灰かぶりの被虐、それからベッドに染み着いた赤い傷痕

 魔が差していた。私は燃え上がる校舎を一人見上げる。全身を駆けめぐる後悔と罪悪の痛みが、燃え上がるような痛みが、私の心を引き裂くようだった。
 遠くであの人と誰かの声がする。何度も愛しさを募らせた声が、悲しく恐ろしく響いている。悲鳴。
 私は一人だった。一人で、遠くに響くあの人の悲鳴を聞いていた。それは愚かしい自分が、自分を貶めた拷問なのだった。
 判らない程子供じゃなかったはずなのに。
 魔が差していた。
 私は一人、校庭の木陰で、校舎が燃え尽きて消えるまでずっと見ていた。崩れる校舎の破滅的な音が、私に問い掛ける。
 何故こんなことをしたの?
 聞いてくれる、誰か。理由を並べて罪と天秤にかければ、許されるだろうか。

 誰もいない宿直室で、私は真っ白いシーツにくるまって、冷たすぎるクーラーの均整の取れた風に怯えていた。カーテンを閉め切って、窓から射し込む夏の陽差しから逃れようとしていた。
 何でも怖い。何もかもが私を責め立てるようで、眠っていても目を開けていても、この世界に私以外が存在する限り、罪悪は続くのだ。

 聞いて下さい、私が馬鹿なことをした理由。この心。浅ましい一部始終。
 何日も、暗い己の脳の中に意識は沈んで、浮かびあがることがない。
 誰か聞いて下さい、私があんな風に人を憎んだその訳を。
 罪を吐けば許されるだろうか。そんなの甘い考え。それでもこの罪を誰かに告白せずにはいられない。
 聞いて下さい、お願いします。
 全て私の嫉妬が仕組んだことでした。
 初めから話します。六月のある日、私はいつもの通り宿直室で毛布にくるまって、落ちていく夕日をぼうっと眺めていました。それはとても綺麗な夕日でした。
 その日、校舎はとてもとても静かでした。いつもの放課後なら、部活や委員会などで学校に残っている生徒は沢山いるのに、その日は水を打ったように静かでした。
 でも、誰もいなかったわけじゃありませんでした。校舎の中で、数人の足音が時折響いていたから、それを知っていました。それでもいつもの放課後よりも、ずっと静かだったんです。
 どうしてその日は生徒も教師も学校から消えてしまっていたのか、後になってから私は知りました。
 その日は討伐の日だったんです。討伐。何を? 打ち殺すべき憎悪の対象があるから。人であるならきっとそれを憎悪するだろう、そういう存在があるから。
 その憎悪は名前を鬼と呼ばれていました。見た目は普通の人間です。だけど、何らかの理由で人の体液――血、それを口にしたくなる欲望に駆られるのです。謂わば人間の捕食者です。食物連鎖で人の上に存する存在です。そしてその生体は未だよく判っていません。だから、その存在は幻想の生き物の名前で呼ばれます。
 私がその名前を知ったのは、その日でした。
 盗み聞きしたんじゃないんです。ただ、宿直室でぼうっとしていたら、耳に飛び込んできただけなんです。部屋の外から聞こえてくるのは、同じクラスの久藤君と常月さんの声でした。
 命乞いをしているようにしか、聞こえないな。
 命乞いなんてするわけないじゃない。
 だけどね、常月さん。どんな人間でも、自分が殺されそうになったら、必死に命乞いをするものなんだ。
 それは久藤君の体験談?
