかし、どうにもそれだけではないような気がする。
「何でここだと判った? 私は、潮江文次郎という男に誘われたのだが」
「ぼくは、知っていたんだ」
「何? まさか」
「黙っていたけど、実は記憶が戻っていたんだ」
「いつ戻った?」
「あのショックを受けた直後だ」
「ワイヤードゴーストになった時点で、ということか」
「そうなるな」
「どうしてウソを吐いたんですか?」
 キンゴが警戒したように、私の影に隠れた。
「過去が本当にぼくに必要なものだったかどうか、判らなかったからさ。考える時間が欲しかった」
「考えた結果、どうなった?」
 TAMURAは首を傾げ、私から視線を逸らした。一呼吸、間。
「TAKIは三之助には会ったか?」
「いいや。お前は、会ったみたいな言い方だな」
「うん。居場所は判ってる。案内しよう」
 そう言うと、TAMURAは答えを聞かず、真新しい教室を横切ってその扉に手を掛けた。

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