悪党たち 二
数日経ってから、乱太郎、きり丸、しんべヱの三人は職員室に呼び出された。
「ここんところ得に叱られるようなことはしていないような」
「おう。オレもここ一ヶ月ぐらいは校内でバイトはしていない」
「僕も押入のお菓子は全部食べ終わっちゃって、昨日からアリさんも長屋からお引っ越ししてみんな居なくなっちゃったよ」
「きり丸、一ヶ月前はしてたのか? しんべヱも押入に食い物を溜め込むなとあれほど……」
「土井先生、そういうのはひとまず後で」
いつものように小言を始めそうになった土井先生を、山田先生がまあまあと窘めた。
「説教のために呼び出したわけではない。お前ら三人にちょっと行ってもらいたい所があってな」
「行ってもらいたいところ?」乱太郎が聞き返した。
「うむ。鳴滝村だ」
「鳴滝村っつうと、山と川三つ向こうの得にこれと言って何もない地味な村」
「滝があるんじゃないの?」
「滝の裏に洞穴があってな、そこに滝の落ちる音が反響するんだが、暫く聞いているとそれが人の声のように聴こえるという伝説がある。ま、それは置いといて」
「そこの村人が、今ちょっとした困難に見舞われているらしい。そこで、お前たちに村人の助っ人をしてもらう」
「いつからですかあ」
「今日の夜に出発。村に着くのは明日の明け方頃だな」
「えー」と、三人が抗議の声を上げた。
「だって明日と明後日は授業はお休みの日じゃないですか」
「だいたいどうして僕たちなんですか?」
「お駄賃は出ますか?」
「出ないし休み返上だ! 何故ならお前ら三人だけ授業時間が足りていないのだ」
「三人揃ってお使いに行って、面倒に巻き込まれたりしてるからなぁ」
「つまり補習ってことですか」
「そういうこと」
「お駄賃は」
「出ない」
「きりちゃん、補習だからしかたないって」
「だって休日に、た、た、ただ、働きだなんて」
きり丸の顔が真っ青になって、手足の気力が萎えてふらふらっとその場に倒れ込んだ。
「まーたきり丸は……」
土井先生が頭を抱えた。
「ともかく今日の夜出発だから、準備をしておけ」
「先生達も行くんですか?」
「いいや。しかし代わりの引率を付けるから、よく言うことを聞くんだぞ。細かい話も道中に聞け」
「はーい。ほら行くよ、きり丸」
まだ脱力しきっているきり丸を、乱太郎としんべヱがそれぞれ両手を掴んで引きずり、職員室から出て行った。
やれやれ、と残された教師二人が肩を竦める。生徒というのは各々が個性的で、それ故に手がかかるものだ。それが楽しくて教師をやっているのだが。
「先生」
「伊助か。どうした?」
三人が立ち去ってすぐに、伊助が職員室に顔を出した。
「今の話を聞いていたのか」
「すみません、気になったのでつい。あの、僕も乱太郎達と一緒に行ってもいいですか?」
「しかしお前は補習を受ける必要はないぞ」
「はい。でも僕も心配なんです」
「心配ってお前……」
山田先生は伊助の申し出に首を捻ったが、そうか、と土井先生が手を打ち鳴らした。
「いいぞ、行ってこい」
「ありがとうございます!」
伊助は喜んで、走って職員室を出て行った。
「いいんですか、土井先生」
「どうせ一人や二人増えても変わらんでしょう。むしろ伊助なら、普段の委員会で慣れているし、橋渡しの役目になりますよ」
「ふーむ、まあ確かに、三人でも四人でも監督するこっちの手間は変わらんでしょうな」
「五人ですよ、山田先生」
「そうだったな。まったく、いくつになっても手のかかる生徒ばっかりですな」
愚痴を言いながらも、二人は楽しげに肩を揺らして笑った。
日が沈んで、月が昇った。満月だ。練り色の光が山肌を温めている。
久々知兵助は、待ち合わせの場所で大岩に寄りかかって考えに耽っていた。右手はまだ首からつり下げてある状態なので、普段のように腕を組めない。左の掌で右の肘を握っている。
辺りは森で、岩の周りだけが広場のようにぽっかりと空洞になっている。四方の木々の間に幾つかの獣道が延びていた。
