ラビリンス・ヒーロー 009
04 四の次では元々有り得無かったのだと知りながら的はずれの別れ道へ進んでいった場合
ランタロウの発した蛇というキーワードで気がつくべきだったのだが。
「いつの間にか性能が上がったのだな」
「じゅんこは無限の可能性を秘めています」
緑に赤のまだら模様の毒蛇に、<孫兵>は口付けをしてみせた。口を開いた蛇の歯の隙間から細い舌が除いた。
さて私たちはこうしてまんまと誘き寄せられてしまったわけだが。
「どこだここは?」
馬から下りた私は、辺りを見回した。目の前にシステムAIの孫兵がいる。キンゴとダンゾウは馬に乗ったまま、困窮した様子でこちらを見ている。そしてここは檻の中だ。直径五センチほどの銀色の棒が、ぐるりと周囲を囲んでいる。間違いなく檻だ。
珍妙なことに、ここに私を誘き寄せたと覚しき孫兵までも、檻の中にいる。
もっと珍妙なことに、檻の向こう側はアマゾンのような森で、そこには猛獣や虫のようなものが歩き回っていた。普通、逆じゃないか? 動物の見せ物になっている気分だ。
「ここは飼育小屋です。ご存知の通り僕はじゅんこのような生物形のプログラムを管理する立場にあります」
「で?」
「きみこも三四郎も大山兄弟もじゅんいちもマリーもきみ太郎みんな喧嘩もせずに仲良く暮らしているんです」
「やつは誰の話をしているのだ?」
「あの動物とか虫とかじゃないですかね」
ダンゾウが大蛙を指差すと、蛙は大口を開けて鳴いた。人語を解するらしい。ダンゾウの馬が対抗的に嘶いた。
何だこの状況は。そもそも私たちは行方不明事件を明らかにするために、怪しげなゲームについて調べていた。そのゲームの案内役のAIである作兵衛にゲームの不明な点について問い正すと、逃げたので追っていた。
すると何者かによるノイズによる攻撃を受けた。同時に1-ハが何者かに襲われたかのような連絡が入って、それから彼らとの連絡が途絶えた。
戻るか進むかということになって、進む事にした。作兵衛の逃げた先は1-ハのイスケによって解析されていた。
それでその場所へ、回りくどい手など使わずにとにかく移動しようと、ダンゾウの馬に乗って空間と空間を繋ぐ通路に飛び込んだらこれだ。
「ミーちゃんやカメ五朗やジュンや亀太郎一家も……」
「あー、わかったわかった。ここが貴様の管轄する飼育小屋で、飼っている動物についても大方理解した。それで、私たちを檻に入れて、一体どういうつもりだ」
「檻?」
孫兵はきょとんとした顔で、私たちと動物を交互に見た。
「あっちが檻で、こっちは外です」
と、檻の外と中を指差しながら言った。ややこしいな。私が檻だと思っていたここは檻の外で、動物たちが居る方が檻だということか。
「そんなわけあるか」
「飼う動物が増えるごとに檻の大きさを拡大してたら、こうなりました。ちなみに彼らはシステム用の生態プログラムですが、ここは動物園として一般公開もしてます。入れるのはここだけですけど」
そう言う割には、私たちの他には人間が居ない。檻と思われたスペースも、見せ物小屋の座席としては狭すぎる気がする。
「檻のこちら側では閑古鳥が鳴いているな。作り物の生き物など、見る物好きが居ないのだろう」
「そうでもないですよ」
孫兵は鉄格子の向こうへ手を伸ばした。蝶と蛾が鱗粉をまき散らしながら寄ってくる。その孫兵の腕を伝って、じゅんこが指先まで顔を突き出した。口を開いて、舌を伸ばした。
そういえば蛇は虫や蛙を食す肉食だ。蝶と蛾は食われる。あっと思って、思わず目を逸らそうとしたが、じゅんこは彼らを口にはしなかった。舌先で蝶や蛾をからかって遊んでいるように見える。彼らも何の警戒心もなく、じゅんこの舌先で戯れていた。
「よく出来ているでしょう。今はもう絶滅した種類の動物たちも沢山居ます」
