悪党たち 五

 空が白み始めた直後、村から兵が出た。夜と朝の混沌の隙間を縫うような、静かな出兵だ。村の大人たちが皆揃って、無言で森の中を進んでいく。街道を通ったのでは奇襲にならない。村の村長屋敷からぞろぞろと出てきた彼らは、各々が知る獣道を事前に丹念に練り上げた計画通りに、敵の根城に向かってあらゆる方角から進み出した。
 さて、村に残るのは子供たちと、数人の見張り番だけになったのだが。
「えー、弁当、弁当はいかがっすかあ」
 村の出入り口に残った二人の見張りの所に、ちょっと変わった弁当売りが現れた。肩から弁当の入った箱をさげて腹にかかえ、こんな狭い村なのに「べんとう」と書かれた遠くからも見える目立つ昇りを背負っている。
 何より変なのは、見張り二人ともその弁当売りと面識がなかったことだ。この狭い村の中、住人で顔見知りでない者が存在するはずがない。となれば余所者ということである。
「な、なんだお前」
 見張りの背の高い方が、警戒して槍を引きながら声を掛けた。二人の足下には、昨日の夜から飲み食いしていたらしい空の器が雑然と転がっている。
「弁当いかがっすか」
「弁当?」
「へい。おにーさん方、朝ご飯まだでしょ? 宿屋のおばちゃんが出兵前に作った弁当、お一ついかがですか」
「何だ、宿屋のおばちゃんの使いか」
 若い方の見張りが武器を降ろして、少し警戒を緩める。見ると、二人はまだ十三、四ぐらいの若さだ。村の年齢層から考えて、この二人だけ浮いている。どうやらそれで居残り組となったらしい。
「今なら弁当一つ五文のところを三文で……」
「こら、きり丸」
 商売っ気を出して交渉に入ろうとしたきり丸の背後に、ぬっと兵助としんべヱが現れた。
「無料ですよ。私たちはおばちゃんに頼まれただけですので」
「せんぱぁい、折角商売のチャンスなのに」
「弁当を作ったのはお前じゃないじゃないか。他人の資本で儲けようとする輩を、盗人と言う」
「ほんとお堅いんだから」
 きり丸は、涙目だ。
「おばちゃんが作ったのなら安心だ」
「はいどうぞ」
 見張りの背の高い方もようやく警戒を解いて、しんべヱから弁当を受け取る。
「じゃ、ごゆっくり」
「ん?」
 二人に弁当を渡し終わると、兵助はきり丸としんべヱを伴って妙にそそくさとその場を立ち去ろうとした。
「せんぱーい、あの弁当」
「ん? きり丸、子供たちの方なら、もう配り終わったから心配しなくていいぞ」
「いや、そうじゃなくて」
「ほら、行くぞ」
 何か言いたげなきり丸を急かして、兵助は村の中央付近の広場までずんずん進む。
 やがて周囲の見通しのいい広場まで来て、辺りに怪しげな者の見えないと確認を済ませると、やっときり丸に向き直った。
「そろそろ良いか」
「何が? てゆうかちょっと先輩、あの弁当ただの弁当じゃないでしょ」
「うん。気付いたか」
「ただ……只……うへへ」
 自分の発言に涎を垂らしてにへらと笑う。
「きり丸う、自分で言っときながらもう」
「察しの通り毒が入っている。眠り薬と痺れ薬の混ざったような、しばらくの間意識が朦朧とする程度の大したことのない毒だけどな。それにしても、どうして判ったんだ?」
「え?」
「タダ……」
「ちょっと、ちょっと、きり丸、どういうこと?」
 しんべヱがきり丸の腕を掴んで、ゆさゆさと揺さぶる。
「何で毒が入ってるって気付いたの?」
「えー……おほん」きり丸が戻ってきた。「そりゃ、簡単な話だぜ。お弁当をしんべヱが大人しくわたしたからだ。いつものしんべヱならよだれだらだら、掴んで離さないはずだ」
「失礼な」
「しんべヱが反応しねーってことは、中に毒が入ってるに違いない!」
「なるほど。しんべヱ、自分では気付いてなかったのか?」
「え、あー、いやー、何となく美味しく無さそうだなーって思って」
 苦笑いをしながら、しんべヱはこれは不味いことになった、と心の中で冷や汗をかいた。
「にしても、何で毒なんて入れたんですか」
「もちろん、敵の戦力なら削いでおくべきだ。詳しい話は歩きながらしよう」
「へ? どういう意味? ていうかどっか行くんですか?」
「出兵した村の人達を追わないと。行き先は判っているから……」
「あ、あのー、ぼくたち、ここでお留守番してますぅ」
「どうした、急に」
 兵助が高い位置からしんべヱを見下ろす。何気なく視線を向けられただけだが、しんべヱはなんだか咎められているような気がして眉を顰めた。
「村の子供たちが気になるんです」
「子供が? ちゃんと処置したから大丈夫だと思うが」
「その……」
 しんべヱには何か気がかりなことでもあるのか、どうしても残りたいらしい。兵助はしばらく思いを巡らしていたが、しんべヱらを置いていく方が得策だと考えたのか、にっこり笑って頷いた。
「ま、いいか。後から乱太郎たちも合流すると思うから、大人しく留守番してるんだぞ」
 そう言ってしんべヱときり丸の頭を撫でると、よほど慌てていたらしく踵を返して走り出した。あっと言う間に村の家々の隙間を走り抜け、見えなくなってしまう。
「しんべヱも久々知先輩も、一体どうしたんだよ」
 砂埃を残して消えてしまった先輩に唖然としながら、きり丸は呟いた。
「きり丸、久々知先輩には言わない?」
「あ? 何なんだよ」
「それがさ」
 言い渋っているしんべヱの背後に、突然ドタドタと騒がしい足音が近付いた。
