からくり侍 一

 理想的な曲線を形成するためにもう何時間も木肌を布鑢で撫でている。当初、客人は作業が終わるまで黙して待とうと考えていたのだが、待てど暮らせど相手が動き出す気配がない。痺れを切らして戸板を叩いた。
「どうぞ」
 拍子抜けするほど直ぐに、落ち着いた返答が返ってきた。だが客が戸を開けようとも、男は作業の手を止めていなかった。
 しかし入った部屋の中の様子を見て、客人は全く立ちすくんでしまった。
 まるで火事後に転がる無秩序な焼け残り。違うのは焼け焦げの黒と灰が全くないのと、よく見ると形状が皆幾学的であるという事である。それにしても尋常の道具ではないのは、女子供にも判るだろう。
 意味深げな、用途不要ながらくたの中にあって、元服したばかりかと見える男が一人座り込み、熱心に作業をしている。客人に振り向きもしない男の手には、血の気の引いた女の生首があった。
 男は熱心にその頬を布鑢で撫でている。
「御用向きは」
「半年前の件でして」
 客が振るえる声で告げると、ふと男は手を止めた。
「誰の使いで?」
 手にした端正な美貌の首を、男が窓から射す陽光に翳すと、頬に赤みが映った。そして驚いた事に、同時にその首は閉じていた瞳をかっと見開いたのである。
「ひっ」
 客人が短い悲鳴を上げて後じさり、戸板に強くぶつかった。思わずへたりと土間に座り込んでしまう。
 その様子を、後ろを向いたままの男が小馬鹿にしたようにくっくっくと笑った。
「安心なされ、これは作り物の首」
 ひとしきり笑うと、男は正座の体勢のままにくるりと客の方へ向き直った。
 僅かに女性的な印象を感じさせる美男子が、少し意地悪そうににんまりと笑っている。それだけでなく彼は何故だか圧倒的な威圧感を目の底に沈めていた。
「半年前の件、思い出したぞ。丁度良いところに参った」
 兵太夫の手にした女の首がぱちぱちと瞬きを繰り返す。ゾッとするほどに素晴らしい出来の人形の首であった。
 それは細い丸太の首の骨が剥き出しに、頬は今にも血が吹き出しそうな気配がある。兵太夫がその首の柱木――ちょうど首の骨の部分である――をつまむと、女は目を瞑り、そしてまた開いた。
「今日当に、様子を見ようと思っていた所だ。日が沈む前には行くから、お館様に帰って伝えておくれ」
「その事で言付けが御座いまして……」
 使いが震えながら言うが、兵太夫は既に意識が次に行う作業の方に移っており聞く耳持たない。しっしと追い払うように手を振った。すると使いの男はこれ幸いとばかりに転がるように戸から逃げ出したのだが、その間際に文を一枚落としていった。
 一応届けられた文は兵太夫の視界に入りはしたものの、からくりに気を取られた意識からははじき出される。男が飛び出したままになっていた扉を荒々しく閉め、彼は直ぐにまた女の首と葛藤し始めた。
 やがて日が沈み始めようという頃、宣言の通りに兵太夫は依頼主の所へ出かける事にした。作り上げた女の首を包んで背負い、外に出ようとした時にやっと手紙のことを思い出した。
 出るついでに拾い上げ、道中開いて見てみると、
「お倉は既に生き返り、もはや汝の働きは不要である。褒美は使いに銀一枚持たせしを納めよ」
 とある。驚いて何度も読み返すが、間違いない。
 代価を受け取り損ねたことよりも、突然解雇されたことに衝撃を受けた。まるでお前はいらぬと言いたげな文面だが、銀一枚は最初にこちらが言い出した額よりも幾分多めで、理に適わない。しかも手紙はそれだけしか記されていないために、全く事情が判らなかった。
 何かしら問題でも起こしてしまったのだろうかと訝しむが、それにしては退職金が多い。それ自体は悪くはないのだが、理由もなく解雇を言い渡された理不尽さの方が大きい。そもそも兵太夫は自負心の強い方であり、このような一方的な扱いに少なからず腹を立てていた。
 腹の中になんとなく気持ちの悪い感情をくすぶらせながら、依頼主の屋敷へ向かう兵太夫は、いつしか早足になっていた。

