迷彩

 七月某日、都内某所。くもり、時々雨。
 十九時十分の予約客、十二分に入り。
 予約内容、以下。
 新品。フォールディングナイフ(メーカー:火男)―サイズS、十五。フォールディングナイフ(同)―サイズM、十。新品以上。
 研ぎ直し。フォールディングナイフ(同)―サイズS、七。フォールディングナイフ(同)―サイズM、九。シースナイフ(メーカー:対馬)―サイズM2、一。研ぎ直し以上。
 予約者名:木

 稼ぎは悪くはない。私は予約者名:木(何故一文字だけで済ませたのか、予約を受けたのは翔子なので理由は判らない)の前に、商品を見栄え良くズラリと並べて見せた。
 工房は昔ながらの安い作りで、客の入る土間が広く取られており、そこに一段高く私たち商人の座る座敷がある。予約者名:木は土間に置いてある簡易椅子の樽に腰掛け、指を顎にかける思索の仕草で、私が座視に並べた商品を眺めた。その商品の奥に、私が座っている状態だ。
「いくら?」
「二万でどう」
「にっ……あー、もう少し、安くなんない?」
「見積書に書いた通りだけど?」
「頼むよ根津さん。高校生の懐事情は判ってるだろぉ」
 客は土下座せんばかりの勢いである。こういった相手は、あしらいが易い。
「そうねえ、半額に負けてあげてもいいけど」
「半額か……まだ痛いな」
「さらに半額。でも貸しが膨らむともっと痛い目見るよ?」
「痛い目ェ? 例えば」
 私はにやっと思わせぶりに笑って見せた。あまりに多く語ってはならない。口が軽けりゃお足も留まらぬ。
「痛い目っていうと、あれでしょ?」
 奥から翔子が出てきて、適当に話を合わせた。
 私が振り返って翔子と目線を交わす。別に、木野に貸しを作ってどうこうしようって算段は、今のところはない。今のところは――未来は判らない。いざという時のため、売れる恩は貸しに変えるべき。
「何だ、丸内さんまで出てきて? 一体どんな痛い目見るってんだよ」
「さあ、今は何とも言えないね。でもどうする? 財布、六千円しか入ってないんでしょ」
「なっ何で知ってるんだ」
「儲けのために情報収集は常にやっとかなきゃ。方法は企業秘密ね。で、六千円で?」
「ああ、クソっ、足下見やがって……いいよ、ほら!」
 木野が財布から取り出した六千円を座敷の畳の上に叩き付けた。
 たった六枚とはいえ、お札の匂い。悪くはない。

