火事場に泥棒一網打尽 四
明け方までに数度余震が起こり、その度に町内では火が上がったという。大通りの片側、富裕層の屋敷の建ち並ぶ一体は当に焼け野が原となっていた。
黒く焼けた家々の柱が、痩せ細った朽ち木のようにぽつぽつと立ち並んでいる。
「ちくしょう」
庄左ヱ門と並んで歩いていた青年が、涙目で呻いた。
「庄左ヱ門さんと伊助さんから火消し頭を与ったってのに、おれは何にもできなかった」
焼け跡に白い骨が混ざっている。
青年は、うう、と鼻水を啜り、煤だらけの袖口で涙を拭った。
「そう泣くな。道のあちら側がほぼ無傷であっただけでも大した物だ」
「そう言って頂けると、少しは気が楽になります。しかし今回の火事は、なまずの大暴れだけが原因じゃねえって話じゃないですか。おれはそれが許せねえ」
泣いていた顔が不器用に眉を吊り上げ、ぎりぎりと歯を食いしばった。握りしめられた拳が震えている。
伊助が火消し頭に立てたこの青年は、人望や統率力はあるが、些か情にもろすぎる所がある。勿論、庄左ヱ門も彼の苦しみが判らない訳ではない。それにそれが彼の人望であるとも言える。だが一時的に立てられた立場とはいえ、多くの若衆をまとめ上げる者がいつまでもめそめそとしていては、下に示しが付かない。
従って粗方の火が収まり、若衆達が意気消沈していたところで、ことに歯がみして泣いていた彼を庄左ヱ門が連れ出した。
残る者共は、街の見回り、お堂の警護、炭焼き小屋の見張りと分担させている。誰も休んでいる暇は無いのだ。
庄左ヱ門は焼けた町内を周りながら、火事のみに焦点を置いた被害の広がりを彼から聞いていた。炎の広がり方に、何か不審な点が無いかどうかが気になったのである。
「おれの見る限りじゃ、出火は地震と同時に複数の屋敷からあったようです」
「火の出た屋敷は、片寄った立地では無かったか?」
「いや、てんでばらばらだったように思えます。深夜だったから、大方の人間は寝ていましたよ。起きてる者がなけりゃ、火もない」
「その割には、火の上がりが早かったのでは?」
「そうかもしれませんが、全てが火付けによって出た火では無かったようです。初め火の出たらしい屋敷の一つに、篠木屋が含まれてたんですが、そこの火種は夜中に用足しに起きた店主の提灯だそうですよ。共に起こされた丁稚が見ていたと証言したんで、これは間違い在りません」
「ふむ。しかし、丁度地震に合わせて何人もが用足しに起きるわけでもないだろうしな。初めに火が起きた屋敷は、いくつぐらいあったんだって?」
「正確にゃ判りませんが、五つ六つぐらいですね」
「そのくらいなら、夜中まで起きてた者が居ただけだとも考えられるな」
「庄左ヱ門さん、おれはそれより気になることがあるんですが」
二人は焼けた町内をぐるりと歩き回り、ある一角へ差し掛かった。
元は立派な屋敷のあった場所である。今となっては辛うじて立っている屋敷の主柱が外枠を保っているのみで、その面影は微塵も無いある。
焼け跡の近くには、飛び火に巻き込まれたらしい娘の細い白骨が横たわっている。
「第二、第三の火災への繋ぎが、異常に早かったような気がするんですよ」
「どういうことだ?」
「伊助さんの指示通り、町の方々に人を置いちゃいたんです。さっき言いました通り、初めに火が出た屋敷もいくつかは判っていますし、そこからどこへ飛び火したかなんてのも、目撃した見張りがあります」
「その見張りが、異常があったと言っているのか」
「へえ、その通りです。尤も火の飛びの早さ、なんて目で追ってはっきりわかるもんじゃあないですが……」
「風の問題もあるだろうしな。昨晩は、あまり風は無かったかな」
庄左ヱ門は首を捻った。昨晩はずっと走り回っていたため、どのくらいの空気の流れがあったのか思い出せない。
「いえ、時々えらく強い木枯らしが吹いていましたよ。わざと火を引っかき回してるみたいな風でした」
「引っかき回す?」
「ええ。おかげで火の粉もあっちこっちに飛び回って、火の流れが読み辛くってしかたなかった」
「なるほど、火の流れか」
「庄左ヱ門!」
「ん」と、考え込んでいた庄左ヱ門が顔を上げると、焼けた町の合間を二人の人物がこちらに向かって歩いてきていた。
旅芸人の夫婦のような形で、声を掛けたのはどうやら男の方らしい。手を振っている。
「乱太郎にユキちゃん」
「悪いね、結構遅くなってしまって」
「あたしと一緒だといつもみたいに走れない、なんて言うのよ。そんな気遣いしなくたって、あたしもちゃんと走れるのに」
「いやいや、充分早かったよ。山三つは越えてきたんだろう? なんにせよ、これで百人力だ」
