遭遇記念

01 沈没開始

 外の日常を退屈だと思うからこそ、この仮想世界を走り抜ける。仮想世界<ネット>と呼ばれる場所、痛みを伴わない暴力と脳内だけの快楽。私は走り抜けていく日常を忘れ、仮想を走り抜けているつもりになっていた。
 端末に体を寝かせて、ヘルメットに視界を奪われる。視界を介して、ネットへとログインするのだ。
 ものの数秒で世界が嘘になる。ゼロとイチの街は薄っぺらで刺激に溢れた様相を眼前に与える。街は沢山の人々が行き交っていた。
 私はログインキャラクターを外界と同じ外見にしているが、中にはちょっと変わったキャラクターを作成している者もいる。目の前に現れた変なピンクの髪とやる気のない妖精の羽を背負った男、頭上にAYABEのネームプレート。何のつもりだと以前聞いた事がある。「尊敬とかしてる先輩が選んだっぽい」と非常に曖昧模糊な返事を頂いた。
「お早う、TAKI」
「この私に何か用か?」
「今日のファッションはジャパニーズニンジャにでもなったつもり? 変だよ」
「お前程じゃない」
「そうかもね」事も無げに言う。
 まるで空気にしか興味がないような態度である。なぜこのような男と長年友人でいられるのか、時分でもよく判らない。
「それよりTAKIに用があるんだよ。TAMURAと一緒に、仕事やる気は無いかと思ってね」
「TAMURAだと?」
 TAMURAというのは、リアルでも知り合いの、同級生、である。それ以上では断じてない。ついでに言うと、私以上の成績を取った事もない、ネットでも私以上の記録を残した事もない、そんな男だ。
「二人で組む方が成功率高いんじゃなかったの?」
「そんな事は、断じてない」
「ふーん。データは揃ってるから否定するだけ無駄だけどね。あとTAMURA、後ろにログインしてるよ」
 言われてぎょっとして振り向くと、リアルと同じ金髪を掻き上げながらニヤリと笑うTAMURAが立っていた。
「どんな仕事でも、私一人で充分だ」
「力業の砲撃するしか脳が無い癖に、よく言う」
「なんだと!」
「まあどっちでもいいけどさ。仕事、するの? しないの? 賞金超多いよ」
 ふむ。まだ学生の時分とはいえ、天才の私は既にネットでは名の通ったウィルスハンターでもある。賞金が多いともなれば、見逃す手はない。それに横にいる、TAMURAの存在もある。どうやらTAMURAは仕事を受ける気になっているようだ。
 負けるわけにはいかない。
「内容を聞かせてもらおうか」
 私が答えると、AYABEはピンクの髪を揺すって、三人限定のスペースを作り出した。
 限定スペースに入れば、一応は外からのリンクが遮断される。とはいってもちょっと腕のあるハッカーなら、難無く突破出来る壁なのではあるが。
「今噂の1-ハ、知ってる?」
「あの大量発生大迷惑ウィルスか……」
 しかしアレは既に討伐隊が出ているはずだ。今更私たちが出ても、正規軍の邪魔になるだけではないだろうか。
「情報があるんだよ。だからさ、上手くいったら報酬山分け」
「確かな筋のものか?」
「TATIBANAって知ってる?」
 TATIBANA。知らない者など、このネット上にはいないだろう。最凶と言われるハッカー集団<SECHS>の一員だ。
「どういう繋がりだよ」
「そこはTAMURAにも言えないな」AYABEが無表情で視線をそらす。リアルでもよく同じ仕草をするが、何を考えているのか読めない。全く食えない男だ。
「まずは仕事を受けるか受けないか、どう?」
「受ける」
「私もだ」
 私とTAMURAはほぼ同時にうなずいた。

