ラビリンス・ヒーロー 003

02 彼のための視点の選択

 翌日、TAMURAが消えた。ネット上をいくら検索してもTAMURAの影が見あたらない。ログアウトが出来るようになったのか?
 私は半透明の検索ウィンドウを眺め、細かく連なる活字を何度も読み返した。等間隔に並ぶデジタル記号の中に、先日蕎麦を食べていた食堂の購入履歴は見つかった。ここ数日、昼夜問わずログインしていたTAMURAの足跡は残っている。だがTAMURA本人は見あたらない。そして、ログアウトしたという記録も、無い。
 ただし足跡の最後となる今日の朝、その記録に不審なノイズがある。強制終了の記録に似ているが、違う。
 まさか死んだのでは有るまいな。若干だが嫌な予感がした。
 ネットに接続したまま死んだ例は見たことがない。絶対に起こらない事象というわけでもないだろうが、現実側の死を仮想で過ごすという行為は、やはり誰であれ人間ならば不幸と思い、避けたい所だろうから。
 そうすると、TAMURAはどこに消えたのだろう? やはり何らかの方法でログアウトしたと考えるのが、一番筋が通る。
 TAMURAのアパートに行ってみるべきか、どうするべきか。しかし大事になっているワケでもないとしたら、そうやって面倒を見てやるのもバカバカしいし。
 私は検索用のウィンドウを閉じた。風景に重なり、二次元的に表現された半透明の青い四角が滑らかなアニメーションで消滅する。手元に蛇が残った。
 これは、一ヶ月ほど前の騒動で<孫兵>から借りていた<じゅんこ>だ。勿論騒動の後に返却したのだが、さっき道端で見つけた。
 毒蛇を摸した生体プログラムは単純思考のAIを搭載して、ノイズ掃除と不正行為への警告を仕事に持っている。実際の蛇よりは複雑な思考能力を持っているが、彼女(飼い主曰く、名前の通りメスである)が出来る仕事は人間様のそれよりもずっと軽い。空間調節、個々のユーザーが移動をする際にひょっとしたら現れるかもしれない僅かなノイズ、それを綺麗に食べてしまうこと。それと、不正行為を行うユーザーに対して毒を与えること。これはネットの中枢へのアクセス速度を低下させて、要するに動きを鈍くし、また本物のガードプログラムが発動した際のための目印を着ける。1-ハプログラム防衛戦でもこの二つの能力は役に立った。
 しかし本来は<孫兵>の管理下にあるプログラムだ。単体で目的もなく移動されては迷惑だ。何故ならじゅんこは僅かなノイズや不正にも無差別に襲いかかるために、ほんの偶然、悪意無くノイズを発生させてしまった善良な市民にも被害が出る可能性がある。飼い主<孫兵>の使役でもって動いていない場合は危険すぎる。
 <孫兵>はこういった自走生体プログラムを作成・管理しているAIである。これも個性的でつかみ所の無い性質をしている。もしかしたら、AIを装った人間なのではないかと疑われるぐらいに。
 何故じゅんこが一匹で彷徨いていたのかは知らないが、飼い主の元に連れて行ってやるのが親切というものだろう。TAMURAの事が気に掛かったが、死んではないだろうし、じゅんこを渡すのもそう手間ではないはずだ。
 私は連絡用のウィンドウを開き、登録してあった孫兵のアドレスを選択した。無線会話。メールより手軽な、電話のようなものだ。
「もしもし!? あいつらが逃げ出してしまったんです! 後にして下さい!」
 しかしあまり得意な相手ではない。人の話を聞かないからだ。