庄左ヱ門と乱太郎が歩み寄り、懐かしげに握手を交わす。彼らの会話を青年が不思議そうに聞いていた。
「庄左ヱ門さん、こちら、お知り合いで?」
「ああ、そうだ。昔なじみなんだよ。昨日の地震の前に、文を出していたんだ」
庄左ヱ門が普段の大人連中顔負けの老成した顔立ちを崩して、十七、八の若者らしい朗らかな笑顔を見せたのに、青年は目をぱちくりさせて驚いた。
その上、地震の前に文を出して、どうして一晩で山三つ越えてこの町に現れることが出来たのか。彼らが忍者であることを知らない青年にとっては不思議でたまらない。
乱太郎やユキは当然として、庄左ヱ門や伊助でさえも、その正体が忍の術を身に着けた忍者であることは、町の若衆の誰にも知らせていないのだった。
乱太郎とユキがこの町に現れたのは、庄左ヱ門の差し金だった。八左ヱ門に地震の予言を受けた庄左ヱ門は、真っ先に同窓の十人に文を出した。その内の一人が乱太郎だったわけである。
文の内容は主に今晩起こるという地震に関しての警告と、その後の町内の復興に助力して欲しいという依頼の二つだった。地震後にあらゆる物資がと人員が不足するだろうと見越しての内容だった。
勿論、地震の発生は確定したものではなかったから、警告も依頼もはっきりと強く書いたわけではない。それでも乱太郎はユキを連れて翌日の昼前には町に着いていた。地震の後に荷物を整えて出発したのだろうから、驚くべき素早さである。彼の住んでいるのが、地震の被害を受けにくい閑散とした村であったのも幸いした。
その荷物の中身は、主に薬だ。平時、乱太郎は忍の仕事の無い間は畑を耕して過ごし、その片手間に薬を作っている。薬は毒薬、麻薬、眠り薬から万病に効く霊薬まであらゆるものを取りそろえ、彼はそれを売って銭を作ったり、忍の仕事で自ら使用したりしている。
今回、彼が運んできたのは、当然ながら大半が怪我、火傷のための軟膏と痛み止めだった。
「伊作先輩には会ったかい?」
炭焼き小屋に戻った庄左ヱ門は、改めて乱太郎達を迎えた。その前に乱太郎は一度お堂へ向かい、運んで来た薬を未だ途絶えない怪我人の治療にあたっている伊作の元へ届けていた。
「ああ。薬は昨日の夜には切れてしまったんだって? やっぱり、もっと早く来るべきだったね」
「過ぎたことを言っても仕方がないさ。それよりも、来て早速で悪いんだが、ちょっと面倒を頼みたいんだ」
「面倒を? 水くさいな、仕事の依頼なら遠慮する必要はないよ」
「仕事。そうだな、仕事か」庄左ヱ門が微かに笑った。
「何? おかしいかい?」
「いやね、乱太郎はもうしっかり忍者なんだと思ってね」
「庄左ヱ門だって一緒に忍術学園を卒業した仲じゃないか。僕は一度だって庄左ヱ門の成績にはかなわなかったし、今だって部下の一人も持てない下忍の身分だ」
「だが進んだ先が違う。僕はただの町人さ。技能をいくら持っていてもね」
「どうしたんだい、庄左ヱ門。何だか感傷的になっているみたいじゃないか」
「街の若衆頭としてこんなに働いたのは、今回の大地震が始めてだ。人に指示を出すのは苦手じゃないが……」
庄左ヱ門はそこで一旦言葉を切り、何かに思いを馳せるように目を瞑った。彼の瞼の裏に映るものは、何であろうか。彼を見つめている乱太郎には、想像に及びもしない。
「忍者は自由でいいな」出し抜けに、言った。「ちょっと責任に押しつぶされそうだ。駄目だな、弱音を吐いていては」
「少なくとも、地震が起こったのは庄左ヱ門の責任じゃないだろう」
「……うむ」
再び瞳を閉じて考え込む庄左ヱ門に、乱太郎はそれ以上掛けるべき言葉を見つけ出せなかった。
沈黙。
「……仕事の話だが」
暫くの後、庄左ヱ門は静かに口を開いた。
「地震の直後から火付けが横行している」
「ああ、町の者から噂は聞いているよ」
「そうか、既に町の皆の知るところか……まずいな。不安を煽ってしまう」
「早いところ犯人を捕まえたいんだろう。話は大体判った。もちろん、協力するよ」
「ありがとう。頼もしいよ」
「さて、作戦は?」
庄左ヱ門は頷き、床板の木目に沿って人差し指をすっと動かした。
「乱太郎? ちょっと、入るわよ!」
その時急に戸が開かれ、ユキが炭焼き小屋に飛び込んできた。
「ちょ、ちょっとお嬢さん、そんな勝手な」後から、若衆が数人慌てて追ってきているようである。
面白いのは、小柄な彼女が何やら大柄な男を引きずるように引っ張っていたことだ。
「いいのよ。あんた達に任せてたら話がちっとも進まないわ」
