ラビリンス・ヒーロー 012
「さて、地区の選択に戻りましょう」
孫兵がテレビのチャンネルをくるくると回した。私の手の平よりも縦に長い長方形の黒いリモコンに、二十程のスイッチがついている。それを押すたびに画面に映る風景が切り替わるのだが、映像には時々縦のノイズが入る。徹底的にレトロチックな作りをしているらしい。
「当てはないのだよな」
「思い出して下さいよ」
「私が?」
ちょっと面食らった。何で私に記憶の復旧を要求するのだ、と孫兵の発言の意味を理解するまで少し間が空いてしまった。
そうか、私はTUGIYAと何らかの関わりがあった可能性があるのだった。
しかし五年も前のことだ。今更思い出せなどと言われても。
「覚えていないと、さっき言ったではないか」
「今までの僕の話を聞いて、或いはこのテレビの映像を見て思い出す所はありませんか。さっき思い出せなくても、今思い出せるかもしれないじゃないですか」
「うーむ」
確かに人間というのは時間軸の移動によって変化する生命体であるが。
私は頭を捻りに捻る。画面を見つつ、部屋を見回しつつ、孫兵とキンゴの顔を見つつ。
キンゴは三人が詰めるのにすら狭い部屋の中で、端の方に寄って大人しく正座して待っている。その脇には自分の身長に合わせた長さの太刀を、きちんと置いている。
孫兵はチャンネルを回し続ける。首に巻き付いたじゅんこが、孫兵の握るリモコンを珍しそうに眺めている。
そんな物を見ても思い出せはしない。
五年前の話なのだから、思い出す切っ掛けになるとしたら部屋の配置と、テレビの画面に映る風景だろう。
部屋の配置は見尽くしてしまった。昔々に両親が生きていた頃、暮らしていた部屋とよく似たこの虚像。
撮った覚えのない古い写真、書いた覚えのない昔の日記のようで、記憶の中身と同じように色褪せて見えた。
部屋には家族との記憶ぐらいしか無い。五年前に私と同じく列に並び、死んでいく列に並び、しかし私と違って運の無かった両親。あまりにも幼い頃に失ってしまって、思い出も碌にない。
私は視線をテレビ画面のみに固定した。失ったものを思い出したって仕方がない。
先に続く、有益な情報を引き出さねば。
風景は回る。目紛るしく回る。
風景の中には人が居り、建物がある。この表示されている人々が敵なのだろうか。武装している者と、していない者が居る。
武装している者は銃を撃つ。建物に当たれば、壊れる。人に当たれば、傷つく。
壊れた建物の風景と、壊れていない建物の風景がある。武装している者の居る風景と、武装している者の居ない風景がある。傷ついた者の居る風景と、健常な人々の居る風景がある。
「これは、五年前の風景そのものだな」
私は誰に対してでもなく、何の意味もなく、ただ悟った事実を言った。
四郎兵衛の語った「安藤先生が、まるでお化けでも見たみたい」な顔をした理由が、よく判った。
しかしこれを作った者を責めるわけではない。五年以上前の記憶が無い二人のための幻影なのだから、五年前の風景を作ってみたのは理に適ってはいる。
ただ悪趣味だと私は思った。あくまで、私は、だ。
五年前の見知った風景は回る。
「見覚えのある風景とかありますよね」
「無論だ」
記憶を探れ、どこかに手がかりは無いか?
見た風景の中に、彼の人物は紛れ込んでは居ないか?
