少女試作機 003

02 純愛マストアーカイブス

 十一月が始まったばかりの今日、日付は三日。肌寒いを通り越して確実に寒い。見上げた空はいやに広い。埃っぽい廃墟の街並みを木枯らしが駆け抜けていく。
 戦争が終わってから五度目の冬だった。
 冬はつらい。気温が落ち込み、食料が減る。暖を取る燃料もない。それだけで人は死ぬ。変な話、ネットに繋ぐための電力インフラは生き残っているのに、ストーブの燃料はない。生まれて間もない子供――十を数える手前ぐらいまで、それとそれなりに長く生きた人間は、その日の最低気温が氷点下ぐらいになってしまえば、死ぬものが出てくる。禄に食いもせずに、凍えて地面の上に転がっていれば、衰弱してしまうのは致し方のないことだった。そんな生活をしている輩は決して少なくはない。
 しかし屋根のあるねぐらを持っていれば、まだ少し余裕がある。私は幸運にも屋根の下に寝床を持っている。食料の蓄えもある。したがって今年の冬も、さほど危機感なく乗り越えられそうだった。
 とはいえ現状に胡坐をかいていてはならない。
 ネットに繋いでいると生命維持のことを忘れてしまいそうだ。だから冬になると、あまりログインしなくなる。だって嫌だろう、仮想世界の中で夢か現実かわからないままに凍死してしまうなんて最期は。その場合は凍死した意識は現実にあったのだろうか、それとも夢を見ていたことになるのだろうか? ログインしたまま消えたユーザーの操作打ち切られたキャラクターは、情報を抱えたまま静止するだろう。全く動かなくなったグラフィックはいつまでたっても消えることなくその場に立ち尽くし、ひと月も経てばそれを見かけた者らに「ああ、こいつの中身は死んだのだな」などと夢想される。ネットの管理権限でユーザーが死んだことに裏が取れるのか? 取れれば消されるだろうが、取れないのならば、ただその外側は立ち尽くすばかりだ。現実の死と違うのは、それが腐って消え去ることがないことと、そしてその中身に確かに情報が入っているということだろう。記憶に等しい私の仔細なログが。過去のすべて――ネット上に限定されるが、それは過去の私だ。すべて取り残されているのに、しかし死んだのだ――。
 などと、取り留めもなく考えてしまうから、冬は苦手だった。
 何しろ外に出ると寒いからな。外に出なければ生きていけないが、しかし陽が落ちると外に出るのは命がけだ。それは言い過ぎか。私は未だ若く気力も十分だし、日頃からよく食べよく鍛えているから、多少寒いからといって衰弱死するような体力ではない。
 そんなこととは別な問題で、冬は苦手だ。寒いから。
 寒い夜に静かに一人部屋にこもっていると、まあ哲学的にもなろうものよ。
 そしてそれを見かねて、いや一体どこで見ていたのかは知らないが、こうして七松先輩は私を外に連れ出したということだ。体の良い労働力である。どうも戦中の経験からか、七松先輩に命令されると断れない。下っ端根性だとでも言うのか?
 先程も言ったが、私が部屋にこもりきりになるのは冬の夜中だけであって、別に日中は外に出たりネットに繋いだり、生きるために忙しいのだ。
 だのに昼間っからこんな企画に付き合わされたりして、本当のところ早く帰りたい気持ちでいっぱいだ。あと二時間もすれば陽が落ちるし。その前に、風の遮られる場所に戻りたい。つまりマイホーム。

