ラビリンス・ヒーロー 002

件名:★☆君のヒーローは誰だ?☆★
送信者:

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     ★☆君のヒーローは誰だ?☆★
      古い時代に失ってしまった、
「あこがれ」はどこに眠ってしまったのだろう・・

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 見る価値もない、不特定多数への一斉送信による宣伝だった。どこかの業者が作ったゲームを必死で宣伝したいらしいが、こういうのが功を奏するとは全く考えられない。こんな宣伝、内容薄くバカバカしい印象しか受けないのだが、太古の昔からこの手の方法はどうしてか生きのびている。
 私は条件反射的に削除の操作を行っていた。読む必要性も感じないので、メールボックスから欠片のゴミも残さず消してしまう。
 データがざっと流れるように目に映り、全て何所かへ失せてしまってから、私はこのメールの幾つかの異常に気がついた。
 生温い風を顔に受けたような、不快な恐怖。
 送信者不明のメールに私の数字。
 送信元など表面的には幾らでも操作できる。だが実際には、出所の全く不明な物など存在しない。メール然り。表面的に削除しようと、微かにでも記録は残ろうというもの。だのに、消えていくデータの隅に見たのは全く痕跡無しの、空の送信者だった。
 そして、その空ろな相手が指定した「私」のID。「TAKI」に続く8桁の数字は、下二桁は私の年齢。
 前の6桁は、私個人しか知り得ない、忘れもしない「記録の日」の日付だった。
 見間違いだろうか? 再び確認しようにも、完全に消してしまったデータは、僅かな塵も残していない。
 ただ私の脳の記録だけが残っている。
 記憶の不確定さ――TAMURAの症例を思い出し、絶望的な気分になった。

 アクセス先のアドレスも覚えていない、自らの失態に頭が痛い。ありもしない記憶を探るのは、太陽を裸眼で覗き込むようなものだ。空白は眩しい。
 私はいい加減諦めて、目の前の食事に手を伸ばした。
 椀の中に薄い色の吸い物。実は昨日拾ってきた銀杏と安くで売っていた冬瓜。季節はずれの為、痩せた実だがそれでも三日は食いつなぐ。
 椀は埃の溜まった薄汚い机の上に載っている。空いた部屋を掃除する者がいないのだ。窓から涼しい風が吹き曝す。私はその向こうに瓦礫を見下ろす。また風が吹く。あっという間に寒い季節になる。
 椀から本物の湯気が上がっている。愛用の箸で瓜をつつく。熱さが内臓を刺激する。
「ちょっと危なかったけど、よかっただろ?」
 窓の側に立っていた七松先輩が笑いながら言った。
「ちょっとどころじゃあ、ありませんでしたけどね」
 塩味の湯をぐっと飲み込んだ。七松先輩は既に空にした椀を、まだ僅かに燻る焚き火の上に伏せた。
 室内である。私の住居最寄りの学校の、4階一番奥の教室である。下では幾らかの少年少女達が勉学に励んでいる。一歩間違えば大惨事だ。勿論、火災に強い建造物だったからこそ、嘗ての混乱の中で周囲の建物のように瓦礫に変貌せずにすんだのだが。
「冷えた弁当のために校舎内で焚き火する人間など、聞いたことがありませんよ」
「大丈夫だ、大丈夫だったんだから」
「なんですかそれ。理論にもなってないじゃないですか」
 すると七松先輩は豪快に笑って返答した。
「火って何なんだろうな?」
 そしてまた突拍子もない。どうもこの人は年上であるにも関わらず、私よりもよっぽど幼く、良く言えば無邪気であるように思える。
「火とは、物質の燃焼によって発生する現象で、化学反応の一つです。燃焼は一般的に発熱と発光を伴う激しい化学反応のことです。つまり燃焼によって解放されたエネルギーのために、物体が発熱・発光するわけです」
「それは知ってるけどさ、結局火って有るのか無いのかわかんないじゃん」
「はあ?」
「だから、燃えている物は存在するけど、火そのものは有るのか無いのかわかんない」
「現象は物質ではないですよ」
「でも、さっきお前がずっと見てたのは発熱とか発光とかをしてる物じゃなくて、火そのものだったろ」
 観念的な話だ。しかし、
「そんなに見てましたか?」
 焚き火を。逃げ場の少ない煙が天井に溜まる様を。パチパチと音を立てて崩れていく枯れ木を。中心の眩しい空白を。
「見てたな。考え事か? 考え事するには、いいよな。じっと覘いてると、他のことが消えてく」
 窓の向こうで太陽が燃えていた。それを背に、黒く翳る七松先輩は、そういえば太陽に似ている。

 あこがれ、か。そういう物はずっと昔、幼い頃に持っていた。
「授業出るのか?」
「出ます。先生が面白い話をしていたので」
 廃墟の学校には定まった授業形態があるわけではなく、単に知識と余裕を持った大人が子供達を集めて何かしら為になる話をしている、というだけである。戦争が終わる前まではそうではなかった。集団を先導する者がいたからこその争いなのだ。社会構造が崩れたのは、戦後の混乱のためだ。
 私が話を聞こうと思っていた教師は、だいたいいつも昼から出てくる。それまで寝ているらしい。戦前からの財産だかが有るらしく、あくせく働く必要がないようだ。生徒を育成する以外に、浪費する予定も無いと言っていたし。
「そんなに勉強して、何になりたいんだ?」
「将来ですか」
 大人になってから。勉強するのは、先の食い扶持に繋がるためだ。
「やりたいことが無いなら勉強なんて出来ないだろ」
 確かにその通りだった。とは言え、明日明後日以上の未来を未だ明確に考えたことなど無い。では私の知識欲は何のためなのだろう。非の打ち所の無い、素晴らしい人間になりたい。今ですらそうだが、これから勉学に励むことで更にいっそう素晴らしい存在と成れるに違いない。
「まあ、まだ判んないよなあ。十四になったばっかりだしな」
「まだ十三です」
「そうだっけ」
 階下で鐘を打ち鳴らす音が聞こえた。数人の教師が、授業を始めるという意志を示す際に使っているのだ。それぞれ微妙に違う音を選んでおり、聞き慣れれば、誰が鳴らしているのか判るようになる。
「先輩はどうするんですか?」
「何が」
「授業ですよ」
「出ない、な。みんなの顔を見に来ただけだ。もう帰る」
 また鐘が鳴った。あれは野村先生の鐘だ。
「じゃあな、勉強がんばれよ!」
 そう言うと、七松先輩は控えめに開いていた窓を勢いよく開いた。秋風が流れ込む。焚き火の煙が撹拌され、室内が白く煙った。
 煙で咽がつんと痛む。
「先輩、先輩は」
「ん?」
 七松先輩は窓に掛けていた縄梯子を伝って、地面へ降りていこうとしていた。所々の階段が崩壊したこの建物は、まっとうな方法で目的の場所へ向かうことが出来ない。まるで迷路のように。
「なりたいもの、無いんですか」
「なりたいものか」縄に捕まったまま答えた。「ないな。考えたこともない。それこそ、人殺ししてた頃からな」

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