悪党たち 三

 さて、真新しい朝日の昇った明るい山道に、ちょろちょろと水音が聞こえている。鳴滝村は滝の近くにあるのだから、必然、川も近くにあるということだ。
 一行は道の途中で広い川に突き当たり、先だって伊助が提案した通りに衣服を少しばかり汚して、旅人らしさを装った。
 その川に添って暫く下りの道が続き、あるところで道が分かれていた。
 川から逸れて再び木々の間に続く道と、川の上に掛かった橋を越えて、更に川沿いに進む道だ。橋の下は落差の低い滝になっている。
「これが人の声が聞こえるとかいう噂の滝でしょうか」
「いや、違うんじゃないか、乱太郎。得に変わった音も聞こえないし」
 一同が息を潜めて、落ちる水の音に耳を澄ました。
 静かな水音が連続的に鳴っているだけで、兵助の言うとおり人の声らしきものは聞こえない。
「あっちの先に」橋の向こう、上流を指差した。深い森の中だ。「もう一つ滝があるのかもしれないな。道がまだ続いている」
「ほー。で、村はこっちの道ですか」
「そうだ。ほらきり丸、あと少しだぞ」
 別れ道を通り過ぎて、更にまだ歩く。
「はーあ。夜通し歩かされて、金にもならない危険な人助けなんてね……」
「きり丸ぅ、もう一晩中同じ文句言ってるぞ」
「いくら言っても言い足りない。伊助にゃ判らんだろーが、ドケチにとってただ働きほど疲れる仕事はないんだぜえ」
「でももう僕も疲れてきちゃったよー」
 ふうふう、と息の上がっていたしんべヱがその場に座り込もうとした時、
「お、見えて来たぞ」
 と、身長の関係で一行の内もっとも展望の利く兵助が声を上げた。
「ええ!?」と、乱太郎と伊助が声を揃えて、元気よく道を駆け下りた。
「おおい、気を付けろよー」
「ホントだ、村が見えてきましたよ!」
 夜通し歩き続けた疲れがやっと報われた反動で、乱太郎が嬉しそうに振り返り叫ぶ。
 下り坂の道の遥か下に、確かに広い田畑と藁葺き屋根が並んでいるのが見える。
「田んぼと畑しかねぇ村だ」
 きり丸がつまらなそうに言った。
「確かに、これといって特徴は無い村に見えるな」
「金になりそうなモンも無さそうですね」
「食べ物はあるかなぁ。僕、お腹空いちゃった」
「もうそろそろ朝ご飯の時間ですね」
 朝日に照らされた山の中で、ぽっかりと穴を空けたような村の影を見下ろしながら、伊助が言った。
「先に朝ご飯にしますかー、それとも悪党退治ですかー」
「お前ら、その二つを並べて考えるのか」
「だって僕ら、悪党退治の村の助っ人って言われても、何していいのか判んないですよ」
「それもそうか」
「どうしますかー」
 四人が口を揃えて言い、兵助の顔を覗き込んだ。妙案を期待する八つの目が、明るく輝いている。
 引率で上級生の兵助には、きっともう何か考えが浮かんでいるんだろうと信じて疑っていない。
「うーん、取り合えず村に入ってから考えよう」
「へっ?」
 しかし、兵助の方も実はあまり詳しい話を聞いてはいないのだった。当然、下級生四人に出すべき細かい行動の指示も考えついていない。
「何か作戦とか無いんスか」
「あるにはあるんだが」
「が」と四人揃って聞き返す。
「やっぱり、とにかく村に入ってから考えよう。ほら、立ち止まってないで行くぞ」
 乱太郎達を急かしつつ、兵助は一人足を速めた。その後ろを慌てて四人が付いていく。
「何だかなあ」
 誰かが小声でぼやいた。

 地形というのは戦略上において非常に重要な役割を占めており、作戦参謀である彼もその重要性を重々承知している。戦を始める前には、地形を調べるのが筋というものだ。
 当然ながら兵助もその筋に従って、村周辺の地理を調べる事から始めた。
 一人で。
 四人の小さい姿は、ない。
「じゃあ、別行動にしよう」
 村に着くなり、兵助は後の四人に向かってそんなことを言い出した。
「ええー? 先輩どこに行っちゃうんですか?」
 乱太郎が当然のように不満の声を上げる。
「一応、相手の根城を見学してこようかと思って。お前たちもついてくるか……なんだその顔は」
「いえいえいえそういう危険なことはちょっと」
 乱太郎、きり丸、しんべヱは引きつった顔で、大げさに首を横にふった。
「そうだろうな。お前たち四人は、村で情報を集めていてくれ。ついでに今晩の宿でも取っておいてくれると助かる」
