火事場に泥棒一網打尽 三

 町を一回りしてお堂に戻った庄左ヱ門は、目前に広がる惨状に目を覆いたくなった。
 まず怪我人が夥しい。お堂の中に縁台がぎゅうぎゅうに並べられ、そこに足が折れたり切れたりした、自分で動くことの出来ない者が横たえられていた。中には着物全体に流血を染み出させ、呻き声を上げている者もいる。縁台の間を、無事であったらしい女たちが忙しなく動き回っていた。
 それ以外の軽傷者の数も、数えきれぬ程溢れている。こちらはお堂の中に横たわる場所が無いので、お堂の出入り口付近から池の縁まで、ずらりとへたり込んでいた。満足に治療を得られないことをぼやいている者も少なくない。
 さらにその横には、異様な喧噪がある。どうやら炊き出しの列が並んでいるらしいが、自分だけ余計に貰おうとしたり、少ないと文句を付けたりする輩が騒いでいる。それを自警団の若衆が宥めていた。
「庄左ヱ門!」
 お堂から顔を出した伊助が、庄左ヱ門を見つけて声を掛けた。周囲の人々が彼に注目する。若衆のまとめ役、黒木庄左右衛門は町ではちょっと名の知れた名士だ。
「町はどうだった?」
「建物の倒壊と、火事が酷い。それにちょっと気になることがある」
「ああ、あのならず者のことだね」
 庄左ヱ門が頷く。あの捕らえた怪しい男は、近くに来た火消しの若衆にひとまず預けて伊助へ届けるように手配していた。
「しかし、ここも酷い騒ぎだな」
 炊き出しの列で騒いでいた者達を、庄左ヱ門が一瞥する。血の気の多そうな若者や、少しばかり太った中年女性が多かったが、庄左ヱ門に睨み付けられてしゅんと黙った。
「今は物資に限りがある。医者の数も限られている。その中で、皆に平等になるように計っているはずだ。今夜は冬の入りで、怪我人もそうでない者も夜の寒さが身に染みるだろうが、朝が来れば気温も上がるし、明るくなれば治療も炊き出しもしやすくなる。行方の知れない者も、探し出すことができるだろう。申し訳ないが、朝が来るまで耐えて欲しい。辛いのは皆同じだ」
 庄左ヱ門の声を張り上げた演説に、意識の有る者は眼光を揺らして小さく頷いた。
「流石だ」伊助が小声で言った。
「いや、正直、何から手を打てばいいのか、混乱している」
「細かい事は僕にまかせてくれよ。そうそう、医者といえばね」
「うん? ひとまずお堂に入ろうか」
 周囲には町民の目が、在る。若衆の指導者二人が頭を抱えて相談しているのを見せては、不安がらせてしまうだろう。
 お堂の広間は怪我人が犇めいている状態だったが、その奥に観音像のみの置かれた小部屋がある。数人の話し合いにはもってこいの場所だ。広間を通り過ぎる横目で、庄左ヱ門は懐かしい顔を見た。彼は手伝いの女たちに指示を出しながら、自分は重症の者の手当をしている。
「善法寺先輩か」
「うん。地震が収まってから、いの一番に駆けつけてきてくれた」
 狭い部屋に入るとすぐに二人あぐらを掻き、声を潜めて話し始めた。誰が見ているわけでもない。観音様の動かない眼球が二人の頭上を見つめているだけだが、二人は非常に警戒していた。
「竹谷先輩と庄左ヱ門が知らせてくれたと言ってね」
「そういえば、竹谷先輩がそのようなことを言っていたな。僕は地震が起きた直後に鳩で知らせを出したんだ。その割にはあまりに早いなと不思議に思ったんだが、そうか、善法寺先輩も信じていたんだな」
「あの人は非常に素直な性格をしているからなぁ。もし地震が起きなくても、適当に薬でも売って帰ろうと思っていたらしい」
「呑気な人だ。ま、しかし今はそれどころではない」
「ならず者のことか」
「何か吐いたか?」
「いんや。というか、まだ目を覚まさない。ちょいと強く殴りすぎたんじゃないか」
「頭に血が上っててね」
「状況は聞いたよ。太田屋は本当に運が無かったとしか言い様がない」
「悪人に目を付けられるのも、運のあるなしか……」
 庄左ヱ門が頭を抱えた所で、小部屋の戸を叩く音が鳴った。
