火事場に泥棒一網打尽 一

 その年、大地震が起こった。十一月一日、夜中の十二時頃であった。黒木屋の若当主庄左ヱ門は、ちょうど自室で書き物をしていた。
 複数の人間へ宛てた手紙である。粗方書き終わった所で、轟、と腹の底へ響くような地響きがして、激しい揺れが襲った。突き上げるような、揺れ方である。転がりそうになりながら、机の上に置いていた行灯を掴み、火を吹き消す。素早く冷静な行動は、流石忍者である。
 途端に真っ暗になった。そこかしこでざあざあと屋根瓦の崩れる音やら、柱の折れる音やらが聞こえる。
 揺れは収まらない。庄左ヱ門は起きあがり、波打つ床の上を走り出した。廊下に出ると一度揺れが止まったかに思われたが、再び、どんと強い突き上げが来た。しかし、別室で眠る両親の安否を確認せねばならない。

 黒木庄左ヱ門は本日地震が起こる事を知っていた。虫の知らせ、というやつである。
 とは言っても、報せを受けたのは庄左ヱ門ではない。
 昼頃に、久しい人物が店を訊ねてきた。巨大な犬二匹と小猿を一匹を引き連れ、流れの猿ひきのようなちょっと変わった出で立ちである。防寒のためか、頭巾で口まで隠している。
 その人物が、店頭で他の客の相手をしていた庄左ヱ門へ話しかけた。
「どうも、炭屋の黒木屋か、二廓という染物屋かが、この辺りに有ると聞いたんだが」
「黒木屋はうちですよ」
「ああ、そりゃ良かった」
 覆面をさっと外す。すると、見知った顔が現れた。
「竹谷先輩」
 忍術学園で忍術修行を積んでいた頃の、四つ上の先輩だった。竹谷八左ヱ門が卒業してからは、殆ど全く顔を合わせる事が無かった。
「お久しぶりですね。僕たちに、何かご用ですか?」
 僕たちに、と言ったのは、八左ヱ門が探していたのが黒木屋だけでなく、二廓屋も含まれていたからである。
「ま、用という用でも無いんだが」
 八左ヱ門が腹をさすった。ぐうと虫が鳴く。
「参ったな」
 庄左ヱ門と八左ヱ門は顔を見合わせて、苦笑した。
「そろそろ昼ですね。良ければ、御馳走しましょう」
「良いのか? 店番も」
「母に代わってもらいます」
 店の奥へ庄左ヱ門が声を掛けると、人の良さそうな初老の女性が顔を出した。