「宿なんかあったかな」
「こんな小さな村でも一つぐらいあるさ」
「宿代どうすんすか」
「必要経費だから後で学園に請求を回す」
「お、そんな裏技が」
「言っておくがきり丸、請求書類の偽装はできないぞ」
「なんでですか」
「なんでって」
 兵助はふと顔を上げて、村の周囲を取り囲む木々を眺めた。
「優れた忍者である先生方を騙すなんて大変なことだろう」
「ま、そうですねぇ」
「それに詐欺を働いて稼ぐ金なんて碌なもんじゃないさ」
「へいへい。まあ、オレも忍者にゃなりたいが悪人にはなりたくねえ」
「いい心がけだ。じゃあ、後は頼んだぞ。陽が落ちる頃には戻るよ」
「はーい」
 四人は少し釈然としない様子で返事を返した。
 そうして、自分一人だけで道を引き返している。今朝方、村を発見して乱太郎達が声を上げた地点まで戻ってきた。
 村を見下ろす。田畑の隙間に藁葺き屋根が並び、その家々のかまどから煙が立ち上っている。村の端は木が切り倒され、森が開かれつつある。新しい畑に変えるために、土木作業を行っているらしき影がぽつりぽつりと見える。
 今頃、三人はあの村のどこかで朝食を取っている。
 そう、三人だ。一人は、こっそりと村を抜け出していた。
 兵助の後を付けている。
 気付いているのかいないのか、兵助は来た方とは違う別れ道を迷わず選んで進んだ。木々の影に隠れながら、伊助も続いた。

「みんなピリピリしてる村だね。なんだかこっちまで不安になっちゃうなぁ」
「そう言いつつしんべヱ、どれだけ食べる気だよ」
 しんべヱは空になった椀を机の上に、かたんと音を立てて置いた。
「ねえ、もう一杯食べてもいい?」
「その台詞、十四回目だぜ」
「だって乱太郎も伊助も帰ってこないんだもん。心配で食欲がとまらないの」
「ったく、普通逆だろ。でも、確かに二人とも遅いよなあ」
 窓からは天頂まで登った太陽が見える。
 村で唯一の宿屋兼食事処で、きり丸としんべヱの二人は暇を持てあましていた。
 通りすがりの旅の一団ということで村に入り、村人と話をしている内に今日はこの宿屋に泊まるということになった。とりあえず仕事の一つが片付いたので、それはいいのだが、この宿屋も含め村の空気がどうも良くない。今も、食事を持ってきた宿のおかみが胡散臭げにきり丸としんべヱを睨んでいった。
 十五杯目のうどんの椀のせいもあるだろうが。
「どうも、普通じゃねえなあ」
「やっぱり悪党たちのことで警戒してるのかな?」
「だからってオレたちみたいな子供にまで目を光らせるのはいきすぎだぜ。先輩はとにかく人から話を聞けって言ってたけど、こんな状態じゃな……」
「乱太郎や伊助とも、別行動にしなきゃよかったね」
「まー、でも固まって行動してても仕方ないしな。しかしいつまで食うんだよ。もう十五杯目だぞ」
「きり丸は食べないの?」
「ここの店はなあ、高い」
 厨房にいたおかみが、じろっと二人を睨んだ。その全身の脂肪に百戦錬磨の人生経験を練り込んだような、男顔負けのがっしりとした体型のおかみに睨み付けられ、二人の背筋に寒いものが走った。
「聞こえてんのかよ」
 しんべヱもきり丸も、小声で話しているつもりだった。しかし悪い話というのは、人に聞こえるものだ。
「乱太郎たちが心配だね」
 としんべヱが呟いた後、二人とも押し黙ってしまった。
 どうにかして情報を集めたいのは山々だが、どうにも村人たちの口が堅い。いっそのこと忍術学園から助太刀に来たのだと言ってしまえばいいのではないかとも思うのだが、それは兵助に止められていた。
 朝食を取った後、午前中に村を一回りしてみたが収穫がない。二人は悶々と食事をとり続けていた。
 もう真昼を通り過ぎる。別行動をとった乱太郎たちとは昼にここで待ち合わせのはずだったのだが、一向に来る気配もない。
 外では午前の畑仕事を終えた子供たちが集まり、遊びを始めていた。石蹴りか何かを始めたのか、賑やかなかけ声が聞こえる。
「そうだ!」
 その時、突然きり丸が立ち上がった。
「え? なに? どうしたの」
「遊ぶぜ! こういう時は、取り合えず遊ぶんだ」
 そう言い切って、ずんずんと食堂を後にしようとした。
「待ってよぅ」しんべヱが慌てて後を追う。
「待ちな」