「失礼、善法寺だ」
「ああ、先輩。どうぞ」
 狭く開いた戸から、音もなく滑り込んでくる。見た目は痩せて頼り無げ、着物は襤褸の着流しで、薬と血の匂いが骨の髄まで染みこんでいるが、この男もまた忍だ。庄左ヱ門の、五つ上の先輩になる。
「見れる患者は、全て見せて頂いた」
 医者にして忍、善法寺伊作は頭を垂れて報告した。
「先輩、あんまり畏まらないで下さい」
「この町では庄左ヱ門の方が格上なんだから、当然だよ」
「僕は若い衆のまとめをしているに過ぎません。何所に在ろうが、先輩は先輩、後輩は後輩ですよ」
 それほど同じ学園で学んだ絆は強いのだ、と言外に述べている。
「いいや、それにつけても自分の医者としての腕を恨むばかりだ」
「死者の数は?」
「まずそこから聞くか、庄左ヱ門。相変わらず冷静だな」
「生きている者は自分で自分の面倒を見れるが、死人はそうはいかないからな」
「うむ、庄左ヱ門の言うとおりではあるんだが……」
「だが? どうしました、先輩」
「恐らく、埋葬する人手すら足りない」
 三人は押し黙った。こういう事態では、死人を放っておくわけにもいかないのである。治安の問題もあるし、何より衛生面での不安がある。適切に埋葬することは、科学的側面からも必要なことなのだ。
「死人、怪我人は今後も増え続けるだろう。伊助には言ったんだが、それらの管理は今後は僕に一任させてもらえないだろうか」
「その申し出、願ってもないことです」
 庄左ヱ門は両手をついて頭を下げた。
「事態が落ちつけば、町の蓄えから礼金を出させて頂きます」
「いやいや、そんな気を使わずとも。僕は今日明日に食うものがあればそれでいいのさ。しかし、これほど広い町だとそうはいかないだろ?」
「と、言いますと?」
「ならず者が出たと小耳に挟んだよ。まあ、天変地異に乗っかる悪党の存在は、自然の理とも言えるが……」
「怪我人、死人以外の事で先輩の手を煩わせるつもりはございません。すぐに警備を強化し、討伐隊を組むつもりです」
「確かにその辺、僕は頼りにならないだろうけどねぇ」
 伊作は苦笑いして、頭を掻いた。雲脂か埃か灰かそれとも薬品か、白い粉がちらちらと落ちた。
「そういう意味では」
「まあまあ、気付け薬がちょいとばかり残っている。それが必要なんだろう?」
「よく、ご存知で」
 庄左ヱ門と伊助は、改めて五つ年上の忍の顔を見た。普段頼り無げなのは、敵味方を欺くためなのか。
「怪我人に紛れてならず者が運び込まれてたからね。顔を見たら、ちょっとやそっとじゃ起きそうにも無かった。それだけのことさ」
「いいや、感服しました」
「はは、ありがとう。所で、そんないきさつで気付け薬は残っているんだが、それ以外の薬がもう殆ど品切れでね」
「手配済みです」
「おお、凄いな庄左ヱ門。それこそいつの間に、だよ」
「大地震が起きれば物資が必要になることは判っていましたから」
「そうだな。じゃあ、少し休みも取れたことだし、治療に戻ろうかな」
「ご苦労お掛け致します」
「いいさ、お節介な性格なもんでね。今日は徹夜だなー。あ、そうだ、お節介ついでの助言だが、行方不明者の数もかなりのものだよ。蔵廻りの智吉さんなんか、既に商売を再開してるみたいだから、町を回るついでに、誰かの行方を捜している者を記録させてみたりしたらいいんじゃないかな」
「なるほど、その記録の中かに知った者の名を見つければ」
「取り合えず、生きているということは見た方には知れるだろう?」
「妙案です。ありがとうございます」
「もう一つ、ついでにおせっかいを言わせて貰うと、このお堂で討伐隊を組まれると、怪我人が不安がるんじゃないかな」
 闇夜で辺りは見通しが悪く、その中で傷の痛みに耐え、身内とも離ればなれになっている怪我人ばかりだろう。そこに荒々しい声があがれば、敵か味方かの判別も付くまい。伊作の言うことも尤もなことだ。
「判りました。ならず者共々、すぐに移動します」
