からくり侍 四
しんべヱが片足を地面に降ろすと、地鳴りが響いた。同時に小石や砂粒が乱太郎へと襲いかかる。地面を剔り、吹き飛ばす。それほどしんべヱの脚力は凄まじい。
乱太郎が道の真ん中で思わず足を止めると、しんべヱは引いていた車をそのまま両手で高々と持ち上げ、天に向かって突き出した。
「荷が欲しくば、どうぞ奪って下さいな」
挑発だ。しかしそれでも乱太郎は奪わなければならない。しんべヱが車を掲げたまま、器用に走り出す。両手を天に向けた不格好な状態で、どすんどすんと地響きを鳴らす。それでもごく普通の足軽が鎧を付けて走り回るのと変わらないような速度なのだから、かなり早い。
しかし乱太郎の足と比べると、兎と亀。
街道を逃げるしんべヱ、追う乱太郎。瞬く間に差は詰められ、乱太郎がしんべヱの掲げる荷物へと飛びかかった。しかし、
「はぁっ」
しんべヱの気合い一閃、掲げた車をまるで巨大な棍棒の如く振り回し、飛びかかった乱太郎をたたき落とした。体の軽い乱太郎は木っ端のように、道の彼方へ弾き飛ばされる。
同時に木製の車もひとたまりもなく解体したかに見えた。しかし木片の砕けて剥がれた下から現れたのは、取っ手の付いた鉄製の四角い箱である。取っ手部分はそのまま車の引き手であったが、箱は元の荷から比べて随分と小さく、やっと人一人が潜り込めるかという大きさである。
車が小さくなったは良いが、中身が無い。荷の殆どはきり丸と彼が使用していた罠の部品であったため、それらが消えているのも当然だが、お倉人形はどうしたのだろう。
「人形は、その中か」
全身を打たれた乱太郎がやっと立ち上がった。
「そう。これは運搬用の鉄箱に取っ手を付けただけの得物」
「しかし、鬼に金棒、だね」
「鬼はひどいなぁ」
のんびりとしたしんべヱの物言いに、乱太郎が吹き出した。
「いや、鬼に等しい力持ちってこと」
「鬼って程じゃないよ。しかし乱太郎には、今のきつかったかな」
「なんの」
乱太郎が地に足を踏ん張る。確かに強烈な一撃だったが、気を張っていれば動けない程の痛みでもない。仕事を背負っている身なのだから、そう簡単に倒れるわけにはいかないのである。
「お倉人形は僕に任せてくれ」
「ううん、兵太夫にそれは駄目って言われてるからさ。乱太郎は止めそうだからって」
「止める? お倉人形の何を」
「さあ、それは僕は知らんね。忍者は細かい話を聞かないもんだから」
「それもそうか。こんなことなら、兵太夫に詳しく聞いておくべきだったな」
「まあ細かい事情はさて置き、どうする? これはいるの、いらないの」
「いる」
とはいえ、近付けば先程の様に弾き飛ばされる。
しんべヱが乱太郎に背を向け、再び走り出した。もう戦場まで程近い。乱太郎は何とかして人形を自らの手で運ばねばならなかった。
ついこの間、詫び状を届けに来た乱太郎に対し、兵太夫が言い放った言葉を思い出した。
「それならば、廃品という事だね」
びっくりするほど冷酷な言い方だった。彼にしてみればからくりは手塩に掛けて育てた我が子同然、真っ当に作動して壊れるので無いのが不満と見える。
尤も、真っ当と言っても、その道理は兵太夫の頭の中にだけ存在する道理だ。
「お代を頂いているのだから最早何を言う権利も無いだろうが、廃品となれば同時にあの男はお倉に対して手出しできぬということになるぞ」
「いや、だから廃品ではなくて」
「同じ事さ。からくりには整備士が必要不可欠だ。その僕が不要と言うのだから、からくりは塵も同然の役立たずになることを許可している」
「極端だね。単純に、壊れるがままに、という話さ」
「時に乱太郎、あの武士は戦に出かけるという噂だね」急に話を変えた。
「ん? ああ、村の者には既に噂が広がっているみたいだな」乱太郎の雇い主は付近の農村一帯を統治する豪農兼武士である。
「男が不在の間、女は寂しくないだろうかね」
変に神妙な口ぶりであった。乱太郎には何のことか判らない。男が彼の雇い主、女はあの人形の事かと推測は出来るものの、人形が寂しがるという表現が一向に理解出来なかったのだ。
今思うと、単に「主人が留守の間に盗みに入るぞ」という予告であったのだ。
当の兵太夫はもう少し考えて不可解な表現をしたのだが、それにしても兵太夫のからくりに関する感情を乱太郎に理解出来るはずもない。
彼に出来るのは、ひとまず当面の仕事にひたむきに取り組むことぐらいだった。