確かに図鑑や資料でしか見た事のない生物だらけだ。しかしそれにしたって、皆レプリカじゃないか。
「で、ここに呼び出した理由なんですけど」
「そうだ、早く本題に入れ」
「呼び出すのに丁度良い空間が思いつかなかったんで、ここならついでに僕の可愛いペット達をお見せすることが出来ていいかと思って」
駄目だ、前から知っていた事だがこいつはどうも話が咬み合わない。目を輝かせて笑う孫兵の周りに虫が集まってきた。檻の意味が無いだろう。鉄格子の向こう側には小さな虫や小動物が結構居る。格子なんて見せかけだけで、各々の動物たちが外に出ないようにプログラムされているのだろうが。
「本題」
「あんまり恐い顔しないで下さい。冗談ですよ」
「私たちは急ぎの身なんだ。承知の上でやってるんだろうが」
「そうですね」肩を竦めた。どこかで蛙が鳴いた。
「単刀直入に言わせてもらうと、今回の件からは手を引いていただけないでしょうか、ということです」
「何だと?」
「もちろんそちらの警備システムの連中も含めて」
「どういうことだ? 話の流れがさっぱり判らん。孫兵、お前はシステムAIだろう。システム同士の連携が取れていないのか」
システムというのはネット全体の仕組みのことなのだから、そこに組み込まれたAIは世界の総意で動いているはずだ。少なくとも私はそう認識していたのだが。
「僕らも連絡を受けていません」
「それどころか1-ハの本体を襲ったのは孫兵さんじゃないんですか」
キンゴは既に臨戦態勢に入り、腰の一本刀に手を掛けた。私も戦闘準備をすべきか。しかし判らん。どうにも今回は不透明な事ばかりだ。私の頭の中では事実が空白なのだ。
「1-ハの方はじゅんこにお願いしてちょっと脅かしてもらって、回線を混乱させてみただけです」
「ノイズで私を攻撃しただろう」
「それは僕じゃありません。藤内辺りじゃないでしょうか」
また知らん名前だ。くそ、それは新たなAIなのか?
「僕は個人的に動いています」
「システムAIが個人的に?」
「そう。おかしいですね? でも事実そうだから仕方ない。僕はこの世界から与えられた僕の仕事の隙間を縫って、僕個人の考えで行動してるんです」
それは可能なことなのか? 問い掛けようとキンゴを見ると、非常に難しい顔をして孫兵を見ていた。
こいつらが街中で遊んでいるのはシステムからの命令でもないだろうし、在る程度の自由は在るのかだろう。しかしシステムに反する事は可能なのか。行方不明事件の解決にはシステム側が乗り出しているのに。
「しかし私は事件を放っておくことは出来ない」
「碌な被害者も出ていないんだから別にいいでしょう」
「未だ復帰出来ない者も居る」
「次のメンテまでには復旧しますよ」
おかしいぞ、また話が食い違っている。田村の病状が復旧するのに、仮想のメンテナンスなど関係ないではないか。やつはもうネットに繋がれていないのだ。メンテナンスが必要なのは現実のやつの肉体だ。
「だいたい、救えもしないのに彼らに関わるのは止めてください」
「は? 誰を?」
「やっぱり覚えてない。だから僕は最初から無理だと言ったんだ」
言っている意味も判らないが、蛇に向かって話しかける意味も判らない。私に向かって言わないということは、私に向けた発言ではないということなのか。
「孫兵、出来れば私と会話してくれ」
「ああすみません、そうですね。じゅんこが可愛すぎるから」
「私が何を忘れているというのだ?」
意味の判らない発言は気にしない事にした。
「<TUGIYA>って名前に聞き覚えがありますか。現実では、次屋三之助だったかな」
現実では、ということは現実に存在する人物の話か。顎に手を当てて、脳の膨大なデーターベースを覗き込む。人名ってのは意外と単独では検索にヒットしないものだ。名前からして男、だろうな。
「ない」
散々脳内迷宮を彷徨った結果は空白だった。