 伊作は笑顔で頷いた。

 庄左ヱ門は、炭焼き釜の前に作った焚き火の揺れる様を、丸太で作った腰掛けに座ったまま眺めていた。
 腰に差していた小太刀を抜き、鞘ごと地面に突き立てた。その柄の上に手を置く。若干前屈みの体勢で、刀に体重を預けたまま炎をじっと見ていた。
 警備隊の詰め所を黒木屋の所有する炭焼き小屋に移したのは、伊作の助言に従ったからである。
 炭焼き小屋は町はずれだったが、背後に山があり籠城するには都合の良い地形だ。城などという大層なものでもないが。
 町中の情報は若い衆の中から、足の速い者を選んで逐次知らせるように指示し、また町中を走り回る職の者、例えば飛脚や蔵廻りの智吉などに仕事の合間に行方不明者の記録を集めさせ、伊作の詰める沼近くのお堂へ写しを作るように指示を出した。怪我人、家を失った者、探し人などはあちらに集めて処理させるという形である。
 これには庄左ヱ門の弟、庄二郎と祖父がかなり力になった。黒木屋の商売を興した祖父は読み書きができるし、町の者への顔も広い。
 また庄二郎も、兄と違って忍術を学びはしなかったものの、一通りの学問、武術の手ほどきは庄左ヱ門から受けている。
 炭焼き小屋が地震に耐え、こうして詰め所として使えるよう残っていたのも、庄二郎が兄から受けた事前の連絡を聞き、事前の補強や火の周りの警戒をしていたからである。
 その二人を町中の方へ移動させ、庄左ヱ門はこうして警備隊を組んで炭焼き小屋に詰めていた。
 小屋の外に居るのは庄左ヱ門と、町の若い衆の内の精鋭である。
 パチリパチリと焚き火が囁き声を上げるが、庄左ヱ門は何も言わず口を一文字に縛っていた。若い衆たちはそれを遠巻きに見て、小声でつい今し方の地震で見た光景などの雑談をしている。中には離れて暮らしていた親兄弟が見つからない、と漏らす若者も居た。
 夜は未だ更けない。寒空の下で燃える焚き火がまたパチンと音を立てた時、炭焼き小屋の戸が開いた。
「いや、参った参った」
 言いながら出てきたのは、伊助と数人の若者だ。開いた戸の奥に、あの鼠顔の男が柱に両手両足ごと縛り付けられ、頭を項垂れているのが仄かに見えた。伊助の後ろに付いている若者の持っていた行灯の光が届ききらず、男の状態ははっきりとは見えない。
「どうだった?」
「全然吐かない。これを見てくれ」
 伊助が両手の拳を開いて、焚き火に翳した。
 爪先や関節の膨らみに血が滲んでいる。勿論だが、伊助の血ではない。
「あまり手荒な真似をするのもどうかと思ったんだけどね」
 伊助が苦笑いしながら庄左ヱ門に頭を下げると、彼の後ろに付いていた若者たちも揃って庄左ヱ門へ頭を下げた。
「いいや、今すぐ首を飛ばしたって構いやしないんだ。太田屋の火付けの下手人なのは、間違いないんだろう?」
「その一味には間違いない。だが火を付けたのは別らしい」
「実際に誰が火を付けたかなど、どうでもいい。太田屋はあの火事で一族全て焼かれたんだぞ」
「落ち着けよ、庄左ヱ門。いつになく冷静さを欠いているぞ」
 言われて、庄左ヱ門はぐっと息を飲み込んだ。
 確かに今の自分は冷静さを欠いている。伊助の指摘は尤もだ。警備隊の指揮を執るとして、このように感情的になってしまうのが良くないとは判っている。
 しかし、庄左ヱ門は実際に太田屋の燃える様を、花嫁の息を引き取る様を見ているのだ。
 怒りを持たぬ方が、人道に悖るではないか。
 庄左ヱ門は熱り立って、丸太から腰を上げた。
「あ、おおい、庄左ヱ門」
 伊助が制止しようとしたが、聞かない。庄左ヱ門は平時常に冷静だが、同時に一度決めると止まらない頑固な性分でもある。
 大股で炭焼き小屋の入り口へ向かっていく。
「仕方ない。すぐ済ますだろうから、外のことは頼むよ」
 伊助は従えていた若者に声を掛け、行灯を受け取ってから庄左ヱ門の後を追った。