 出口に立ちふさがった影に、きり丸もしんべヱもぎょっとして縮み上がった。いつの間に先回りしたのか、おかみがものすごい形相で立っている。
「え、ええっと、僕たちはですねえ」
 きり丸が必死に言い訳を探す。
 何故だか判らないが、非常に不味い状況のような気がして、だらだらと冷や汗が出た。
「お代がまだだよ」
「あ、お代。お代ですか」
「ぼぼぼぼぼ僕が払います」
「早くしな。こっちゃ暇じゃないんだ」
 単に食い逃げを疑っていただけらしい。支払いの銭を数えながら、しんべヱときり丸はほっと胸を撫で下ろした。

 兵助が村に戻ったのは、すっかり日が沈んでしまってからだった。狭い宿の一室に、四人は集まって膝を揃えている。
「遅かったですね」
 きり丸だ。ちょっと、皮肉っぽい言い方だった。
 陽が落ちる頃、からかなり時間が経っている。こんな陰気な村の恐いおかみがいる宿屋で待ちぼうけを食らったことに、ちょっとばかり腹を立てていた。
「うん、悪かった。ちょっとな、片腕が動かないのを忘れていて」
「なにかあったんですか」
 しんべヱが不安そうに、兵助の顔を覗き込む。
 それを遮って、眉を八の字にした乱太郎が、
「それより久々知先輩、伊助が……」
 と言った。
「それは判っている。その前に、今日得た情報を整理しよう。まず、きり丸」
「あ、はい。オレとしんべヱは一緒に行動して、ここらの子供の話を聞きました」
「うん、基本だな」
 昼間にきり丸が思い立ったのは、この事だった。大人は口が堅くとも、子供はそうはいかない。子供の持っている情報はばかにならないし、その上子供の口を結ぶのは難しいものだ。
「何か面白い話はあったか?」
「面白いっつうか、不思議なことがあって」
 きり丸は口を少し尖らせて、昼間の事を思い出すように目線を上に泳がせた。
「この村は、子供が結構沢山いるみたいなんですが、それがみんな同じぐらいの年齢なんですよ」
「みんな五歳ぐらいで、それより大きい子供があんまりいないみたいです。十八とか十九ぐらいの人は何人かいましたけど」
「六歳ぐらいから十七ぐらいまでがいないということか。それは要するに、この村が新しい村だからじゃないかな」
「どういうことですか」
「恐らくな、ここの村人の大半が、五年かそれ以上前に移住してきた人々なんじゃないかということだ。新しい土地に来るのに、乳飲み子を抱えてくるわけにはいかないだろう。最低限、開墾の足手まといにならない年齢を考えると十二とか十三ぐらい。そのぐらいが移住してきた者の最低年齢と考えれば、五歳以下の子供を除いての現在の最低年齢世代と計算が合う」
「五歳ぐらいの子供ってのが、つまり移住してきた後に産まれた世代というわけか」
「そういうことになるな。しかし鳴滝村は、おれの記憶が確かなら五年以上前から存在したはずなんだよな」
 包帯を巻かれて不自由なままの腕で、何とか腕組みのような形を作って、兵助はううん、と唸った。
「森を開いて、新しい畑を作ろうとしているのは見たか?」
「見ました」
 朝に山道からこの村を見下ろした時の風景を思い出して、三人は頷いた。朝早くから木こりが森の縁にとりついて働いていた。その縁に躙り寄るように、新たな畑が形成されようとしていた。この村が未だ発展途中の地域であるのは間違いない。
「しかし、五年ほど前に新しく移住してきた団体が存在したとすると、今の開墾状況は少し遅すぎるような感じもしないでもない」
「先輩、それはつまり元悪党たちの妨害にあっているからでしょうか?」
「戦と畑仕事は同時にできないもんな。乱太郎はどうだ、何かあったか?」
「はい。元悪党退治のために、村中から農具を集めている最中みたいです。村長の屋敷に鍬や鎌がどんどん運び込まれてました」
「なるほど。ということは、村人は明日にでも元悪党たちへ仕掛けるつもりなのかもしれないな」
「どうしてわかるんですか?」
「しんべヱ、鍬や鋤は戦の際は重要な武器だけど、同時に普段は日々の生業で使う農具なんだから、長い間手放すわけがないだろ? 集めるなら、戦の直前ってことになる。つまりこちらも早く手を打たなければいけない」
「あの、でもその前に、伊助が帰ってこないんですが」
