ラビリンス・ヒーロー 006

 私が次に訪れたのは、学校だ。私は本日の授業を受ける気は無いのだが、残るサンプルの一名が、ここに居るはずである。
 授業終了の鐘が鳴った。これは、安藤先生の打ち鳴らす鐘の音だ。鐘というか外国の教会にあるような手持ちの華美な品で、ちりんちりん、と妙に可愛らしく鳴る。金のメッキが全体へ貼られている。高い品なのではないかと思ったが、大切に扱っているのを見るとそれ以上の思い入れが有りそうだ。
 とにかくそういう華やかで繊細な品が好きらしい。当人は油ののった中年で、その嗜好のギャップが何とも言えない。
 のったりと人を喰った様な喋り方をする。
「はあ、そうですね、行方不明事件ですか」
「何かご存知ではないかと思いまして」
 被害者であられるようですので、とは言わなかった。体裁を気にする人物であることは、数回授業を受けているので了承している。そうでないとしても、相手の身に降りかかった災難に無遠慮に踏み込むのも、宜しくないだろう。その災難の内容も正体不明なのだから、慎重に。
 サンプルの一名とは、この安藤夏之丞先生だった。しかし田村と違って、このようにいたって健常である。
 一体どうしたことだろう? 被害者の状況にはばらつきがあり、必ずしも現実で昏睡状態に陥るとは限らないらしい。暫定的に二件のサンプルだが。
 しかし意識があるのであれば、行方不明となった前後の状況を聞き出せる。
 そう思ったのだが。
「ここ最近、ネットでそのような事件が起きていたんですね。全く知りませんでしたよ」
 安藤先生の返答は、全く何の意味も持たなかった。
「怪しい噂や、妙な体験などなされませんでした?」
「心当たりはありません」
 妙にキッパリと言い放った。
 逆に何かあるのではないかと思ってしまうのだが。
「平滝夜叉丸君、あまりネットの情報に振り回されてはいけませんよ。あなたは生きた人間なんですからね」
 そんな事は判りきっている、つもりだ。生きているからこそ、出来る事があるのではないかと考え行動しているだけなのに。
 だけど虚構の事件なんて、やはり虚構でしか無いと言うのだろうか。
 ボロボロの書物と、金のベルを大切そうに抱き上げ、安藤先生は廃墟の教室から立ち去った。虚しい気分が湧き上がるだけの結果だった。いや、行方不明となっても、一応無事でいられる可能性もあるとの情報が得られたじゃないか。
 しかしこう、やはり行動が空回りしてしまうと、大変に虚しいものだ。
 次に行こう。次の人物は、何所にいるのか。住所は判っているのだが、人間というのは動き回る性質があり、得に十幾つの子供などは顕著である。住居の近くで戻るのを待つのも効率が悪いし。
 住所からしてこの学校に通っている可能性がある。その辺に居てくれたら楽なのだが。
 だがもう一つ問題があって、私はそのもう一人の顔姿を全く知らないのだ。ネット上の表示キャラクターと、登録名は判るが。
 <SIROBE>だ。本名はシロベ、では音読し辛いな。
「シロベエ?」
 何となく口に出して読んでみるた所、背後でガタッと何やら物音が聞こえた。
 それは返事なのか?
