からくり侍 五

 やがて女の視線の先に、夫の姿が現れた。
 乱太郎の雇い主の陣中は、既に乱戦模様となっていた。敵味方が入り乱れ斬り合っている所に、お倉人形と忍である乱太郎が真っ直ぐに飛び込む。明らかに異様な存在の乱入であるのに、血みどろの男達は誰も気に止めなかった。乱戦時の戦場は特異なものである。兵士達は興奮状態にあり、やたらに刀を振り回すだけで、周囲など見えていない。
 身分立場に関係なく、この場にあるものは皆狂乱の様相である。乱太郎の雇い主とて例外ではない。
 乱戦の中心で、片目の潰れた大将の男は奮闘していた。とは言っても、やっている事は他の兵士と何ら変わらず、刀を振り回しているだけだ。
 その夫に向かってお倉は走る。両手を伸ばし、懇願する様な表情で、空の心臓に突き動かされているのだ。あと少し、の所で乱太郎の手は届かない。
 細いしなやかな指が夫を求めて宙を掻く。
 片目の潰れた男が、血まみれの顔でぎょっとお倉を見た。それは彼女が男の体に触れる程、近くへ走り寄った時分だった。それほど近くへ現れて、ようやっと正気に戻ったのだ。
 人形には声がない。強く抱きつくように、彼の身に覆い被さり、そして、
「うおおおおお!」
 野太い咆吼と共に、名もない雑兵の一人が、なまくら刀で彼女の背中を叩き斬った。
 彼女の内臓が四散する。美しい女の体が、木っ端微塵に砕け落ちる。血も声も無く、非常に良くできたからくり人形は、歯車や発、その他素人には部品と判らないような細かい材と、その外側の美しく空虚な器となって、ただのがらくたと成り果てた。
 それを血の滴る片目で男は目撃していた。愛しかった妻が、破壊される一部始終を。
 乱太郎は、間に合わなかった。あと何歩分か先に進めたなら、これを阻止出来ただろう。
 だが、既に結果は出た。
「お倉ぁ」
 そして、妻の名前を高く叫んだのが、男の最後の叫びとなった。
 やはり名も無き雑兵が、彼の胸を一突きに、槍で串刺した。明らかに致命傷であるが、すぐに死ねる傷でもない。
 死まで続く苦悶の間、木偶人形となった妻の姿を眺め続ける。それは彼にとって一瞬であるかもしれないし、或いは永遠よりも長いかもしれない。
 乱太郎は、何一つ間に合わなかった。お倉を止める事も、お倉が破壊されるのも、阻止できなかった。そしてこうなっては雇い主の命を救うことも出来ない。元々、命は無いだろうとは判っていたが。
「おい、乱太郎、ぼさっとしてるんじゃない。逃げるぞ!」
 戦場に立ちすくんでいた乱太郎の腕を、いつの間にか現れたきり丸が掴み、引いて走り出した。
 既に勝敗は決している。

 やがて陣から火の手が上がった。白昼の空に、多量の煙が登っていく。
「あんまりじゃないか」
 それを戦場跡から離れた丘の上で眺めつつ、乱太郎が嘆いた。
「どうしてだい」
「どうして彼は二度も、目の前で妻が殺される所を見なければならなかったんだ。あんまりじゃないか、兵太夫」
 情に厚いのは、子供の頃から変わらない。乱太郎は眼鏡の奥に、僅かな涙を滲ませていた。
「僕は言われた通りに設計しただけだ。二人何あっても離ればなれにならぬように、お互い助け合って生きるように、と」
「それはこんな結果を残すためなのかい」
「いいや、僕は道具は作れても結果は作れない。彼の妻がならず者になぶり殺されたのも、その妻を摸した人形が彼を庇って壊れてしまったのも、全て僕の操作可能な範囲の外にあった。言ってみれば、偶然の事の成り行きを天が作ったのさ」
「だけど、戦場へ彼女を運んだのは兵太夫じゃないか」
「離ればなれにならぬように、と願ったのはあの男の方だ。もちろん、彼女の動作状況を見たいという僕自身の目論見がなかったわけではないが」
「そうだろう、だったら」
 いきり立った乱太郎が兵太夫に掴み掛かろうとした。止せ、ときり丸としんべヱが宥める。
「そもそも、あの男は乱太郎に、人形を運んでくるようにと命じたのだろう。吹っ切ったように言っていたが、まだ迷いがあったのだ。人形を運ばせて、何をするつもりだったのかは知らないが」
 それはあの男の胸の内だけにあり、乱太郎も知らぬことだ。今となっては確かめることも出来ない。
「本当に未練が無くなったのなら、死んだ女の生き写しなど捨ててしまえばいい。壊れるまで放っておくなどと生温いことをすべきでは無い。自ら破壊できないのなら、乱太郎に命じれば良かったのだ。こんな戦場まで、運ばせることなぞなく」
 遠く立ち上る煙を見、兵太夫は朗々と語る。
「迷いがあっては、道具などつかいこなせまい。からくり人形も、忍者も」
 眼下に臨む戦場跡は残虐と哀愁の匂いを漂わせ、手柄や金目の物を探す足軽達がしきりに行き来している。だがしかし、遠目に見る分にはどこか穏やかであった。陣を燃やす火の勢いさえも、のんびりと感じられた。
 火は大将が討ち取られたのを見た乱太郎が、去り際に放ったものだ。せめて首を敵方に取られぬように、と最後の忠信のつもりだった。
「道具は物事の経緯をなぞるに過ぎない。乱太郎達は道具の一つで、そして僕はまた別な道具を作るのが仕事だ。そして天の采配に逆らおうという者が道具を使い、結果を作る。あの火も、不器用に道具を使った結果の一つ」
 じっくりと燃える炎の下で、既に息のない数多の男達と木偶が一つ、灰と変わっていく。
「道具となるのも、道具を作るのも、僕らは自分で選んだ事じゃないか。だが……」
 そこで言葉を止めた。何を言わんとしているのか、乱太郎達には判らない。そこに続く内容は、彼らがそれぞれ別な言葉で胸に抱いている。
 乱太郎は小声で、「虚しいな」と囁いた。

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