影の満ちた森の奥から、子供の走ってくる足音が聞こえた。
どうしたものか、と考えているのだ。今日の昼に教師から突然言い渡された課題が、困難なのか容易なのかということさえ判断し難く、何所から手を付けようかと悩んでいる。
足音が近付いてきた。課題の内容については大方判ってはいるのだが、先の予測ができない。しかしもう木々の間からは人影がうっすら見え始めた。考えても仕方が無い、こうなっては差し当たって最善の方角へ進んでいこう。
「せんぱーい」
まず最初に兵助の姿を見つけた伊助が、叫んだ。
「遅くなりました」
一番先頭でやって来たのは、乱太郎だ。続いてきり丸、伊助が遅れて森から出てくる。それよりずっと後ろに、しんべヱが走っているのが見えた。
「引率って久々知先輩なんすか?」
「うん。引率というか指揮というか、どうやらそういう役目らしい」
「それならどうして六年生や先生達じゃないんだろう」
「乱太郎、久々知先輩なら心配ないよ」
「ははは……まぁ、決まってしまったことに文句を言ってもしょうがないさ、伊助。そろそろ行こうか」
「はーい」
「おーい、待ってよー」
どっすんどっすんと足音を立てて、やっとしんべヱが姿を現した。
「しんべヱは相変わらず足が遅いな」
「鳴滝村まで走りますか?」
「えー、それじゃ僕、追いつけなくなっちゃう」
「しんべヱじゃなくても乱太郎の足にはついていけないよ」
「歩いていこう。今日は月も明るいし、慌てずとも歩きやすいから大丈夫」
兵助は岩肌から背中を離し、歩き出した。
一旦獣道の一つに入り、そこから少し開けた山道まで向かう。樹木が空に向かって伸ばした枝が、月光を遮った。灯りは葉の隙間から差し込むだけになり、薄暗くなる。明るかった岩の周りから打って変わっての状態で、ちょっと肝が寒くなるような感じがする。
「実を言うとな」
「はい」
兵助の後ろを歩く一年の誰かが返事をした。
「まだ、あんまり暴れるなと言われてるんだ」
「へ? 誰がですか?」
これは乱太郎だった。
「おれが」
獣道はすぐに晴れ、月明かりの射す山道に出た。
「腕はこの通りだし、体調も万全じゃないからといって、新野先生に釘を刺された」
「ということは、今回の鳴滝村の助っ人ってのは、そんなに危なくない忍務ってことですね」
「いや? そうでもないと思ったが。詳しい話を聞いてないのか、きり丸」
道を進む足をちょっと止めて、全員が顔を見合わせた。
明るい月が、疑問符の浮かんだ各々の顔を照らしている。
「僕ら、詳しい話は先輩から聴けって言われてるんです」
乱太郎が代表して事情を説明した。
「ん? そうか、なるほど」
「何か意味があるんでしょーか?」
しんべヱがちょっと眉を顰めて、不安げに訊ねる。静かな山に子供の甲高い声はよく響いた。
風がちょっと吹き始めて、気温が下がる。月が明るくても暖かさはない。肌寒さと不安で、一年生の四人は緊迫した面持ちで答えを待った。
が、訊かれた兵助は、
「いや、さっぱり判らない。取り合えず、先を急ごうか」
と、あっさり答えた。一応首を傾げて考えた素振りはあったが、答えるまで間が殆ど無かった。そして率先してさっさと歩き出す。
「あっさりしているというかきっぱりしているというか」
「いつも、委員会でもごーたんな感じだからね」
「何だかホントに不安だなぁ」
「こんな引率で無事に帰れるのかね」
「こらこら、聞こえてるぞ。こんな静かな夜中にヒソヒソ話しても意味が無いだろう。尤も、このように周囲が木々で囲まれていると、遠くまでは響かないが」
「でも山びこって言うじゃないですか」
「あれは周囲が開けた場所で、山に向かって叫んだ場合だな。遠方にある山肌が音を反響する壁になるわけだ」
「ほー」と、一年生の四人が揃って感心した声を出すと、その声が短い周期で木霊した。波打つような感じで、音が大きく響いた。