 回線が切れた。もう一度掛け直すと、私の目の前に「ただ今、手が離せません」と黄色い警告文字が出た。
 見捨てられてしまったらしい、じゅんこ。
 じゅんこは何も言わないが、逃げ出してしまったからには何か深い訳が有るに違いない。手厚い庇護から逃げ出したくなるその気持ち、判らんでもない。じゅんこの精神が私の想像通りであるかどうかは定かではないが。
 孫兵が飼っている生体プログラムを逃がしてしまうことは、そう珍しくはない。半端に自走可能なAIが付いているのだから、孫兵一人では全て管理しきれないのだ。それは二、三年前から判っていたことで、システム管理側が新たに孫兵と同じような役割を持つAIを開発しないのは、職務怠慢としか言い様がない。
 いや、もしかしたら孫兵の類似AIは他に存在するのかもしれない。ネットは広すぎて、私が見聞き出来るのはほんの一部だ。リアルでの行動範囲と同じ様に。
 じゅんこが鳴いた。実際の蛇は声帯を持たないので、鳴くことはない。但し口を開けてシューシューと呼吸の音を鳴らすことは出来る。じゅんこはその呼吸音を真似た。
 わたしどうしたら良いの、と訊ねられた気がした。
 どうしたものか。ここはネット上の街中。商店が途切れ、人通りの少ない路地の隅だ。こんな危険な生物を放り出すわけにはいかない。かといって、捕らえておくのも難しい。じゅんこはシステム権限を持っているため、大抵の壁は穴を開けて突き進んでしまう。地面へ潜ることも出来る。
 何でこんな強力な存在を野放しにするのだ。
 流石に途方に暮れていると、ふっと思い出す存在があった。1-ハだ。彼らもシステムAIだった。同じシステムプログラム同士、何とか扱えるかもしれない。扱えないにしても、ログアウトすることがない――ログアウトすることができない――彼らなら、見張り続けるのも不可能ではないだろう。さしあたって孫兵が人の話を聞く状態になるまで。
 私はもう一度通信項目を選択し、登録してあった1-ハのメインプログラム、01ランタロウを呼び出した。ちなみにこれは正規のアドレスではない。彼らは警備プログラムであるため、通常はユーザーと自由に連絡を取ることは出来ない。私は以前の騒ぎの後に、彼らとの連絡系統をわざわざ作成した。見た目は普通のユーザー間の連絡に見えるが、当然中身は不正プログラムである。不正を取り締まる立場である彼らにとっては、非常に微妙なラインらしい。しかし、これが無いと、この広い世界の中で二度と会えない可能性だってある。それもまた微妙な話。
 01ランタロウは周り中騒音だらけの場所から通信を返した。
「どうかしましたかあ」
 背後で聴こえるのは、人の声だ。騒がしすぎてランタロウの声すら聞き取りにくい。所々で聞き覚えのある、ヘイダユウやキンゴらしき声が聞こえるということは、1-ハ全員が集まって騒いでいるのか。
「ひとつ頼みたいことがあってな」
「今ですか? ちょっと忙しいので」
「何をやっているのだ」
「人捜しです」
 警備プログラムが人捜し? 何やら穏やかではない。

「また何か面倒が起きているのか」
「面倒への対処が仕事ですからねぇ」
「良ければ手伝ってやろうではないか」
 と思わず親切心から口を吐いて出てしまったが、よく考えればそれどころではなかった。私の手には毒蛇のじゅんこがしなやかに巻き付き、TAMURAは行方不明だ。一つずつ対処していかなければ。
「うーん」ランタロウが何やら唸った。
 かと思うと通信回線の背後で賑やかに子供達が騒ぎ出す。
「手伝ってもらった方がいいと思う」
「そうかなあ。よけいめんどくさい事になりそうだけど」
「猫の手も借りたい、って言葉もあるじゃない」
「でもさ、めんどくさい人にめんどくさい事をお願いしてどうすんだよ」
「おい!」
 口々に勝手なことを言う。最後のは誰だ? ヘイダユウの声に聞こえたような。
「私の手にかかればどんな面倒毎も即刻解決だ! その事は以前の騒動で身に染みて判っているだろう」
「あれはTAKIさんだけの手柄じゃないし」
「ちょぉっと待て。言ったな。ダンゾウか? サンジロウか? そこまで言うなら見せてやろうじゃないか。こぉの私の神憑り的な手腕を」
 そう私が言いかけたところで、
「よし!」と皆の騒ぎを遮った者がいた。ショウザエモンだ。
「人手は多い方が良いので、手伝って頂けるならばお願いしようと思う」
 懸命な判断だ。難解な事件ならば、私の手助け無しに解決しようという方が無謀というもの。それをこいつらは良く良く理解できていない。
「で、事件の詳細は?」
 この頃の私はランタロウ達と行動を共にする事を、一種の特権のように思っていた節がある。薄っぺらいN-1次元の、裏側を捲る優越感?
 そんなものではない。世界の不正を正す彼ら、警備プログラムの行為は一般市民に出来ない正義。それも世界を守る、とびっきりの正義だ。
 正義だった。ネットの上だけが、たった一つの世界ならば。
 正義になりたかった。誰だって、そう、男なら正義のヒーローに憧れる。得に幼い間は。
「ここ最近、行方不明者が続出してるんです」
「ほお」
 ランタロウの解説は、聞き捨てならない一節から始まった。

