土の中の何か
夜も更けたが、土塊の朗読は続いている。と、景兄さんが歌った。何年か前、広い広い、糸色家の庭でのことだった。
東京に出てきてからも、おれは同じような事を繰り返している。従って同じようなことで兄に泣きつき、こうして夜も更けるまでぼうっと地面に大穴を掘る兄の背中を見ている。
「いや、良い夜だ、命。蛇の鳴き声でも聞こえそうだな」
蛇は鳴かない。兄の言葉は、半分は意味がない。
「慣れたもんだけどね、ここの木だけ、ほら、皮が禿げてね。世話が大変なんだよ」
胃が熱く煮えていた。おれは満足したつもりだった。
夜空に太った月が輝いている。兄の屋敷の裏の林には、無数の羽虫が飛んでいた。ついに定期的に現れるようになってしまったおれの為に、兄はそこに椅子を置いた。そこに座って、増えていく墓穴を見ている。今夜の兄は何故か、林檎を一つおれに渡した。
植物の生臭い匂いがずっと、鼻をまさぐっている。煮えたぎる消化器官に、その匂いは侵入する。
「おお、さらば、だ」
暗く暗く口を広げた穴に、兄が女だった塊を突き落とした。林檎のように赤い唇の女。
林檎の匂いの香水を付けていた。
「うえっ、あ、ぐっ」
我慢していた嘔吐感が、堰を切った。
鼻を擽る林檎の匂い。胃から、食道へ、口の中へ、熱い体液が逆流する。バシャバシャと音を立てて、黒いものが地面の上に落ちた。
同時にひどい目眩だ。頭が砕けるような。咽も痛い。心臓が軋む。
口から、血が、吐いても吐いても止まらない。
「大丈夫か?」
穴を覗き込みながら、兄が言った。
「四リットルぐらいあるからな。はっはっはっ」
何故笑うのか。以前はこうじゃなかった。いくら食しても吐くことは無かった。
両目の縁がじんじん痛み、月明かりが見せていた自分の嘔吐物も、だんだん霞んで見えなくなってきた。椅子から転げ落ちた体を支えていた自分の膝が、痺れと痛みを訴え、崩れた。
倒れた体が、生温い液体に浸る。まだ口からは、血と胃液が滴っている。
林檎の匂いは消えた。
「こんな勿体ない行為はないな。うん、お奨め出来ない」
墓穴に土をかける音が聞こえる。
「お兄様、お兄様!」
遠くでおれを探す妹の声が聞こえる。