「泣かないで」
 目の前に現れたぼさぼさの髪の少年は、確かにそう言った。泣かないで――そう、綾部に向かってそう言ったのだ。
「泣いてないよ、01ランタロウ。元気そうでなにより」
「はい。あの、僕らはずっとずっと元気ですよ。元気じゃなくなる事なんてもうないんです」
「そう、それならいいね、君達は。兵助さんはどうなったか、判る?」
「いますよ。呼んできましょうか?」
「うん」
 何も感じていないかのような顔をして、綾部はこちらに振り向いた。
「どうしたの?」
「は?」突拍子がない。何が、どうしたって?
 しばらく黙った後、
「何か言ってくれないの?」
 と早口で言った。
「何を言えばいい。慰めて欲しいのか」
「何から慰めるつもりなの」
 綾部は静かに答えた。何と言う事だ。目を白黒させて反転していきそうな世界に包まれて、私と喜八郎は前にも後ろにも行けなくなった。
 抽象的な表現だ――そもそも周囲の映像も具体的ではない。質感は充分だが、ホログラムだ。私の隣にあるが、それは偽物か。触れられないから偽物か。だが私の肌に映り込んでいる光は確かに存在するではないか。綾部は僅かに焼けた細い腕を(まともに食べていないのだ、特にここ最近は)自分の身体に巻き付けて、暖を取ろうとした。寒くはない。夏なのだ。
 映像は春の草原だった。いや、春かどうかは判らない。秋かも知れないし、夏かも知れない。もしかしたら赤道に近い地域の冬なのかもしれない。温度がないために、判断が付かない。青々と茂った植物たちを見るに、寒くは無さそうだ。
 だが温度はない。コンクリートの石楼が内包する、草臥れた冷気が、リアルに、現実に肌に染みる。
 その時、ランタロウは世界から消えていた。映像の範疇外に出て行ったのだ。だが草原を走り回る、子供達はまだあと十人存在する。
 この場所で彼らと会話したくなかった。そうしていると、おかしくなりそうだ。虚実に挟まれている。
「あの、TAKIさん」06キンゴが足下に寄ってきた。
 私に向かって手を伸ばす。突き抜ける。
「私の姿は見えているのか?」
「普通に見えます。でも触れないんですね、変な感じ」
 泣きも笑いもせずに、何度か触れる動作だけを繰り返した。年の頃十ぐらいのキンゴが真っ直ぐに手を伸ばすと、ちょうど私の腹の辺りの高さになる。腹にずぶりと手が突き刺さっては、藻掻いて引き抜かれる。体験してみないと判らないだろうが、何とも不愉快だ。何も感じないが為に、非常に。
「TAMURAさんはどうなりましたか?」
「どうにもなっていない。多分ぴんぴんしているだろう。まだ会っていないが」
「そうですか。あの人達は? あの、NANAMATUとか」
「大丈夫、もう襲ったりしないから安心して」
 伊作さんがドアの付近から叫んだ。
「聞こえたか?」
「はい。ISAKU、ですか」
「この端末を貸して頂いたのだ。真意は判らんが、敵意は無いらしい」
 キンゴはちょっと黙って、
「どうして敵とか味方とか、そういう事になったんですかね」
 呟いた。