「行方不明になるっているのは僕らAIとユーザー両方です。AIはシステム権限の少ないキャラクタが主に消失しています。システム権限が少ないって言うのはですね」
「うむ、お前等のように重要な役目を追ったAIは無事なのだな」
「そうです。いなくなっちゃうのは、ショップの店員以下、普通に生活しているAIで……えーっと、TAKIさんが知ってそうな人は」
「ひょっとしてリストか何かが有るのか? 有るならメールで送ってくれ。その方が早い」
「判りました。でも完全じゃないので、気をつけてください」
「完全ではないとは?」
 幼い見た目の頼りなさの割に、ランタロウたちの行動は存外早い。話している間にメールが届いた。添付ファイルに膨大なサイズのテキスト、眼前のウィンドウに開いてみると、文字の多さに目が痛くなった。
「実は適当に突然消えた人をリストにしただけなので、事件とは関係ない人がいるかもしれないです」
「ふむふむ」
 馬鹿正直に目を通す必要は感じない。さしあたって、知った人間がいないかどうか検索をかける。連絡用のアドレス登録、それと警戒用のリスト――これは非公式で非公開の小さなプログラム、主に過去にトラブルを起こした人間等が登録してある――を引用して、テキストの内容を検索する。
 結果・ゼロ。これほどの行方不明者が存在するのに、知った人間が一人もいないのも逆に不安だ。
「これってほんとに信用出来るの?」
「うーん、どうでしょう。ほんとに適当に作ったリストなので」
「兵助さんは入ってないんだね」
「何をやっているのだ、お前は。勝手に割り込むな」
 気がつくと、AYABEが横からリストを覗き込んでいた。何時現れた? 相も変わらず神出鬼没。
「兵助さんは行方不明になってませんよ」
「でもこの間から連絡とれないんだけど」
「何か事情があるんじゃないですか」
「どういう基準?」
「それは私も聞こうと思っていた。このリスト、適当にと言ったがどのようにピックアップしてあるのだ?」
「ええとそれは……有耶無耶ーとなっていそうなのをがーっと集めてあります」
「意味が判らん」
「僕が説明します」ショウザエモンが代わって出てきた。「さっきランタロウが言ったように、行方不明になるってるのはユーザーとAI両方なんです。AIの方は突然消息が途切れるのでわかりやすいのですが、ユーザーは足跡が消えても単にログアウトしたってだけの場合が殆どです。というか通常がそうですね。しかし今回の行方不明事件は、ログアウト無しに足跡が無くなります」
 ネット上での行動には全てログ――つまり足跡が取られるのは周知の事実だが、それが消えるとはどのような状況だ。ログアウトして当人がネットから消失するのならば、足跡が無くなるのも当然だが。
 ログは行動の度に発生する、ということは。
「動かなくなるのか」
「その通りです。なので、僕らは長期間に渡ってログが更新されないユーザーを検索してリストに加えました」
「ふむ。ということは、行方不明になったのが近日中の者は載っていないのだな」
「そうなりますね」
「じゃあ何で兵助さんは載ってないんだ」
「いや、兵助さんは行方不明になってないので」
「ログがあるの?」
「それは兵助さんが許可しない限り非公開ですよ。でもホントに行方不明にはなってませんから」
「最近会った?」
「会ってません」
「ログ見た?」
「だから、非公開だから僕らも見てませんって。事件があるなら見ますけど」
「なんで事件じゃないって判る?」
「いや、だからあ」
「止めろAYABE、ショウザエモンが呆れている」
「だっておかしいじゃないか。さっきから、ログを検索したって言ってるのに、こいつらは特定の人物に関しては検索をスルーしている」
「別にログを一つ一つ見て検索してるわけじゃないです。がーっと、検索用のシステムに掛けただけです。詳細はさっき言ったように事件が無いと見られませんから」
「胡散臭いシステムだな」
「1-ハもお前には言われたくないだろうよ。それより、気になることが二、三あるのだが」
「何でしょう」
「リストに最終ログの日付を付け加えてくれ」
「あ、はい」
 二秒後に、更に重量の増えたファイルが送信されてきた。ユーザー名の後ろに日付を表す数字が脈を打っている。揺らいで見えるのは、テキスト量があまりにも多いので表示形式が軽くバグを起こしているためだ。
「この辺り、おかしいな」
 名前を日付順に並べ替ると、尚更異常が判る。
「どれ?」
「どれですか?」
「よく見ろ、最古の行方不明者は五年も前だ。この辺りは、既に死んでいるのではないか?」
 本当に1-ハは真面目に調べたつもりなのだろうか。