 乱太郎は弱り切っていた。何しろ、自分と行動を共にする予定だった伊助が宿に帰ってこないのだ。心配でたまらない。どうしても久々知先輩の行動が気になる、と伊助が言うものだからきり丸やしんべヱにも相談せずに単独行動することにしたが、伊助は約束した昼の待ち合わせにも来なかった。日が落ちて、泊まる予定の宿に戻っても、いない。兵助の後を付けていったのだから、兵助が戻っていれば伊助も一緒に戻っているだろうと思って待っていたのだが、当てが外れた。
「実は、伊助は久々知先輩の後を追いかけて行ったんです。どこかで先輩を見失って、道に迷っているのかも」
「いや、そうじゃない。朝も言った通り、おれは今日の昼は元悪党たちの塒を視察に行ったんだが」
「そういやあ、元悪党たちが、どこに潜んでいるのか知っていたんですか?」
「恐らく滝の裏の洞窟じゃないかと思うんだ。しかし流石に警備が厳重で、近付く事はできなかった」
「そんな所に一人で行って、伊助、危ない目にあってるんじゃ」
「まあ大丈夫だろう。伊助はその元悪党たちに掴まってしまったんだが」
「へ」
「というわけで、こちらから手荒な方法を取る事はできなくなった」
「冗談ですよね?」
「うん」
 何がなんだか、判らない。
「伊助には元悪党たちの見張り番をしてもらっている」
「あ、危なくないんですか」
「大丈夫だ、それはおれが保証する。さて、明日にも戦が始まるという話だから、伊助に連絡しておかないとな」
「狼煙でも上げますか」
「うーん、それだと村人に怪しまれそうだからな。乱太郎、悪いが使いを頼んでいいか?」
「あ、はい!」
「村に来る途中の、小さな滝の近くの別れ道を覚えているな? そこに五色米を置いてきてくれ。配置は、こうだ」
 兵助は懐から五色に色を塗られた米粒を取り出し、床の上に並べて見せた。
「覚えたか?」
「はい」
 乱太郎が頷くのを確認すると、すぐに米粒を回収し、麻の小袋に詰めた。
「宿のおかみには、道中落とし物をしたとでも言っておいてくれ」
「わかりました。じゃあ、行ってきます」
「置いたらすぐに戻ってきてくれ。何度か往復してもらうことになるかもしれない」
「はーい」
 乱太郎は元気よく返事をすると、すぐに部屋を出て行った。
「オレたちはどうしますか?」
「今夜あたり、村人たちは作戦を練っているはずだ。恐らく村長の屋敷に戦の主要人物が集まっているだろう。しんべヱ、屋敷に侵入して話を盗み聞きしてきてくれないか?」
「えー侵入なんてできるかなぁ」
「おれたちとはぐれたとでも言って保護してもらえ。戦前だからと言って、さほど警戒はしてないはずだ」
「警戒してない? なんでですか」
「勝てる戦だと思ってるから、村はこっちから仕掛けるつもりでいるんだよ。で、きり丸だが」
「オレも何かするんですか」
「しんべヱとこっそり連絡を取って、話の内容を逐一おれに報告してくれ」
「まーためんどくさい仕事を……」
「めんどくさいのは最初から判ってたことさ。さ、明日には戦が始まるんだから、こっちは今晩が勝負だな」
「久々知先輩は何をするんですか?」
「情報をまとめて、伊助と連絡を取りつつ明日の作戦を練る」
「めんどくさいこと、全部オレたちに押しつけてません?」
「それを言われると痛いな。腕がこうじゃなけりゃ、おれも動くんだが」
 兵助が折れた腕に視線を落とす。確かに、腕が動かないことを理由にされると、きり丸たちも反論できない。
「指示するばっかりで悪いな。とにかく、さっき言ったとおり今晩が勝負だ。行動に移ろう」
 兵助に急かされるので、渋々といった感じでしんべヱときり丸は宿を出た。もちろん、おかみには見つからないように足音も立てずにこっそりとだ。
「あのさ、オレ思ったんだけど」
「なあに、きり丸」
「久々知先輩、オレらに何か隠し事してるよな」
「え? なんでそんな事わかるの?」
「だって、あれしろこれしろって言う割には、その理由をはっきり言わないじゃんか。伊助のこともあるし」
「うーん、そうかもしれないけど、今はとりあえず言われた通りにするしかないんじゃない? 他にできることもないし」
「まあ、そうだけどよ」
 空の月は昨日より少し痩せていたが、歩きまわるには十分な明るさだった。

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