 何故キンゴはそうも寂しそうに呟くのか、私には判らなかった。いや判らないというのは適切ではない。何とも言えない違和感というか、感覚の相違を感じたのだ。説明しがたい感覚。何が重要な軸がずれている。
 私はその相違を埋めようと思って手を伸ばした。無意識に。掌はキンゴの頭蓋骨を突き破って、向こうの背景で空気を掴む。そんな事をしても何の意味もない。判っていた筈だというのに。
 本当は何をしたかったのか自分でも判らない。頭に大穴を開けられたキンゴは、口を一文字に結んで私を見上げた。もともとそういう顔だ、ただ会話が途切れただけだった。
 遠くで他の1-ハの連中が鬼ごっこをしている。鬼になったダンゾウが不正な方法を一切選択せずに周囲の友人らを追いかけ始めた。最初はサンジロウに狙いを定めたが、追いつけない。諦めてトラワカに目標を変更し、方向転換をしようとして、転んだ。その足下、ダンゾウが視線を落とした。その様子を見てヘイダユウが笑う。ダンゾウは卑怯だぞと言い、ショウザエモンが喧嘩は止めろよと間に入った。幼い騒めきが遠くに響いている。
 だがふとした瞬間に、その大騒ぎが収まった。その時、風が流れた。風が流れたから、誰ともなく言葉を止めたのかも知れない。現実に、そういう事はある。皆が風を見ている。緑の草原の草が揺れる映像が映し出されている。少なくとも、視界は風の流れを報せていた。だが相変わらずコンクリートの部屋には古い酸素が閉じこめられたままだった。
 風が流れたのは、ランタロウが走り込んできたからだった。彼は誰よりも足が速い。裏道を使わなくても、恐ろしく早く移動することができる。
「あの、AYABEさん? 久々知さんが嫌だって」
「嫌ぁ?」AYABEはあからさまに嫌そうに繰り返した。
「あっちにいるんですけど」
 ほんの少し息を切らしながら、ランタロウは草原の彼方を指さした。
「あっちの、岩の上に座ってました」
「案内して」
 勿論AYABEは問答無用だった。既にランタロウもそんな綾部の性質を見抜いているらしく、ちょっと苦笑してすぐに、
「ついてきてください」
 数歩進んだランタロウを、AYABEは一歩だけ追いかけた。振り返る。
「来る?」
「来て欲しいならそうと言え」
 ちょっと視線が泳いだ。何か下らないことを考えているな。
「滝夜叉丸はさ、自分が今何を望んでるのかって、完全に理解できるの?」
「何を言い出すかと思えば」何と返答したらいいのかさっぱり判らない事を言われた。
「不安になる事はない? 自分の精神って一番、信用ならないと思ってるんだけど。あ、ごめん」
 三メートルほど先にいるランタロウが、変な顔をしてAYABEと私を見ていた。判らなくもない。
「こいつがこういう変な事を言うのはいつもの事だから気にするな」
「そう、滝夜叉丸がこうして解答を誤魔化すのもいつもの事だから気にしなくていいよ」
「何だそれは」
 意味が判らない。ランタロウの方もよけい変な顔になった。

 だが笑顔で軽くため息を付いただけで、すぐに彼は歩き出した。
 私たちが跡を追うと、景色も動いた。まるで本当にその世界の中にいるようだ。だがAYABEが鼻っ面を壁にぶつけたところで我に返った。
 目に映るのは景色は広い草原で、その実ここはコンクリートの狭い小部屋だった。
 先を歩くランタロウが振り返った。
「ちょっと待て」
 手を振ろうとして前に突き出すと、やはり壁にぶち当たってはじき返された。奇妙だ。いや、当然の現象だ。先程のキンゴの頭蓋骨を破壊した事を思い出して、余計に訳がわからなくなった。
「よくないね、やっぱり」
 伊作さんが背後から言った。
「これは、だから売り出されなかったんだろうね。ちょっと待って、ランタロウ。座標を教えてくれれば映像だけ移動するから」
 殆ど時間差はなく、それどころか、いつランタロウと伊作さんは会話を交わしたのだろう? 全く訳がわからないうちに、伊作さんはこっくりと頷いて扉の基盤を操作した。まず音量が下げられた。次第に無音。伊作さんが基盤を操作する音が妙に大きく聞こえる。
 カチカチ、プラスチックのぶつかる音が鳴る度に景色が揺れた。
 何十回も。1-ハの連中が面白そうにこちらを見ているのが突然眼前に広がったり、光量が減って暗闇に落とされたり、そうかと思うと嵐の中にいるかのような激しいノイズに全身を殴りつけられたりした。視界だけとはいえ、この揺さぶられ方は精神衛生上よくない。
 見るとAYABEは、口を一文字に結んで目を閉じていた。成る程上手い方法だ。私も倣って目を閉じた。
 音がない。色がない。光はない。
「伊作さん」綾部が出し抜けに囁いた。音がないからよく響いた。「どうしてこの端末を選んだんですか?」
 カチリ。そして一回響いて止まった。プラスチック以外は全く無音だった世界が、次第に音を取り戻した。伊作さんが音量を再び上昇させたのだ。
 私は目を開いた。AYABEも同じく目を開いてた。
 やはり草原には風が駆けていた。違う場所に来たのだと、一瞬考えなければ判らなかった。ランタロウがニコニコして私の足下に立っている。だが他の連中はいなかった。いや、遙か遠くで子供の遊ぶ声が響いていた。そう遠くに来たわけではないらしい。
 伊作さんを振り返った。困ったような顔をして薄ら笑っていた。答える気は無いらしい。目が合うと、少し俯いた。
 次に私は喜八郎を確認した。目をかっと見開いて、口をポカンと開いて「あ、ぁ」と何事か呟いた。いやそれはただの感嘆だ。
 風が駆けた。恐らく喜八郎にとっては、背中を押す追い風であり、そして身を切るような冷えた風だったのだ。彼は一度震えた。
 そして私は最後に、新しい登場人物の姿を確認した。AYABEにとっては懐かしい人物だったが、私にとってはそいつの出現が最初の綻びだった。
「兵助さん」
 擦れた声でAYABEは言った。白い岩の上に俯いて座っていた男は、ふっと顔を上げた。