風景は幾つも映し出される。ただ街だ。人混み、瓦礫、鮨詰め人口過密の汚れた街が幾つも幾つも。
これらの街は、TUGIYAとSAMONと関連を持っていた可能性のある風景なのだろう。そうでなければ作り損だ。
「止めてくれ」
孫兵がチャンネルを回すのを止めた。
「二つ、前だ」
「二つですね」
楕円のボタンの上にマイナスの書かれたボタンを二回押す。
荒廃した瓦礫の街が画面に映る。見覚えが、ある。瞬きを繰り返し、画面を睨み付け、確認する。
次第に記憶が明瞭になっていく。覚えている。そうだ、覚えている。思い出したぞ、次屋三之助。
「この地区にしますか?」
画面左上部に番号と、地区の名称が表示されている。番号は五十一。地区の名称は、鴻上区だ。
私は再びあそこへ行かなければならない。田村と共に蹲って夜を明かした、滅んだ街に。
「ここの番号が大きくなるほど、ゲームの難易度は上がっていきます」
孫兵が画面左上部の番号を指差しつつ、解説した。
「五十一。これは最高難易度です」
このゲームには、五十余りのステージが用意されているということになる。番号が零からだったか一からだったか、確認し損ねてしまったが、普通に考えてそのどちらかかだろう。
五十一か五十二の風景。中途半端な数値だ。意味は、有るのだろうか。無意識に数字を因数分解する。十七掛けるの三、イコール五十一。前者は素数二つに分解される。後者は、十三掛けるの二掛けるの二、イコール五十二。素数が三つ。
「難易度が高いということは、強い敵が出るということか」
「そうですね」
「そんなもの、今更気にしても仕方がないのではないか。難易度なんぞ、制作者側が指一本で操作出来るだろう」
「確かにそうですが」
「ゲームの敵以外の者も、出てくる可能性もある」
私はキンゴを振り返った。きちんと正座したまま、口元を一文字に縛っている。
無言のやりとり。強敵は望むところだ。キンゴが力強く頷く。
我々は孫兵に先導されいきり立ち、入ってきた扉の前へ再び立った。
「鴻上区へのゲートを繋ぎました。ここを開けば戦場です」
「良し。いざ突入、と行きたい所だが」
「が?」孫兵が訝しんで聞き返す。
「もう一人、呼ばせて貰おう。道案内だ」
「1-ハですか?」
キンゴが私を見上げた。私は首を振る。
「普通のユーザーだ。呼べばやつは何やかやと文句は言うだろうが、どうせ暇しているに違いない。孫兵、またプロテクトの解除を頼む」
「普通のユーザーさんが入ってこれる程、長い間プロテクトを解除することは出来ませんよ」
「まあ、やつなら何とか大丈夫だろう」
そんな訳で、私は一般回線を繋いだ。
「それで、僕に何の得があるんだか」
予想通り、やつはぶつぶつと文句を垂れながら瞬時にやって来た。
「探し人の手がかりがあるやも知れんではないか」
「ないね。ないと、先日判ったじゃないか。見通しの無いことをやってるほど僕は暇じゃないし。それに」
AYABEは辺りを見回した。それから、自分の手に握られた銃を忌々しげに見つめた。
「悪趣味だ」
「それには同感する」
「じゃあなんで呼んだ」
「では何故来た」
AYABEはここ、鴻上区の出身だ。そして戦中最大の被害を出した鴻上区大虐殺の、数少ない生き残りだ。
その古傷を、――いや、未だ疼いているであろう傷を持つAYABEをここに呼んだのは、別に悪意あってのことではない。道案内なんて建前で、本当はAYABEの人捜しに協力してやるつもりで呼んだのだ。
AYABE当人も忘れてしまっている、有力な情報を蘇らせることが出来るかもしれない等と思い。
しかし今こいつと言い合ったって仕方がない。恩を売るのも、実が取れてからだ。
そしてそれ以前に辺りは既に戦場だ。
打ち壊された裕福層の立派な家々の物影、私たちは息を潜めて隠れていた。
AYABEが来てから、得に説明するのも面倒だったのですぐにゲームに突入したのだ。そうしたら、これだ。文句を言うAYABEはまあ想定内として、余りある障害物の多さ。
隠れていたつもりでも、すぐに敵兵に見つかりターゲットにされる。
一名の兵士が、私の視界に入った。相手の視界にも、私が入ったに違いない。
私は瞬時に引き金を引いた。リアルな反動で、銃弾が発射される。そしてリアルな反応で、兵士は喉元から夥しく出血して倒れた。
一人に見つかれば、その周囲の兵士にも見つかってしまう。まして一体派手に倒してしまった。
「不味いです。五、六人敵兵が反応を示しました」
孫兵がナビゲーションシステムのように、周囲の地図を目の前の薄緑色のウィンドウに表示させて警告した。
兵士は五年前の戦中と殆ど同じような装備をしているらしい。街中用のコンクリート色の迷彩、申し訳程度の防弾チョッキとヘルメット、銃剣を装備。これは大人の兵士の装備で、少年兵になると防弾チョッキを装備していない。建前、撃たれて致命傷になる範囲が狭いからである。実際はただの物資不足だ。