 クリスマスなんて、見に覚えもない因習を執り行うという。
 見に覚えはないが知識には知っている。数多くの書物に、あるいは人の口頭に、フロッピーディスクにCD-R、磁気テープ、その他ありとあらゆる消えることのないアーカイブスにその行事記録は散漫している。
 元を正せば何なのか、後にこの国でどんな意味になったのか、それは前途の通りこんな時代となっても人々に真新しい記憶であるので、今更説明するでもないだろう。
 私に宗教はない。七松先輩にもないようだ。つまり解釈としては近世のお祭り騒ぎとして差し支えない。
 世の常の通りに、負け戦なんてやっていれば人々から娯楽は奪われていくのも当然の成り行きで、こういったお祭り騒ぎも例外でない。
 そして私の幼少時代は戦争の時代でしかない。だから本当に、クリスマスなんて見に覚えがないのだ。
 いや、待てよ。そんな虚勢は必要ないだろうか。これから先の記録に比べれば、こんなのは恥もなにもない。
 忘れないように、私は事実を述べていこう。
 本当は、一つ身に覚えがある。
 物心ついたかつかないかぐらいの頃、私が両親と住んでいた家の隣の家の屋根の上に、爆弾が落ちてくる前日だ。父と母はお約束通りに、「いい子にしていれば明日のクリスマスにはプレゼントをあげるからね」などと言われた。
 そんなこと言われずとも、私はいい子であったのだが。今もってそうだ。
 いい子であればプレゼント、というのはつまり優れた人間であればこそ、成果を挙げられるということだ。両親の教えは尤も至極であった。尤もであろうと思う。私は信じている。その理論は正しい。
 ところで翌日のクリスマスの結果はというと、日付が変わる少し前の時間、爆音と共に隣家が崩壊したため、私は両親と共に安全な場所へ非難することとなった。雪が振って恐ろしく寒かった。着の身着のままの避難であったため、プレゼントは結局貰えなかった。
 それが私とクリスマスの関わりである。翌年以降の十二月二十五日、そんな行事は影も形もなかった。
 そんな私に、七松先輩はクリスマスを行うので手を貸せと言った。
 別に七松先輩が私と両親とクリスマスの関わりなど知るはずもない――そんな話などしたことがないからだ――のだが、私はなんとも言えない苦い気持ちになった。
 トラウマなのかもしれない。
 明日の深夜に、また隣家へ爆弾が落ちてくる。
 まさか。戦争は終わっている。民家を吹き飛ばす程の爆弾を製造するための原料がない。落とすための戦闘機がない。落とすだけの意味が無い。
 判っていても、だ。それは形はないので破壊ができない。不安というものだ。
 そんなことを知らない先輩は、私に向かってそのイベントの概要を説明し始めた。
 ものすごく大雑把に解釈すると、自分より幼い路地生活者達への楽しい炊き出し大会だった。
 物資は? 労働力は? 七松先輩の独断で行うわけではないようで、その点は心配なさそうだ。
 先だって楽しさの演出のための、オブジェクトだ。クリスマスツリー。とりあえず対象からのスタート。オブジェクト指向。
 日が暮れるまで作業は続いた。ただただ、大木を飾り付けるだけの、非生産的労働で。
 しかも私の仕事の大半は、脚立を支えるだけである。
 冷える。
「よし、できた」
「やっとですか」
 この、「よし」をどれだけ待ったことか。
 過剰装飾の大木の隣で、七松先輩は踏ん反り返って笑った。揺れる脚立の上、私の遥か上空で。
 かと思うと脚立が激しく揺れ、私が不信に思う間もなく、七松先輩は地面に飛び降りてきていた。
 その衝撃で土埃が舞う。殴りつけられるような激しい風が、私の顔を叩いた。やはり冷える。日も落ちたのだ。
「では今日はお開きということで――」
「いや、待て」
 さっさと帰ろうとした私の肩を叩いてを引き止めた。
「明日の作業は朝の九時からだ」
「九時!?」
「本当は健康のことを考えて六時からと思っていたんだが、文次郎のやつがそれまでに物資を揃えられないとか言いやがってな」
 一体何の話だろうか。正気なのか?
 冬場の九時といったらもう、ほらまだ外は暗いというか、日は登っているかもしれないが気温は上がりきっていない頃だし、労働には向かない時間帯ではないかと思うのだ。私は。
「八時四十五分集合だ」
「なんですって」
「十五分前行動だ。お前は時計ぐらい持ってるよな」
「そんな、戦時中じゃあるまいし……」
「いつだって規則正しい生活に間違いはないのだ」
 この人は意外なほど真面目である。知っていたが、この冬場には面倒な人だ。
「だって地球の自転の影響で昼夜の長さは変わりますしその日の気圧配置によって気温天候は不定形に変動していきますので人間の生活というのもそれにあわせた時計盤に頼り切りでない柔軟な行動を取るのが正しいのではないかと」
「ブツブツ言うな。場所はな、明日はここじゃない。校舎の一階の、Bブロックの14」
「ああ、室内ですか」
「火を起こすから寒くないぞ」
 私はほっと胸をなでおろした。
 しかし、火を使って何をするのか?
 聞くと、また心の体力を奪われるような気がしたので聞かないでおいた。
「他に手があいてそうな奴を連れてこい。いるだろう、暇そうにしてる連中が」
「はあ。暇そうな奴と言っても、今すぐには思いつきません」
「その女を連れてきてもいいぞ」
「はあ?」
 女? 何の話?
「さっきの、話の。何か手掛かりがつかめるかもしれないしな」
 ニヤニヤ笑う七松先輩の顔を見ていて、思い出した。
 そうだ、あのソーコと名乗った少女の話を、していたのだった。寒すぎて忘れていた。
 私は単純に、喜八郎の知り合いなら立花辺りの誰かの知り合いだろうか……などと取り留めもない話をしただけだ。断じてそれだけだ。
 それだけでここまで盛り上がられると、困る。
「お前も女の話をするようになったんだなあ」
 馬鹿にしているのか、深く関心しているのか、おそらく両方だろう。馬鹿にしている分量が多い気もする。
 しかしそのようなことは軽率な推測だ。たったそれだけで恋愛なんたらのセンチメンタルな推測など。
「いや、やっぱり連れてこい。先輩命令だ」
「はあ、まあ、また会えたら誘ってみます」
 私は努めて適当な返事を返して、足早にその場を去った。
 こんなに面倒なのは初めてだ。

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