ラビリンス・ヒーロー 008
つまり、このゲームはシステム側の公認であり、そこからユーザーのデータを受け取っているのだと言うわけだ。
「そうなのか?」
私は再び回線を開き、1-ハと通信した。
「僕らの方には、そういう話は来てません」
とのショウザエモンからの返答。彼らは公式のセキュリティプログラムなのだから、間違いは無いだろう。ではデータは何所から習得したのものなのか? 叩けばいくらでも埃が出てきそうだ。
「システムに登録された個人情報と、新規登録の際にご本人が申請した情報を照らし合わせて、不正アカウントでないかどうかを調べることになっています」
中々筋は通っている、が、穴が有るのだ。不正には、矛盾の穴が開く。
「8の設問は?」
「任意質問です。このように、パスワード等を紛失した場合に本人特定のために、最初の登録時に予め質問と解答をセットで登録してもらっています。TAKIさんの新規登録は、TAMURAさんが行っていますね」
「と、いうことはこの設問はTAMURAが勝手に考えて決めたということか」
日付は、五年以上前のとある日だ。これは私が七松先輩に手を引かれ、二度目に生まれた日。TAMURAとは出会っていないが、やつにこの日の事を話したことが有るような気もする。
どこに居たか、覚えている。しかしこれを入力するのは、躊躇われた。思い出したい記憶では無い。
「解答が判らないのでしたら空欄で。後でTAMURAさんに確認して下さい。それか、変更することも出来ます。他の質問は書き終わりましたか?」
「うむ」
「では、回収します」
目の前の入力フォームは、全て空欄だ。
「その必要は無い」
作兵衛が伸ばして来た手を、びくっと振るわせて宙に留めた。笑顔が引きつっている。だいたい、フォームに何も入力していないことぐらい既に判っているだろう。確かに私はフォームの上を指でなぞっていたが、そんなのは手慰みだ。それで騙し通せるとは想っていない。何しろ、この狭い部屋自体がこのゲームのプログラムの一部なのだろうから。
ゲームを管理、観測している人間には判っていたはずだ。作兵衛にも連絡が届いていただろう。或いはこの作兵衛が観測者なのかもしれない。
「まだ疑問が残る。TAMURAも、この5と6の設問に返答したのだな?」
「そう、なりますね。自分の生年月日と生まれた場所ぐらい、答えられるでしょう。何かおかしいですか」
「おかしいな。何しろTAMURA、いや田村三木ヱ門という男は、過去が無いのだから」
私から見て右手、小部屋の窓の如き模様が斜めに切り裂かれた。窓に描かれていた外観が、歪み、電子の穴が開き、そこから二つの影が飛び込んできた。理論の崩れる轟の響き。
「過去のない者に過去が答えられる筈がない。貴様等は嘘を吐いている」
「神妙に」
「お縄に就け!」
理論の刀を振りかざし空間を切り裂いたのはシステムセキュリティ1-ハプログラム、ナンバー06キンゴ。言葉に違わず捕縛用の縄を振り回し飛び込んできたのは、同じくナンバー09ダンゾウだった。
「セキュリティの名に置いて、システムを名乗り不正なプログラムを制作実行する者共に――」
「TAKIさん、色々言ってる間に逃げられます!」
作兵衛は小部屋の奥の扉を開き、その奥へ走り去っていこうとしていた。些か調子に乗りすぎた。
「判っている。ダンゾウ、あれに」
頷くや否や、ダンゾウは手にした縄を一直線に投げた。作兵衛が後ろ手に勢いよく閉めた扉の隙間に、何とか滑り込む。
「イスケ! 解析だ」
「はい」
回線からナンバー04イスケの威勢良い返事が聞こえた。縄はナンバー07サンジロウとナンバー11ヘイダユウが共同開発した、特製のプログラムだ。空間と空間を結び、その先で有る程度の遠隔操作が可能、空間のプログラムにアクセスすることが出来るのだ。何も言わずともそれを持参した彼らは、やはり流石にセキュリティプログラムを名乗るだけはある。
「解析結果、ダンゾウに送ります」
数秒待たずにイスケから再び連絡が入った。
「追うぞ」
言うまでもない。ダンゾウは既に道を切り開いていた。
今更解説も不要と思うが、1-ハはネットシステムの警備プログラムであり、この仮想世界を構成する大いなるプログラムの構造の中に、密接に組み込まれている。
彼らの在るところに世界、世界在るところに彼らが在る。高々ゲームのシステムAIとは性能が違うのだ。多分。
イスケが解析した空間へダンゾウが道を切り開く。
「どこに繋がっているのだ?」
「普通に考えるとプライベートスペースですが」
回線の向こうで、イスケの言葉が途切れた。移動する私たちは解析結果待ち。ダンゾウの駆使するリアルでは既に絶滅してしまった馬のようなフォルムの乗り物に、私とキンゴも同乗して走る。
逃げる相手が向かうのは単純に扉の先ではない。現実と違って、仮想は隣り合う空間が連続的であるとは限らない。
作兵衛は自分が扉をくぐった瞬間に、元居た小部屋を周囲から切りはなした。ダンゾウとキンゴが破壊したために、切り離しにもバグが発生していたが。
そして作兵衛は逃げながらもダミー移動を繰り返しているらしい。イスケの案内する先が一定しない。街中やビルの上、荒野から農場まで全く出鱈目な位置に誘導される。イスケからの返答はまだ無い。
「どうした? イスケでなくてもいい、誰か状況を説明しろ」
私が呼びかけると、回線に大きなノイズが走った。
「ああっ」
鼓膜が千切れそうな爆音。思わず悲鳴を上げた。ダンゾウが馬の操作を一時停止する。そこは深い森の中だった。
「どうしたんですか?」
「いや、今のが聞こえなかったのか?」
キンゴとダンゾウが顔を見合わせた。1-ハとの通信回線は、この二人にも聴こえるように繋いでいたつもりだ。ノイズならばこの二人も気がつくはず。
ではノイズではない? 誰かからの攻撃。それも生身にダメージを与える、質の悪い方法だ。
「TAKIさん? 大丈夫ですか」
遅れて、回線からランタロウの声が流れ込んできた。
「何とかな。一体今のは何だったのだ」
「蛇が、あっ」
会話が途切れる。ただ事ではない。
「ランタロウたちの所が襲撃された可能性がある」
「戻りますか」とキンゴ。
「罠かもしれん。ダンゾウ、イスケからの誘導はどうなっている」
「ちょうどここまでで途切れました。あ、待てよ」
馬が嘶いた。私は馬がどのように鳴くのか、現実には見た事がないのだが、きっとこのように両足を踏みならしつつ甲高い声でヒーと鳴くのだろう。
「新しい座標が届きました。プライベートスペースだ。あのAIの像も、そこから動いていないみたいです」
「どうします?」
1-ハとの回線は、相変わらず途切れたままだ。何か問題が起こったらしいが、イスケからは最終的に出たらしい解析結果が届いている。困難の中、イスケが届けてくれた情報を無駄には出来まい。
「他の1-ハの活動反応によっては、引き返す事も考慮に入れよう。だが今は追跡を続けるべきだ」
キンゴとダンゾウが険しい顔つきで頷く。
「まだみんなの活動反応は途切れていません」
「以後移動中はキンゴ、戦闘中はダンゾウが彼らの反応に気を配ってくれ。場合によっては遠隔での修復も。苦手な分野だろうが――」
「できますよ、そのくらい」
「やれるだけやってみます」
「うむ。では追跡再開」
未だ<作兵衛>は逃げ込んだプライベートスペースから移動していない。