「会わせる顔がない」とKUKUTIは背を向けたまま言った。何を今更、と私は思った。
 多分、喜八郎もそう思っていた。
 ただちょっと意外だった――予想に反していたのは、その男が悔いているのが先刻までの大騒ぎを起こしてしまった自らの年不相応の幼さなんかではなく(私は当然それの事を言っていると思っていたのだが)、実際の問題は鬼ごっこの発端よりもずっと前の出来事であるという事実だった。戦中の何やらの事だ。喜八郎と彼にしか知り得ない何かが有るらしいのだが、この時点で私はその事を知らないので今は黙っておく。
 なぜ逃げようとするのか、と喜八郎が問うた。口をもごもごさせて聞こえるのか聞こえないのかという不明瞭な発音であり、恐らく私にしか聞こえなかった。
 AYABEと認識されている喜八郎という人間は、答えようもない問いかけの解答を暫く待ってから、痺れを切らしたように大股で歩き出した。
「おい、不用意に歩くと」
 と、私は止めようとしたのだが、AYABEの目はただ周囲など見えていないかのような灰色で、眼前の映像だけを捕らえて、やはりきっと何も見えていない。
 身の程も知らずに進むものだから、案の定有る地点で、ごん、と派手な音を鳴らして壁に頭をぶつけた。
「二回目だろう」いい加減呆れた。
 さっきぶつけた鼻もまだ赤く腫れているというのに。また額にまで赤く瘤を拵えてしまった。
 痛むらしくじわりと両目に涙を浮かべたAYABEは、急に目を真ん丸くして私の向こうを見た。
「どうした?」
 どうした? 言ったのは、私ではなく、久々知兵助という知らない人間だった。
 AYABEの視線を手繰って振り返った私は多少驚いた。彼が背後に立っている。音に驚いて座っていた岩から立ち上がり、こちらに来ていたのだ。
 別に珍しい顔ではない。平均的に多大な苦労を戦乱の中で負った十代半ばの青年だ。純の日本人らしい黒髪が特徴といえば特徴だが、それに民族的な意味合いも精神的な障壁も何もない。だいたい、さっき見たばかりの顔だ。
 珍しくも何ともない。が、「会わせる顔がない」と言った本人の顔だという驚きはある。
「こ、コンクリートが」とAYABEは答えかけて、ポカンと口を開けて静止したかと思うと、今度は意外な機敏さで立ち上がった。
「コンクリート?」
 オウム返しにKUKUTIが言う。
「そんな事は別に、どうでもいいんです」
「どうでも?」
 喜八郎の気迫に押されて、KUKUTIは二三歩下がった。さっきまで座っていた白い岩に足が当たる。ちら、と後ろを見て、それからAYABEと私と隅の方で小さくなっていたランタロウを見た。

