間狂言 - 木野君と糸色さん

 実を言うと、当人から聞いただけだ。それは数日前だった。
 よくよく考えると、あの日に彼女は久藤を監視していた(久藤がそう言ってたし)わけで、久藤が俺を蹴り上げて拉致した一部始終を見ていた可能性は、むちゃくちゃ高い。
 そして実際に、どこかから見てたらしい。でも、久藤の正体には気付かない。顔しか隠してないし、あんなにバレバレな言動取ってんのに。
 もしかして相当鈍いのか?
「おい、木野国也」
 靴箱の前で声を掛けられた。向こうから話しかけられんのは、これが初めてだ。同じクラスでも別に仲良くはなかった。
「何?」
「お前に訊ねたい事がある」
 糸色倫、今年の頭に突然クラスに編入してきた女子で、うちのクラスの担任の妹。家は金持ちだとかで、お嬢様的な高圧的な喋り方をする。話した事は殆どなかったが、遠目に見ていてもそれぐらいは知っている。
「木野、おれら先帰るわ」
「じゃあね。がんばれよ」
 芳賀と青山が二人揃ってニヤリと気持ち悪い笑い方をした。だいたい毎日一緒に帰っているんだが、さっさと上履きを履き替えて行ってしまう。
 もしかして気を使われてる。もしかして、これはそんな類のシチュエーション――では無いよなあ。すげえ、睨んでるし。それに例えそんな目眩く展開が待っていたとしても、俺は既に好きな子が。
「六月の二十三日時間帯は七時から十時半、お前は東池袋の住宅街の一角に居たな」
 居た。
 それが、あの日だ。
 授業の終わりは全学年一斉なので、ホームルーム直後の靴箱周辺は部活に入っていない生徒でごった返す。俺と糸色さんの横を、或いは靴箱の列を隔てて向こうを、何人もが通り過ぎる。途切れる様子はない。
 こんなに人目の有るところでする話題じゃない。俺は既に糸色さんが何を言おうとしているのか察しが付いていた。
「場所変えた方がいいんじゃないか」
「聞かれて困る話ではない。それとも、お前の方はそうなのか?」
 ちょっと唇の端を持ち上げて平然と言い返された。挑発。
「まさか」
 なるほど、これが久藤の敵か。どっちも判りやすいのな。しかし、なんでだ? 事実を知ると、理由を知りたくなる。
「二十三日ね。居たよ、池袋に。俺以外にも木津さんとか日塔さんとかも居たけど」
「知っている」
「あ、そう。で?」
「お前は、般若面か?」
 は?
 般若面ってあれか、角二本と大きく裂けた口が特徴の鬼女の面で、女性の憤怒と嫉妬を表す能面の一つ。或いは久藤があん時付けてたお面。
 いや、だからあれ久藤だし。
「ちげーよ」
「そうか? 喋り方が似ていたので、てっきりお前かと思っていた」
「喋り方って、何の話」
 久藤と俺の喋り方はどう考えても似てない。言い掛かりだろ。
「存在は知っているのだな」
「一応」
 これは否定しても仕方ない。もう知ってる風に言っちゃったし、何より二十三日の事を監視されてたなら、否定した方が疑われる。つーか見てたのに俺の方を疑うって、遠回しすぎだろ。
「あれは先月の初旬に起きた、一家三人惨殺事件の犯人だ」
 周囲がざわついた。ザ、ン、サ、ツ。日常じゃ聞かない、耳に突き刺さる単語。新聞やネットでは目にする。テレビやラジオからは耳にする。でも、生身の人間の発音はあんまりない。
 それは記憶に新しい事件だ。まるで野犬に襲われたかのように、喉元を引き千切られて、若い夫婦とその子供が死んでいた。三人とも、傷口から異常な程の出血をしていた。その異様な犯行手段に加えて、家中に残っていた赤い足跡が、更に不気味さを引き立てた。犯人は逃げ回る親子を執拗に追いかけ回した、との推察。
 犯行現場の一軒家は学校からそう遠くなかった。だから記憶している生徒は、多かったのだろう。
「般若面の男が、雨の中犯行現場から立ち去るのを目撃されている」
「それで、犯人ってか」
 動脈を噛み千切って、血を吹き出させる。知ってる人間なら、すぐに鬼の仕業と結びつけるだろう。
 でも、久藤が?
 あいつは、鬼か?
「六月二十二日、お前は般若面に拐かされた」
「どっから見てたんだよ」
「異常殺人犯に連れ攫われた割には、元気そうだな」
 久藤は異常だ。俺も鬼退治には賛成だけど、あいつのやり方は普通じゃない。知り合いだろうが子供だろうが容赦なかった。普通、明らかにか弱げな子供とか、クラスの女子とかの首を、躊躇なく締め上げるなんてことは出来ない。俺は多分、目の前で加賀さんが人殺しをしたとしても、警察に通報することすら迷うと思う。
 それが鬼だったとしても、同じだ。明らかに殺人犯のおっさんとかなら、殺せるよ。でもあんな小さな子供とか、加賀さんとか。正義感ってそんなもん。
 でも久藤は殺しを躊躇わない。俺が止めなかったら加賀さんは死んでた。
「あの後、何があった?」
 久藤は、鬼なのか?
 一家惨殺事件の犯人だとしたら、鬼じゃないか。そういえば、加賀さんから逃げた鬼の本体が、あの後どうなったのか判らない。久藤は自分に取り憑いてはいないと言ったけど。
 討伐をしているフリをして、普通の人間を殺して喰ってる、可能性。じゃなきゃ、共食い……。
「言えないか? お前は般若面の正体を、知っているのだろう?」
 いや、違う!
 久藤は鬼じゃない。何故ならあいつは血に過剰反応しない。それに、加賀さんの一件は一家惨殺事件の後だ。
 あいつは確かに最初は加賀さんを殺そうとしたけど、その後には自分の身を投げ打って加賀さんを救おうとした。身代わりになって死のうと。久藤は冗談を言うようなやつじゃないし、宣言した事は大抵マジにやってのける。だからあれも、本気だった。
 俺には選択出来なかった。加賀さんを救うには、確かにそれしか無かったのに。
 自分の命を他人の為に使えるようなやつが、鬼のはずがない。
 だから久藤は鬼じゃない。
 そして糸色さんの言うような、異常殺人者でも、ない。
 何か理由があるはずだ。
「何で糸色さんがそいつを追っかけるわけ?」
「ただの正義感だ。知り合いに殺人犯がいたら、警察に届け出るのが善良な市民のやる事だろう」
 ご高説だ。でも違う。私怨だって顔に書いてある。
 久藤本人に怨みがあるのか、般若面という抽象化した相手に怨みがあるのか。どっちでも一緒か。その二つをイコールで結びたいけど、確信が無い、って感じ。
 顔隠してる程度で、騙されるもんなんだな。
「いい加減質問に答えたらどうだ」
「いや、だって知らないことは答えられないし」
「攫われて、何を見た」
「なんも。ずっと気絶してた」
 糸色さんは焦っている。そんなにそいつが憎いのか。
 でも俺はそんなに憎くない。だって、友達だし。
「俺もう帰るわ。今日好きな作家の新刊出るんだよ」
 気がつくと、いつの間にか下校する生徒の姿は減っていた。数人がブラブラと全く急いだ様子もなく校舎を出て行く。俺もそこに混じることにした。
「待て。するとお前は、あれの仲間ということだな?」
 仲間って、大げさすぎる。単に言いたくないことを言わなかっただけじゃん。
 返答は頭に浮かんだけど、口には出さなかった。

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