「理由を先に言われれば来なかったよ」
「言っただろう、道案内を頼みたいと」
「ここだとは、言わなかったじゃないか」
私たちは廃墟を走りながら銃を撃ち、近距離戦となればキンゴが飛び出す。孫兵は私たちのしんがりで、周囲の敵や障害物の警告の役目を買って出た。さっき言った、緑色の地図を顔の前に表示たままにしている。
これはゲーム本体の地図を、私が、改良したものである。現実の東西南北に合うようにAYABEの助言を元に、私が、プログラムを弄った。ちなみに青点が私たちで、赤点が敵である。その他怪しげなアカウントを黄色で表示するようにしてみた。
「さすがは最高難易度なだけはあるな」
実際に走っているわけではないのだが、何故だか先程から息が上がるような気がしてならない。
仮想の中ではいくら体を動かしたつもりになっても、疲れることなど無いはずなのに。
「いえ、普通これほど難しいはずは無いんですけどね」
孫兵も、息を上げているようだった。しかしどうにもやはり、孫兵は少しこの状況を楽しんでいるかに見える。AIの仕事なんてものをしていると、こういった遊びのスリルも中々味わうことが無いのかもしれない。
「何と言った、孫兵?」
私も息が上がっている。本当に走っているような肺の痛みを感じ始めた。
「だって、こんなに忙しくちゃゴールを探せないじゃないですか」
「そういえば、終点があるのだったな。どこに行けば、終点となるのだ?」
「さあ?」
またすっとぼけた返事だ。今回、孫兵にこうして適当な返答をされるのは何度目だろうか。
「クリアできた人、今まで一人もいないんですよ」
私たち三人は顔を見合わせた。AYABEの顎と首の隙間から、薄汚れた緑色の敵兵が見えたので、私は一発銃を撃つ。
銃弾は正確にAYABEの首の横を通って、敵の脳天を破裂させた。遙か遠くで、非現実的な背景画像の中で、脳味噌と血が弾ける映像が映し出された。
リアルだ。
「危ないじゃないか」
AYABEが銃弾の通り過ぎた首を撫でながら、焦りも怒りも顔に出さずに言った。
これで、取り合えず周辺の敵は一掃したことになるはずだ。孫兵の広げた地図が正しいのであれば。
「クリア出来ないゲームなんて無意味にも程があるんじゃないの?」
AYABEはまだ首を撫でながら孫兵へ問い掛けた。こいつ、意外と簡単なことに怖じ気づく上、かなり根に持つのだ。
「ああ、そういえばTAKIさんには説明したんですが、他の方は知らないんですね」
キンゴと、AYABEが頷く。
ちなみに街中には敵以外のキャラクターも存在している。ここいら一帯の敵を一掃した後に、家々から敵意のない視線が覗き始めた。
彼らはAIと似て非なる存在だ。artificial intelligence、人工知能、文字通りに解釈するのならば、人工的な知能体ではあるわけだが、出生が違う。すなわち1-ハや孫兵、タカ丸さんなどのシステムAIとは。
平和の取り戻された街中に人々が姿を現す。
鴻上区の、金持ち達の外出姿だ。
AYABEはその風景を、まるでお化けでも見たかのように眉間に皺を寄せて、睨みだした。
「行方不明事件ってあったじゃないですか」
「ああ。私たちは、それを追っている」
AYABEは違うが、否定している心境では無かったらしい。周囲を見る。疑いの目で見回す。
「彼らは、このゲームの中でアカウントを喪失しているんです。しかし、ご覧の通り」
「AYABE、知り合いでも居るのか?」
「昔の、会ったことがあるような、人達が」
「そうだな。アカウントが一時的に喪失されてしまうのは、全く同じアカウントが同時に発生することでエラーが起きるからだ」
「同じアカウントが発生するってどういう意味」
私は、横にいたキンゴの手を握った。武器を持っていない方の手だ。
冷たい。いや、冷たいという感覚すらない。ここは温度の無い仮想なのだから。
「彼らは意図的に発生させられた、ワイヤードゴーストです」
wired ghostとはネットワーク上に存在する、システム不良のために現れる二重像のうちの弱い像。或いは幻覚の魂。妄想にも似た、僅かなる可能性。
『AYABE、気を確かに持て』
私は、音声ではなく文字で、AYABEの眼前にメッセージを発生させた。
『これはネット上のゲームに過ぎない』
そのように呼びかけながらも、私は私でキンゴの温度の無い手を強く握っていた。柔らかいようで堅いようで、存在するようでしないような小さな手。まさしく幻覚であると認識を保ち続けていなければ、確かにどうにかなってしまいそうだ。
「ここに居ると」孫兵は遠くを見て語り出した。「現実なのか、非現実なのか、わからなくなるそうですね」
白々しくも人事だ。極力冷静に物語っているように思える。
「そうすると、脳がエラーを起こす。エラーが最初に起きるのはネット上ではありません。ここ、です」
孫兵は自分の頭を指差した。