悪党たち 四

「乱太郎、乱太郎」
 滝の落ちる騒がしい音に混じって、伊助の声が聞こえた。明るい月光の下に、すぐに伊助の姿を見つける。川にかかった橋の影に、伊助はしゃがんで待っていた。
「こっち」
 伊助が手招きする方へ、乱太郎は足音もなく走り寄る。
「伊助、大丈夫だった?」
「うん」
 これまで十回近く五色米の通信に走ったが、伊助当人が出てきたのは初めてだ。前回までは、配置しておいた五色米は次に乱太郎が訪れるまでに知らず何所かへ消えていた。その上、兵助の支持する地点というのが少しずつ森の奥の方、村と逆の分かれ道を奥へ入っていった所になっていくので、不安もひとしおだった。もう既に人の声が聞こえるという逸話の、あの滝の音が聞こえるぐらいの場所へ来ている。
 確認の度に五色米が回収されていることが、伊助の無事を示す唯一の手がかりだったが、明け方も忍び寄る今になってやっと伊助当人が現れ、乱太郎は大きく安堵の溜息を吐いた。
「はー、それにしても久々知先輩も人使いが荒いよね。伊助一人に元悪党たちの対応を任せるなんてさ。ホントに安全かどうかも判らないのに」
「ははは、それを言うなら補習でドクタケに掴まったり戦に混じったり散々危ない橋は渡ってるじゃない。今更このぐらいの危険は平気だって」
「そうだけど……」
「乱太郎の方こそ、もう村とここを十回近く往復してるよね。夜通し走ってて、大丈夫?」
「走るのは得意だから。それより、伊助はここまで出てきて平気なの?」
「そろそろ動き出さないと間に合わなくなるからね」
 伊助がそう告げると、道の両側の森の闇が同意をするように静かにうねった。乱太郎はぎくりとして、慌てて周囲を見回す。
「ほ、ほんとに大丈夫かな」
「だーいじょうぶだって。それじゃ、最後の作戦確認だけど」
「うん」
 神妙に頷いた乱太郎は、懐から小さな袋を取り出した。口を縛ってある紐を解くと、逆様にして数度振る。
 白い米粒が一つだけ、地面に落ちた。伊助と乱太郎が固唾を呑んでそれを見つめる。地面にぶつかった米粒は、ぽんと跳ねて川に飛び込んだ。すぐに見えなくなってしまう。
「いいのかな? この作戦」
 乱太郎が難しい顔で異を唱えたが、
「うーん、でも圧倒的数の差を何とかするには、これしかないよ。それにどっちにも犠牲が出ないようにするには」
 伊助も同じく難しい顔で作戦に同意した。
「そうかなあ。きり丸たちが何してるかもわかんないし、どうも上手く行くような気がしない」
「まー、上手くいかなかった時は久々知先輩が何とかしてくれるって。乱太郎、それよりもう行かないと」
「もしかして僕が先導するの?」
「そうだよ。そのために乱太郎は十回近くもここと村を往復させられたんじゃない。それも村人に見つからないように」
「あー、やっぱりそうなのかあ」
 乱太郎が、複雑な顔をして溜息。そうならそうと最初から言ってくれればいいのに、どうにも言葉が足りないというか、マイペースな先輩だなあ、と思ってしまう。
「作戦開始までみんなが隠れる場所とかもありそう?」
「うん。大丈夫……だと思う」
「よし、行こう」
 乱太郎と伊助が足並みを揃えて走り出した。風が砂を吹き飛ばすような、静かな足音の後ろを、やや騒がしい木々のざわめきが団子のようになってついてきた。

 同時刻、鳴滝村では村中の人夫が村長の屋敷に集結し、戦を前にして決起の会合を開いていた。若い者は男も女も等しく具足を身に着け、戦に備えている。畑仕事で鍛えた体躯は皆一様に厳つい。