 ネット上に蔓延るクラッカーに対する情報防御の手段として真っ先に考えられるのは、ログアウト。単純に、リアルは完全な連続で、そしてゼロとイチは非連続で無力だ。
 私はなじみのカフェで目前に居座る田村を睨んでいた。
「賭をしようじゃないか」<温度>を持つコーヒーをすすりながら、田村が口を利いた。「どちらが先に仕留められるか」
 下らない。どっちが勝つのか、目に見えているじゃないか。
 生返事を返して、私は不機嫌にココアを飲み干した。
 こんなに私が不機嫌なのには理由がある。綾部がいつまでたっても来ないのだ。「情報はリアルで」と告げたのは、あいつの方じゃないか。私は約束を守らない人間が、酷く嫌いなのだ。
「私が勝に決まっている」
 田村は不愉快そうに鼻を鳴らした。
 カフェはレトロな木造で、電波妨害のカードが席の一つ一つに設けてある。電波に乗って何所までもネットが広がるこの時代では、逆に珍しい事でもない。繋がらない場所も必要とされているのだ。
 それは犯罪から切り離す為の安息の場所という意味もあるが、逆にネットで展開する騙し合いに人々が参加するために必要な場所でもある。
 私たちの斜め前の席に、ハッカーらしき集団が座っていた。話の内容を聞くに、同業者だ。田村と不毛な会話を交わしながら、私は向こうの集団に対しても注意を払っていた。
 彼らも1-ハについての情報を交換している。
 ネット上で噂の新ウィルス、誰もが注目している事ではあるが、田村も私と同じく向こうの集団が気になったようだった。
「横取りされてはたまらないな」
「同感だ――まあ、私ほどの実力があれば、不要な心配だとは思うが。しかしあの連中、相当な実力者の様だな」
「意外にネットで知り合いだったりして」と言ったのは、綾部喜八郎だった。
 ネット上でも無いのに、突然私たちの前に現れた。入り口は私たちが観察していた連中の直ぐ側にあった。入ってきたならすぐに判っただろう。と言う事は、綾部は店の中にいたのか?
「こんにちは平滝夜叉丸、それにTAMURA――田村三木ヱ門でいいのかな。初めまして」
「そういうお前は誰だ?」
 田村が目を丸くして尋ねる。無理も無からぬ事だが、しかし間抜けな事だ。
「AYABEだよ。ネット上と顔一緒じゃないか」
「AYABE!」
 げっと何とも言えない顔をした。
「何が可笑しいのさ?」
「いや、てっきり、私はAYABEがバグ付きのナビゲータか何かだと思っていたから……」
 無理もない。多分彼のネットのみのフレンドは大抵がそう勘違いしているだろう。何せ髪がピンクでやる気のない妖精の羽を背負っている。さらに行動に一貫性がない。情報だけ売ってどこかに消えてしまう。神出鬼没。疑う余地も無い。実際は、ログイン時間が極端に短い所為でそのように思われているだけなのだが。
 だがリアルでの普通の容姿も、ある意味田村を驚かせるのに充分だっただろう。そう珍しくもないアッシュブルーの髪、勿論羽もない。だが口調や行動はネット上のAYABEそのままなのだ。突然現れたりして。そして興味なさげな様子。
「それより、場所を変えない?」
 未だ唖然としている田村を無視し、何でもない事の様に言った。そしてチラリと斜め前のテーブルに座る連中を見る。座っている五人の内の一人、色白で切れ長の目の色男が、一瞬視線を上げて私たちを見た気がした。
「残念ながら、監視されてるみたい」綾部が言った。

 さて、ここらで裏で起こっていた事について、私の入手したログで判る範囲で記しておこう。
 最も興味深い例。
 KUKUTIという人物が、1-ハの内一体に接触している。接触したのはナンバー04イスケ。それ以降、KUKUTIのログインがぱったりと途絶えている。
 1-ハの大きな特徴として、引き起こすバグについて一貫性が見られないという所がある。一番多いパターンで、強制ログアウト。しかしこの接触者は、それ以降に一度もネットに現れていない。つまり仮想的には、消滅しているという事になる。
 ログにKUKUTIと04イスケとの会話が破損無く残っていた。

KUKUTI「うわっ」(この時点で、KUKUTIは乗っていたカートを破壊されている)
04イスケ「話したい事があります」
KUKUTI「何、誰?」
04イスケ「切り離します。良いですか?」
KUKUTI「よくないよ、君は誰?」
04イスケ「呼んだのは、KUKUTIさんの方ですよ」
KUKUTI「強制ログアウトしました」

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