 そう。鬼でもおんなじ。
 世の中には例外ってものもあるの。だいたい、私は鬼の意識には飲まれやしないから。
 鬼? 鬼とは、何だろう。私は好奇心に駆られて、宿直室の扉を少しだけ開けました。もっとはっきり聞こうと思って。
 久藤君が彼女を嘲笑った。細く開いた扉から射し込む鋭い西日の中、黒い学生服と黒い髪、黒い瞳が色濃く影を落とし、彼の左右対称の顔が右側に引きつり上がって、均整を失い、左右非対称に、しわくちゃに歪み醜く変貌した。ゾッとするようなその笑い方の光暈が、私の心の奥底を覗き込んだ。
 今は、彼を醜いとは、思いません。あのバランスの悪い笑顔が、彼の心の何をさらけ出していたのか、考えるだけの冷静さがあるから。あのとき、普段無表情な彼の仮面を撃ち落として、憤怒の笑顔をさらけ出させていたのは、苦痛だと思う。きっと、苦痛だと思う。
 どうしてそんな風に思うのかって? それは私が、一度彼と向き合ったから。後の話に、なる。
 今は、物事の起こった順に、話させて下さい。
 彼は苦しみながら嘲笑った。
 何かおかしい? 常月さんが問い返した。当然の疑問。
 いや、何も。
 何も、と言ったけれど、それは彼の真意じゃないだろう。何もおかしくなかったんじゃない。自分に苦痛を与えている異常を感じていたはず。だけど、きっと正体がわからなかった。
 だけど何も信じられない。
 信じると、苦しいから、かな? これは自信、ない。
 信じられないと彼は吐露すると、突然学生服の胸ポケットから、刃物を取り出しました。それは握り手が短くて、刃が安っぽく銀に光る刃物でした。彼がそれを握り西日に翳した時には、既に誰かの血がこびり付いていました。
 彼は躊躇いなく、その刃物を自分の手の平に当て、深く突き刺しました。深く深く。
 刺した瞬間、血が、飛び散る。常月さんが手に持っていた何かを落とした。狭い視界で目を凝らして落下していくそれを見ると、それは二本の角の生えた鬼の面でした。
 次の瞬間には久藤君は刃物を手から引き抜き、刺した瞬間よりも沢山の血を、その茜色に翳る木造校舎の風景の中に散らしていました。
 細く射し込む西日が、その幻想的な風景を私の狭い小部屋に映し出しました。少しだけ開いた扉は、レンズのように、投影されてこの目に移す幻影を反転させていたのかもしれない。
 まぼろしみたいだった。
 バカにしないで、と常月さんが叫んで、久藤君の頬を打った。打たれた反動で、また彼の傷口からは血が散った。
 西日の照らす階段の踊り場で。
 明るい、オレンジの中に、赤い斑点がキラキラと飛び散る様。
 まぼろしみたいだった。まぼろし、みたいに私の心は引き込まれた。まぼろしの中に、私の心は引き込まれた。
 私なら耐えられるわ。常月さんが言った。何に?
 私は誰の血も飲まない。ただ、先生を助ける方法を探すだけよ。
 ああ、常月さんは鬼なんだ。合点がいきました。鬼なら、人の血を飲むこともあるだろう。信じられないだろうけど、ぼうっと幻の中につれこまれたようになっていた私の中では、鬼という幻想と、血液を飲むという幻想が、相互に結びつくのは容易なことでした。
 では先生は何なのでしょうか。先生と鬼の関係は? 鬼にならないと先生を助けられない、と常月さんが言う。先生は一体何なのか、うっすら予測はあったけれど、この時は判らないまま。ただ、鬼になった彼女が、先生を助ける――助けるという行為をする――好意で――好意を――私は、嫉妬、した。
 本当に? 久藤君が弱く問う。
 本当。久藤君だって、鬼に憑かれた人を助ける方法が有るなら、知りたいでしょ? 私が見つけてあげる。信じたら、今は見逃して。
 常月さんは、どうしてそんなに自信ありげに言えたのでしょうか。先生を助けられるって。自分がそれをできるって。先生がどんな状況にあるのか知らないけど、先生を助けるってそれは、先生に近付く――だから、私は嫉妬した。
 私は先生のことが、好き。すごくすごく好き。誰よりも、好きって言える。
 そんな泣きそうな顔しないでよ。どうして? 私のために悲しむ必要なんか、無いじゃない。
