対話(一)

 何度か咳き込んで、その音で自ら目が覚めた。
「おい」
 聞いていない。塀にぴったりと背中を貼り付け、何かに耳を澄ましている。目線が宙を泳ぎ、呼吸さえも止まっている。
 やがて、ふう、と息を吐いた。漸く口を利けるようになったらしい。
「行ったか」
「え?」
「え? じゃねえよ。誰から隠れてんだ」
「そんな話したっけ」
「してない。今、隠れてただろ。そのぐらいは判る。おい、順を追って説明して貰おうか」
「何から」
「何で蹴った」
「煩かったから」
「何だと」
「人が何のために顔を隠してたと思うんだ?」
「顔ォ? あ、さっきの変なお面か」
 片手に掴んだままの般若面に、視線を落とした。
「変かな」
「変だろ。少なくとも深夜の閑静な町並みにゃ、不釣り合いだ。そんなファッション、見た事ねーぜ」
「ファッションについては、木野から色々言われたくないなあ」
「んだと。いや、今はそれは良い。じゃなくって、その次だ。何で隠す必要がある」
「知られたくなかったからさ」
「そんなこたぁ、判ってるよ。誰に、知られるとどうなるのかって話だ」
「殺されかねない」
「だから誰に」
「それは秘密。木野も、巻き込まれたくないだろ?」
「とか言って、そいつは俺の知ってるヤツなんだろ」
「どうして言い切るんだ」
「ちょっと考えれば判るさ。俺だけじゃなくて、あの場にいた他のやつも知ってる可能性があるな。むしろ、あの場にいたのか? じゃなきゃ、いきなり蹴り上げた言い訳になんねーぞ」
「あの場には居なかったよ」
「どっかで見てたんだろうな。でも声が届く範囲じゃない。俺らの居た場所は、隠れる所が無かったわけでもないが、俺らもそれなりに移動していた。分散して街ン中うろついたりしてたしな。それにくっついて来るようなやつ、どっかで目に付くだろう。そうでなく、お前の移動に付いてきたってんなら、そいつは相当だ。そうなりゃ、遠くから眺めてるんだろう、ってのが推測できる。そうだろ?」
「はあ」ため息。「木野って、たまに賢いね」
「常に、だ。まだ話終わってねえよ。声の聞こえない所にいる相手だったにも関わらず、俺の口を封じたのは、俺らにも正体を隠したかったからだ。そいつは俺らも知ってるヤツだから。自分の居ないところで、不用意にばらされたら、お前は殺されちまう」
「はい、正解。補足すると、僕はその人に、今日この辺りに鬼が出るって教えてもらったんだ。僕が観察されてるのは間違いない」
「何、のこのこ出てきてるんだよ」
「遠くから仕留めるつもりだったんだ。なのに、木野達がうろついてたから」
「なんかで狙ってたのか?」
「じいちゃんの64式小銃。回収に行かないと」
「お前、そういうのも使えるのな」
「有る程度はね。じいちゃんには敵わないし、あんまり好きじゃないけど。話を逸らすなよ。とにかく、僕の正体は秘密にしといてくれる?」
「だから、誰に」
「誰にでも、さ。どっから話が漏れるかわかんないだろ」
「理由はそれだけじゃないだろ。正体を知られたくないのは、複数居る」
「直接殺しに来そうなのは一人だけだよ。ただ、色んな人に知られると動きづらいかと思って」
「討伐が?」
「そんな呼び方してるんだね。そう、鬼を殺して回るのに、顔なんか隠してた方が楽なんだ」
「そうかあ? いいじゃん、別に。だいたい、お面付けるぐらいじゃ、正体バレバレだぜ」
「気付いたのは木野ぐらいだったみたいだけど」
「いや、明日には学校で広まってるかもな」
「木野が黙っててくれたら大丈夫だよ」
「ふん。これで貸しが増えたな」
 にっと笑った。
「増えた?」
「忘れるなよ。お前はこないだ加賀さんを攻撃しただろうが。でっかい、貸しがある」
「その直後に木野にナイフで刺されて、体当たりされたけど」
「それは、さっきの蹴りで相殺」
「僕の方が明らかにダメージ大きかっただろ」
「細かい事言ってると禿げるぜ。それに、何ならこっちはもっと借りてくれたって構わない」
「もっと殴れってこと?」
「ばか! 何で俺がお前に殴られなきゃいけないんだよ。協力してやろうって言ってんだ」
「何に」
「その誰かとの戦いにだよ」
 言われて、酷く驚いた様子で目を瞬かせた。
「何で木野が」
「頼りにならないとでも言いたいのかよ。いい加減、一人で行動するの止めろ」
「だから頼りにしろって、木野を?」
「そうだ。面倒なことになってるんだろ。お前、さっき巻き込まれたくないだろ、とか言ったけどな、せめて話ぐらい聞かせろよ。友達だろ? 貸しぐらいいくらでも作って良いんだ」
「でも、返す当てなんて無いよ」
「別に、毎日宿題写させるとかで良いんだぜ」
「長期計画だな」
「毎日昼飯にパン驕るとかな」
「返済完了まで、どの位かかるんだ?」
「わかんね。でも、いいじゃん、そういうので」
「駄目だよ。やっぱり、それじゃあ、返しきれるかどうか判らない」
「おい、そんな顔すんなよ。おい」

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