 振り返ると、教室の後ろの方の窓が少し開いていた。出入り用のロープのつり下がった窓だ。この教室は普通に扉から入れるが、下の教室が、このロープを使わないと入れないのだ。ちなみにここは四階だ。
 この窓は、入って来た時は開いていなかったと思う。
 訝しんで窓へ近付くと、小さい頭がひょこっと現れた。
「シロベエか?」
 ロープにぶら下がったまま、シロベエは何度も頷いた。

「安藤先生には、僕が言ったことを言わないで下さい」
 時友四郎兵衛と名乗った少年は、まずそう断った。年は十一歳、1-ハの連中よりも少しだけ背丈があり、大人に近い。ロープにぶら下がっていたのは、私と安藤先生が会話しているのを偶然に聞いてしまい、隠れていたのだという。
「何故だ?」
「あまり言いふらしてはいけないと、言われたので」
 なるほど、やはり安藤先生は何かを知っていながら隠している。目的はさっぱり判らないが。事件と関係があるのだろうか。もしかして、首謀者であるとか。
 飛躍している。
「了承した。安藤先生にはお前が私に話したことについては黙っておこう。して、もう一度確認するがお前は、先月の四日、ネットでの行方不明事件の当事者となったのだな?」
「多分」
 確信は無いといった感じで、頷いた。
「うむ、ではその際に何を体験した? できれば異変を感じる少し前から、話して欲しい。思い出せる範囲で構わない」
「全部覚えてます」
 子供の大きな目が、古い記憶を参照しに自らの脳を覗き込んだ。記憶を探り始めると、人の視線は眼球を潜り、頭蓋の内側へ引っ込んで行く。
 人の脳というのは非常によくできた記憶装置にして中央演算処理装置だ。情報の迷路を一瞬で攻略する。
「あの時、僕は安藤先生と一緒に行動していました」
「普段から先生とは親交があるのだな」
「はい。ご存知の通り先生はシステム制作者の内、一人です。今は故あって脱退したそうですが、僕らもシステム制作に関わっていたので、最近再会しました」
 仮想のシステムは膨大で、一人や二人で組み立てられるものではない。膨大な数のプログラマがチームを組み、あるチームは風景を、あるチームは音声をという形で担当する。もっと細かく言えば文字の表示から金銭のシステムまで、あらゆる要素を細分化して、その要素事に小規模なプログラムを組み、それらをひとかたまりに結びつけて構成する。
 制作者の中にも非常に簡単なマクロ(一定の手順を登録し、必要に応じて呼び出す機能)を組む末端のプログラマも居れば、システム全体を管理し、中枢を組み立てる重鎮もいる。
 安藤先生はどの地位にあったのか、本人の口からはっきりと聞いたことはない。それどころか先程のように、あまりネットの話をしようともしない。しかし、言葉の端々に出てくる過去の経歴を考えると、かなり上の方にあったのではないかと推測される。
 その安藤先生と関わりがあったということは、四郎兵衛もそれなりの大人物なのか?
 そうは見えんが。
「システム制作に関わっていた、とはどういうことだ?」
「AIの回路モデルをやったんです。そんな大変な作業でもなくて、数日間研究所に寝泊まりしてネットに接続したり、制作者と会話してアンケートを取られたりするんです。その時に話をした一人が、安藤先生でした」
「ふむ、中々興味深い話だな。どうしてその作業に関わる事になったのだ?」
「普通に街中で仕事の募集をしてました」
「AIがらみとなると、相当昔だな。終戦直後か」
「そうです。参加者はかなり多かったですよ」
 その募集というのは、私は見ていない。私の居た地区では募集がなかったのか?
 しかし、そのようにしてタカ丸さんを初めとした、妙に人間くさいAIが作られていたのか。そういえば1-ハも似た様な話をしていたし、話を聞いて何となく納得してしまう。
 だが行方不明事件との関連性は低そうだ。
「話を戻そう。安藤先生と、何所で何をしていたのだ?」
「最近新しくできた、ゲームセンター、知ってますか。”ラビリンス・ヒーロー”っていう名前の」
 あっと、脳裏に雷が煌めいた。
 思い出した。送信者不明の広告メール。タイトルでも本文中でもヒーローを連呼し不可解な内容で綴られた、ゲームへの誘いだ。

「安藤先生が探していたんです。それが資料的な価値があるとかで」
「それ、とは?」
「ゲームの舞台に、この辺りの古い地図が使われているらしいんです。戦前の、町並みを再現して。僕はその頃は、子供すぎて、それが本当に昔の風景と酷似しているのか、判らなかったんですけど。でも安藤先生がそう言うなら、そうなんだと思います」
「データを採取しに向かったという訳か。古いこの辺りの地図なんて、幾らでも残っているだろう」
「地図というか、すごく細かい情報まで保存されていたと言えば良いんでしょうか。この校舎みたいに壊れた建物の内部も、再現されていたらしいのです。それを誰が作ったのかは判りません。だからこそ、先生は採取に向かいました。僕はそのお伴です」