「おい!」
 激突しそうな勢いで走ってきたそれに対して、きり丸はうわっと声を上げつつ後ろに飛び退いて避けた。
 しんべヱは、気がついた時にはもう遅い。
 どーんと強かに体当たりを受け、丸い体が地面にごろごろと転がった。ぶつかって来た相手を巻き込みながら。
「あいたたたた……」
「うわあああああ」
「な、なんだぁ!? 誰だ一体!」
 転がる二人は民家の壁に激突して、止まった。
「きり丸ぅ、そんなに逃げることないじゃない」
「いやあ、だってよお」
 ごにょごにょ言いながら、まだ少し後ずさりする。小声で喋っていたしんべヱの話に集中しようとしていたから、突然の襲撃に、必要以上に驚いてしまったのだ。まだ心臓がどきどきしている。
「ぶつかってきたのは一体」
「おう!」
 しんべヱの背後から、ぴょんと飛び起きた。
「ああっ! お前は!」
 きり丸としんべヱが揃って指を差す。
 そして。
「えーっと」
「誰だっけ?」
 二人一緒に首を捻った。
「おいっ! さっき会ったばっかりだろっ!」
「いやー冗談冗談、覚えてるよ。で、しんべヱ、誰?」
「えっとねえ、さっき会ったってことは、この村の子供かな」
「そりゃーそうだろ」
「宿屋のおばちゃんの子供だよ!」
「えっあのおばちゃんの」
「何か文句あんのかよ」
「いや、だってさ」
 きり丸としんべヱは顔を見合わせ、うんうんと頷きあう。
「不審だよね」
「だよな。だって自分の親のこと、おばちゃんって言うんだぜ」
「そこかよ! それはな、お前らにも判りやすいように言ったんだ」
「ホントかよ。てゆうかおかしいんじゃないか? だって村の子供たちはみんな、先輩の作った朝ご飯でぐっすり……」
「あ。あのね、それがさー」
「そんな毒入りの朝飯なんて食ってないよ。そこの兄ちゃんが、お菓子と取り替えてくれたんだ」
「えっ! しんべヱが!?」
「うん。だってさあ、何だか食べ物じゃない匂いがしたんだもん。毒かとも思ったんだけど、先輩が作ったって言うし、それじゃ毒なんて入ってるはずないし、じゃあ腐ってるのかなって思って、こっそり持ってきたお菓子と取り替えてみんなに配ったんだ」
「ってことは子供たちは誰も眠ってないってことか」
「そうだ。それより、今の話は聞かせてもらったぞ! お前らおれたちの食う朝飯に毒を入れやがったな」
「えええええ! あ、でもそうなのか」
「否定できない……」
 きり丸としんべヱは、驚くような、戸惑うような。
「さては盗賊の手先だな! ぶちのめしてやる!」
 そう言い、少年はさっと手に棒を取り出す。二人と睨み合って、ジリジリと近付いて来た。
「うぬぬぬ……これはまずい」
 きり丸、しんべヱの額から汗がだらり垂れる。
 少年は小さな体目一杯に力を込めて、きり丸としんべヱに向かって駆け出した。大きく腕を振りかぶって、手には木の棒。薪にされる前のものを拾ってきたようだ。
「まずい! しんべヱ」
「ええー!?」
 きり丸がさっとしんべヱの影に隠れた。ぼよーんといささか間抜けな音がして、しんべヱの腹が揺れる。
「見たか、しんべヱの無敵の腹の肉! そこら辺に落ちてる木片ぐらいじゃ太刀打ちできねーぜ」
「ふくざつ……」
 少年はしんべヱの腹に弾き返されて、ぽっきり折れた得物を唖然と見つめた。全身の力を込めたというのに、ぶち当てたしんべヱはまったく無傷。間抜けな音と感触が手に残っている。
 あの間抜けな腹に、気合い十分のこの武器が負けるなんて。
 勝ってしまったしんべヱも同じく納得のいかないような感じで佇んでいる。
「ふう。とにかくここで争うのは止めようぜ。俺たちゃ、敵同士ってわけでもないんだからよ」
「へっ!?」
 きり丸の提案に、少年は白黒させていた目をまたぱちぱち瞬かせ、さらにまた白黒させる。すぐに思い直して、きっと眉をつりあげた。
「何都合のいいこと言ってんだ! お前らはおれたちに毒を盛ろうとした、盗賊の手下なんだろ! しかもひとんちのくいもん勝手に使いやがって。おれはちゃんと昨日の夜見てたんだからなあ!」
「それが誤解なんだよ。あ、いや半分だけ? てゆうか先輩勝手に食材使ってたの!?」
「やっぱり盗賊だ! 父ちゃんや母ちゃん達がいない時を狙うなんて卑怯だぞ!」
「いやいやほんとに誤解だって。ほらしんべヱもなんとか言ってよ!」
「僕たち敵じゃないよ。だって毒が入ってるって知らなかったし」
「知ってなかったらなんで毒が入ってないやつと取り替えたりできるんだよ」
「だって変なにおいがしたんだもん」
「それだ! ほら、毒を盛ろうとしてら、毒の入ってないお菓子と入れ換えたりしないだろ! つまり俺たちは敵じゃないんだって」
「それはー! ん? でも毒入りの弁当を作ったのはお前らだろ? で、弁当を持ってきたのもお前らで、それを毒が入ってないのと取り替えたのは、お前ら?」
「なんかややこしくなってきちゃった」
 しんべヱがえへへと笑う。きり丸と少年は顔を見合わせて、お互い首をひねった。それからきり丸はため息を一つ。
「ちょと、腹割って、話しねぇか? 何なら、そっちももう一人二人連れてきてもいいからよ」
 少年は慎重に頷いた。

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