ラビリンス・ヒーロー 015

「僕はその辺りは良く知らないんですが、その日と何か関係が?」
「まだ判らん。だが心当たりはあるぞ。TAMURA、お前、七松先輩を砲撃した際に吐き出した大量のエラーを、処理仕損ねたな」
「……ああ、そうだ! だからお前には言いたくなかったんだ」
 TAMURAは悔しげに歯軋りをした。
 こうして馬鹿馬鹿しい事実がここに判明した。つまりアカウントTAMURAがログアウト不能状態となったのは、彼自身の引き起こしたエラーのせいだったのだ。
 以前の騒動の際、自己をも巻き込む大爆発で敵を攻撃したTAMURAは、その際に発生したエラーに取り込まれて何らかのバグを抱え込んだらしい。
「天才と言って憚らないお前が、とんだお笑いぐさだな」
「なんだと!」
 しゃがみ込んでいたTAMURAはいきり立って私の胸座を掴んだ。
 腹立たしいのはこちらも同じだ。あの作戦を立てたのは他ならぬ私であり、その後処理をし損じたとなっては私の沽券に関わる。
「今の発言、訂正しろ!」
「事実を言ったまでだ!」
「ぼくは全てのエラーを予測処理したはずだったんだ! だが、こんなエラーは前代未聞だぞ!? 前例の無い問題を予測できるものか」
「そこが本物の天才と凡才の違いというやつじゃないのか」
「ならばお前は、予測出来たのか?」
 私は言葉に詰まる。できなかった、が。
「ほらみろ、できなかったのだろう」
「だが、貴様のように指をくわえてエラーを眺めているままではすまさん」
 少なくとも一人で抱え込んで進退窮まるなどという状況は無様ではないか。
「相談してくれればよかったのに、って言えば」
「そんなことは考えておらん! それに、変なところで口を挟むな!」
「いや、僕も関わってる話だし。あとそれは、今回の件と関係あるの? ないの?」
「AYABE、お前なあ……」
 どうもこいつのやる気の無さそうな顔を見ていると、力が抜ける。知人が世にも稀なる体験をしているというのに、何故そんなにもつかみ所のない態度を取っていられるのだ。
 TAMURAもやる気を削がれたらしく、再び萎れてしまったかのように私の胸座から手を離した。
「もう、いい。ネット上で喧嘩などしても、虚しいだけだ」
「それはリアルでは喧嘩を売るという宣言か?」
 TAMURAは態とらしく大きなため息をついた。もう挑発に乗る気は起きないのか。少し気力が戻ったように、見えたのだが。
「話を戻せ。他に、何を答えればいい」
 見た目は健常そのものだが、言動が鬱々としていて生気がない。レストランで会った時もそうだったが、今はもっと内面と外面の落差が激しく見える。それがこの<TAMURA>というアカウントの正体を現しているようで、何だかうそ寒い。
「ログアウトできなくなって、お前は一体何をしていたのだ?」
「判りきったことを聞くな。バグフィックスを続けていたに決まっているだろう」
「子細を訊ねているのだよ。無論、一通りの方法は試しただろうが」
 ログアウトできない、などというバグは並大抵のバグではないことぐらいは判っている。そもそもネットというのは、何かあると簡単にログアウトしてしまうような仕組みになっているのだ。現実と仮想は、電気信号という実に脆い糸で繋がっている。ちなみに観測者達は、その脆さを逆手に利用してワイヤードゴーストを発生させまくっていると考えられる。
「バグの大本の見当は、すぐに見つかった。ログアウト時のセーブポイントが消失していたんだ」
「なるほど、一般ユーザーはログアウト毎に状態をセーブしないといけませんからね。でもアカウント情報の保存については、管理者側しか知らないはずなんですが」
「孫兵、私たちは天才ハッカーだぞ? その程度の事、わからいでか」
「TAKIさん、それは違法行為です」
 キンゴが目を光らせた。うむむ、この辺りが、1-ハと行動を共にする際に面倒なのだよな。
「とかく、システムコアに関わるバグのようだったので、ぼくは仕方なしにシステムに報告に行ったんだ」
「それはまた、勇気あるね。コアに関わるバグ作ったって、相当やばい行為じゃないか。悪くすれば罰金とかあるんじゃないの?」
「もっと悪くて、アカウント削除とかです」
「だが背に腹はかえられん。実際、体力の限界を感じていた」
 ん? 何かおかしくないか?

