ラビリンス・ヒーロー 017

05 そして、ヒーローと少年の生誕

「なんでだよ! 左門と三之助の記憶が戻るのが、そんなに悪いことなのか!?」
「え? いや、そういうわけではないが」
 何だ? 何故急に喚く。
「なんでシステム側が妨害してくるのかって言ってるんだよ!」
「システムって、1-ハのことか? お前らだってシステムAIじゃないか」
「ああそうだよ。でも俺らはただ仕事をするだけのプログラムじゃない。欲しい物は欲しいし、守りたいものは守りたいんだ」
 作兵衛は握った拳をわなわなと奮わせながら、私の方を睨んだ。
 私ではないな。キンゴ達を睨んだのだ。
「作兵衛、今回の件で運営からお咎めが来てるのは、あの二人の記憶とは別な問題だよ」
「判ってるよ! 複製プログラムを持ち出したのが、ばれたんだろ」
 複製プログラム、それはワイヤードゴーストを発生させて一般ユーザーのコピーAIを作成する機能のことか。
 それはこの作兵衛が作り出したのでは、無いのか。
「あれを乱用するのは良くない、と僕は思うんだ」
「どの口でそんな事を言うんだ」
 黙って私たちのやり取りを見ている人々の視線が煌めく。重たく煌めく。TAMURAの瞳も、強く重たい光を湛えて、じっと一点を見つめていた。
 何があるわけでもない一点を、あるとすれば世界の在る一点を。
「藤内、数馬、やっぱり孫兵は裏切り者だ。これ以上話をしたってなんにもならない」
「でも、セキュリティに狙われてちゃ、戦ったって勝ち目が」
「数馬ぁ! そういう弱気なこと言うなよ」
「いや、待てよ。そもそもそっちの要求は何なんだ? 見たところ、攻撃の準備はあるようだけど、仕掛けてこない」
「何言ってんだよ藤内、ついさっき攻撃されただろ」
「あれは反撃だ」と、しかし私は戦輪を指先で玩びつつ主張した。
「本当は、左門と三之助を探しに来たんだ。その上で話し合いをしようと思って。そうでもしないと、呼んだって来てくれないじゃないか」
「話し合って、何だ? 俺らが何を言い合ったって、左門と三之助はあのままだぞ」
「このゲームを続けたって一緒じゃないか。それとも作兵衛は、このゲームに何か成果を見出したのか? 五年前の世界を再現して、二人の記憶を少しでも取り戻せたか?」
「それは……」
「結論から言うと、何の成果もない」作兵衛の代わりに、藤内が答えた。「これまでの観測の結果、やつらのデータの内、外部に公開されている部分も、内部データも、何ら変化無し。それどころか、迷走させてしまう始末だ」
「それ見ろ。こんな大がかりな装置、何の意味も無かったんだ」
「だからって今更引き返せるかよ。黙って処罰を受けるぐらいなら、ギリギリまで足掻いてみた方が億倍マシだ」
「今すぐにゲームシステムをダウンさせるのでしたら、処罰無しにしてもらえるように運営へ掛け合ってみます」
 キンゴだった。ランタロウとサンジロウも、うんうんと頷き合っている。
 些か驚いた。あんなに任務に忠実で頭の固いこいつらが、急に態度を軟化させるとは。
「何だよ、どういうつもりだ、同情か?」
「そうです、よ」むっとしながら、サンジロウが言った。「友達のために、ちょっと無茶をしちゃう気持ちは判ります。でもゲームを続けるかどうかよりも、考える事は他にあると思います。そもそも左門さんと三之助さんは行方不明のままなんですよね。記憶を取り戻す以前の問題じゃないですか」
「それに、みんなの事も」
 ランタロウは周囲を見回し、最後にTAMURAへ視線を向けた。名指しにされたような形になって、TAMURAはとてつもなく間抜けな顔をして「へ?」と声をあげた。
「あ、ああ、確かに、驚いた。ぼくが……ぼくが生まれた理由が、そんな馬鹿馬鹿しいことだったなんて」
「TAMURA、お前」
「ここにいるワイヤードゴーストは、みんなその二人の記憶を取り戻させるためだけの舞台装置だったんだな。腹を立てる者もいるんじゃないか? ぼくは怒ってないぞ。こういう経験は初めてでもないからな。それに考えてみれば、ゲーム内外で自由に行動できるから、得に不便なことは無かったしな。さっきの攻撃命令には驚いたけど」
 作兵衛、藤内、数馬の三人が顔を見合わせる。孫兵は心配そうだ。
 何かまだ重大なことがあるのだ。それは、とんでもない大きな秘密だった。この世界のコアに触れる、些細な驚くべき秘密。
「本当のこと、今ここだけの秘密ということで」
 サンジロウが、唇に人差し指を当てて内緒話の仕草をする。
 私たちも、AIも、ワイヤードゴーストも、皆固唾を呑んで三人の口が開くのを待った。
「本当に、処罰を受けずにすむのか? これから話すことについても、全て」
 ややあって、作兵衛が最終確認の言葉を吐いた。
 セキュリティ・システムは肯く。なんだか静かだ。ここだけ、世界の総てから切りはなされたかのように感じる。人は沢山集まっているのだが、それぞれが己の目的のために静かに固唾を呑んでいるのだ。
 人、だ。ワイヤードゴーストだって意志を持っている以上、人なのだろう。過度に膨れ上がったコンピュータの性能では、生身の人間と全く同じスペックの脳をシミュレートするのなんて、そう難しくはない。生物学的に人とは言えなくても、きっと人なのだ。
「僕らだってただのプログラムじゃない」
 キンゴが悲しく呟いた。
 私は判っているぞ。勿論お前らだって、人なんだ。