 彼女の言動が自信に満ちあふれているのを見ると、私の心の中の嫉妬はどんどん成長していく。
 はい。私も久藤君も、やるべき事、やるだけ。言うと、常月さんはさっき自分が落とした鬼の面を拾い上げて、久藤君に押しつけた。
 そこまで、するほどの相手とは思えないな。と久藤君が言う。私は腹が立った。彼には判らないだろうけど、先生は私にとって――認めたくないけど常月さんにとっても――すごく、すごく、そこまでするほどの相手だ。
 判らなくてもいいの。私だけの、気持ちだから。
 違う。私は口の中でそう呟きました。違う。私も持っている。その気持ち、私も、私の方が強い気持ちを、持っているのに。
 私のことは誰にも言わないで、と言い残して、彼女はどこかへ消えました。
 その日から、私の嫉妬には幻想の魔物が住み着いたんです。
 私はその魔物の名前こそが、鬼なのだと思います。

 嫉妬に駆られて、動かずにはいられなくなった私は、鬼という存在について調べ始めました。差し当たって学校の図書館。私、外に出るの苦手だから。
 手がかりは、あの時聞いた二人の会話だけ。鬼と呼ばれる。血液を飲む。人に取り憑く。そしてそれが、現実の話らしいこと。辞書を引いたり、古い伝承の本を読んだり、或いは血を吸う存在の登場する小説を読んでみたりしました。だけど、本に書いてあることは、文章になった時点で現実と切りはなされた物語に姿を変えていて、私が欲しかった真実の物語は見つかりませんでした。
 ……物語で良いのなら、一冊、気になる本がありました。その本は図書室にあったのではなくて、私が調べ物をしているのを見たある先生が、自分の蔵書の中から持ってきてくれたんです。
 古い古い本で、題に『からの笛』とありました。旧仮名遣いで書いてあって読むのが大変でした。この本は誰かの日記です。日記というのは、内容にある程度信用性があるもの――要するに現実と信じるに充分であるということ、です。
 日記は、江戸時代の大規模な飢饉で混乱が起こっていた頃、血吸いの化け物――別称、鬼の存在に関わってしまった書物探索方同心の若者が書いたものです。書物探索方同心というのは、別な本で調べたところ、大日本史という歴史書を作るための史料を全国を旅して探し回るという仕事をした人達のことで、実在した役職のようです。
 『からの笛』は書物を求めてある寂れた山村に若者と、彼の同僚が入る所から始まっています。若者たちはこの村の様子を訝しみながらも、書物を探し、ひょんなことから一人の女性と出会います。
 彼女は、元は江戸の吉原の遊女でした。とある病気にかかったことで、その療養を理由に江戸から遠く離れたその山村の権力者に身請けされたのです。
 村には秘密がありました。村人はみんな、その女性と同じ病を患っていたんです。
 私の語りは、面白くないですね。あの彼のように上手く離せないな。
 私の懺悔なのに、横道に逸れちゃって、何かまるで罪から目を背けたいみたい。そんな風に思う。思って。誰か私が罪深いって思って。そう言って。
 ……独り言です。全部独り言です。
 日記の語り手は、その女性に惹かれました。彼の同僚もまた、彼女に惹かれました。それぞれの理由で。
 そして、悪夢の日々が始まります。日記にはその悪夢は悪夢としては書かれていなかったけれど、私は悪夢だと思いました。だって、似てたから。少しだけだけど、似てたから、先生が私以外の人とそうなってしまうみたいで、読むのが辛かった。
 日記の語り手は彼女と夜な夜な悪夢を共有するようになりました。悪夢です。言いたくないから、言わない。その悪夢は人間は見ちゃいけない悪夢。でも私、先生となら、いいよ。
 ねえ。
 ねえ。
 ねえ。
 ……語り手の青年には二つ秘密がありました。一つは、大塩平八郎という人に味方して、悪い世の中を正そうとしていたこと。もう一つは、鬼だったということ。
 そう、悪夢は。
 ねえ。
 ねえ。
 ねえ。
 ……泣かないで。ごめんなさい。
 彼が鬼になったのは、彼の親のせいでした。彼の親が、彼の産まれる前の年の飢饉で、彼の兄を食べたから。食人の咎が、その子供の運命をねじ曲げたんです。
