散乱する

 事件の匂い、というのはあるものだ。いや、そもそも私の周り(というか彼の周りか?)は事件続きであって、これからのこの件も、事実だけなら今更取るに足りない些細な出来事になっているのかもしれないが。
 一応私にとっては大事件だった。
 結論から言うのも何なので、順を追って説明しよう。
 登校日だった。校舎が燃えても、登校日というのはきちんと行われるものだというのが判明した。
 炎上した校舎は一棟だけだったが、一応安全の確認が取れるまで……という名目で、残された一棟も立入禁止となっていた。従って登校日は生徒全員が体育館に集められ、うだる暑さの中でひたすら校長の話を流し聞きするという、一種修行のような行事となった。
 本当に名目かどうかは知らない。校舎が立入禁止の話。
 単なる予測だ。だって先生は、それでも校舎内に住んでいるんだから。
 とはいえここのところ校内で死体が出たとか日々どこかしらに凄まじい血痕が出てくるとか、ガラスが割られてるとか炎上するとかしかもその犯人は杳として雲隠れ、まあなんと言うか非常事態ばかりで、一時閉鎖となる理由もわからないでもない。そしてそんな安全の確認の取れない校舎内に、いつまでもイジイジと先生が住み続けているのも、何となく判る。むしろ今日の様子だと人がいなくなったと喜んでいる節もあり、それに私は軽く苛立つのだ。だってそこに住んでるの、一人じゃないでしょう。
 女。女がいるでしょう。誰だって知っている。
 そういった苛立ちを覚えた、登校日だった。
 体育館内での苦行は二時間に及び、初めこそは校長の話だったが、それでは間が持たないので、壇上に上がる教師は次々と入れ替わり立ち替わり、何らかの報告だとか警告だとか夏休みの過ごし方とか生徒や同僚や友人や世間様に対する恨み辛み(これはウチの担任)などを述べ続けることとなった。途中、数人の生徒が倒れてどこかへ運ばれたが、熱中症になるのも無理は無い。私も倒れて、クーラーの効いたどこかへ運ばれたかった。どこへ運ばれたのだろう?
 少し気になっていた。クラス男女別れて身長順に並んだ列の最後尾、いつもひとつ前の彼女がいない。木村カエレ。
 やはりこの間の体調不良が続いているのだろうか?
 あの青い顔を思い出すと、不安になる。同じクラスになってからの短い付き合いだが、彼女が体調を崩したのを見たことがなかった。
 この根拠のあるような内容な不安というのが、事件の匂いだった。
 後から思い出すからそうなんだろう。不安なんて生きていればいくらでも転がっているのに、その一つ一つに確かな事件が続くかというとそうでもない。
 後になって思い出したから、これが兆候なのだ。
 私は不安を紛らわすために、斜め前に並んだ男子の背中をつついた。
 ウチのクラスは女子より男子の方が数が少ないため、男子の列の方が短い。
 男子で一番身長が高い子。久藤君。
「ん」
 白い顔が振り返った。
 これは病気で白いのではない。怪我で白いのだ。
 包帯ぐるぐる巻き。
「おそろい」
 私は自分の顔を指さして、そう言ってみた。冗談としては、面白くはない。でも冗談は苦手なので。
「どうしたの、その傷」
 ゆっくり、低く、抑えた声。どんな顔で言っているのだろうか。喋りにくそうな彼は表情が見えないくらいぐるぐる巻き。まあ笑っちゃいないだろう。
「おととい、バイト先でチンパンジー君に引っかかれて」
「餌やりの途中とか?」
「ううん。尻尾をちょっと拝借しようとして」
「それは」ふっと、吹き出した。今笑ったのは判った。「それは、引っかかれて当然だよ」
「でも、尻尾の毛の二本を手に入れた。見る?」
「今?」
「後で」
「じゃ、後で」
 その頃には、私たち以外も既に教師の話など耳に入ってこない状態で、生徒たちはガヤガヤと騒ぎ立てていた。
 騒ぎに乗じたように、私の前の子が、くるりと振り向いた。加賀さんだ。
「あの、すみません」
「何?」
「あ、いえ、お話の途中ですみません」
「え? 別にいいよ。何?」
「あの……久藤君、そのお顔はどうされたんですか?」
「知らなかったの?」
 これは意外だ。全校とか地域レベルで噂は広がっているものだと思っていた。別に誰も口止めとかしないから。
 しかしそれよりも、私じゃなくて隣の久藤君本人に聞けばいいのに。
 体育館内での話は、そんな感じだった。思えばこの時久藤君に話しかけたのも、兆候の一つで――というのはさすがにこじつけ。
 事件はこの後だ。

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