からくり侍 三

「応、来たぞ来たぞ」
 後方を振り返ることなくしんべヱが言った。彼は相変わらずゆったりと車を引いている。車の荷台ががたがたと音を立て、木箱の蓋が開いた。荷物の一部が独りでに飛び出すと、弾丸やら兵糧やらに見えた塊が中身を四散しながら解体し、道の左右に飛び散った。
 次いできり丸が顔を出し、有る程度道の進んだところで荷台から降りた。
「後は頼んだ」
「合点だ」
 と言い残すと、しんべヱは幾らか軽くなった車を持ち上げ、今までとは打って変わった猛烈な速度で走り出した。道の砂利を跳ね飛ばし、砂煙を上げながら走っていく。即席で作ったらしい車は車輪が悲鳴を上げているのだが、しんべヱにはこれが大破する前に目的地に辿り着く算段がある様だ。中身さえ戦場に届くなら良いのだから。
 さて道を逸れ、森に入ったきり丸は走ってくる乱太郎の足音を聞いていた。相変わらず無駄のない足取りで、きり丸がちょっと臆病風に吹かれそうになるほど、早い。
 その速度のままぶち当たられたらたまったもんじゃないぞ、ときり丸は頭で独り言ちた。以前、修行中の時分、一町ほどの助走を付けた乱太郎が土壁に体当たりを打ち噛まし、大穴を開けているのを見たことがある。似た様な事ならしんべヱもやっていたが。尤もしんべヱの場合は体当たりではなく、近くに落ちていた大石を投げつけて壁を破壊していたのだが。
 そんな事を考えている内に、いよいよ足音が近付いた。それこそあと一町の距離だ。道に出れば、向かってくる乱太郎の姿が見えるだろう。しかし見てからでは遅い。
 きり丸の手には、細い糸が握られていた。それをすっと引くと、事前に撒いておいた荷の幾つかがけたたましい音を立てて爆発した。
 火薬の黒い煙と白っぽい土煙が乱太郎の前に現れ、ぎょっとした乱太郎は足を止めざるを得なかった。
 いや、その程度は予想の範疇だった。兵太夫の使いなのだから、珍妙なからくりや罠を準備していることぐらいは考えずとも判る。
 一歩分だけ速度を落とした乱太郎は、道に立ち止まることはせずに、脇の森へ飛び込んだ。方向感覚は間違っていない。今走っていた道が北東に向かって続き、半里ほど先で南東へ曲がる。ここからならば、東へ向かって一直線に脱ければ戦場への近道になる。だが、森は深い。走りづらい上、刺客が潜むにはこれ以上ない。
 乱太郎は迷いながらも先へ進むことを選んだ。考え得る刺客はきり丸にしんべヱ、兵太夫の仕掛けだ。しんべヱは森の中に態を潜めるなど柄ではないが、きり丸と組んでいることもある。きり丸は細々とした忍術のたぐいを大層器用にこなすものだから、神経を張りつめて警戒しなければ厄介だ。使えるものは何でも使うのが見栄も法もない忍者の掟、きり丸がしんべヱの怪力や兵太夫の仕掛けを縦横無尽に使いこなすとなると、一筋縄ではない。乱太郎も、相応の対応をしなければなるまい。
 大股で走りながら、乱太郎は前方に仕掛けられたと無数の糸を睨んだ。足下を狙って糸は張り巡らされ、一つでも引っかかれば命取りと見える。しかしあまりにあからさまだ。素人ならば引っかかるだろうが、忍術の駆け引きに成れた乱太郎には、単なる囮であるとすぐに判った。
 腰の忍刀を抜き、刃を前方、切っ先を下に向け、地面に垂直に構えた。足が糸に掛かるよりも僅かに早く、糸がぷちりぷちりと断たれていく。三本目までは何も起こらなかった。横道に逸れれば別な罠の餌食となったであろう。
 四本目。今までと違う手応えが有った。
 それを感じた瞬間に、乱太郎の足が完全に停止した。
 黒い森から降り注ぐ、礫の嵐!