気の強い彼女らしく、慌てふためいている若衆数人を言葉でばっさりと切り捨て、後ろ手に戸を勢いよく閉じた。庄左ヱ門と乱太郎の密会中に、ユキと謎の男の乱入だ。男は怯えているのか何なのか、ユキに手を掴まれたまま小さく丸まっていた。
「ユキちゃん、そちらは?」
相変わらず冷静に庄左ヱ門は対応する。乱太郎の方は、連れの些か派手な行動に軽く冷や汗をかいてしまったというのに。
「さっき街を歩いてて自警団にとっつかまえられてるのに出くわしたの。見るからに『怪しい男』だそうよ」
「まあ、こういう事態だから、そんな輩はいくらでも出るだろうけど……」
「乱太郎、あたしが何の考えもなく行動してると思ってるの?」
「いや、そういうわけじゃないけど」
「では、その男は一体何者だ?」
庄左ヱ門がおもむろに立ち上がり、ユキの影に隠れるようにして縮こまっている男の前にしゃがみ顔を覗き込んだ。丸々した体と顔に、ぼうぼうの長い眉毛、つるんとした頬の上には豆粒のような目が二つ。おまけに、口元にはひょろりと伸びた髭が四本。
「おや?」
なんだか、既視感がある。
「自警団の子たちが言うには、予言と称してでたらめで不謹慎な話を街の人々に売りつけてたんですって。だからお騒がせ者として暫く牢屋にでも繋いでおこうかって」
「もし、あなたは予言を生業とする者で?」
庄左ヱ門が礼儀正しく話しかけたのに、逆に吃驚したのだろう。顔をはっと上げて、豆粒のような目をきょろきょろさせる。
「応、如何にも如何にも、わしは長いこと禅荼羅の修行を積み、予言の力を得た天蓮宗の僧の一」
「号は?」
「沼に食膳の膳と書いて沼膳と申す」
変な、話である。庄左ヱ門も、乱太郎やユキも、狐に騙されているかのように思えてきた。曼荼羅や禅は聞いたことがあるが、禅荼羅というのは初耳だ。もちろん天蓮宗なども聞いたことがない。ありそうだ、と思えなくはないが。しかし予言の力などという胡散臭いものを取り扱う連中に関しては、庄左ヱ門たちは多生精通しているつもりだ。そういった信仰やまやかしなどは忍とも縁が深い。
だのにこの不思議な巨体の男の口から出てきたのは、今始めて聞く名ばかりであった。
その上、号(僧としての呼び名)が沼に膳。その顔と沼、というとどうしてもあの生き物を連想してしまうし、その後に続くのが料理をのせて人に共する台を表す膳。ふざけているかのようだが、言った男の顔は真剣そのものである。
いかにも怪しげな人物であることは間違いなかった。
さらに庄左ヱ門は、その容姿について人づてに聞いていたこともあり。
「もしや、予言というのは地震に関するものでしょうか」
「うむむ? 私はあんたと始めて会った。あんたも私と始めて会った。なのにあんたは私のことを知っているらしい。これは一体どういうことじゃ?」
「庄左ヱ門の方が予言者みたいねえ」
「ユキちゃんこそ。手紙には地震が起こるかもしれない、としか書かなかったのに」
「だって、庄左ヱ門が占い師になったなんて話、聞いてないもの。だとしたら別に予言を行った何か、があるはずでしょ」
「成る程、それで単なるお騒がせ者で済まさずに、庄左ヱ門に引き合わせようと思ったのか」
「見直したでしょ、乱太郎?」
「いつでも、見直すようなことばっかりだよ」
「それで、わしゃどうなるんじゃ? あまり乱暴なことは好かんのう」
庄左ヱ門は、ふむと考えた。竹谷八左ヱ門の話を全て丸ごと信じたわけではなかったのだが、こうして目の前に件の人物らしき者が現れるとは、なんとも興味深い事態である。
「沼膳殿が街で売っていた予言とは、これから先の余震の起こる時間についてですか」
「うーむ、当にその通り。あんた、予言者の資質があるんじゃなかろうか」
「種明かしを先にしてしまいますと、人づてにあなたの事を聞いていたのです。それよりも、まだ売り切れていない予言はありますか?」
「買うてくれるんか? 良かった、あん人らに追い出されてから食うに困っていた所じゃ。渡りに舟とはこのことで」
「あの人ら?」
庄左ヱ門が、抜け目なく怪しい言葉を拾う。
「そろそろ昼時だな。ユキちゃん、悪いけど食事を四人分調達してきてくれないかい? それと、人払いも」
「食事の間はあたしが外で見張りをやってた方がいいかしら? でも終わったら話は聞かせてよね」
「もちろん」
ユキは素早く立ち上がり、狭く開いた戸をするりと抜けて出て行った。外側から鍵を掛けた音がする。心得ているのだ。庄左ヱ門が、内側からも鍵をかけた。
「さて、こんな事態なので碌な食事は出せませんが、許して下さいね」
「食えるものならありがたや」
男は正座し直し、両手を額に擦り合わせる不思議な仕草で礼をした。