「それで、カスタマーサポートに報告に行ってからがまた妙だった」
「お腹空いてないの?」
「は?」
 AYABEの問い掛けに、TAMURAが目を丸くした。AYABEは何故か孫兵の背負っている荷物に手を突っ込んで、回復用のカステラを次々とかっ食らっている。別にAYABEはどこも負傷していないはずなのだが、この際置いておこう。
 それよりも、その指摘だ。実に尤もではないか? カスタマーサポートに駆け込んだ時点で、体力の限界が来ていたとしたら、どうして現在もTAMURAは稼働している。
 やはりこれは、先ず間違いなくこのTAMURAというアカウントは――。
「AYABEさん、それを勝手に食べられると困ります」
 そうだとすると、私はこいつにどう接するべきなのか?
「だって話長くて暇なんだもん」
 またヤツは現在どのような状態にあるのだ?
「負傷した時に回復アイテムが無くなってたらまずいじゃないですかあ」
 一度現実に戻って、そちらを確認しに行った方が良いのでは無かろうか。
「孫兵は細かいなあ。負傷したから何が起こるって言うのさ」
 看病しているあの男が、詳しい状況を知っていたのかもしれん。あの時聞き出しておくべきだった。私としたことが、迂闊だったな。
「だってこれはそういうゲームなんですよ」
 行方不明事件の詳細も追わねばならんが、それよりもこいつらの状況をハッキリさせるのが先決なのやも。
「たかがゲームだ。負傷して体力値が減ったら、適当に数字弄って元に戻せばいいじゃないか」
「ああもう、煩いやつらだ! 人が真面目に考えている後ろでごたごた言い合いおって、話が進まんではないか」
 耳から入る情報というのは目からはいる情報のように簡単に遮断出来る方法があるわけでなく、具体的に言うと目からはいる情報は目を閉じれば遮断出来るのだが、耳から入る情報は耳栓をしても音波の揺れは全身を振るわせて鼓膜が震え耳小骨つまり鐙骨・砧骨・槌骨の三個に伝わり次に蝸牛内のリンパ液が撹拌されることによって基底膜に伝わり最終的に蝸牛神経が反応しそんでもって中枢神経つまり脳まで伝達されるわけだが、とにかく要するに耳を塞いだり聴かないよう努力したりしても騒音ってものは脳に伝わるのだ。
 ちなみにネット接続していると体は睡眠状態に近いため、耳を塞ぐのは物理的に不可能だ。手が動かないからな。
 しかしそんなことはどうでもいい。
「孫兵! ゲーム如きに本気になるな! AYABEは訳の判らん行動を取るのを止めろ!」
「なんだよ、さっきは自分で話を逸らした癖に自分を棚に上げて」
「ぐっ」言葉に詰まった。
 AYABEはまだやる気の無い顔でカステラを食い続けている。孫兵がその手からカステラを奪おうと躍起になっているが、多分AYABEの方も躍起になって細々と素早く動き回りながらひたすらに食い続けている。
 こいつ、何個食うつもりだ。
「あーあーもう最後の一個だ」
「酷いですよお」
 なんて駄目なやり取りだ。二人の横で、キンゴが明後日の方向を向いて溜息をついていた。
「下らんことで喧嘩するな! 要するにもっとカステラがあればいいんだろう」
 私は操作ウィンドウを開いた。ゲームのステータスプロパティの、カステラ所持数を操作すればいいだけだ。それらデータはゲームシステム側で管理されている数値だろうが、そう深い所に隠されているというわけでもあるまい。
 あった。予想通りだ。私のログインIDで検索をかけれて一秒経たない内に、私のゲーム上でのステータスが格納されているらしき変数が一括してヒットした。
 その中からカステラ所持数が収納されている変数の中身を増やせばいい。百ぐらいあればいいか。当然バイナリー(二進数)データなので、切り良く「10000000」を入力する。これで孫兵の荷物の中のカステラが百二十八個に増えるはずだ。
「さあ、これでいいだろう」
 と、言い終わらない内に、銃声が響いた。視界がひび割れる。頭の真ん中が痺れるような感覚、これは<負傷>だ。

「TAKIさん!」
 キンゴがいち早く動いた。私と、銃口の間に割って入る。煌めく日本刀が威嚇の一撃を横薙ぎに払った。
 私は、――私は、目の前が急速に暗くなる。致死ダメージ。
 いや、まだだ。開いたままの操作ウィンドウに表示されている変数の一つが、急激な勢いで中身の数値を減少させていっている。
 これは私の体力値に違いない。ゼロになると、ゲームオーバー。
 コンマ一秒の間に、一、ゼロを振り切れるまで入力する。意識が切れる直前に、確定。
 体力値がオーバーフロー寸前、膨大な数値が表示される。視界が晴れた!