 それら全てが乱太郎の一歩前を目掛けて一直線、前後左右の隙もなく飛びかかる。乱太郎は微妙に目標から逸れてみたものの、その程度でかわせると考えたのは甘かった。
 咄嗟に顔面と首を両手で庇いはしたものの、無数の鉄製の礫が全身を隈無く打った。それも、心音一つ鳴り終わるかどうかという短い間に。
 だが幸いに礫は軽く、速度もなかった。装束や頭巾を身に着けている部分はさほど痛まない。剥き出しの掌や腕がじんじんと痛むが、骨の異常も感じない。
 運が良かった。いや、生来ツキとは無縁の乱太郎に限ってこのような幸福はあり得ない。このかわしきれない程の罠は、乱太郎の移動に遭わせて張られていたのだ。今し方別れたばかりのきり丸らが設置したのに間違いはないだろうが、作は間違いなく兵太夫だ。殺傷力の調節など朝飯前の筈。
 つまり今の罠は、短時間でこれほど強力な罠を準備出来るのだと、彼からの警告である。
 ああ、厄介。
 乱太郎は内心で深いため息を吐いた。だが引き返すわけにもいかぬ。一度受けた仕事は何が有ろうと果たし終えるのが忍の流儀であるし、誇りだ。どんなに馬鹿馬鹿しくとも、困難であろうと屈辱であろうと、途中で逃げ出す方がよっぽど卑怯者である。
 等と考えながら、乱太郎は再び走り出した。様々に理由を付けてみたが、やはり多少情が移っていることが今走り続ける一番の要因であろう。
 考えてみれば、兵太夫の望みは人形を戦場で活躍させることで、その人形というのがお倉なのだとしたら、しんべヱきり丸を放って置いても自動的にお倉は主の待つ戦場へ届けられる。乱太郎も主にお倉人形を運送せよと言いつけられたわけだし、考えようによっては仕事を代行してもらっているようなものだ。
 だが何となく腑に落ちない。どうにも、兵太夫の望みと主の望みに歪な食い違いを感じる。
 主はお倉をどうこうするとは言わなかったが、あの穏やかな男が、女房と共に戦場に立って散ろうなどとは考えるまい。
 兵太夫はというと、そのような主の気質など何所吹く風。
 やはり一度留めて、自分がお倉を改めてから届けるのが良策だ。
 しかしそのためには、今立ちはだかるのはきり丸と兵太夫の罠を越えねばならない。
 一町も進まない内に、再び乱太郎は周囲の異常を感じた。僅かながら息づかい、懐かしく思う間もなく――、
「うおりゃぁッ」
 と気合い一閃、頭上からきり丸が落ちてきた。
 木漏れ日に反射し、きらりと煌めく切っ先が眼前に。きり丸の一刀を横っ飛びにかわそうと半歩踏みだし、踏み込んだ土の柔らかさに咄嗟、危機を感じ取った。
 罠!
 鈍い動きで体を捻った乱太郎の左肩が、黒い装束を越えて浅く裂けた。
 しかしそれで重心を崩して倒れ込まなかったのは流石としか言い様がない。一撃目を打ち込んだきり丸が撥ねる様にして木々の合間に潜り込むと、乱太郎は不安定な姿勢から素早く一転、一歩も動くことなく同じ場所できっちりと構え直した。
 ああ、厄介だ。
 木陰で乱太郎の動きを窺いながら、きり丸は内心で深いため息を吐いた。合点だ、など軽く言ったが、やりづらいことこの上ない。何故なら修業時代しつこいほど組み手をやりこんだ相手の一人、お互いの動き手口は既に体が覚えきっている。虚を付くのもままならない。逆に言えば虚を付かれるほど知らぬ相手ではないということだが。
「おい、きり丸」
「何だぁ? 乱太郎」
「いくらで雇われてるんだ」
「それを聞くのは野暮ってもんでしょう」
「こっちの主は払いが良いぞ」
「ナニ、それはまた」
 きり丸が興奮気味で食いついてきた。相変わらず金の話になると目の色が変わる。が、それで裏切るような教育は受けていない。
「兵太夫との契約が終わったら、売り込んでみようっと」
 それまで彼が生きているかどうかが怪しい所だが。
「手を引いてくれって言ってるんだよ」
「無茶言うなよ。忍者が途中で仕事を辞めたら、信用問題に関わるぞ」
