悪党たち 六

 さて、やわらかい朝日の影で、乱太郎と伊助は息を殺して、眼下の出来事を眺めていた。森の影に隠れているのは、二人だけでないのだが。
「進めェー進めェー」
 荒々しい掛け声と共に、野武士たちが砂煙をあげて進んでいく。四、五十人の集団は、男も女も混じっている。木製の大きな楯を構えた先頭の集団、次に槍や薙刀、また長い棒の先に鎌の刃をとりつけたもの、刃のないただの長い棒など、粗末ながらもいかにも殺傷力の高そうな武器を構えた集団。この集団が一番数が多く、次には野武士たちの頭と見える、馬に載った初老の男とそれを取り囲む数人が続く。最後にはしんがりの集団と、ものものしく隊列が組まれている。統率の取れた集団の向かう先は、どう考えても戦だ。
 一旦バラバラに出発した彼らは、戦場へ繋がる唯一の道で集結し、歩みを進めている。
「こんな狭いところで、本当に戦を始めるつもりなのかな」
 伊助が小声で呟いた。
「あの人数は……」
 乱太郎が背後を振り替える。茂みの中の誰かと目があった。
「やつらはね、容赦がないんだ。最初からそうだった」
 その男は吐き捨てるように言った。
「静かに」
 また別な誰かが言った。先程の男より、歳かさのようだった。
 滝に向かう小道は、両側が切り立った崖になっており、大人がちょうど四列に並んで通れる広さだ。崖の上からの攻撃に備えて、彼らは半円状の鉄兜を被っている。頭上からの投石などを警戒した装備だが、よくよく見ると、それは調理用の鉄鍋だ。しかし道の両側の崖の上はすぐに険しい森の茂みとなっており、そこからの攻撃や罠はほぼないだろうと考えているのか、あまり上に気を使っている風はない。
 その森の中に、敵は潜んでいるというのに。
「岩でも落としちゃおうか」
「伊助、それはちょっと」
 茂みの中に伏せた伊助と乱太郎が、小声でそんなやり取りをしている。
「駄目だよ、お二人とも。我々はもう、一切戦わないと決めたのだからね」
 再び背後て囁いたのは、先程別な男に制止を呼びかけたのと同じ声だった。彼らの中では、上の地位にあるらしい。
「通りすぎてく」
 敵の集団を眺めながら、乱太郎が言った通り、その野武士たちは崖の上に隠れている乱太郎たちに気づくことなく、谷間の先に消えていく。
「よーし、完全に姿見が見えなくなったら動くぞ。準備はいいな?」
 指導者らしき男が、木の影から姿見を現した。老齢に差し掛かった頃の痩せた男だ。彼は木々の影に隠れる人々を見回し、頷きあう。最後に乱太郎をじっと見た。
「すまんが後ろに残してきた連中との連絡を、頼めるかい?」
「あ、はい」
 乱太郎が頷いた時、
「乱太郎、伊助!」
 崖の下から呼ぶ声が聞こえた。
 兵助だ。野武士たちの通りすぎた後ろから、ひょっこりと現れた。崖の下から乱太郎たちを手招きしていた。
「久々知先輩!」
 伊助が先に、崖を滑るように降りた。乱太郎と、それから指導者の男も、それに続いた。
「やつら、後ろは見えていませんな」
 男は消えていく野武士たちの土煙を、目を細めて眺めた。隣に駆けてきた伊助の頭を撫でながら、兵助は頷く。
「そのようですね。後ろを着けてきても、気付かれませんでしたから」
「うん。上手く行きそうですね」
「大丈夫ですよ」
 兵助は簡単にそう言った。
 訝しく乱太郎が首を傾げた。あまりに余裕があるので、怪訝に思ったのだ。
「先輩、どうしてそう言い切れるんですか?」
「切り札を準備してきたんだ」
「切り札?」
「それってこの挟み撃ち作戦のことですか?」
 伊助が好奇心に満ちた目で尋ねた。
「いいや」
「え? 他に、何かあるのですか」
 それは、この指導者の男すら知らされていないものらしかった。勿論、ここまでの彼らの行動を追ってきた方なら、大体推測がついているだろうが。
「秘密です」と、兵助はにっこり笑って答えた。「それより立ち話をしている暇はありません。悪党たちが驚いて引き返してくる前に」
「あ、ああ、そうですね。今、滝に残してきた連中に、連絡を取ろうとしていた所です」
「それなら乱太郎が足が早いから」
「はーい」
 乱太郎が返事を返した所で、
「ちょっと待ってください」
 と、若い男が、崖を滑り降りてきて、兵助と指導者の男との間に割って入ってきた。
「村長、連絡ならおれが行ってきます」
 その青年は、兵助の方をちろりと見て、
「いいでしょう?」と念を押した。
