ラビリンス・ヒーロー 014
「つまり、TAMURAは行方不明になっていなかったということ?」
「いいや、やつの消息が絶えたのは、私が確認している」
「僕たちも確認しました。他の被害者と同じように、突然消息を絶っているようでしたが」
「しかし存在の証明がここにあります」
孫兵が地図を指差す。平面スクリーンの地図の上に、TAMURAの影ははっきりと映し出されている。豪邸のポーチに表示された点の周りを、孫兵が指先で円を描くようになぞった。
丸く切り取られた映像が、地図の上に拡大される。
バルーン上の白い屋根を斜めにカメラが覗き込み、そこに在る存在をスクリーンに撮した。
「TAMURAに間違いない」
玄関と庭先の段差に腰掛け、俯いて座っている。顔は見えないが、その姿はTAMURAその物だ。情報だって一致している。
「わけが、わからない。今までの話じゃ、ここに存在して良いのはTAMURAとはちょっと違うワイヤードゴーストだけなんだよね」
「行方不明になっていたとしたらな」
「あ、そうか。行方不明になってない可能性もあるのか」
しかし行方不明になった証拠は揃っている。
片方のフラグを立てると片方が消える。両者は共に存在しては、ならないのだ。
おかしい、おかしいぞ。この私が読み違えたとは。
私の知っている情報のどこかに嘘があったのか? どこだ、それは。TAMURAの不調、喪失、行方不明事件、1-ハとの調査、潮江文次郎という男、孫兵の話、迷宮のアクション。
それとも、もっと前か? 脳内に蓄積された時系列を失った情報。記憶や思い出と呼ばれる程古いもの。
間違いはどこだ。ひょっとすると、田村三木ヱ門という人間と出会った時から、情報の相違があったのか。
しかしやつと出会ったのは現実の出来事だ。現実の世界に、このようなネット世界のバグみたいな事象は、起きるはずもないではないか。
いや? あるのか?
田村は記憶を失ったではないか。
エラーが、私の中でも起こっていた可能性も否定出来ない。
「TAKIさん?」
キンゴが無垢な目で私を覗き込んだ。眉を顰めている。
私は額の汗を拭った。勿論汗など出ていないが、現実の体には出ているような気がした。
「何でもない。ともかく、TAMURAがあそこに居る理由は、当人が知っているだろう。ここで私たちが話し合っても意味がない」
「そうですね。今は情報が一つでも多く欲しい」
と、孫兵は言ったが、得た情報も正しくなければ意味がない。
何が正しくて、何が間違いなのか、判断する術も無いが。
「行くぞ」
TAMURAが存在しているポイントまで、そう距離もない。
平和に見える瓦礫の街の路地裏を歩いて進む。角を曲がり、目的の屋敷が視界に入った所で、私たちは直にTAMURAの姿を確認した。
項垂れていた頭が、ふと持ち上がる。
TAMURAだ。目を瞬かせて、やや驚いたようにこちらを見る。そういえば、目を開いたやつの顔を見るのは久しぶりだった。
「何なんだ、今更」
近付くと、こちらが声を掛けるより前に、TAMURAはややうんざりした様子で力なく呟いた。数日前、レストランで別れた時と似たような調子である。
「今更とはどういうことだ。このTAKI、いいや平滝夜叉丸様自らがお前に会いにきてやったのだぞ」
「威張るような事ですかね」
「孫兵、相手しない方が良いよ」
「貴様なんぞ、今更用は無い……」
「なんぞ、とは何だ。私は天下の大天才滝夜叉丸様であるぞ」
「あの、ホントにTAMURAさんなんですか?」
「あ、ああ」
鬱々とした目のTAMURAは、ため息を吐きながら頷いた。キンゴ共々、私を無視して、だ。
「おのれ、人が折角明るく賑やかに場を和ませてやろうとしているのに」
「鬱陶しいだけだよ」
「判っていない。お前は判っていないぞAYABE」
「そうかそうか。で、TAMURAは何でここに居るの? こちとらてっきり行方不明になったんだと思ってたよ」
「行方不明? 誰が」
「君以外、一体誰に話しかけてると思う?」
「ぼくか。ぼくは行方不明になったのか……」
TAMURAは薄暗い表情でまたため息を吐き出し、己の両腕をまじまじと見つめた。
「ぼくはここにいる」
「その様ですね」
孫兵は地図を開き、TAMURAの情報を改めて確認している。
こいつも判っていない。そういう事ではないのだ。
「TAMURAさん、行方不明事件について何か知っていますか?」
「何も知らん。初耳だ。だが、要するに行方不明になる事件なんだろう?」
「そうです。TAMURAさん以外にも沢山被害者が出てまして、その被害の共通点はアカウントの一時的な消滅――」
キンゴが冷静に説明するが、やはり判っていない。
「あー、つまりだなァ、貴様は愚かにも敵の罠に嵌ったのだ」
私はやや強引に話に割り込み、キンゴの言葉を遮った。
しかし、遅かった。
「消滅」
低い声でTAMURAがその単語を復唱する。
禁句だよ、それは。