しんべヱの背中に即かず離れず、山道を走る。あまり近付くと先程の様に弾き飛ばされるのではないかと、ちょっとした恐怖を感じていた。幾ら鍛えているつもりでも、あのような鉄の塊で打ち据えられてはひとたまりもない。
いや、ひとたまりもなかった所を無理して立ち上がったのだから、今度こそふたたまりもないのである。
正面切って飛びかかっても、奪いたいのが相手の武器では分が悪い。手元目掛けて手裏剣を幾つか打ってみたが、まるまる太ったしんべヱと言えど、その腕から手にかけては標的としてはあまり大きくない上に、走るにあわせてあちこちと動く。一定に動くのではなく、でたらめに振り回されているのだから狙う方も面倒だ。勿論、その動きは乱太郎の手裏剣打ちに対しての対策である。
また、走るのも緩急を付けるのだから飛び道具で狙おうとしても上手くいかない。同じ忍術流派の門を叩いた仲なのだから、お互いの術に対して、対処法を身に着けているのも全く道理である。こうなると、追う方が不利だ。
やがて戦場の喧噪が耳に届いた。夏の陽炎揺らめく道々に、男達の悲鳴と歓喜の交じった叫び声が、幻のように頭に揺らいだ。暑さで滲んだ景色の向こうには、砂煙が舞い踊っている様が見えた。
「もう、辿り着いてしまうな」
しんべヱがぽつり。
乱太郎はしんべヱの掲げる鉄箱を睨む。取っ手の部分は突貫工事で溶接したらしく、継ぎ目が歪に盛り上がっている。しんべヱの馬鹿力で岩や地面などに何度か打ち付ければ、壊れるかも知れない。
しかし岩にぶつけるといっても、しんべヱが自発的にそのようなことをする訳がない。当然、乱太郎がそうし向けなければならない。
失敗したなら、先程のように乱太郎自身が打ち付けられることになる。だが既に配達の目的地は間近となり、他に方法も考えつかない。
こうなれば仕様がない。乱太郎は意を決して、しんべヱに向かって突進した。
「そうりゃっ」
かけ声とともに、しんべヱが金棍棒を振り下ろした。
馬鹿力に加えて、鉄箱の重量もある。轟と風を起こしながら、ちょうど向かってくる乱太郎の脳天に照準を合わせた、強烈な一撃が落ちてくる。
それを、乱太郎は既の所で足を止めることによりかわした。鼻の先に金棍棒が僅かに擦る。
地面に打ち付けられた鉄箱は、があん、と音を立てた。中身が空洞であることを示す音色だ。
しかしそれでしんべヱの攻撃が止まるわけではない。
手応えの無さを悟るや否や、今度は棍棒を突き出してきた。これは乱太郎の予測通りであった。真上に軽く飛び上がった乱太郎は、突き出された棍棒の先端に飛び乗り、しがみついた。
「あれ?」
不意を突く行動に呆気にとられたしんべヱが、思わず動きを止めた。
しんべヱの掲げる鉄箱の上に乗った乱太郎は、箱と棍棒の溶接部分に一瞬だけ目をやった。目論み通り、脆くなってきている様である。あと少しで壊れるかもしれない。
その次に箱の縁にさっと目をやったのだが、不思議なことに箱には継ぎ目が一つもない。兵太夫の作品なのだから、見えないように細工してあるのだろうが、これでは箱を切りはなしたとしても中身を取り出すことが出来ない。そもそも、本当に中身が入っているのかどうか。
「これ、どうやって開けるの?」思わず口を吐いて疑問が出た。
「さあ。取り合えず戦場まで運んでくれとしか言われてないもんだから、よっと」
答えながら、しんべヱは棍棒を持ち上げた。勿論、箱に取り付いている乱太郎共々である。
「早く降りておくれ」
と、金棍棒をやたらに振り回し始めた。
しかし乱太郎も必死に箱にしがみつく。あと一撃、二撃で継ぎ目が壊れそうなのだ。このまましがみついて、しんべヱが棍棒を振り下ろすのを待つ算段だった。
「どうだ、どうだ?」
しんべヱのかけ声は呑気だが、その動きは呑気などというものではない。やはり棍棒は轟音を立てて風を切り、上下左右と宙を暴れ回る。しがみつく乱太郎は必死だ。継ぎ目の無いただの四角い箱だから、掴む取っ掛かりも無い。それを指の力だけでなんとか張り付いている。
「中々しぶとい。では、こうしよう」
乱太郎を掲げたまま、走り出した。乱太郎もついでに戦場へ送り届けるつもりだ。
さしあたって箱の中身を運搬することだけが仕事なのだから、付属品で乱太郎が着いてきても、しんべヱとしては別段困りはしない。
しかし運ばれる乱太郎にはたまらない。このまま雇い主の元に戻ったとしても、届けるはずのお倉人形を乱太郎は持っていないのだから。この箱の中に本当に人形が入っているのかどうか判らないし、無事でいるかどうかも定かではないのだ。