「あれ? 今のは?」
「この道の両脇の木々の間で反響したんだ。短い範囲で何度も反響を繰り返すから、山びこと違ってもとの声が膨らんだように聴こえる。しかし反響の度に音が小さくなっていくので、遠くまでは届かない」
「なるほど」
「お前らのヒソヒソ話がよく聞こえたのも、同じ理屈だ」
「久々知先輩は物知りですねー」
「忍者は音についても詳しくなければならないからな。というかしんべヱ、一年の頃に習う内容だぞ」
「そうだっけ?」
「習ったような」
「習ってないような」
「きっと教科書がそこまで進んでないんですよー」
あははは、と四人があっけらかんとして笑った。この声も狭い山道に響いた。
「それじゃ仕方ないな」
と、兵助もあっけらかんと笑った。
笑いながら進む一行の後ろで、一本の木の上で二つの影が僅かに動いた。
「いいや、教えたはずだ教えたはずだ」
「まったくもう、あいつらは……」
土井半助と山田伝蔵だ。一連のやり取りを影から聞いて、半助は胃を押さえて呻いた。
その呻き声は、さっきの四人のヒソヒソ話よりも小声で、辺りにも全く響かない。伝蔵の呟きも同じだった。風が木の葉を揺らす音よりも小さい。
そんな手練の二人が、一年生一行の引率のさらに引率として、ひっそりと後を付けていた。
もちろん、一年四人の一人として気付いてはいない。
兵助の方は、何もないはずはないとは思いながらも、何かが起こるまでは気にする必要はないかと剛胆に考えていた。
「で、助っ人の話は?」
「ああ、そうだったな乱太郎。取り合えずこれから鳴滝村へ向かうわけだが」
「鳴滝村で何かが起こってるんですか」
「うん、近隣の元悪党たちが略奪を行うので、その退治を」
「悪党退治ぃ?」
小さな四人が、揃って嫌な声を上げた。
「元、だ」
「悪党は悪党じゃないんですか」
「今でこそ悪党とは夜盗山賊と同じ意味合いになったが、その原型は荘園や公領等の支配階級への対抗勢力だ。四、五百年前ぐらいから悪党との呼ばれる存在があったわけだが、逆な方面から見れば、悪党もまたそれら支配階級と同種の一領主だった。つまり色んな所の領主が紛争を繰り返していたんだ」
「はい?」
話を聞いている四人の目が、点。兵助の解説が右耳から左耳へ通り過ぎて、何にも残らなかったという顔だ。
「で、二百年ぐらい前から悪党紛争がどんどん激しくなっていったが、正嘉の年にものすごい飢餓が起きて、悪党たちの活動が山賊らと似たような物になる。結果、幕府により討伐令が出て鎮圧されていくことになる」
「なんのこっちゃさっぱりわからん」
きり丸は既に興味を失ったという感じで、遠い目をして呟いた。
乱太郎と伊助は一応首を傾げて今の話の内容について考えてみているが、耳を素通りした解説では理解できた箇所の方が少ない。
しんべヱなんか、訳が判らなすぎて瞬きする目も失ったような感じだ。一応前に向かって歩いているが、晴れた夜空をぽかんとして見ている。
「もっと簡単にお願いします」
「簡単に?」
伊助に言われて、兵助はちょっと困ったように首を傾げた。あんまり「一年は組」慣れしていないから、すぐに対処できない。
「つまり、手強いってことだな」
「ほうほう」
乱太郎が相鎚を打つ。次の解説があるかと思って、ちょっと待つ。
無い。
「それだけですか?」
と、一応聞き返してみる。
「うん。まあ簡単に言えば、元悪党は手強い」
「いや、それは何となく判るんですが」
「が?」
今度は兵助が聞き返す。
「何で手強いのかと」
「悪党の原型が荘園なんかと抗争をしていたある種の支配階級だったから」
「もーちょっと、簡単に」
「荘園や公領と抗争があったってことは、支配階級として統率が取れていたってことで」
「あと少し簡単に」
「荘園や公領自体が、今で言う武将、大名なわけだから、それと争っていたということは、悪党もまたかつては武将や大名と同等だったと言える」
「今のでちょっと難しくなりました」