「五年前って、ネットサービス再開直後だね」
 風の噂で知ったのを覚えている。終戦直前に終に途切れた、コンピューター同士を繋ぐネットワークサービス。戦後の私たちは生きる後ろ盾全てを失い、そんなネットだの何だのと言う前に死なないために必死だった時代だのに、サービスは混乱の中で異常に素早く復旧した。再開当初の利用者は開発者の身内ばかりだったに違いない。
 仮にこの時点で行方不明になっていたとしたら、そして行方不明の症例があいつと同じだとすると、生きているはずがない。
「多分、その辺りは事件とは無関係だと思います。過去のシステムがどれほど信用出来るものだったかが疑問ですから、単なるバグのログだと考えるのが妥当です」
「成る程」
 しかしリストを見ると、有る程度のランダム性は有るものの、行方不明者は一定の間隔で発生している。これは普通なのだろうか。ログが発生しなくなる、つまり動かなくなるということ。
 全身の最低限の動作で行動が取れるネット上に置いて、動かなくなるということは。
 思考が停止する。
「行方不明者が続出しているのは、ここ一ヶ月ぐらいです」
 ショウザエモンの指摘通り、リストの数字は一ヶ月程前のある日から次第に増加している傾向が見られる。秋の入り口辺りだが、得にこの前後の日で思い当たる事件は無い。
「最終ログの地点の傾向は?」
「ええと、それは調べてません」
「はああああ?」
 AYABEが大きなため息、のような抗議と疑問の声を上げた。
「そういうのが調査に重要じゃないの」
「だって僕らはログ自体は見れないんですよ。さっき言ったじゃないですか」
「じゃ、どうやって調べてたのさ」
「それはですねえ」
「エラーを洗っていたのだな?」
「よく判りましたね」
「この滝夜叉丸がわからいでか」
 1-ハは不正対策の警備プログラムだということは先刻承知。彼らには不正を間違いなく検出する能力がメインで備わっているのだ。ならばそれを使用して調査していると、少し考えれば判る。
「はいはい。で、エラーを探すってのは、どうやって? 不正検出って、確か一定以上近付かないと駄目だよね」
「その辺は不便な仕様です。だからそれはもう、あちこち出歩いてます」
「それで被害者の最終ログ地点は無いって言うの」
「雲を掴むような話だな」
「まあ、十一人いるので、何とか……」
 とは言えども、世界は広い。空間はマイナス一次元の為にゼロの逆説的無限、人口はAIという存在のために実際生きている人間の数よりも間違いなく多い。ひょっとすると実際に私たちが暮らしている現実よりも、この空想は広いのかも知れぬ。そんな荒野を歩き回って探すなんて、はっきり言って意味があるのかどうか。まったく関係ない不正に遭遇する方がずっと多いだろう。運試しでもしているつもりか?
「そういうわけで、TAKIさんにも何か怪しい事件が無いかどうか、探し歩いてもらいたいと思いまして。あ、AYABEさんも宜しければ」
「いやだ」
 AYABEが即答した。
「だってその事件は僕とは無関係じゃないか」
「リストに知り合いいませんでした?」
「ゼロ。いそうだから来たんだけど」
「兵助さんですか。単に忙しいだけだと思いますよ」
「ふん」とAYABEは鼻を鳴らし、ふらっと何処かに行ってしまった。いそうだから、と言ったが、どこでこの事件を嗅ぎつけてきたのか。やつはまだ捜し物を続けているらしい。
「で、TAKIさん」
 回線の向こうで、1-ハの妙に純粋な瞳が期待を込めてこっちを見ているような気がした。しかし、こいつらのやり方に付き合うと時間が掛かるだけだ。
「私も御免被る」
「えーっ」
 一斉にブーイング。続いて、「だから言っただろー」とか、「いざという時に限ってこの役立たず」とか勝手気ままな罵詈雑言が聞こえた。
 聞こえてるってのに、こいつらは!

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