 戦の出陣は明日の陽が昇ると同時の予定であり、それまでおよそ三刻ほどの猶予があるが、こうして早くから具足を身に着けることで、日頃の農作業の精神から戦への士気へと心を切りかえているのだろう。各々が持つ武器は刀や槍ではない。普段農作業に使用している鋤や鍬、鎌などが主な武器となる。普通、この時代の戦となると長柄という非常に長い槍や弓を使って、数十人で隊列を組み組織的に動くものだが、今回の戦で戦い合うのは有象無象の悪党たちである。所謂足軽たちが隊列を組んで押し合う戦とは訳が違う。その上悪党たちの狭い塒を強襲する戦略であるから、戦場も必然隊列など組めない乱戦となるだろう。そうなっては、通常の戦場で使用される長柄や弓の方が反って役に立たないのである。
 さてその村長の屋敷に上手く潜り込んだしんべヱ、迷子のふりをして上手いこと決起集会を行っている広間の隣へ通された。何のことはない、村の子供たちも屋敷のその部屋に集められていたのだ。戦で親が不在となるため、一カ所に集めてお守りをするという合理的な作戦だった。突然迷子になったなどと言って上手くいくか、しんべヱには不安だったが、蓋を開けてみれば反って自然な行動となったようだ。雑魚寝をする村の子供たちに混じって寝たふりをし、必死に耳を側立てて、微かに聞こえる会合の内容を床下にこっそり忍び込んだきり丸に伝える。ある程度情報が集まったら、きり丸が宿屋に待機している兵助の所に駆け戻る。
 出陣は明日の日の出、殆どの大人は戦の人夫として掻き集められ、村には子供たちとお守りが数人残されるだけの予定になっている、とそこまで情報を伝えると、兵助は「よし」と頷き、乱太郎に最後の指示を出した。
「あとは陽が昇るまで、休んでていいぞ」
「しんべヱはどうします? 屋敷に侵入しっぱなしですけど」きり丸が訊ねた。
「侵入しっぱなしでいい。後で合流しよう」
「後って、いつ?」
「朝になってからだな」
「朝になってしまうと戦が始まってしまうのでは」
「すぐには始まらないよ。乱太郎と伊助が上手くやるならな。後から出発しても充分間に合うだろ」
「はあ……」
「さ、もう夜も更けたし、休める内に休んでおけ」
 言うと、部屋を僅かに明るく照らしてた行灯を持って、兵助は部屋を出て行ってしまった。部屋が真っ暗になる。
 暗い部屋に一人取り残され、さあ休めと言われても、なんだか落ち着かない。第一、兵助は何所に何をしに行ったのか。詳しい説明も無しに行動に出る辺り、相変わらずマイペースな振る舞いだ。
 昨日から徹夜続きで疲れてはいたが、好奇心には逆らえず、きり丸は兵助の後をつけることにした。
 後を付けると言っても、宿の階段を下りてすぐに目的地に着いてしまったのだが。
 兵助が向かったのは、宿の炊事場だった。昼間にしんべヱと共にうどんを食い、冷や汗を掻いた食堂のすぐ隣だ。食堂と炊事場は戸もなくそのままつながっており、炊事場は土間になっていた。
 その炊事場に兵助は一体何の用事だろう。まさか一人夜食を戴きに来たわけではあるまいし。
「きり丸」
 疑問符を浮かべて、行灯の光の届かない闇に潜んでいたきり丸は、あっさり見つかって名前を呼ばれた。
「休まないのか?」
「あ、いえ、あんまり疲れてないかなーって」
 気まずい冷や汗をかきつつ、きり丸も土間の炊事場へ降りた。
「そうか。ならちょっと手伝ってくれ」
「何ですか?」
「うん、ちょっとな……明日の子供たちの朝ご飯を作ろうかと」
「へ? なんで先輩が?」
「いやな、さっき宿のおばちゃんに頼まれたんだよ。自分も戦に出るから代わりに飯の世話をしてやってくれって」
「へえ、あのおばちゃんも戦に出るんスか」
 昼間に睨まれたのを思い出す。想像するだに、強烈無比の将兵だ。絶対に真っ向から対峙したくない。
「ま、そういうことだ。手伝うか?」