「何が欲しかったんだ? おれは、そんなに追いつめるような事をしたか? 戻ってこない方が良かったのか?」
 弁解するように言った。
「そういう、わけじゃ、ない、です」
 男はそれを聞いてにっこりと笑った。見た目年齢よりもずっと落ち着いているように思える、酷く老成した笑い方だった。
 変な話だ。相手は仮想上の記号としてしか存在しない映像に対してそういう事を感じるなんて。現実の方に存在する当人が本当に老成しているのかどうか、判るはずがないのだ。
 この端末のせいだろうか? 現実なのか夢の中にいるのかよく判らなくなる装置。
「髪はどうした」
「え?」
「今度は変な恰好してないんだな。それに、年相応だ」
 AYABEはポカンと口を開けた。クルクルと周囲に視線を移して、私とランタロウに救いを求めるように目だけで訴えた。
「ああ」ランタロウはAYABEの言わんとした事が判ったらしい。「表示キャラクターが変わりましたよね。アカウントが一緒だったから気にしなかったんですけど」
「え?」
「TAKIさんも変えたんですね」
「私も? どんな風に見える?」
「どんなって、ええと、髪は短くて、顔は一緒ですけど、ちょっと痩せてるような気がします。少し日焼けしてるし、あと服が……ヘンです」
 ヘンだと? このファッションセンスも全て完璧な私を捕まえて何を言うのか。だいたい、ネット上のキャラクターにそう言われたくない。時代錯誤なんだかよく判らない恰好(ネット上では服装にかかる資源コストが無いせいか、全く現実離れしているとしか言えないような、そして何所の時代何所の国とも判らないような服が平気で売っている)をしているくせに。
 いやいや! そんな事はどうでもいいのだった。今の問題はそうではない。
 ランタロウの話が真実だとすると、この端末でログインした私たちの表示はつまり、現実と全く同じになっているのだと推測される。
 つまり私は平滝夜叉丸本来の姿で、そしてAYABEはあの奇抜な妖精ではなく現実の綾部喜八郎として、この仮想上に表示されているのだ。
 その事は私にとっては大した意味を持ち得なかったが、喜八郎にとっては大問題だったらしい。
「兵助さん、僕が見えているんですか?」虚を付かれたように言った。
「そんなの当たり前だ」
「そうじゃなくって、兵助さん……」
 狼狽する喜八郎を見下ろして、またにっこりと笑った。やはり酷く老成しているように見える。
「五年ぶりか。長かった、のかな? 大きくなったなぁ」
 片手を出して目の前にあるアッシュブルーの髪を撫でようとして、止めた。どうせ触っても突き抜けるだけだ。
「短いわけないです」
「そうだよな。一人でいたのか?」
「一人です。父も母も死にました。学校の人とかも全部死にました。だから骨を拾って回りました。お墓を作りました。そのあと、何人か友達ができました。それまで一人でした。どこに行ってたんですか?」
「どこに?」KUKUTIが目を見開いた。「おれがどこにいるか、知らないのか?」
「知りません!」
 がくんと膝を折った。あの無表情な喜八郎の双眸から、滴が垂れるのが見えた。
「教えて下さい」
「知らないんだったら、まだ秘密だ」
「だって僕らは賭に勝ちました。何でも言う事を聞くって約束でしょう!」
 ぽろぽろと涙が落ちる。膝をついた喜八郎の顔の下に、端末の光るパネルがあった。覆い被さった喜八郎の影が景色を浸食する。だがそんな事にも喜八郎は全く気がついていなかった。
「何所にいるのか教えて下さい! 五年間ずっと探していたんです!」
 落ちる涙の滴がパネルの光を受けて七色に輝く。きらきら。安っぽいネオン。
 そして景色が歪む。パネルが浸水して、ノイズが発生し始めたのだ。
「機械が!」
 今まで静かに成り行きを見守っていた伊作さんが慌てて、喜八郎をパネルの前から動かそうとした。
 だが喜八郎は取り乱して、動かない。私はその様子を止める気にはならなかった。機械が壊れるなら壊れればいい。
 それよりも私は、初めて吐露される喜八郎の感情に強いショックを受けていた。
「僕は、夢の中でさえあなたを捜している」
 綾部喜八郎は最後に、押しつぶした低い声で静かに言った。