「複製プログラムを持ち出したのは、それを運営が独り占めしているのが許せなかったからだ」
 と、作兵衛は語り出した。
「正式名称はsubstitute of walled、<囲いに追い込まれた都市の代用品>略してSOWシステム。あれは俺が作ったんじゃなくて、元からあったプログラムなんだ。第一、ワイヤードゴーストが発生するのも、システムに元からあるバグの一つだ」
 ワイヤードゴーストというのは前途の通り、電子的なぶれによって発生する虚像である。これはコンピュータの処理速度や電気の特質のために起こる、謂わば必然的な仕様だ。小さなコンピュータでちょっとした計算処理を行う程度なら問題にならないエラーだが、このネット世界のように膨大な情報量になると、僅かなバグも集約して無視出来なくなる。
 ワイヤードゴーストもそうだ。アカウントの本体情報の後ろに僅かに残る、バグ。これが何かの切っ掛けで集約し、無視出来ない大きさになる。
 TAMURAの場合は、この切っ掛けが先日の大爆発だった。ヤツはあれ以降、ワイヤードゴーストをひっつけて彷徨いていたのだ。セーブデータが壊れたのも、二重になった像がエラーとして弾かれていたからだろう。
「通常は、ワイヤードゴーストは時間が経てば消えてしまう。言ってしまえば、死んじゃうんだ」
「死ぬ」
 聴衆がざわめいた。彼らは一定以上私たちから離れて、丸く輪を作って事の成り行きを眺めている。それ以上近付いて来ないのは、私が作った壁がまだ作用しているからというだけではないようだ。
 進み兼ねているのだ。どちらにゴールがあるのか判らない、迷路の分岐点のように。
 TAMURAが以前そうだった。
「でもこのSOWシステムを使えば、ゴーストは本体から離れて、別な存在として実体化できる。AIとして固定するんだ。画期的なシステムだよ。俺らは、これを運営が独り占めしているのが気に入らなかった。だから持ち出した」
「左門と三之助のためでは、なかったのか?」
「それも、ある。いや……」
 作兵衛は、何故かTAMURAに視線を向けた。
「これを流用してあいつらの記憶を取り戻そうと思ったのは、ついでじゃなくて偶然だ。偶然同じ時期に重なったんだ。俺たちがSOWシステムについて知った時期と、あいつらがログアウトできなくなった時期とが」
「孫兵はこのSOWシステムとやらについて知っていたのか」
「一応」気のない返事だ。
「SOWシステムの存在に気がついたのは、藤内と俺が一部地域の観測をしていた時だった」観測者数馬が言う。「AIが発生している特定地域と、特定種類のアカウントがあった。おかしいと思って運営に問い合わせてみたら、帰ってきた答えが『立ち入るな』」
「そう言われると腹が立つさ。俺たちもネット運営を担ってるAIなんだ。ムキになって調べた結果、どうやらSOWシステムというのがあるらしいというのに辿り着いて」
「で、二人は俺と孫兵に相談に来たってわけ。判らなかったんだよ。何で運営が、生きていいゴーストと死んでいくゴーストを選別してるのか。今でも判らないけど」
 そして、藤内と数馬もまたTAMURAを見た。何かあるのだろうか。TAMURAは判っていないようで、小首を傾げるばかりだ。
 私にも訳が判らない。ここまでの話で、TAMURAに関係する事柄があっただろうか。
「思い出したりしてないですよね」
 唐突に、数馬が話を変えた。TAMURAに向かってだ。
「え? 何が?」
「思い出してないならいい。話を戻すけど、そういうわけで俺らは左門と三之助の記憶を取り戻す装置としてSOWシステムを流用しつつ、無差別にワイヤードゴーストを生き返らせようと思ったんだ。そうじゃないと、不公平だろ」
「それは、そうだよな」
 作兵衛の話にTAMURAが同意した。聴衆の中にも、頷いている者がいる。
 私には、その感覚は少し判らない。TAMURAは三ヶ月前に生まれたばかりだ。突然、生まれたのだ。人間なら赤子で生まれて、長い時間をかけて人生の目的を見つけ、それに向かって生きていく。
 だけどこのシステムで突然生を受けた人々には、その期間がない。ゴールをゴールと知る時間がない。後ろを振り返っても空白の世界が広がるだけだ。
 不安や不満を持つものではないのだろうか?
 一度記憶を失った経験のあるTAMURAが落ちついているのは理解出来る。だけど他の人々が同意しているのは何故なのだろう。