「またなのか? またぼくは消滅するのか?」
TAMURAは取り乱し、頭を引っ掻きながら、弱々しい嘆きの声を上げた。
やはり面倒なことになった。TAMURAが記憶喪失であることは、AYABEも知っているし、キンゴ(というか1-ハ連中)にもこっそり知らせていたのに、全く無神経な連中だ。
後から知ったことだが、この時孫兵もTAMURAが記憶喪失であることは可能性として判っていた。
だのに本当に無神経だ。逆に言うと私は心配りの天才だ。
「五年前に一度消えたぼくが、また消えるっていうのか」
「落ち着け、TAMURA。その真偽はいまだもって調査中だ。それにはお前の持っている情報が必要なのだよ」
「ぼくが持っている情報だと? そんなもの、何もないさ。ぼくは何にも持ってないんだ。何せ、記憶喪失だからな」
終にTAMURAは泣きそうにわなないた。
くそ、然しもの天才・私でさえも、失った記憶を取り戻す方法は判らない。無力だ。
そもそも、消滅した記憶を取り戻す方法なんてものが確立した手段としてこの世のどこかに存在するのなら、こんな事件は起こらなかったのだ。始まりはとある二人の少年の記憶喪失からだったのだから。
「ただ質問に答えればいい。判らないことは、判らないと言え」
TAMURAが私たちを見つめ返す。いつまでも取り乱し続ける程子供でもないが、その無機質である筈の目の色は頼り無く揺れているように見える。
「まず、名前は?」
「TAMURA」
「本名だ」
「田村三木ヱ門」
「どこに住んでいる」
「下二日市街の河地四番ビル、四階……不吉な数字だな」
「自分で選んだのだろう」
「ああ、そうだ。四。四……四を選ばないとならない気がしたんだ」
TAMURAが話しているのは、五年も昔の記憶だ。記憶が無くなった直後、住む場所が無かったこいつは、霞がかった思い出を頼りに様々な事柄を選択した。混乱の時期だ。
四に拘って住む場所を選択したのも、その混乱の内の一つ。
「部屋の番号は?」
「403と405。404は無かったんだ。ぼくは四を追っているのに」
「四を追う? 全然話が見えないんだけど」AYABEが会話に割り込んだ。
「ぼくにも判らない。判ったら苦労しないさ」
「お前の素性はこの際問わん。ともかく、お前はTAMURAで間違いなさそうだな」
「それまで間違っているとしたら、ぼくは本当に消滅してしまう」
「消えはせんさ。仮にお前の名前が田村三木ヱ門でなくともな。次だ。お前は何故ここにいる? そもそも、ログアウト出来なかった件はどうなったのだ」
「見ての通り、先日レストランでお前と話した時と状況は変わっていない。何故かネットに接続されたままの状態だ」
出たぞ。相違だ。
「TAMURAさん、実は僕たちの調べた情報によると」
「キンゴ、黙っていろ」
私には考えがある。
確かにキンゴの言いたいこともわかる。このTAMURAは未だ持ってログアウト出来ていないと言うが、しかし実際はヤツのログには強制ログアウトを受けたと覚しき空白の期間がある。その上、リアルでの田村は衰弱してベッドの上だ。意識だけネットに在るのか? 判らん。それも謎だ。
だがそれをこいつに明かして何になる。混乱させるだけだ。私たちですら混乱しているのに、こいつまで混乱させてしまってどうする。
「ではまだログアウトが出来ない状態が続いているのだな? どのくらいの期間だ」
TAMURAは言葉に詰まり、哀れな程に青い顔になる。表示キャラクターに与えられた、最大限の落胆、絶望の表情だ。
「今、数える」
TAMURAは自分の目の前に、薄い緑色の四角を表示させた。小型の情報表示二次元ウィンドウだ。数字が並んでいる。十進法、七と三十余りずつに区切られている。スケジュール帳だろう。
日付の一つを指差す。これは、何の日だったか? 記憶にある。
「二ヶ月、丁度だ」
「何!?」
その数値は予想を遥かに上回っていた。以前TAMURAから相談された日から考えても、せいぜい十日前後であろうと考えていたのだ。
「二ヶ月もログインしっぱなし、って人体の限界じゃないの?」
AYABEがさほど驚いてもいないような、のんびりした調子で言った。いや、これは驚いているのだろうな。
確かに現実の田村三木ヱ門は衰弱し、昏睡状態だった。それがこの長期にわたるログインの結果とも考えられるが。
だがどうだろう。私たちは、もう一つ別な問題を視野に入れなければならないのではないか?
何しろ、TAMURAが指差した日付は、曰く付きのあの日だ。
「TAKIさん、この日って」
「うむ。覚えて居るぞ」
TAMURAが首を振る。不思議そうにAYABEと孫兵が私たちを見る。孫兵はともかく、AYABEは何で覚えていないのか。興味のないことはとことんまで興味のないやつだ。
「1-ハを守って、<SECHS>と戦った日だよ」
ああ、と言ってAYABEは手を打った。
そうだ、あれからちょうど二ヶ月になるのか。