火事場に泥棒一網打尽 六

 盗賊たちは、大人しかった。町の者の目が、あったからだろう。静かに燃える暗い怒りの炎が浮かぶ沢山の目が。
 五朗左右衛門の一味は、後ろ手に縄をかけられ、首に掛けられた縄で数珠繋ぎに繋がれていた。先頭の五朗左右衛門の首の縄を握るのは、ユキであった。それがまた惨めである。
 乱太郎とユキは太田五朗左右衛門とその一味を、火事で家々の消えた町を彼ら自身の足で歩かせ、火事で焼け出された人々の集まる町のお堂へと引っ立てた。彼らの罪を嬲ろうと考えたのではない。ただ単純に、六人の男達を気絶させたまま運ぶのが困難だっただけだ。お堂へと戻ったのも、若衆頭の庄左ヱ門がちょうどその時にお堂へ詰めていたからだ。
 乱太郎もユキも、彼らが結果的に晒し者となることに、諦めのような鈍い侘びしさを感じていた。
「やあ! 早かったな!」
 お堂の出入り口付近で軽傷者と尋ね人の対応にあたっていた庄左ヱ門が、乱太郎とユキの姿を見るなり、晴々とした表情で駆け寄ってきた。五朗左右衛門たちが掴まったことに、歓びを隠さない。だが縄に繋がれた五朗左右衛門へは、無表情に一瞥を向けただけで、その存在がないかの如く振る舞った。
「疲れただろう、炭焼き小屋の方に湯と食事を準備させるから――」
「庄左ヱ門」乱太郎が静かに遮った。
「処分はどうなる」
 庄左ヱ門は表情をかちりと固めて、数秒黙った。瞬きを繰り返す。
「伊助の助言も聞かないとなあ」
 無理に怒りを抑えている体である。乱太郎はユキと顔を見合わせ、それからユキは五朗左右衛門の首の縄を強く引いた。六人が六人ともびくっと震える。
「炭焼き小屋を使っていいのね」
「ああ……」
「先に事実だけでも明らかにしておこう。その方が、庄左ヱ門も動きやすいだろ?」
「ああ……」疲れたように、庄左ヱ門は頷く。
「こんな時は僕たちみたいな部外者の方が、立ち回りやすいね」
「すまない。仕事は盗賊の捕獲だけの予定だったのに」
「そうだね。いつもなら、頼まれた仕事以外は触れないのが忍者の約束なんだが」
「庄左ヱ門は忍者じゃないものね」
「あ、ああ……」
「そっちにあわせるよ。今回は」
「貸しに、しておいてくれ。いつか返すから」
「判った」乱太郎は口元で侘びしく笑った。
「じゃあ、これから尋問の時間だけど、乱太郎? 自白剤は持ってきてたかしら」
「持ってきた。だけど、薬類は全部伊作先輩に渡しちゃったな」
「じゃあそれだけ、取りに行きましょ。伊作先輩はまだお堂の中で診察中?」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。手荒なことをするのなら――」
 言い淀んだ。お堂に入っていこうとする乱太郎とユキの前に割り込んだのにも拘わらず、二の句が継げない。苦虫を噛み潰したような、苦しい顔で乱太郎たちを睨む。
「……ぼ」喉の奥から声を絞り出した。だが、
「冗談だよ」
 乱太郎が遮った。
「尋問なんて必要ない。彼は懺悔したくてたまらないみたいだから」
 乱太郎は静か言い、震える五朗左右衛門へ向き直った。彼は歯を食いしばり、眼を硬く閉じ、俯き、全身を固め、耳だけを敏感に働かせている。聞こえるのだ、彼が燃やした町に住む人々が彼を糾弾する声が。それは幻聴ではない。このお堂には、怪我人、無宿者が集まっている。火事の被害者も、必然。彼を指差し、刃のような声と言葉で、彼の名を呼ぶ。
「申し開きがあるのなら、今この場で述べたいだろう。彼が許しを請うのは、ここにいる町の皆だ」
 五朗左右衛門の両眼から、ぽとり、ぽとりと涙が落ちた。乾いた地面に黒い跡を残す。
「出来心でございます」
「なにをぬけぬけと」
「庄左ヱ門、止めるんだ」
 今にも刀を抜きそうな庄左ヱ門を乱太郎が窘める。ユキが素早く庄左ヱ門の傍らに周り、腰から小太刀を掠め取った。
「縄を、離すんじゃない!」
 庄左ヱ門は、刀を奪われたことよりも、ユキが五朗左右衛門の首の縄を手放したことに慌てた。彼らは両手を縛られ首で各々繋がれているが、両足は自由だ。足並み揃えて走り出すかもしれぬ。
「今更逃げられやしないわよ」
 だが、ユキの言うとおりである。五朗左右衛門以下盗賊六名、ここで逃げたところで命が助かるものかは。町の衆の目が彼らを取り囲んでいるのだ。