 その頃の私には判らなかった。ただ存在しているという事実だけでは、満足出来なかったのだ。何もかもが足りない時代に生まれて、私は特別に持っているのだと勘違いしていたからだろう。
「それは無責任だ」
 孫兵が声を荒げた。
「作兵衛はみんなの人生にどう責任を取るつもりなんだ。過去も脈絡もなく、誰かのコピーとしてこの狭いネット上に産み落とされて、何を希望に生きていけなんて言える」
「孫兵、お前もしかして」
 推測だが、孫兵は最初に藤内と数馬に相談を持ちかけられた時に、彼らとは意見を違えたままだったのじゃないか。SOWシステムを流用してゲームを作り、左近と三之助の記憶を取り戻す手がかりを探すことに。
 その理由が、これだ。作兵衛たちはSOWシステムを運営が独占するのが許せなかった。孫兵は、存在そのものが許せなかった。
 無限に、自分と同じようなAIを生み出すプログラム。
「人間に、なりたいのか?」
 私の言葉に、孫兵は異常な程悲痛に顔を引きつらせ、息を呑んだ。
 今まで生きていて、何度か、人間のこんな顔を見た事がある。極限の、顔だ。
 顔面の限られたインターフェースで、こんな顔ができるのか。私たちだって幾つかの表情筋を組み合わせて、千差万別の表情を作るのだから、似たようなものだが。
「違いますよ」
 驚愕の表情のままで、殆ど感情のない様な言い方をした。直線的な機械合成音。
「いや、違わない」作兵衛が首を振った。「孫兵は、自分がAIだっていう現状に満足してないんだよ。だから他人がAIだって理由で、当人に確認もせず嫌だろう嫌だろうって」
「違うってば!」
「だけどさ、それこそ無責任だろ。勝手に人の理想や未来を決めるなんて」
「じゃあ、このゲームはどうなんだ? ラビリンス・ヒーローは、勝手に人が生まれてくるって現実を定めてるじゃないか。公平にするなら、ゴーストの状態で当人に生まれるか生まれないか選ばせないと」
「それは、不公平だなぁ」
 AYABEが話に割って入った。こいつも感情が無いような喋り方だ。尤も、こいつの場合ショックによるものじゃない。生来頭に組み込まれていた意味不明回路のせいだ。
「誰だって望んで生まれて来るわけじゃないよ。気がついたら、誰もが現実に組み込まれてるのさ。そこから自由意志で移動を繰り返しているだけ」
 何だか壮大に達観した事を言っているが、その割には声に抑揚が無くて不気味だ。AYABEにはよくあることだが。
「始まりは、自然発生的でなければ意味がありません」
 数馬が、空一面に大きな操作ウィンドウを開いた。ゼロとイチの羅列。長い長い文面に綴られた、シンプルな意志。一定の色で溢れた空に、濃い緑色の文字が広がっているのだった。
 私は空を仰ぎ見て、その文章を読み解く。私だけじゃない、皆が空を見上げている。
「一定のルールに基づいて、自然に人は発生する」
 読解のヒントを藤内が与えた。
 文面に籠められた強い意志が私の意識に流れ込んで、あまりの強さに細部までつまびらかに読み取る事が出来ない。
 だが感覚で判る。これは、この空に浮かんだゼロとイチの意味するところは、乃ちSOWシステムの根幹部であろう。
 ワイヤードゴーストと呼ばれる人の、生まれる場所。
 その時ふと思った。何故、彼らはワイヤードゴーストに生まれて欲しいと思ったのか。生まれて欲しい人が、いたんじゃないだろうか?
 新しい人物を得て、元となる人物を破棄してしまいたかったのではない。この、人の生まれる有無を言わせない強い意志を目の当たりにして、自分たちは新しく生まれたのだとして、新しく生きて欲しかったのだ。
 過去なんて無くても、未来がある。
 それを二人の友人に伝えたかった。

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