 彼は自分の運命を呪っていました。自分の運命が嫌いだから、それ以外の全てが好きだった。罪深くて、底抜けに明るかった。悪い世の中を正そうと思ったのも、大好きな世界と罪の償いのため。でも私は彼のこと、素直に好きになれなかったよ。私の方がずっと罪深い。ごめんなさい。
 彼の呪われた運命は、その村と彼女と関わってしまったことで、奈落の底へ落ちてしまいます。どちらにしろ彼は死ぬ運命だったんだけど。それは彼と一緒に旅をしてきた男の人が、鬼を殺すために幕府から派遣された人だったから。ある時、彼は男の人からそれを聞いたけど、少しも怯えなかった。殺される運命を受け入れていたんだね。でも、自分が殺されるのは良いけど、その前に成し遂げたいことが、彼にはあった。
 それは自分の秘密――鬼の秘密を、事細かに調べて知って、大塩平八郎に知らせること。大塩平八郎は世の中を正そうとした人で、その人に飢饉が原因で起こる呪いを教えることで、自分と同じような呪いを受けた子がこれ以上増えないようにしようと考えたんだ。そのためには鬼を追っている男の人と同行していたことは、寧ろラッキーなことだった。彼の手助けをするという名目で、鬼に関する書物を集めたりできるから。だから彼は男の人を恐れたりしなかったよ。
 でもある日、悪夢が男の人に見つかってしまった。男の人は、悩んだ。彼がこの村に来たのは、この村の権力者が鬼だという情報を掴んだからでした。そしてその鬼を数日前に殺すことに成功していました。そして、女の人を携えて旅に出ようと思っていた矢先の出来事でした。
 どうして女の人を連れて行こうと思っていたのか。それは彼女の病が血の病だったからです。この血の病にかかった人は、血の量が、どんどん増える。放っておくと毛細血管が破裂して指の先や足の先が壊死してしまう。だから定期的に血を抜かなきゃいけないんです。そういう病気の人を、村の鬼は権力を利用して集めていた。牧場だったんだね。
 この病気は鬼にとって都合のいいものだったけど、鬼を追う人にとっても都合のいいものでした。だって囮に使えるから。それで彼女を連れて行こうと思ったの。本当は村の人なら誰でも良かったんだろうけど、どうしても彼女じゃなきゃ嫌だった、んだろうね。
 彼女じゃなきゃ嫌だった。その彼女が、別な鬼と悪夢を見てる。男の人は困惑した。だって、自分が一緒に旅をしてきた彼が、鬼だったなんて全然気付いてなかったから。元から鬼だったのか、それともどこかで感染したのか? 疑いが膨らんで、男の人は彼とまともに喋れなくなってきました。少しの時間でも、一緒に旅をしてきた相手だから、簡単に殺そうなんて思えなかったんだね。でも鬼は殺さなきゃ行けない存在。他の善良な人々が傷つけられるから。
 悩んだ男の人は、決心して自分の正体と村の鬼を殺したことを彼女と彼に告白した。ホントは一度彼には言っていたんだけど、今度は警告の意味で、きつく言った。二人を追い詰めるようなことを言った。怯えて逃げるようなら、逃がしてあげようとして。
 それで、女の人は口を滑らせてしまいました。鬼は、一人だけじゃないって。彼を庇うつもりで言ったんだけど、結果は真逆になってしまった。
 結果、疑心暗鬼になった男の人は村を全て焼き討ちにしてしまい、その復讐に男の人も村人の生き残りに殺されてしまった。燃える村の中、彼は命辛々逃げることができたけれど、女の人と途中でははぐれてしまった。はぐれてしまったのは女の人とだけじゃない。自分の中にいた鬼も、どこかに逃がしてしまっていた。
 鬼は、自分が取り憑いている人間が瀕死になると、その体から抜け出して近くの別な人間に取り憑いてしまう。彼の一番近くにいたのは、その女の人。女の人に取り憑いたんじゃないか……という所で、物語は終わりです。
 先生、あのね。私はこの女の人の子孫が、先生なんじゃないかと思ったんです。だから、先生は……。
 ごめんなさい。ごめんなさい。
 でもそうじゃないと話が繋がらないよ。常月さんが先生を助けたいって言ってたのは、つまり、そういうことだからでしょ?