「簡単に言うのも難しいな。要するに元大名に喧嘩を売りに行こうと言ってるんだ、鳴滝村は」
「へ?」
「まだ難しいか? 例えばドクタケ城が攻めてきて困ってるんですよ、って言ってる村に助っ人に行くわけ」
「いや、判りました」
「判りはしたけど」
「話が壮大すぎてわからない」
一年はまだ目が点。さっきとは違う理由で、唖然としている。
「それは、僕らが助っ人に行って役に立つのでしょーか」
「どうだか、怪しい所だな。十の忍たまが四人と腕の折れた元服前の見習い忍者が一人」
兵助は口の端を持ち上げて、嫌な笑い方をした。
「先生方は暗に死ねと言いたいのかもしれん」
げげっと四人が口を揃えた。
「というのは冗談だ」
そうは言いつつ、逆に真面目腐った顔になって後ろの四人を振り返った。
「実際は幕府から鳴滝村近くの領地を剥奪された連中のうち、命令に反して残った者達のみが鳴滝村と小競り合いを繰り返しているので、それを手助けに行く、ということらしい」
「んん? 相手はそんなに数は無いってことですか?」
「多分な、乱太郎。加えてこちら側は村の者共と協力する形になるから、数の上では充分勝ち目がある」
「でも忍術学園に助けを求めたって事は、困窮した状態に変わりはないんですよね」
「どうだろうなあ」
兵助は道の先へ向き直り、少し足を速めながら呟いた。
「ともかく、差し当たっては情報を集めなければいけない。恐らく日が昇り始める頃には鳴滝村に着くだろうから、その前に少し変装をして」
「変装? 助っ人に行くんだから、堂々と行ったら良いじゃないっスか」
「いや、それは駄目だ」兵助はちょっと首を振った。「考えても見ろ、忍術学園に高い金銭まで払って助けを求めて現れたのが、五人の忍たま、その内一人はおれみたいなまともに動けないヤツだったら」
「それは、見捨てられたのかと思っちゃうでしょうね……」
「うん、伊助の言うとおり。だから今回は、こっちは正体を隠して裏方に回ろうと思う」
等と話している間に、月の高さが次第に低く落ちてくる。
山道で子供達がこそこそと話をしているのを、回る星だけが見ていた。
「変装の基本と言えばー」
「変わり衣の術だ!」
乱太郎ときり丸が楽しげに騒いで、しんべヱと伊助もそれに習って着ていた筒袖の衣を裏返して着直した。括袴はそのままだが、元々地味な色合いと模様のために、忍装束としても普段着としても通用する代物だから問題ない。
片腕を固定されている兵助は容易に筒袖を着替えるわけにはいかないので、上着に腰より長い胴服のようなものを羽織った。前の紐を閉めれば十分、一目見た時の印象は変わる。
「設定上は、旅人ということにしよう」
「ちょっと服を汚しておいたほうが良いですか」
伊助が手を挙げて提案した。
「道中、川があるはずだからそこで泥でも付けようか。まあ、そこまで凝って偽装することもない。態とらしすぎても怪しまれるものだからな」
「なるほど、やりすぎると逆に胡散臭いというわけですね」
「そうさ、きり丸。三郎なんか見てると、判るだろう」
「僕には鉢屋先輩の変装はすごーく自然に見えるけどなあ」
しんべヱが口の所に人差し指を当てて不思議そうに首を傾げた。
「付き合い慣れると、遊びで化けている時と本気の時の差が明確に見えてくるんだよ」
「ほーほー」
「戯れに化けている時は、白々しくて態とらしい。要するに受け売りさ。変装は自然に見せるのが一番」
「先輩、旅の理由は何にしますかぁ?」
「諸国放浪ついでの親戚捜しとかで良いんじゃないか。こういう騙りもあまりガチガチに固めずに適当にその場その場で流して対応した方が怪しまれない」
「それも鉢屋先輩の受け売りですか」と、乱太郎。
「そう」
「受け、売り!」
「きりちゃん、商売関連に反応しない」
「そういう情報はいくらで売れますか!?」
「無料だよ。というか、こっちが買った方だな」
等々、賑やかに話しながら歩いていると、夜が明け始めた。