何とかこの箱を奪って、中身を改める必要がある。乱太郎は箱にしがみついたまま、棒と箱の溶接部分を狙って、力一杯蹴りつけた。
だが、しんべヱが依然として棍棒を振り回し続けているために、上手く行かない。狙ったつもりでも、振り回された遠心力で、足は空中を切るばかりだ。
それでも何回も続けていれば、しんべヱを苛立たせるぐらいの意味はあった。
やがて道は戦場を眼下に拝む、切り立った崖に繋がった。森が途切れ、周り中に岩が剥き出しで転がっている。
「丁度良い。やっぱり、降りてくれ」
そして崖の下から、阿鼻叫喚の怒号と血混じりの土煙が駆け上ってくる。当に戦場の目と鼻の先だった。
しんべヱが振り上げた金棍棒を、手近な一枚岩に向かって打ち付ける。
衝突する前に、乱太郎は素早い身のこなしで金棒から飛び逃げた。
再び、があん、と大音量で響いた。先程地面に打ち付けられた時とは、音色が違う。
終に、乱太郎の狙い通り、継ぎ目が折れたのだ。
打ち付けられた反動で、四角い鉄箱が宙を撥ねる。地面に飛び降りた乱太郎の真上で、ちょうど箱と太陽が重なった時、どういう仕掛けか定かではないが、鉄箱が何の前触れもなく細かく砕けた。乱太郎に降り注ぐ破片の全てが、等しい大きさと形の鉄片だ。
そしてその砕け散る破片の中心から、髪の長い女が飛び出してきた。
彼女は眩しい夏の太陽を背に受け、重さの無い羽の如く空を渡り、乱太郎の頭上を通り過ぎ、崖の縁に降り立った。
その細面の横顔が、眼下に臨む戦場の暑苦しさと不釣り合いに美しい。白く滑らかな肌に濡れたような黒い髪が落ちている。真っ赤な唇の隙間からは見事なお歯黒が覗く。
人形は、まるで人間のように瞬きをしてみせた。まるで呼吸を行うかのように、鼻孔が僅かに膨らむのさえも見て取れた。
そのあまりの美しさと、同時に発生する異様さに、乱太郎はしばし任務を忘れて見とれていた。しんべヱも同じく、兵太夫から渡された箱から飛び出した彼女が、本当に兵太夫の言う通りの人形であったろうか、と呆気にとられていた。
そして人形は徐に、細かな赤い花の模様の入った小袖を振り振り、周囲を見回した。
目には白と黒に塗られた玉がはめ込まれている。その目玉さえも滑らかに動き、確かに乱太郎としんべヱを、ちらりちらりと目に留めた。
しかし人形お倉の探しているものは彼らではない。空を仰ぎ地に目を伏せ、崖の下へ視線を戻した時、彼女は戦場の真中に探し求めた相手を見つけ出した。
何の躊躇いも見せず、彼女の足は崖の肌をなぞって滑り始めた。
金糸の編み込まれた細帯が乱太郎の目に残像を残す。なびく黒い髪が崖の下に消えそうになった時、乱太郎は慌ててそれを追い始めた。
崖に突き出した岩や樹木を器用に避けながら、人形は壁を落ちる。追う乱太郎はこのような道は慣れたものだったが、機械的に判断するからくりと満身創痍の乱太郎では速度が違う。何とか同じ感覚を保つのが精一杯だった。
一体どのようなからくりで動いているのか、兵太夫のからくりの精巧さは幼い頃から目の当たりにしているが、それでもこの摩訶不思議な人形に乱太郎は驚きを隠せない。雇い主の屋敷に設置してあった人形とは様変わりしている。素早い動きはともかく、見た目の作りというのは、恐らくお倉という彼の妻によりいっそう似せて兵太夫が改造を加えたものだろう。しかしこれを雇い主の前に差し出すのが正しいことなのか悪いことなのか、判らない。
加えて、彼の人形が何を目的に走っているのか全く想像もできず、追ってはいるものの、自分の目的さえもどこに向かっているのか、判別がつかなくなってきていた。
訳の判らぬまま、ともかく捕獲しなくては、と焦燥に駆られて彼女の背中を追う。
戦場に降り立った彼女は、周囲の地獄絵図など目にも入らない様子で、男共の間を縫って駆けて行く。後ろを走る乱太郎にはその表情を知ることは出来ないが、彼女は決死の覚悟で臨んでいるかの如く、眉間に皺を寄せていた。喘ぐ様な唇からは今にも女の悲痛な嘆きが聞こえてきそうだった。
だが人形に声はない。元のお倉には当然声が有ったが、兵太夫が原型のお倉と対面した時には、彼女は既に声の出ない状態となっていたがために、兵太夫は彼女の声の原型を得られず、人形は彼女と同じ声を持つことが出来なかった。
美しい夫人と、鎧を着けない青年が、終盤にさしかかった戦場を走り抜ける。死体を飛び越え、打ち鳴らす刃の隙間をくぐり、流れ弾を頬に掠め、それでも彼らは足を緩めない。
異様で、壮絶な光景だった。