「忍者以外にも手広く商売やってるんだろう? 一つぐらい、面の潰れる仕事が有ったって良いじゃあないか」
「それは出来ない相談だ」
 当たり前だ。きり丸を言いくるめられないかと、適当な事を言ってみたはいいものの、どうも相手に時間を稼がれているだけのような気がする。
「やるしかないか」
「久々の勝負だぜ、乱太郎」
「あい判った」
 木々の合間から感じ取れたきり丸の気配が、急に鋭く尖ったのが判った。乱太郎は極浅いが肩に負傷している上、先程まで長時間走り続けていた体である。対するきり丸はしんべヱの引く車で悠々と体を休めていただろうし、ここら一帯には兵太夫の罠が大量に仕掛けられている。そもそも分が悪い。
「良し、動くなよ……動くなよ……」
 きり丸の指先に細い糸が絡まっていた。それは地面に向かって緩く垂れている。きり丸がちょいと糸を引くと、土竜の乱痴気騒ぎのような弱い地鳴りが乱太郎の足に伝わった。もちろん乱太郎からはきり丸の手元は見えない。何らかの罠と予測は付くが。
 しかしきり丸が動くなと言うからには、動いて欲しいのだろう。
 誘いには、乗るまい。
 乱太郎は素早く地面を蹴り、一歩後に飛んだ。するとずんと音を立てて、地面から細く磨がれた竹棒が勢いよく飛び出した。それらは乱太郎の二歩分前方に。
 もしもきり丸へ飛びかかったならば、間違いなく足下から脳天を貫かれていた。
「友達を串刺しにする気か!?」
「真剣勝負、だからな」
 叫びながらも乱太郎は動き続ける。比較的罠を仕掛け辛いのは、何所だ。きり丸と兵太夫の性格から、罠を設置するとしたらどんな所だ。思案したのは一瞬のことである。すぐに無意味だと考えを捨て置いた。いくら相手の動きを予察しようと、例外はある。それよりも尤も得意な地の利を得るのが得策ではないか。
 乱太郎は木々の枝にひょいと捕まり、そのまま猿の様に枝伝いに飛び始めた。先程兵太夫作の侍人形と対峙した際と同じである。片手で木の枝にぶら下がったかと思うと、次の瞬間には隣の木の枝に乗っている。
「やっぱりそう来たな」
 きり丸が次の罠の仕掛けを引いた。
 パーンと乾いた音が響く。それと同時に、乱太郎の飛び回っていた辺りの高さの枝が、一斉に爆発した。
 耳を劈く爆発音に乱太郎の驚愕の叫びが掻き消された。そして火薬の匂い、白く舞う煙。仕掛けた本人であるきり丸も爆発のまぶしさに目が眩んで、一瞬何が何やら判らなくなった。
「げほっ、げっ、げえっ」
 次いで煙りで酷く咳が出る。
「何だこりゃ、げほっ、やりすぎだろ」
 風も無い蒸し暑い夏の森である。広がった煙と舞い上がった土埃、木々の破片が汗ばんだきり丸の体にまとわりついた。あまりに不快で、しかも視界が酷く悪い。
「乱太郎? おい、無事かぁ?」
 見る物すべてが濛々と煙り、きり丸には乱太郎の姿が確認出来ない。爆発に巻き込まれたとしたら、その辺に落ちていそうだが。
 その時、白い煙りの上から照らしていた太陽が翳った。煙の中に人の形の影が飛んでいったのだ。
「乱太郎!」
 きり丸が見上げた時には、乱太郎はさらに遠くへ飛び去ろうという所だった。爆発が起きた位置より、遥か高みに。元より仕掛けより高くにいたのか、咄嗟に上へ飛び逃げたのか。
 乱太郎は生き残った上方の枝を伝い、森を駆け抜けていく。とてもきり丸には届かないような、殆ど木々の真上を足場としている。
「おうい、勝負はどうした」
「仕事優先だ!」
 そう言う間にも乱太郎の姿はどんどん小さくなって行く。しんべヱの引く車を追い、戦場へ向かっているのである。
「ちくしょう、やられた」
 足止めに失敗したきり丸は、その言葉とは裏腹に、あまり悔しくも無さそうに天を仰いで笑った。

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