 視界はひび割れ、緑広がる大草原が鮮やかに砕け散った。だがそれ自体は何の意味もなく、ただ巨大な映写機が水深により故障してしまっただけの話だ。
 私を含め、その場にいた三人は数日後目を覚ました。一番最後まで眠っていたのは綾部だったが、そんなことはどうでもいい。どうせやつは本当に眠くて眠っていたのだろう。
 一体何がショックで気を失ってしまったのか誰にも判らなかったが、推測するに視界の崩壊が予想以上に衝撃的だったためでは無かろうか。誰も世界の終わりを見た事は無いのだ。
 そうして事の発端はミュート状態のまま轟音を上げて崩れた。

 それから、私たちはそれまでと同じ生活に戻った。あまりにも不足の多い日常だ。戦前と同じままの狭い集合住宅で寝起きし、埃の積もった生存競争とはいえ食事のために少しでも良い野菜を買おうと朝早めに市場に出て行ったり、日銭を稼ぐために瓦礫をひっくり返したりする。多少変わったことといえば、何の因果か田村と顔を合わせる機会が増えた事、それとネットでの行動についてだろうか。
 前のように面白半分に遊び歩いたりすることは無くなった。前は何やかやとやかましい世界情勢についての情報を集めるのに躍起になったり、現実で働くよりも遙かに効率の良い仕事を行ったりしていたのだが、気がつくと私はそういうまやかしのような構築には目を向けないようになっていた。
 その代わり、1-ハとつるんでいる。田村や綾部も同じようにしているから、二人とは一緒にいる事が多くなった。とはいえ、綾部は独自に人捜しを続けているために、行方知れずになっていることが多い。必然田村との方が顔を合わせる機会が増えるわけだが、それ自体の原因は他にあったのかもしれない。
 そのうち、ユキとトモミに会った。騒がしいのは相変わらずだったが、騒動の時についての話になると、やはり口を閉じた。この頃物知り顔の人間は誰もが黙していた。七松先輩達のように。だから私は何か知っている二人が何も言わないのは、得に落胆でもなかった。ただ二人も時々1-ハと接触し始めたようで、その事実が疑問の一部を解いているような気がした。ほんの一部だが。
 それと私は学校に顔を出す事が多くなった。

 それだけだ。実際、今回の事件自体は大したことのない一種のお祭り騒ぎだった。その後に起こる大騒動とは、僅かな関係しかない。だが私がその騒動の最中重要な役割を果たした因果というのは、考えてみればこの時に端を発していたように思う。
 だから私、平滝夜叉丸は記録の一番最初に彼らとの出会いを記しておく事にした。
 永遠の子供らとの遭遇が、いつ頃からか始まった歴史への沈没の予兆だった。
 私が何故、この混乱の時期にこんな記録を始める気になったのか、また一体誰のために書いているのか。それは偏に私自身のためだ。私は喜八郎のように無様にも前後不覚になったり、三木ヱ門のように弱気になって停滞するなどという失態を犯したくはない。
 私は常に最善の選択を行っているはずだ。困難な状況でも、当然上手くやってのける。だが常に喪失と隣り合わせの状況を憂い、私は私の記憶をここに留めておく。
 何を失ってもここに戻ってきて、過去を取り戻せるように。


 この一連の文章は、×年×月×日×時×分×秒、道浦市女川町×番地××ビル三七一、平滝夜叉丸、十三才の頃作成した。

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