「お駄賃は!?」
「出ない」
「じゃ、お休みなさい!」
 お駄賃が出ないとなれば、きり丸の好奇心はあっと言う間に引っ込んでしまう。
「おいおい……おれもおばちゃんから駄賃は貰ってないんだぞ。まあ、いいか。上で休んでても構わないが、せめて明日の朝、村長の屋敷まで食事を運ぶのは手伝ってくれよ。しんべヱともそこで合流するんだから」
「へーい」
「大丈夫かな」
 ちゃんと聞いているんだかどうだか怪しい生返事を残して、きり丸は宿の二階にさっさと戻っていった。
 その背中を見送って、ふうとため息を吐く。ため息は、これから作る大量の朝食を憂いてではない。兵助は懐から油紙の包みを取り出した。
「おい、兵助。本当にやるのか」
 闇が囁いた。炊事場の格子のはめられた窓から、風音のような声が吹き込んでくる。
「はい。他に方法が思い浮かばないので」
「ちょっと早計じゃないか? 私は子供達を危険な目に会わすのは」また別な声。
「いえ、むしろ危険からできるだけ遠ざけるつもりです」
「だがなぁ……」
 油紙の包みを開くと、小指の先程の大きさの丸薬が数十個現れた。次に兵助は炊事場の隅に詰んであった俵を解き、中の稗や粟を大鍋に空けた。
「山田先生、土井先生、この場はおれが任されました。最後まで責任を持って、自分の手で何とかするつもりです」
「手出し無用と言いたいのか。そりゃ判っておる」
 恐らく料理用であろう、予め瓶に汲まれた水を鍋に注ぎ、それから先程の丸薬をひとつ、ふたつ、と数えながら水と雑穀の中に落とした。
「あちゃあ、あたしが言ったぐらいじゃ止めないよこの子。土井先生、あんたも何とかいってやってよ」
「何をしようとしているのか知らないが……子供に、罪はないだろう」
 兵助は丸薬を放り込みながら、何やら口の中でブツブツと計算をしている。薬の量と水の量、穀物の量、それからそれを食べる人数を計算しているのだ。
「判っています」
 計算による最後の一粒を放り込んだ後、兵助ははっきりとそう答えた。
「でも、使える物は何でも使うのが忍者だと教わりました」
 鍋の中を素手で何度かかき混ぜると、鍋を釜の上に乗せ、火を付ける準備を始めた。
 薪が足りない。
「子供達に被害が出たら、今回の実習は失敗だ」
「それは、新しい条件ですか」
 薪を取りに、兵助は炊事場の勝手口から外に出た。
「そうだ」
 炊事場の裏に、薪が幾つか詰んである。だが、粥を炊くには少し足りないようだ。
「判りました。善処します」
 兵助は薪となる木を取るため、宿屋を離れて近くの茂みに入っていった。
「頑固だね、ありゃあ」
「生真面目なんです」
「それが良しとでるか悪しとなるか」
 宿屋の屋根の上で、山田先生と土井先生がため息をついた。宿屋の屋根からは、遠く離れた村長の屋敷を望むことができた。夜も更けてきたが、決起の集会のために赤々と光が灯されている。あそこにしんべヱや、この村の子供達も集められているのだ。その子供達に薬を盛って、一体兵助は何をするつもりなのか。もちろん両教師には大方予想がついてはいたが、その些か乱暴な手段が計算通りに進まなかった場合を考えると、警告せずにはいられなかった。
 いやむしろ、計算通りに進まなかった場合に、彼がどう動くかが気になっていた。
「ん?」
 屋根の上から、炊事場の勝手口から荷物を抱えた小さな影が走り出してきたのが見えた。
「あれはこの宿屋の子供じゃないか?」
 影は一目散に村長の屋敷へ走っていく。
 それに気付かずに、薪を集め終えた兵助が戻ってきた。

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