「TAMURA、貴様」
「ぼ、ぼくは……」
 TAMURAの手に握られた小銃の口から、うっすらと煙が立ち上っていた。
 けぶる映像の背景に、真っ青なTAMURAの顔。
「ぼくは何で撃った!?」
 畜生め、答えはもう一つしか無いではないか。
「見てください、敵がどんどん増えていきます」
 孫兵が地図を大きく広げ、指し示す。地図の中心には味方を示す四つの青い点、その近くに赤い敵を示す点が一つ、街全体に中立を示す緑の無数の点がばらばらと配置されている。
 その緑の点が、瞬く間に赤く変わっていく。
「数字を弄ったからかな? 罠だったんだね」
 AYABEの銃口は既に<TAMURA>へと向いていた。無言で睨み付けるキンゴと並ぶ。
「早計だぞ」
「先に撃ったのはTAMURAだ。どう言い訳する?」
「無意識だったんだ。本当に」
「そんな道理はない」
「AYABEもキンゴも止めろ! TAMURA、お前も銃を下ろせ!」
「TAKIさん、敵が集まってきます!」
「見れば判る! 身内で言い争っている場合じゃないんだ!」
「でも、ぼくが、敵と示されている」
 無感情な地図上に示された赤い点一つ。
「それで、お前は二発目を撃つのか? 他の凡庸なワイヤードゴースト共々、制作者の命令通りに動く人形のように」
 私は、TAMURAの顔形を真っ直ぐに見た。似ている。確かに似ている、生き写しだ。寸分違わぬ表示キャラクター、それだけではなく、細かい挙動の隅々まで。
 あまりにも似ていた。本人ですら、疑えない程に。
 だがつまり、それほど精巧ならば、田村と同じようにまともな選択ができるはずだ。そうだろう、TAMURA。
「ぼくは……」
 TAMURAの銃口が揺れる。眉間に皺をよせた青い顔が、唇を噛んで何かに耐えようとしている。
「ぼくは、撃たない! ぼくは凡庸な人形じゃない!」
「そう言うだろうと思ったぞ。何せお前はあの田村のワイヤードゴーストだからな」
「え? やっぱりこのTAMURAはワイヤードゴーストなの?」
「今更隠したって仕方なかろう。当人ももう気付いてしまったさ」
「あの、そんなことより敵が迫ってます!」と孫兵。
「だから見りゃ判ると言ったろうが! 逃げるぞ、逃亡ルートは敵の少ない西の方向!」
「少ないって言っても、二十近く密集してるポイントがありますよ」
「一人頭四人で勘定すればそうそう困難でもないだろうが」
「え? それはぼくも入っているのか?」
「当然だろう。まだお前との話は終わっていない!」
 そこまで言った所で、敵の銃撃が始まった。脱兎の如く駆け出す我ら五人。

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