盗人騒動 一

「無理だ」
 鉢屋三郎も、終に投げ出した。灰褐色をした玻璃の筒をぽんと投げ飛ばす。床に打ち付けられる直前に、危ない、と不破雷蔵が捕らえた。
「割れたらどうする」
 と、久々知兵助が咎めるが、
「そうしたら、少しは飲めるな」
 三郎はそれ以前既に、うんざりした表情だった。
「聞いた話だと、玻璃ってのは、打ち付けると粉々に砕けるそうだぞ」
「僕の聞いた話とは違うな。くのいち曰く、ぱあん、と音を立てて、まっぷたつに裂けるとか」
「おれは、割れた破片が、手が切れるほど鋭い刃物になる、というのを聞いた」
 一番最初に諦めた、竹谷八左ヱ門が話に割って入った。他の者よりも一回り指の太い彼は、ものの数十秒で細かい作業に嫌気が差して、部屋の前で見張り役を買って出た。
 それが、障子を開けてひょいと顔を突っ込んできたものだから、見張りの意味がない。しかし誰もその事については言わなかった。そうそう大事があるわけでもない。
「どうであれ、厄介だなあ。中身は溢れてしまうんじゃないの?」
「そうそう、だから溢れたら飲めるじゃないか」
「溢れたらおれの部屋が汚れる」
 兵助が苦い顔をした。四人が狭っ苦しく集まっているのは、五年長屋の兵助の一人部屋だ。
「判っているよ。まずは壊さないように、これを開ける方法」
 話が元に戻ってしまった。三郎が雷蔵の手から玻璃を奪い返し、またいじり始めた。
 玻璃は八寸ほどの高さの筒形をしており、半分より上の方から細く、口をすぼめるような形になっている。筒の腹の部分に、何やら異国語の記された紙が貼ってある。
 灰褐色だが半透明の筒の中に、液体が入っているのが透けて見えた。
「何て書いてあるんだっけ?」
 外から入ってくる陽光に、玻璃が透けて中の液体がきらきらと光った。それを覗き込みながら、八左ヱ門が言う。
「ウエスケ」と兵助が答えた。これを盗んできた、盗賊のうち一人である。
 所謂、南蛮渡来の酒瓶だった。しかし、酒の名前は盗み聞きしたために頭に入っていたが、その他に何が書いてあるのかは判らない。
 口の所にコルク栓が詰められていて、これを取り除こうとしても、上手くいかない。専用の器具が必要らしいというのは判ったが、当然そんなものは誰も持たない。
 盗んできたは良いが、中身が飲めないのならば意味がない。四人は顔を付き合わせ、それぞれ苦無やら小しころやらを持ち出して、何とか取り出せないかと格闘していたのである。
 一番粘っていたのが、最も手先の器用な三郎だった。しかし、やはり思う様には行かないらしい。苦無の先で突き続けたために、コルクの上面が削れてしまい、さらに奥まで詰まってしまっている。
「上手く、ここの首の所を」三郎が、細くなっている部分の上の辺りを、ちょん、と突いた。「破壊出来ないかな」
「粉々になってしまった場合、酒に破片が交じる恐れがあるな。さらにその破片は鋭い、と。そんなの、飲むのは御免だ」
「兵助の言うとおり。止めといた方が良いって」
「でもよぉ、諦めるのも、勿体ない」
「何とか方法が無いものか」
 三郎と八左ヱ門は諦めがつかないらしい。
 その時、障子の間から覗き込んでいた太陽が、さっと曇った。いや、人が通りかかったのだ。人物は部屋の前で足を止めた。三郎が慌てて酒を懐に押し込んだ。
「賑やかですね」
「何だ、喜八郎か」
 気の抜けたように、兵助が言った。そこに現れたのは、一つ下の綾部喜八郎だった。お咎めが来たのでは、ない。
「誰なら、困りましたか?」
「先生だったら、ちょっとな」
「そうですか。それは、その鉢屋先輩の懐の」
 喜八郎の言葉を遮り、
「見えた?」
 三郎は少しばかり焦った。喜八郎に隠したものを見られたというのは別段どうということではないのだが、もしも現れたのが教師であったとしたら、と考えて嫌な気持ちになったのである。
「玻璃ですね」
 にやっと口元を持ち上げて言うものだから、仕方なしに三郎は懐から玻璃を取り出して、喜八郎に見せた。中の液体が揺れている。
「南蛮語だ」
「何て書いてあるか、判るか?」
「いいえ、さっぱり」
「そうだろうね。それで、綾部は何の用だ?」
「久々知先輩に宿題を教えてもらおうと思ったんですが」
「ああ、そうか。昨日約束したんだっけ」
 喜八郎は手に、薄っぺらい紙を握っていた。
「でも、それは後にします」
 その紙を懐にしまい込み、するりと部屋に滑り込んできた。面白いものを見つけた、という顔をしている。
「おいおい、どうするんだ? お前の後輩だろ」
 八左ヱ門は小声で言いながら、肘で兵助を突いた。
「どうするって、お前がちゃんと見張りをしてないからだろ。自分で買って出たのに」
「そりゃあ、そうだけど」
「まあ、良いんじゃない。先生に告げ口しないなら」雷蔵が苦笑いで割って入った。