 引き合わされた館の主人は精悍な容貌をしている。心なしか、依頼を受け取った半年以前よりも若返っているかのようにも見える。
 兵太夫は深く頭を垂れたのち、すぐに摺り足で中年の男へ近寄った。やはり以前よりも眼光鋭く、警戒の色を目に浮かべる。すぐに刀を取るような様子には見えないが、しかし。
 後ろに控える人形の女性は微動だにしない。
「おそれながら申し上げます」兵太夫は再び頭を垂れた。
「お倉殿の働き、なにか問題がございましたか」
「いや」主人は目を伏せて首を振る。
 人形の女の黒々とした髪が、不意に一束ばさっと落ちた。畳の上にぬらぬらと光る糸が微風に流されて広がり、なんとも嫌な風情となった。残った女の豊かな髪はあらゆる力に耐えているようだったが、彼女自身はぴくりとも動かない。
 兵太夫が思わず奧に進み行こうとすると、そのはずみで隣に置いていた包みがほどけた。その場にいた全員が、あっと短い声を上げた。
 向こうに座する女と、同じ顔の女の白い首が布の間から覘く。だが兵太夫の持参した首は、主人の後ろの女よりも非人間的に美しい。片方は時の経過とともに摩耗し、片方は理想的な曲線でもって形作られた真新しい人形。
 主人はさっと立ち上がった。深い意志の目で落ちた髪を見つめる。
「もうよい、下がれ」
 きっぱりと告げた。予想外、決然とした態度に兵太夫はたじろぎ、その場では何も言えずに館を後にした。

 それから一ヶ月ほど経った頃、兵太夫は久方ぶりに同級生の乱太郎と会った。会ったというか、見かけたというか。その場所が場所だったために、声を掛けるわけにもいかなかった。
 笹山兵太夫、猪名寺乱太郎共に忍術学園の出身である。今現在お互い身を置く場所こそ異なってしまったが、若い頃に忍者としての教育を受けている。からくり作りを専門に生業とするようになった兵太夫と違い、乱太郎は生粋の忍であった。
 その乱太郎の姿を兵太夫が確認したのは、かの武家屋敷の梁の上であった。
 そもそも兵太夫は、仕事を半端な状態で放り出しておきながら、安心して眠れるようなたちではない。依頼主に解雇を言い渡された後も数回にわたってこっそり屋敷に忍び込み、自作の人形の経過を観察していた。お倉と呼ばれている娘人形がそれである。
 人形といってもただ置いて眺めるだけのものではなく、兵太夫が作るのはからくり仕込みの自動人形だ。実に精密に作られ本物のように動く。それだけに、長期間正常な動作を維持するためには制作者たる兵太夫自らによる品質管理が重要なのだ。その事は事前に書面で示しておき、同意も得た筈なのだが、突然断られたので腑に落ちない。人形が不要になったのかと思えばそうでもなく、関節はぎちぎちと軋み、頭は髪が落ちていくというのに依然として座敷に座らせている。
 自動人形を何させるでもなく座敷に座らせているだけというのも兵太夫には気に入らないところではあったが、隙を見て部品の交換をしようと考え始めていたことからすると、一所に留めてあるのは有り難い事ではあった。
 さてそれで今日の事である。一ヶ月の観察の結果、人形の周りから人影が消え、尚かつ作業に支障がない明るさの時間帯で最も侵入しやすい日を選んだ。武士である依頼主が主君の元へ働きに出た所を狙って、兵太夫は部品を抱えて忍び込んだ。
 前日までの調査で、戦の兆しのために依頼主は部下を引き連れて城へ向かったと知っていた。屋敷には人も少ない。まさに忍び込むのに恰好の日、と油断したのかもしれないし、していなかったのかもしれない。
 薄暗い梁の上でふと前方を見ると、乱太郎がいたのである。人形の置かれた部屋をじっと観察している。兵太夫は直感的に、自分の侵入を何らかの理由で察知した依頼主が、乱太郎を雇って警戒させているのだと悟った。
 生涯忍者の乱太郎とからくり師の兵太夫、普通なら忍術比べをして勝るのは乱太郎の方に違いない。しかし下の座敷に兵太夫のからくり人形があったのは幸いだった。
 兵太夫が静かに腕を掲げ、人差し指で座敷の人形を指さすと、目に見えぬ程細い細い糸がくるくると指からほどけて下に落ちた。
 すると突然、人形が座った姿勢のまま、まるで誰かに突き倒されたかのようにごとりと倒れた。
 見張っていた乱太郎は仰天して座敷に飛び降りる。その隙に、兵太夫は慌てて退散した。

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