 十九時二十分の客、十九分に入り。
 予約内容、以下。
 新品、包帯B(翔子作)―一〇〇メートル。新品以上。
 予約者名:小

 建て付けの悪い戸が、二、三度騒ぎ立て、来客を知らせた。
「こんにちは。入り口、修理しないの?」
「いいのいいの、鳴子の代わりだから」
 小節さんは翔子の客だ。翔子が土間へ降りて相手をした。
 入り口の引き戸が一度では開かないようになっているのは、翔子の言うとおり鳴子の代わりである。鳴子――音の響きから、恐らく客二人はその意味を呼び鈴と同意に取っただろうが、実のところ語の本意で私たちはそれを利用している。
 鳴子とは田畑が鳥獣に荒らされるのを防ぐための仕掛けである。手の平ほどの板に木片または竹片数枚(拍子木という)を縄で結い付けて作る。風に吹かれて板と拍子木が打ち鳴らされることで、鳥獣を驚かすのである。
 つまり不法侵入者対策だ。この、学校からの交通の便も良く、原材料の入手・保管に有利で、作業騒音をご近所に通報されることなく、年齢・性別を問わず怪しげな人物が昼夜問わず出入りしても警察にマークされることがない、翔子とあたしの理想の武器工房(店舗兼)を維持するために、用心に用心を重ねて過ぎることはない。
「堅気な商売じゃないからね」
「ふうん」
 小節さんはこれといって興味は無さそうに相鎚を打った。
「あびるちゃんの注文、包帯だけで、いいんだったよね」
「ありがとう」
 怪我の多い彼女のお買い求めは包帯だ。ただし普通の包帯じゃないし、普通の包帯としては使わない。どこで身に着けたのか知らないが(だが恐らく彼に教わったのだろう。狢)、彼女は縄術を使う。縄を以て相手を捕縛・緊縛する日本古来の伝統武術である。但し、彼女の技法が伝統武術に則しているかどうかは謎。ともかく彼女は縄の代わりに包帯を以てその技術を行使するのである。
 ちなみに先程の彼は(まだ目の前に居るが)やはりどこで身に着けたのか知らないが(だが恐らく以下同)、ナイフ投げを得意とする。商品もほぼそのための投擲用の小型ナイフである。
「この間のはどうだった? 注文通り、素早く引っ張ると千切れるようにしてみたんだけど」
「うん、よかった。でももう少し、千切れるかどうかの選択が明確だと助かる」
「どういうこと?」
「よく考えたら、相手を逃がしたくない時ってどうやっても素早く引っ張っちゃう」
「うんうん」
「だから、始めて使った時は逃がしたかったから上手く行ったけど、その後は駄目。逃がしまくり」
「あー、そっかあ」
「逃がしたくないのにゆっくり引っ張るってかなり難しい。改良の余地があると思う」
「んん、でもさ、私思ったんだけど」
「何」
「確実に逃がしたくない相手には、千切れる細工をしてない包帯を使えば良いんじゃない?」
「……あ」
 小節さんはいつも無表情な彼女らしく、冷静に無表情で唖然とし、
「気がつかなかった」
 と言った。
「じゃあ、今日のお買いあげはこの素早く引っ張ると千切れる包帯Bが一巻き百メートルと」
「普通に丈夫な包帯A、一巻き百メートル」
「ありがとうー! じゃ、清算はこちらで」
 見事、客に予定以上の商品を購入させた。人の商談を見るのも、面白い。
「なあ、なあおい、聞いてる?」さっきから私の視界の端の方でチラチラ動いている男がいる。
「あ、まだ居たの」
「居るよまだ出てってないんだからさぁ。ひでーな、金をむしり取ったらもう要無し?」
「冗談。でも悪いけど、話は聞いてなかった」
「シカトは要無しと同義だわ、俺ン中じゃね」
「拗ねたって可愛くないよ? そういうのは、もっと可愛い相手にやんないと」
「は?」
「馬っ鹿。アンタの、可愛いと思う相手にってことさ」
「かっかか、か、かかわぅいいいいいぃぃぃ……そんなの……」
「馬鹿?」
「馬鹿じゃねーよ!」
 木野はからかうと面白いが、しかし一文にもならない。時間を無駄に浪費してしまった。
「なに、あたしに話?」
「いやそんな大した事じゃねーよ。単にさ、何でこういうことやってんのかな、って思って」
「こういうことって、この商売のこと? それ聞いてどうするの? 産業スパイ?」
「儲かるなら同業始めよっかなーって、いやそれは無いな」
「じゃあ聞くだけ無駄じゃない。話すのも無駄。時間の無駄。時は金なりはい終了」
「ちっ、とりつく島もねーな。丸内さんにも聞いてみるか……」
 木野は背を屈めて座敷に敷いてある畳の縁に肘を付き、手の平で顎を抱えてつまらなそうにため息を吐いた。翔子の名前を出す。何となく気になる。
「そんなに気になる?」
 私は正座したまま背を曲げて、木野の顔に自分の顔を近づけた。
「べ、別にお前らが何してようと気にはならねぇけどよ」慌てて振り払うように、木野は姿勢を正して立ち上がった。
「けど」
「ちょっと知りたくなったのさ。他の奴――俺以外の奴が、何考えて参加してんのか」
「ふうん。誰でも良いんだ」
「変な言い方すんなよ」
 奥の部屋から、翔子と小節さんが清算を終えて出てきた。私のレジはこの部屋に置いてあるが、翔子のレジは奥の部屋に置いてある。これは単純に私たちが儲けを各々で管理しているから、だけではなくやはり警戒の意味もある。明るい商売ではない。武器の売買。顧客は様々。品物は本物。子供の遊びじゃないけど ――私は子供。
「話し込んでるね」
 翔子が私の隣に来て、好奇心の強い子供のように私の顔を覗き込んだ。
 小節さんが座敷の縁に坐って、土間で脱いだ靴を履き直している。包帯だらけの足がスカートから長く伸びていた。太股の包帯からはみ出したガーゼに血とリンパ液の染み。見てはいけないものを見た気がして、視線を逸らした。逸らした視線の先に、翔子の顔があって、視線がぶつかる。一瞬見つめ合う。
「理由なんて」
 言えないよ。鬼と呼ばれる血吸いの化け物と、戦う理由。それも、間接的に。
 翔子がにっこり笑って、私から目を背けた。
「木野こそ、なんで参加してんの?」
「俺? 俺は――何でかな、最初は好奇心と、正義感だったけど」
 逆接。言い淀む。そうか、木野は自分の理由を知りたいから、他人の理由を聞き出そうとしているのか。
 金になる話じゃ、ないな。
「守りたいものがあるとか?」
 翔子が冗談めかして言った。靴を掃き終えた小節さんが、土間から遠くを眺めるように私たちを振り返った。
「小節さんは、先生だよね。絶望先生」
「何が?」
「守りたい人」
「丸内さん」
 小節さんは何かを言おうとして、翔子の名前を呼んだところで口を鎖した。いや、口はほんの少し開いている。言葉が出てこない。
 彼女の瞳が右斜め上の方へ、きゅっと動いた。あ、と木野が変な声を上げた。
「気付いた」
「何が?」
 翔子が問い掛けたが、小節さんは答えずに出口に向かって一歩、進んだ。建て付けの悪い戸を無言で引く。ガタガタ、と音を立てて、外への出口が開かれた。
「それじゃ、また」
「ちょっと待って、小節さん」
 態とらしく無感情で出て行く小節さんを、木野が小走りで追いかけて、出て行った。
 つまり気が付いたのは、木野だ。
「どう思う?」
「何かあるね、絶望先生」
「調べてみようか」
「翔子、私が」と、言いかけて、「私も」と言い直した。
「私も調べるから」
「うん。それじゃ手分けして。良いビジネスチャンスになるといいね」
「そうね」
 翔子が笑う。守りたいもの? どうだろうね。あたしはもう少し積極性がある方が、好きかな。

さよなら絶望先生 目次

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