「しませんよ。利益が有りません」
 年嵩の四人が苦笑して、お互いの顔を見合わせた。
「仕方ないな。綾部、酒は飲めるか?」
「好きです。それの中身は、南蛮のお酒ですか?」
 四人がしたり顔で頷く。
「美味しいのですか」
「さあ? 誰も飲んだことはないからねえ。でも、福富屋があちこちに配っているという話だから、不味くては、商売上不都合だろうね」
「一年の福富しんべヱから貰ってきたんですね」
「いや、それがちょっと違う。貰ってきたなら、何も先生に怯える必要は無いだろう。盗んで来たのさ、兵助がね」
「おれの責任か」苦い顔をした。「言い出したのは、お前と八左ヱ門だ」
「乗ったのは、兵助。止めたのは僕だけ」
「飲んでしまえば雷蔵も共犯だ」
「三郎、僕は飲むとは言っていないぞ」
「ここまで来て、そりゃ薄情ってもんでしょう。毒を食らわば皿までって言うじゃないか」
「まあ、下手なことになったら僕もまとめて叱られるんだろうけど」
「そうさ、なら飲んでおいたほうが得だ」
「うーん、でもなぁ」
 雷蔵がいつもの様に迷い出した。
「久々知先輩、それは不味い所から盗んできたんですか?」
「うん。職員室から」
「職員室!」
 喜八郎は常に飄々としているが、これには流石に声を上げて驚いた。
「凄い。よく、そんな事が出来ますね」
「おれが外で虫と動物を使って軽い騒ぎを起こして、三郎がそれを攪乱したのさ」
「職員室といっても、酒の入っていた箱は入り口の方に無造作に置かれてたからね。一瞬でも、先生方の視線が逸れればそれで良かったんだ。それでも辛うじての成功だよ。一応ばれてはいないみたいだが」
「へえ」
 心底関心したらしい。
「久々知先輩は盗みが得意なんですか?」
「何でそうなる。手が空いていたのが、おれだけだったんだ」
「手先が器用なのかと思って」
 ハハ、と三郎が笑った。
「それは無い。この間の巾着切りの成績、兵助は下から三番目だったな」
 巾着切りとは、掏摸の事だ。
「何で知ってるんだ」
「先生から聞いた」
「ちなみに一番下はおれね」
 八左ヱ門が胸を張って言った。確かに、人よりも一回り大きい手は、あまり細かい動きを出来そうには見えない。
「そして一番上が僕」
「何で兵助と三郎は役目を変えなかったの」
「普段真面目な奴の方が、見つかっても怒られにくいかと思って」
「そういうもんか」
「そういうもんだ。いたずらってのは、回数を重ねると、飽きられるか、ちょっとした事で大目玉を食らうかのどっちかなんだ」
「ちょっとした事ね。まあ、見張りなんか付けて、大した事じゃないよな。たかだか酒の一本だ」
「綾部喜八郎だっけ? 君は昨日、福富屋が馬借に運ばせた荷物を見たかい?」
 三郎が急に喜八郎へ話を振った。
「いいえ」
「結構な数があった。あれなら、一本ぐらい減ってたって、誰も問題にはしないだろう。それにさ、ばれても既に飲んでしまいました、という事なら、返せと言われても吐き出すことも出来ないし」
「なるほど、判りました。それで、どうして今すぐに開けないんですか?」
「それなんだよ」
 三郎が、再び綾部の前に玻璃の筒を差し出した。
「口の開け方が、さっぱり判らんのだ」
 玻璃を受け取った喜八郎が、その口の部分をつーっと指でなぞった。コルクの上の方は突かれすぎてへこみ、ぽろぽろした細かいごみが上に溜まっている。
「判るか?」
「見当もつきません」
「やっぱりなあ」
 三郎がごろんと床に寝転がった。長屋は二人部屋だが、五人もいると流石に窮屈だ。
「開けるのに、専用の器具が必要と見た。職員室に行けばあるかもしれないが、その器具の形も想像付かないんで、また盗むわけにもいかない。手詰まりだよ。ここまで弄くってしまっては、元に戻しても、盗んだのがばれるし」
「飲めないですね。それは、つまらない」
 呟いて、思案に耽る。喜八郎が考え始めたのを見て、残る四人は逆に気が抜けて、解決法を探るのを一時休止した。
 実際の所は、酒が飲みたかったというよりも、それを盗み出す度胸と腕を試すのが目的だった。だからと言って、こうなっては尻すぼみの結果で面白くない。
「そうだ、そういえばこの間、立花先輩が玻璃がどうのこうのと話をしていました」
「何、立花先輩が」
 成績優秀で知識も豊富な一つ上の先輩の名前が出た。その知識に僅かな期待が湧く。
「内容は忘れましたが、相談してみるのはどうでしょう」
 四人が顔を見合わせる。上を頼るというのも癪だが、ここで行き詰まるのも、口惜しい。何とか、中身の酒にありつきたい。
 それに、上の学年もいたずらは嫌いな方ではないはずだ。
「よし、六年長屋へ行ってみよう」と誰ともなく言った。

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