「出来心だっていうのなら、どんな心が何によって出来上がったのか、その一部始終を話しなさい。事によっては、あなた方に同情する者も出るかも知れないわ」
「ユキ! 誰も許しはしないぞ!」
 庄左ヱ門が叫ぶ。それは怒りに歪んで悲鳴のような声である。
「お話します。お話します。許されなくとも、お話致します」
「事の起こりは」乱太郎が促す。
「わたくしが小豆問丸太田屋の後を継ぎ、仕入れ先とのやり取りで大きな失敗をしてしまったことが、全ての始まりです」
「問丸は儲かっていたのではないのか? お前は取引先の豪農から娘を嫁に迎える筈だったと聞いている」
「いいえ、それが、わたくしの仕事の失敗で、全て白紙に戻りました。お炎とは二人が子供の頃から将来を約束した仲だったのに」
 五朗左右衛門の閉じた瞳から、涙が止め処なくこぼれ落ちる。全て後悔の涙である。
「お炎との約束を失って、わたくしの心はぽっかりと穴が空いたようになってしまいました。仕事も、上手く回りません。問丸の帳簿は次第に赤、赤と数字を書き入れるばかりとなり」
「周囲には仕事が上手くいっているように装っていたのか」
「はい。お炎との縁談を取り戻すには、金と信用が必要だった。わたくしはそう信じて、身を粉にして働きました。ですが申し上げたとおり、帳簿は火の車。わたくしが働けば働くほど、悪い方向へと転がってゆきました。そんな折、あの男が現れたのです」
「それは、沼膳と名乗り怪しげな宗派を口にする托鉢僧だな」
「仰るとおりでございます」
 庄左ヱ門はきつく歯を食いしばり、固く握りしめた拳をぶるぶると振るわせていた。許せないのだ。己の罪状から逃れようとするかのような男の言動に、体を震わせるほどの怒りを覚えている。だが、ユキの手が柔らかに庄左ヱ門の肩を掴んでいるために、怒りを爆発させることもできない。
「出会ったのは、ある夜、供も連れず馴染みの酒屋で酒を煽っていた時でした。怪しげな坊主と思いました。自分が予言者であると言うのです。これは只酒を飲もうとしているのだなと思い、その場では全く信じずお情けのつもりで一杯酒を奢ってやりました。見栄を張って。思えば、それが余計なことだったかもしれません。翌日、店の裏口に再びその男が現れたのですから。果たして私をいいかもだと思ったのでしょう。押し売りするように、予言を告げました」
「予言とは何のことだ」
「地震です。その乞食坊主は、大地震から微細な揺れまで、いつ地震が起こるのか手に取るように判るのだと言いました」
「それと火付けに何の関係がある」
「あるのです! 坊主は抜け目ない様子で、裏口で話に応じていた丁稚の身形を見るなり、私の商売がうまくいっていないことを見透かしました。丁稚からその話を聞き、私は冷や水を浴びせられたように思い、去っていく坊主を呼び止めました。思えばこれが余計なこと」
「それ、二度目だわ」
「はい?」
「切っ掛けを二度言ったわ。それも、自分の非がごく僅かであるかのように」
「そ、そんな、そんなつもりでは」
「そんなつもりだろう」
 額に青筋立てた庄左ヱ門が、刺すような低い声で唸った。男はもうこれ以上出るものがないぐらいに冷や汗をだらだら流し、顔面蒼白で打ち震えた。心が奈落に落ちていくような心境であった。
「続けろ」
 庄左ヱ門が言い捨てるように命令する。
「は、っはい」
「聞こえぬ!」庄左ヱ門の怒号が飛んだ。
「ひいっ! お許し下さい、お許し下さい」
「いいや許さぬ! 何度も言わすな! 決して貴様を許しはしないぞ。私も、焼け出された町の皆もだ」
「お許し下さい、本当に出来心でございます。本当に」
「やかましい! 申し開きがあると言うから聞いてやっているのだ。もう言うことが無いようなら」
「ひええぇぇぇ」男は惨めに情けない声をあげたが、それで同情する者など、一人もいなかった。
「火付けの、首謀者は、その乞食坊主でございます。わたくしどもは、ほんの少し手助けをしたのみで」
「わたくしども、か。此の期に及んで、まだ自分の非を認めないつもりか。そこに直るお前の手下どもに命令したのは、他でもない貴様であろうが」
「う、うう、ですが、一番初めに火を付けたのは、その坊主」
「二番目に火を付けたのは貴様ということだな。それもご丁寧に、己の屋敷を借用証書もろとも燃やし、被害者面をしおって」