「ほらね。あっちも覚えてなかったし、最初から発想の方向が間違ってたんだ」
「お前は私とその次屋三之助というのとの関係を知っているのか」
「三之助――TUGIYAに聞いたので」
「一体何者なのだ?」
「過去に会った事があるはずなんですよ。TUGIYAは五年前に軍に居たんですが、そこにTAKIさん、あなたがとある兵士に命を救われて保護されてきた」
「良く知っているな。それで?」
「それだけです」
「だけ、ということは無いだろう。その男は私を知っているというのなら」
「本当にそれだけなんです。それ以外のことは、判らない」
「そいつに直接聞いてみれば判ることじゃないか」
「それが駄目なんです。今ちょっと迷子になってて」
「迷子って、そんな年齢なのか?」
孫兵は少し視線を動かし、檻の中を見やった。鳥が飛んできて、鉄格子の前で木の枝に止まった。大きな鳥だ。
「十二才だったかな」
予想外に幼い。五年前には、七才か。当時は人員不足で少年兵も多数居たし、話の辻褄の合わんこともない。相手が七才で、私が八つの頃の話。こっちが覚えていなくても無理は無いと思うが。
「というわけで、手を引いて頂けますか」
「何がというわけ、だ。話の道筋が全く繋がっちゃいないではないか。その次屋三之助を私が覚えていないのが、どうして行方不明事件の解決と結びつくのだ」
「あ、そうか」
言いたい事を全部言って満足するタイプだな。話を聞きながらこっちが話の流れを調制せねばならん。
「TAKIさん」いつの間にか馬から下りていたキンゴが私の袖を引いた。
「何だ」
「話長くなりそうなんで、帰っていいですか」
「だあめだ! 何でそうなる。話はこっからが佳境じゃないか」
「みんなの事が心配なので……」
「通信してみれば良いじゃないか」
「ここは一般回線は通りませんよ。この子たちの通信機能が混み合ってますので」
孫兵が檻の外、じゃなくて中を指差す。システムのメンテナンスや警備用の小型プログラム達が、常に孫兵と通信を交わしているのだろう。いったいどれほどの数のプログラムを扱うのかは知らないが、他の通信機能に影響が出る程となると相当だ。
「というわけで一端帰ります」
「というわけって、お前等。じゃあ手を引くのか? 大人しく」
「みんなと相談します」
「まー、何だかめんどくさくなって来たんで」
キンゴはともかく、ダンゾウが適当極まりない事を言い出した。
四
これじゃ孫兵の思うつぼじゃないか。
「馬を置いていけよ取り合えず馬を」
「それは中々良い選択だと思います。移動なら、僕のきみ太郎を貸しても良いんですが」
檻の中のジャングルの奥地で、蛙が騒がしく叫んだ。森の中をよく見ると、周囲の植物と同化した体長二メートルはありそうな巨大な蛙が口を開けたり閉めたり開けたりしている。
「オオドクガエルのきみ太郎です」
「そんなことは聞いておらん」
「じゃー、そういうことで」
「おい」
等という勢いで、キンゴとダンゾウは檻の向こうへ姿を消した。檻の向こうにも姿は無い。馬は居る。
「じゃあ僕らも移動しましょうか」
「見られているのか」
現実と違って、視線や気配など感じない。何しろここに存在するのは熱も重さもない概念ばかりだ。しかしまあ、キンゴ達が突然態度を変えたり孫兵の言動を穿ってみれば、予測できないことでもない。
「詳しいことは移動しながら、で」
孫兵が、私の視界に描かれた馬の背に手をかけた。
「待て」
「何ですか?」
「私が前に乗る」
鶏口と為るも牛後と為る勿れとは史記に読まれた言葉だが、牛だろうが鶏だろうが蛙だろうが、私が一番前でないと気に食わん。
孫兵は口をぽかんと開けて頷きもしなかったが、これは許可と取って良いだろう。私が海のように深く空のように広い志を持っていると改めて知り、感動しているに違いない。