 少しして八左ヱ門が通された部屋には、膳に乗せられた饂飩の丼が用意されていた。寒い部屋の中に湯気が立ち上っている。
「こりゃ有り難い。では、頂きます」
「どうぞ。お連れ様の分もありますよ」
 庄左ヱ門の言った連れというのは、犬と猿の事だ。八左ヱ門の前の膳には大きな丼と小さな鉢が準備されていた。小猿は器用にも二本の箸を使って鉢から饂飩を啜っている。犬の方は流石に座敷には上がらせなかったが、だからといって店の前に居座られても、客が怯えてしまう。しかし賢い犬のようで、裏手で待つように、と八左ヱ門が命令すると素直に家の裏へ回っていった。
 庄左ヱ門も自らの分の膳を用意し、戻ってきた。慎重に部屋の戸を閉める。
「それで、ご用の方は」
 饂飩をつまみつつ、声を潜めて言った。
「そう大した話では無いんだ。一つ、暇つぶしと思って聞いてくれ」
「冬場の炭屋には、潰す暇も無いですけどねえ」
「商売繁盛、何よりだ。しかし炭屋は、他よりも気を付けねばならんよな」
「どういう事です」
「いや、そんなに真剣に聞かないでくれ」
 真顔で問い返した庄左ヱ門に、八左ヱ門は慌てて手を振る。
「何度も言うが、暇つぶし、話の種だ」
「もったいぶらずに教えて下さいよ」
「虫の知らせだ。いや、魚の知らせかな?」
「魚の知らせ?」
「予言だよ」
「ははあ、占いの類ですか。そういうのは、あまり信用してませんけど」
「まあ、だからこそ眉に唾でも付けて聞いてくれ。数日前に鯰に聞いた話なんだが」
「鯰」
 吹き出した。あり得ない、と思ったからではなく、逆に真実味があるな、と可笑しく思ったのである。自ら行儀良く饂飩をすする小猿を肩に載せ、犬と会話する相手とあっては、鯰に聞いた話というのも有りそうではないか。
「鯰というと、やはりあれですか」
「そう、地震だよ」
 鯰というのは口ひげの四本生えた魚で、淡水に生息する。鱗が無く体表は粘液で滑っており、ずんぐりと頭が大きいため、どこか滑稽な姿である。
 この鯰という魚は、日本では俗に微振動や電流に反応して地震の前に暴れると言われるが、科学的根拠は無い。地震の原因が地面の下の大鯰だという迷信が古くからあり、それが安土桃山時代以降に暴れる鯰の様子と共に広まった。
 その鯰の知らせだと言う。
「いやね、近所の池に三尺はあろうかという鯰が住んでいたんだよ。庄左ヱ門は知らないと思うが、鯰というのは大体が一尺程度だが、稀にこういった大物が発生する」
 これは鯰には成長を止めるホルモンが無いためである。
「あんまり見事なもんで、おれは長いこと朝晩とそいつに粥を与えていたんだ。鯰は本来肉食なんだが、喜んで食っていた。まあ、鯰の中にもそういう変わり者がいるんだろう。それで十日程前、坊主頭の乞食のようなのが訊ねてきた」
 ふらりと戸口に現れた男は、よれよれの着物を着つけているだけで他に持ち物も無く、足下を見ると裸足だった。しかし乞食の割には、恰幅が良い。八左ヱ門も背丈は相当に高い方だが、この男も負けてはいない。その上、腹のちょっと出っ張った小太りである。ぼうぼうの長い眉毛が垂れ下がり、その下には豆粒のような小さな目がつるんとした顔の中に二つ埋まっていた。
 おまけに口元にはひょろりと長い四本の髭。
「外にやたら獣が集まっとるようじゃが」
 八左ヱ門の住居は山中にあり、小屋の周りには彼が飼育している生き物が徘徊している。知らぬ人間が見ると、仰天してしまうことだろう。しかし、男はそう驚いた風でもない。
「彼らは私が育てているんです。無闇に人を襲う事はありませんので、お気になさらないで下さい」
「ふむふむ。獣を使った商売かなんか、しとるんかい」
「はい。拙くも芸をしこんであります」
「猿や蛇なんかは、そうじゃろな。しかし巨大な犬やら雀、虫、魚なんちゅうのは、芸として聞いたことが無い。他に何か、売れるもんがあるんかね」
「有りますよ。彼らは皆それぞれ、売り物になる特技を持っていますから」
「ふうむ」
 ひょろ髭の生えた顎を、つるりと撫でた。
「そうなると、暮らしも充分なようじゃね。困ったのう」
 後の一言は、独り言ちた。何が困ったのか、八左ヱ門にはよく判らない。
 男は暫く自分の髭を引っ張ったり撫でたりして悩んでいたが、突然ぶるっと頭を振った。
「良い事を思いついた。あんた、買うてくれんかね」
「何ですか?」
「これじゃこれ」
 髭を一本、引っ張って見せた。
「髭ですか」
「いいや、いいや。これではない」
 大慌てで否定し、髭を丁重に撫でた。
「その、何だ。売ろうというのは、予言じゃよ」
 突然現れて、奇妙奇天烈な事を言う。
「何の予言ですか」
「それは言えん」
「中身が判らないのに、買うものは居ませんよ」
「うーむ、確かにそうじゃ。なら、少し教えよう。地震じゃ、大地震。近いうちに、大揺れが来る。その日付と時刻を当ててみせよう」
「当たるんですか?」
「百発百中じゃ。これがわしの生業でな。どうじゃ、粥の一杯でお売りしよう」
 男の小さな目がきょろきょろと動く。口元では四本の長い髭が揺れている。
 八左ヱ門が信用し、粥を差し出してやったのは、やはりどう見ても、鯰の化身にしか見えない男の風体のためだった。
「それで、その予言は当たったんですか?」
 話に聞き入っていた庄左ヱ門は、やや身を乗り出し気味に、八左ヱ門に問い掛けた。
「判らない」
「は?」
「まだ、予言の時刻は来ていないんだ。すぐ後に地震が来たのでは、時刻を知っていても防ぎ様も無い。男は対策を立てておくのに充分な猶予を見て、予言を売ったんじゃないかと思う」
「なるほど。そこで先輩は、こうして予言を伝えて回っているんですね」
「そうだ。ついでに、男の言った生業ってのが、本当に成立するか試してみたくて」
 食べ終わった丼を、膳の上に置いた。先に食事を終えてしまった小猿が、空になった丼を床に転がして遊び始める。
「お、こら、人様の物で遊んじゃだめだ」
「良いですよ、壊さなければ。食事の後は軽い運動も必要です」
 小猿がキィと返事をした。
「で、先輩。その大地震はいつ、来るんですか」
「今日だ」八左ヱ門が重っ苦しく言った。
「午の刻頃。深夜だから、火の心配は無いだろうが、場合によっては大惨事になる。出来れば皆揃って竹藪にでも逃げ込んでいた方が良いんだが」
「しかし、当たるかどうかは判らない」
「そうなんだよなあ。むやみやたらに言いふらしては、お騒がせ者として手配されかねないし」
「当たっても当たらなくても、誰も喜ばないでしょうね」
「全くだ。ま、話半分にな。こんな話題でも、久しぶりに懐かしい顔に会う口実にはなった」
 八左ヱ門は、忍者の仕事を行う以外は殆ど山に籠もって生活していると聞く。町で暮らす庄左ヱ門は定期的に同窓の仲間と顔を合わす機会があるが、八左ヱ門のような生活をしていると、そうもいかないだろう。
 八左ヱ門に限らず、忍術学園を卒業した後に周囲と疎遠になる者は少なくない。
「誰に会いました?」
「兵助と雷蔵には会ったよ。三郎は出かけていたが、どこかから話が行くだろう。上は善法寺先輩にしか会えなかった」
 長く聞いていなかった名前が次々と上がる。庄左ヱ門が学園を卒業してから、もう五年の月日が経っている。噂すら絶えていた者の名も出る。そのあまりの懐かしさに、二人はしばらく昔の話題で盛り上がった。
「そういえば、土井先生は引っ越されたんだな。町に入って最初に、探したんだが」
 ふと思い出したように八左ヱ門が言った。
「ええ。それに、もう先生では無くなってしまいました」
「何、それは知らなかった」
「突然忍術学園を辞め、誰にも報せずに遠方の村に移られました。とは言っても、きり丸が偶に様子を見に行っていますが」
「そうか、残念だな。お会いして、お話を伺いたかった」
「地震の話は伝えておきます」
「そうしてくれ。や、本当に残念だ。何か理由があるのかね。あの方は時勢を読むのに長けていた」
 八左ヱ門が心底残念そうに唸った。

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