 私は嫉妬したよ。愚かな私は、先生を助けるのが自分じゃないことに強く強く嫉妬した。だから彼女の計画を潰してしまおうと思ったの。
 違う。そんな生やさしい考えじゃなかった。
 彼女が先生の近くへ進んでいくのを止めたかった。先生を助けられたら、常月さんは先生にずっとずっと近付くね。考えただけで嫌だよ。
 だから私は、常月さんの計画をめちゃくちゃにしてやろうと思ったの。
 だから違う! どうして私は本当のことが言えないんだろ。本当に愚かで罪深いよね。
 常月さんの計画がどうとか、ホントどうでもよかった。ただ先生に近付かないで欲しかった。でも放っておいたらどんどん近付いちゃうじゃない。
 そしたら、そしたら、もう、殺しちゃうしかないよ。
 殺しちゃうしかないよ。そう思ったんだよ。そう思って実行に移したの!
 ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい……。……。
 常月さんを殺すように、みんなをし向けたのは私です。
 常月さんと久藤君の秘密をみんなにばらしたのは私です。
 常月さんに罪を被せるために、一年の女の子の死体から血を抜いたのは私です。
 常月さんを殺すために、校舎をめちゃくちゃにしたのは私です。
 久藤君が常月さんを殺しに行くのを止めなかったのは私です。
 殺したいと思ったのに自分の手を汚したくなかった卑怯者は私です。
 常月さんに罪を被せるために、一年の女の子が自殺するのを傍観したのは私です。
 先生に自分の汚いところを見せたくなくて、あの日先生を校舎から追い出したのは私です。
 あと、あとは、あとは、うう……。
 痛くなんてない! 全然痛くなんかないよ! どうして!? どうして何も感じないの? もっと痛くなきゃ駄目なのに!
 やめて離して!
 やめて! やめてよ!
 痛くなるまでしなきゃだめなの! だってそうじゃなきゃ、釣り合わないよ。私がやったことはもっともっと重たいのに! こんなんじゃ全然釣り合わない! 同じぐらいの重さになるまでしなきゃだめなの!
 どうして!?
 どうして!
 どうしてなの!
 全然痛くない! 全然痛いと思えないの!
 どうして!?
 悪いことしたらそれと同じ重さの痛みを受けなきゃ釣り合わないでしょ!?
 こんなんじゃ全然釣り合わない。うう……。
 天秤が、あるの。そこに私の感じる傷の痛さと、私の罪の重さをそれぞれ乗っける。ぴったりに釣り合うまで、痛いのを乗せていかなきゃだめなのに。
 どうして?
 止めないでよ! ちょっと嬉しいと思っちゃうよ! そんな風に幸せになるなんてだめなのに! そんな風に嬉しく思うなんて、ほんと最低。
 なのに……。
 え?
 え?
 何を言ってるの?
 違うよ、わざとじゃないよ! 違う、そんなつもりじゃ……。そんなつもりじゃない!
 言ったよ! 確かにさっきそう言ったけど!
 それじゃ私、ほんとに卑怯者じゃない!
 やめてよ! こっち来ないで! だめなのに!
 痛い! 痛い! 痛い! やめて! 痛い! 痛い! 痛い! 痛い! 痛い! 痛い!
 やめて、やめて、こんな風に考えてたんじゃない。こんな、こんなの、こんなの、こんなの酷いよ。
 先生!
 あっ。あ、あああ、ごめん、ごめんね。ごめんなさい。ごめんなさい。痛いかった?
 え?
 ううん、先生、どうしたの?
 え?
 どうして?
 泣かないで……。泣かないで……。怒ってないよ。怒るわけないよ。ほんとだよ。ほんとに……。でも、こんなの、酷い。
 ……ううん、怒ってないよ。悲しいけど、怒ってなんかいないよ。
 ああっ、泣かないで! 泣かないで。私は……私が痛いのなんてどうでもいいよ。一番は先生だもん。ほんとだよ。ほんとだよ。怒ってないよ。怒ってない。何回でも言うよ。怒ったりするわけないよ……。
 ほんとに……。い、う、ううん、怒ってない。怒ってないよ……。

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