久々知とそうこちゃんが兄妹だったら萌えるという突飛な設定のプロトタイプ

 時が流れ、幼い頃の記憶がふと蘇る事がある。
「そういえば」といった風にである。
「どうかしました?」
 娘はしなやかな手足を風に舞わせていた。風に流されるままのような不思議な舞踊は、彼らの隠れ里に伝わる独自のものだった。天候に恵まれず、土地は痩せ厄災の多い里の雨を乞う踊りである。町で華やかな娘達が金を強請って踊るようなものとはちがって、見るべき華やかさはない。
 ただ風の舞うまま、ただ自然の為すがまま。奇妙に、非人間的な動きをする。
「難しい顔をして」
 動きをはたと止めた。兵助の方へつかつかと歩み寄って、顔を近づけてニッと笑った。
「あんまり静かだから、眠っているのかと思ってた」
「いや、起きていたよ。上手くなったと思って見惚れていた」
「嘘ばっかり。もっと遠くを見ていたでしょ」
 参ったな、とばかりに兵助は頭を掻いた。
「よく判ったな」
「血を分けた妹ですからねえ。ね、そういえば?」
「ああ」
 兵助は呟くと、続きは言わずまた遠くを見やった。そうこはため息をつき、縁側に置かれた桶の方へ意識を移した。昨夜から降っていた冷や水を溜めてある。
 久しぶりの恵みの雨だった。
 夏の入りだというのに、山頂に近い里は寒い。ただでさえろくな作物は育たないというのに、頼みの雨すら季節風の影響で雨は山の向こう側で落とされてしまう。乾いた風がひたすらに追い立てるように吹き付ける。
 だから、雨乞いの舞い。そうこは里の若い衆として三日三晩ろくに休みも取らず踊り続けた。体が弱ければ命を落としてしまう者もいる。祈祷とは名ばかり、生け贄の儀式だ。里で養うに値しない若者を篩い落とす選別の意味合いも含まれていた。
 そうこはそれを女だてらに生きぬいた。それどころか、一晩経った今日も、自らの屋敷で悠々と踊っている。
 桶の水に顔を浸した。冷たい。踊り続けて火照った皮膚を切り裂くようだ。
「無理はするな」と兄は言うのだが、
「雨が降れば、みんな助かるでしょ」
 とにっこり笑って取り合わない。
「それにあたしは忍術学園で訓練してきたから、他の男達よりも全然体も丈夫だよ。にいさまも長男でなければ、出ていたでしょう」
「いや、おれは断固として出ていなかった」
「どうして?」
「おれはもっと別な方法で村をよくする事が出来る。だから、おれが家を継いだら直ぐにでも祭も祈りも止めさせる。それから」
 とそこまで言っておきながら、また口を閉ざした。
「今日は無口なのね」
 そう言って笑い、兵助の隣に腰を下ろした。沈黙。
 細い針のような木々が立ち籠める間は、薄ら寒い日陰が覆っている。里の一番上に立てられた屋敷は仄暗い森に囲まれ、静かだった。不毛の地とも思える黒い森の中だ。
 ここは追われた落ち人の里だった。二百年ほど昔の事である。争いに敗れた一族が、流罪同然に追いやられた地だ。
「別な方法か。にいさまは復讐なんて言い出さないと思ってた」
 突然響いた妹の声で、兵助は時間が止まったかと思った。
「そう言うつもりだったんでしょ?」
 心を見透かされているようでそら寒い。そうこは大きな目で、兄の顔を見つめた。
 兵助はぐっと言葉を飲み込んだ。口の中と頭の中で違う考えがそれぞれ渦巻いて、苦い唾液の味に溶けていた。酷い矛盾を起こしたものだ。
 飲み込んだ言葉が腹の中で暴れて頭に血を上らせる。代々脈々と継がれてきた怨念の記憶は消しがたい楔であった。
 村にいては、血の掻き立てる復讐に押しつぶされる。そう判断した亡き母が幼い二人を忍術学園へやったというのに。
 それすら忘れて、何を考えているのか。
「そういえば、昔の事を思い出したよ」
「え?」
「学園にいた頃だ。せっかく色々な事を学んだのに、忘れるところだった」
「忘れてなんかいないでしょ。にいさまは今やこの忍里の立派な先達だもん」
 兵助は首を振った。
「まだそんな大仰な立場は、未熟な身には不相応だ。それにね、おれが言いたかったのは、そういうことじゃないよ。そうこ、おれは目を瞑ると鮮明に蘇る記憶の事を言っているんだ。里を離れて自由に過ごして学んだ日々だ。恨み辛みと無縁であったとまでは言わないが、それ以上にあそこで人道とでも言うべき篤い交わりを知った。お前もそうだろう」
 兵助は淡々と、血を沈めるように言う。そのためそうこは眉を寄せ、目の色を少し悲しげに潤ませながら僅かに頷いた。
「だからおれは復讐とは言わないよ。そのための祭も止める。難しいだろうけどなぁ」
 兵助は空を仰ぎ見た。黒い枝が天に向かって切っ先を向けるように幾千本も伸びていた。まさに針の筵の如く。
 だがその針の間から、白い陽が顔を覘かせていた。森の黒さに決して負ける事のない強い白を見た。
「踊るのは、もう金輪際なしにしよう。苦しくとも、おれはお天道様の顔を見て暮らしたい」
「そう、できるの?」
「自信があるというわけではないが、ほら、あのお天道様を見ていると、何でも成し遂げられそうな気がするじゃないか」
 俯いていた顔を上げ、そうこも太陽を見上げた。白い陽が頬に辺り、冷えた肌をぬるく暖めた。滑らかな肌に赤みが浮かぶ。
 呼んでいた雨は過ぎ去ったというのに、なんて優しい光だろう。娘は打ち付けられたように、空を見上げていた。
 安からぬ道だ、と思った。妹の横顔にそれを感じた。だが兵助は、妹と未来のことを考えて少し笑った。

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