 村長と呼ばれた指導者の男は、ちょっと面喰らったような、訝しがるような顔をして、返事に窮していた。
「どうした、急に」
「別に……おれらの村のこと、余所者に、まかせっきりなんてシャクじゃないかと思って」
「別に、なんて言いながらひねたこと言うんじゃないよ。それにこの方々は余所者なんてもんじゃない。あの忍術学園から助太刀に来ていただいたんだぞ」
「忍術学園だかなんだか知らないが、こんな子供を呼ぶのにいったいいくら支払って……」
「おい!」
 初老の男が鋭く低い声を発した。実に巌しいその一声で、ぎょっと、青年は言葉を喉に呑み込んで縮みあがった。
 この指導者の男は、青年の言うように村の長として、長い間人々を束ねるに相応の威厳を懐に隠しているのだった。たとえその村がならず者によって奪い尽くされ、形を無くしてしまった後だとしても。
「いや、お恥ずかしい。うちの未熟者がね、身の程知らずに喚いてしまって」
 男は一瞬の厳しい声から一転し、明るく朗らかな様子を取り戻し、兵助に向かって語りかけた。
「あ、いえ」
 たった今の短い時間で、この男がただ者ではないと、理解した。それにたじろいでしまったのは、兵助がこの件は簡単に事が進むと油断していたからに他ならない。
 彼の後ろでは、伊助と乱太郎が、二人揃って同じように冷や汗を垂らしていた。
「しかしこいつの言うことも一利ある。自分らの村のことですから、きちんと自分らで面倒を見ないと、御先祖に会わす顔もない。そう思いますでしょう」
 男は深く考える素振りをしながら、同時に兵助たちの目をそれぞれ覗き込んで、自然と頷き同意するように促した。
「どうでしょうか、後ろの連中との連絡とその指揮は、私らに任せていただけませんか。伊達に二十人あまりも残ったわけではないのです」
「それは構いませんが」
「申し訳ないが、ありがたい。あなたの役割を奪ってしまうようだが……」
「おれは……私は、そのつもりだと言いましたか? 背後の方の指揮を取るつもりだって」
「いや。しかし道理でしょう」
 兵助は、知らずのうちに厳しい表情になり、息を呑んだ。
「私が前で指揮を取ります。後ろは……次郎丸」
 兵助らには知らない名前だった。また、崖の上の部隊で頷く者の気配はない。恐らく、後ろに残してきたという部隊の中の人物であろう。
「おい、三郷。連絡は、お前だよ」
「はい!」
 青年がぱっと顔を上げた。
「いいかね、伝える内容は」
 男は青年の耳元に口を近づけら二、三言、小声で告げた。
「判ったな」
「はい」
「よし。行ってこい。ちゃんと伝えるんだぞ」
「はい!」
 強く返事を返すと、青年はやって来たのと逆回しのように、素早く崖をよじ登り、あっというまに木々の間に消えた。滝の方に移動していく気配の音が、微かに聞こえる。
「やつは中々足が早いのです。物心ついたときからこのほうの暮らしでしたから、地形にも強い。安心できますよ」
 消えていく気配の背中に、男は語りかけているようだった。
「さて、我々も進みましょう。付かず、離れずでしたね」
「はい。相手は、あなた方が住み処の滝に留まっていると思っているでしょうし、残った別部隊の方々はしばらくそう見せ掛けるように交戦してもらいます」
「で、表から私たちが現れる。挟み撃ち作戦ですね」
「基本的には、それで大丈夫かと思います」
「うん。怪我人の出ないように頑張りましょう」
 そう言い残して、男も崖の上に登って行った。こちらも、馴れた動作だった。
「すごいですね、かぎなわも無しにあんな崖を登ってる」
「それだけここの暮らしが長いということだろうな、伊助」
「つまり滝の裏の洞窟の暮らし?」
「悪党たちに村を追われてからの暮らし、さ」

 さてそのやり取りを、山田伝蔵は少し離れた木の上で聞いていた。少し、と言っても伝蔵にとっての少し、であって、その距離は一町(約一〇〇メートル)近く離れており、生い茂る木々の隙間から見える兵助らの姿は豆粒のようなものである。当然ながら声など聞こえはしないのだが、熟練した彼にとっては警戒のない兵助らの会話など音がなくとも身振り手振り、そして口の動きで手に取るように判るらしい。全く訓練の無い者からすると、まずこの距離でそこまで対象を観察できるのが脅威だろう。