 精巧なる過去の再現か。道理が何所までも曲がっていく。誰か、過去をきちんと保存している人間が居る一方、それを喪失した人間も居る。
「ほんと言うと、安藤先生は一人でゲームセンターなんか入るのが恥ずかしかったんでしょうね。だから誰にも言うななんて」
 そうだろうか? 見栄を気にする人柄とはいえ、きちんとした目的あっての行動を恥じるような方ではない。まあ、これは私の主観、言うなれば私の脳内に発生したワイヤードゴースト<電子体幽霊>に過ぎないのだが。
「ゲーム自体は、迷路状のフィールドで一定の条件を満たせばクリア、というフィールド系では普通のルールです。先生と僕は差し当たって良く知っている地形に入る事にして、あそこのビルに似たフィールドを選択しました」
 四郎兵衛が窓の外を指差した。あのビルは、戦前は病院であった筈だ。今は倒壊こそしていないものの、外枠だけが残っているような状態の廃墟である。この地域は数度に渡って上空からの空爆を受けたらしく、倒壊している建物が多い。この学校も、半身は砕けてしまっている。
「あの病院は、安藤先生の同僚だった方が以前入院していたことが有ったそうです。僕も多分あそこで生まれました。歩いていると、何となく懐かしい様な気がしたんです。あ――歩いていると、っていうのは、ネット上での話です。実際に入ったことはありません。そんな事を考えていると、突然安藤先生が足を止めました。何だかびっくりしたみたいな顔をして。まるでお化けでも見たみたいに」
「前触れなどは、無かったのか?」
「ぜんぜん。でも、ルールを無視してたのが駄目だったのかな」
「ルールの詳細を……いや、それは後にしよう。安藤先生とお前は、何を見たのだ?」
「先生が何を見たのかは判らないんですけど、僕は何も見ませんでした。お化けとかそういうものは。ただ、先生と風景を交互に眺めていると、突然ログアウトしてしまったんです」
「強制ログアウト? 警告も無しにか」
「完全にシームレスでした」
 仮想と現実の境目が無く? 普通に考えて、それは無い。ログアウトには諸々のデータを保存する手間がかかるし、強制的に回線が切断されたからといっていきなり現実には戻れない。何しろ私たちはネット上で夢を見ているのだ。目に情報だけを映し、作り物の平面映像に支配される。現実に戻れば軸が増える。夢から目が覚める瞬間、闇が存在するだろう。それと同じだ、仮想と現実を調停する切れ目が、軸を一本増やすための違和感というものが、感覚に現れるのだ。
 逆に言えば、その違和感が存在しなければ、現実と仮想の区別がつかない。
「でもログアウトしたかと思うと、またログインしていて、でも数秒後にまたログアウトしてっていうのを繰り返してると、何度目かのログインで目の前いっぱいにエラーが走りました」
「内容は?」
「アカウントの重複、までは読めたんですが、そのエラーのためにすぐに強制ログアウトになってしまって」
「そのログアウトは普通のログアウトか?」
「そういう感覚ではありました」
「では?」
「その後、数日間ネットにアクセスできなくなっちゃったんです。安藤先生も、そうでした。サーバーの方のエラーかもしれないですけど」
 ふむ、なるほど。異常の正体とからくりはよく判らんが、一応状況は判った。ログインログアウトを繰り返すということは、回線のエラーか。行方不明者がどの地点でエラーを起こしているのかははっきりしないのだが、田村と四郎兵衛たちが同じゲームセンターにて異常に襲われているというのは、偶然と片付けてはいかんだろう。
 恐らく特定のゲームをプレイすると起きる、回線異常。ゲームシステムのバグでは無かろうか。しかし、これでは各々ユーザーのログにエラーやログアウトの痕跡が残らない事の説明が付かない。
 やはりゲーム自体を調査する必要がある。
「情報の提供を感謝しよう。それにしても何故この話を私に打ち明ける気になった? 口止めをされていたのだろう」
「おかしいなと思ってたんです。でももうネットには普通に繋げるようになったし、調べようと思っても、何となくあのゲームをまたプレイする気にもならなくて」
「代わりに私に調べさせようというわけか。ま、良い判断だ。優秀な私ならば程なくして吉報を届けることが出来よう」
「あ、あともう一つ」
「なんだ?」
 四郎兵衛は子供らしい大雑把な作りの目を瞬きさせ、言いづらそうに口篭もった。ちょっと気まずそうに、へへ、と誤魔化し笑いをしてから、
「安藤先生は何者なんでしょうか? 友達とそれを探ってるんです。もしもこの事件とかで、先生に関する情報が入ったら、教えて下さい」
「なんだ、そんなことか」
 なんだ、そんなことは?

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