 庄左ヱ門が、薄暗い炭焼き小屋の中で仁王立ちする。その濃い影の下側に、酷く痛めつけられて縮こまった男が縛り付けられている。
 居ってきた伊助が、庄左ヱ門の後ろから行灯の光を灯した。
 男の痣だらけの顔が上を向く。瞼がぶるぶると震え、弱々しく呻いた。
「名を名乗れ」
 庄左ヱ門は、男の頭上で静かにしかし怒鳴るように問い掛けた。
「百助と申します」
「百助、お前は太田屋に火を放ったな」
「いいえ、いえ、違います」
「貴様、この後に及んで言い逃れられると思っているのか」
 男は必死の様子で頭を左右に振った。
「火を放ったのは、おいらじゃあ御座いません。おいら、火がちゃんと回っているか確認していただけで御座います」
「ならば火付けの一味に違いは無いのだろう」
 庄左ヱ門は眉間に深い皺をよせ、片手に握った小太刀の鯉口を切ろうとした。それを見て、「ひっ」と男が悲鳴を上げた。
 伊助の持った行灯の火が俄に燃え上がる。
 強い灯りの元で見ると、その鼠のように尖った顔の男は、田舎臭い若者であるようだった。
「命ばかりはお助けを」
「ばかめが! 貴様らが幾つの命を奪ったと思っている!」
 庄左ヱ門は今にも斬りかからんばかりの勢いで怒声を上げた。
「そ、そりゃあ、あれほどの大地震では」
「地震の話などしてはおらん。貴様らのやった、太田屋への火付けについて問うている」
「ですから、それはおいらの仕業じゃありません」
「ならば仕掛け人は誰だ」
 この問い掛けに、男はうっと口を塞いだ。目が泳ぎ、炭焼き小屋の狭い室内を空ろに見る。何かに怯えているようであった。
「命ばかりは、と言ったな」
「へ、へい」
「虫が良いとは思わんか」
「へ」
「どちらにしろ、お前の末路は決まっている。行き先は地獄だ」
 男がぶるっと体を震わせた。
「どうせならせめての知っていることを吐いて、おれではなく地蔵菩薩の慈悲に縋るがいい」
 終に庄左ヱ門は刀を引き抜き、男の鼻っ面の前にかます切っ先を突き立てた。
 切っ先が鼻の頭の皮一枚を貫いて、一滴の血がにじみ出る。
「庄左ヱ門、その辺りにしておけ」
「伊助」
 行灯を持ったまま、伊助が庄左ヱ門の刀を握った腕を押さえた。
「何かは知らんが、言えぬ事情があるらしい」
「そんなものは見れば判る」
「裏で糸を引いている者が恐いのだろうよ。今すぐに切り捨てられるのよりも」
「大方、黒幕がこちらの身内なのだろうさ。それか、恩があるのか」
 庄左ヱ門の指摘に、男はぎょっと目を見開いた。どうやら図星であるらしい。
「そうか、なるほど。流石庄左ヱ門、頭に血が上っているように見えても冷静だな」
「怒りにまかせて、判断を誤るわけにはいかないからな。さてしかし、この男をどうするか。これ以上の尋問は無駄だな」
「この場で斬ってはいけないぞ」伊助は念を押した。「事のあらましが判別してから、大人連中の裁量も伺わなければならないのだからね」
「判っている」
 庄左ヱ門は渋い顔で頷いた。
「取り合えずこの場は、見張りをつけて放っておこう。もしかしたら火付け共の仲間が口封じに来るかもしれないしな」
「うん、差し当たってはそれを期待しよう。伊助、そろそろ夜が明けるな。やらねばならないこと、調べねばならないことが山とあるぞ」
 伊助、と語りかけたが、実際は庄左ヱ門は怯え縮こまっている男の方を見て言った。
 空が白み始める。小屋の入り口から、白い陽の光が入り込んできた。
 伊助は肩を竦め、庄左ヱ門に外へ出るように促した。
「火事は、まだ起こりますぜ」
 百助と名乗った若者は、疲れた声でぼそりと呟いた。
「だろうな」庄左ヱ門が振り向かずに答えた。
「地震の度に起こります。どんなに警戒していても、必ず火付けが出ます」
「何故だ?」
「知りやせん。でも、その手筈が整っているらしいんです」
 伊助と庄左ヱ門は互いに顔を見合わせた。

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