 土井半助と伝蔵はいつもの通り、生徒の引率のためこっそりと付いてきた。しかし昨日から、五人がそれぞれが別行動を取り始めたため、翌朝の時点で彼らも二手に分かれることとなった。自然、戦忍たる伝蔵の方が前線のこちらを監視することとなり、こうして森に潜んでいる。細い木の枝に胡坐をかいて座り、下に広大な森と生徒たちを眺めている形である。
 とはいえ未だ悪党たちと元村人たちの対決には至らない。先程の話の通り、悪党たちが鬨の声を上げ元村人たちの塒を襲撃した時、虚を突いて背後から村人たちの反撃――それが作戦開始となるだろう。それまではまだ安全だ、とこうして距離を取っているのである。
 しかしそれにしても、と伝蔵はやや呆れ気味で成り行きを眺めていた。
 どうやら兵助は後輩にきちんと作戦を説明していないようだ。それどころか、事実の伝達もきちんと行われていないらしい。これは何らかの作戦なのか、だとしてもちょっと人情として不器用なやり方では無いだろうか。
 何のつもりだと、当の本人に問いただせば何と答えるかは判り切っている。
「その方が作戦上、都合がいいと思いました」
 筋の通った減らず口である。昨晩の、「使えるものは何でも使うと教わりました」と同じように。
 決して頭の悪い方ではなく、それどころか出来のよい生徒で間違いはないのだが、頑固であり、それと決めたら一直線の所がある。
 正しいことが正しい。この作戦だ、と決めたら、それだけなのである。
 しかも熟考した作戦行動での頑固さもさることながら、咄嗟の行動の素早さと強固さも中々のものがある。つまりすぐ手が出る。だから、他人と共闘するのが非常に苦手だ。明るく人好きのする性格の割に、結構個人主義に見えるのは、この性質による所が大きいだろう。
 さらに人一倍責任感が強いのも、手の出る速さと個人主義に拍車を掛けている。今すぐに自分がやらなくては、である。
 悪いことばかりではない。真面目で、行動力、責任感がある。一見すれば素晴らしい人格だが、しかし忍者はそれだけではまずい。目的を果たすため、あらゆる場面に遭遇しやり過ごさなくてはならない。情報や信頼を得るのならば、人を相手に武力でない方法で戦うことになる。
 要するに柔軟さ足りないのだ。はっきり言って、これが無いのは忍者としては致命的である。
 その性質が、先日の課題中の大怪我に繋がったのは、言うまでもない。
 だからこその今回の課題だが、判っているのかいないのか。勿論、新たな条件下の課題に出たからといって、昨日の今日で急にその質が変わるわけがない。少しでも気づくところがあればいいと思ってのことだ。
 期待はかけているのだが。
 この状況は、どうだろう。ついさっきまでのやり取りを眺めていると、どうやら元村人たちに不信感を抱かれてしまったようだし、後に残してきたきり丸たちも、何やら雲行きがあやしい――と、そちらを見ている半助からの知らせがあった。
 兵助も雲行きの怪しさは判ってはいるだろう。しかし、あまり重く受け止めていないのは、つまり最も面倒な方に話がこじれたとしても、最終的に自分が何とかうまく立ち回れば――切るとか殴るとか、そういう方法で悪党たちをねじ伏せればどうにかなるだろう、と考えているからではないか。そしてそういった方法での解決を楽にこなすための準備も、整えているわけだ。
 「悪党たち」が残してきた、子供たちと、彼が深夜に準備した毒入りの弁当、とまあそんな作戦だ。
 伝蔵は、浅いため息を一つ零して、眼下に広がる濃い緑の森と、その隙間に見える我が生徒たちを眺めた。自然と、目が細くなる。
 仕様の無い奴だ、と誰にも聞こえない距離で呟いた。
 かと思うと、次の瞬間には枝から飛びさっていた。高い木々の枝を伝い、猛烈な速さで兵助らに近いづいていく。しかし音もない。
 仕様の無い、ともう一度呟いた。少し笑っていたのは、これはつまり手のかかる子ほど可愛いとか何とかの、親心のようなものだ。
 やがてのろのろと森を進む、元村人と兵助らの真上に、ぴたりと止まった。
 枝と葉に包まれた頭上に一つ影が増えたところで、誰も気が付きはしない。
 いや……乱太郎が、ふっと上を向いた。
「あっ」
 と、小さい声で呟いた。こういう状況に慣れているためか、勘がいい。
 伝蔵はにやっと笑って手を振った。
「乱太郎、言うなよ」
 声は聞こえなかったが、何を言ったのか、乱太郎には判っていた。それこそ慣れ、である。

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