 そもそも、太田屋の関係者が皆地震の直後から姿を消していたのは判っていた。智吉らに行方不明者について調べさせていたためである。あの火事の中だ、その他行方不明者は数多出ていたが、その中から太田屋について気がついたのは、やはり庄左ヱ門にはあの娘のことに気が掛かっていたからだろう。
「町の様子見に最後に残した手下も、私の知らぬ者にして、外部の盗賊を装ったな」
「そ、それらも坊主の出した知恵でございまして」
「誰が入れ知恵したかなど、どうでもよい。太田五朗左右衛門、貴様が火付けをしたのに、相違ないな!」
「は、はいいいぃぃぃ」
 ユキの制止を振り切って、庄左ヱ門が一歩前に進んだ。
「万死に値する」
 庄左ヱ門の五臓と六腑が燃える。心の蔵から溶岩のような血が全身を逆巻き、腹に溜まった灼熱が喉から溢れ出るかのように、庄左ヱ門は唸った。許せるはずもないのだ。町は彼の住処、故郷、町の衆は等しく彼の血族と並ぶ。自らの血肉にも負けず劣らず庄左ヱ門という精神を構成しているそれらを破壊した逆賊共が、どれほど憎いか。しかもその盗賊の出が同じ町の衆だったとすると、その怒りは幾ばくと言い表すことができるだろうか。
「ですが、ですが、一つだけ申し上げます! わたくしが火を付けたのは、家々から主だった人間が皆逃げ出したあと、言わば罪状は火事場泥棒のみ、ただの一人の死者も出しておりません。どうか、それに免じて一度だけお慈悲をお願いします。どんな罰も受けるつもりでおります。ですが、ですが、ですが、一度でいい。お炎に、一目だけでも……」
「ばかものが!」
 あっと誰もが息を呑んだ。
 庄左ヱ門が、男の鼻っ面を殴り飛ばしたのだ。ユキや乱太郎が止めに飛びかかったが、それも間に合わなかった。
「よくもぬけぬけとそのようなことが言える! 無人の屋敷に火を放とうとも、飛び火した先の被害は甚大、焼け死んだ者も数知れず……」
 庄左ヱ門は怒りに打ち震えながら、次の言葉を喉の奥に詰まらせた。
 真実の残酷さに、怒りと悲しみが入り交じって言葉にするのが躊躇われたのだ。
 しかし言わねばならないだろう。男にとっても、庄左ヱ門にとっても、死んだ娘にとってもあまりにも哀れすぎる事実を。言えば誰の魂も救われないだろうが、それでも包み隠すことはできぬ。
「何より! お炎はあの地震で、死んでしまったのだぞ!」
「えっ」
 男の顔が、さーっと青く血の気が引く。
「骸も火事で燃え尽き、骨も残っておらぬ」
「な、なんと……」
 五朗左右衛門の全身から力が抜け、両腕がだらんと落ちた。
「それでも尚言えるのか、己に罪が無いなどと、なぜ」
 庄左ヱ門が再び握り拳を振るわせた。
「庄左ヱ門、もう止せ」
 すでに命の灯火を失ったかのように脱力した男に向かって、再び殴りかかろうとする庄左ヱ門を、乱太郎がやんわりと制止する。だが、そう言いながらも乱太郎は庄左ヱ門を押さえつけるようなことはしなかった。
 できないのだ。
「火事と、娘が死んだことは関係のないことだ。もう充分だろう。あとは町の衆みなで処分を決めるんだ」
「乱太郎、なぜ止める」庄左ヱ門は苦しげに乱太郎を見返した。「お前こそ、お前こそが、関係、ないだろう」
「そうね。でも、あたしたち、あっち側だわ」
「は? 何を」
 庄左ヱ門は、なんのことだかすぐには判らなかった。彼はもうずっと町人として過ごしていたのだから、致し方がないだろう。
 しかし、乱太郎たちは、忍であった。
「僕らは同じ穴の狢だと言っているんだよ」
「何を言うんだ。乱太郎たちと、こいつは全く違うじゃないか」
「いいや、同じだ。人に徒なすのが生業なんだから」
 庄左ヱ門は言葉を失う。
「忍なんだよ、僕は」
 言い捨てた乱太郎は、向かい合う庄左ヱ門と交わらない視線を、交わした。両者の間には隔たりがたい無限の空間が広がっていた。
 人から遠く離れた乱太郎、その彼の背中をユキが沈黙して見つめていた。
「おーい、庄左ヱ門、乱太郎ー」
 未だ燻る町の方から、伊助が駆けてきた。
「あの坊主が炭焼き小屋から消えたんだ、探索に人足を借りていいかい?」
 伊助がそう言うのが、乱太郎と庄左ヱ門には遠く聞こえていた。

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