火と夜

 火を消すと、何もなくなる。締め切った窓辺から仄かに冷気が流れてくるが、僕らの眠る枕元までは届かない。
 今日は微かな月明かりさえない。
「金吾って仇討ちの旅をしてたんだよね」
「うん」
「どういうふうだった?」
「え」
 僕は少々驚いて、隣で布団に入っているはずの喜三太を凝視した。視界は眼球を墨で塗りつぶしてしまったかのような黒で、何も見えない。そこでは何もかもが、あるのかどうかもわからない。
「腹が立ったよ」
 静かに答えると、木霊もなく闇に吸い込まれてしまって、ほんとうに僕は答えたのかどうか判らなくなった。喜三太が何も言わないので、尚更だ。
 先生は訓練を積めば、月のない闇夜でも目が利くようになると言っていたが、俄には信じられない。それほど、今日という夜は何もない。
「そうだね」ややあって喜三太が話し始めた。
「今ね、考えてみたんだけど、ぼくも、ナメさんたちを殺されたら悲しいし、凄く腹が立つもんね。……うん、ぜったい仕返しに行くなー」
「喜三太、そうじゃなくてねえ」
 蛞蝓と肉親では違う気がする。比較なんかすると喜三太は怒るだろうけど、僕は続けた。
「言い方が悪いかもしれないけど、きっとナメさんたちを殺された以上だったよ」
「はにゃ」と喜三太が闇の向こうで唸った。また考え込んだのか、黙る。
「違うんだよ。もっと強くて、もっと、判らないと思うけど……」
 僕もまた言葉を止めて、少し前の事を思い出そうと考え込んだ。井戸の水を覗き込むのに似ている。つるべを落としてくみ上げる。揺れるつるべから水は溢れていくけど、井戸の中に戻るだけ。
「死んじゃった父上を見つけた時は、額を棒で思いっきりぶん殴られたみたいだった。がーん、って衝撃が走って、目の前が白と黒がちかちかして、一瞬何も見えなくなった。その後、時間が経ってから……旅の間は、また違った。ほんとは腹が立ったなんて生やさしい感じじゃなくて、恨みって言うのかな。頭の中の奧の方で、ずっとそれがあるんだ。真夜中に行灯の火を、ちょっと離れた所からじっと見つめてるみたいな感じ。時々、風が吹いたり油が切れたりして消えそうになる。でも絶対消えなくて、ずっと頭の中をぼんやり照らしてて、僕はどうしてもそれから目を離せないんだ」
 喋っていると、ゆらりと揺れる炎が見えた。何度か瞬きをしても、それは消えない。はっとして身体を起こすと、そういえば僕は無自覚にずっと目を開いたままだった。窓の冊子の隙間に、微かに揺れる行灯の火を感じる。
「金吾君、起きてるの? だめだよ、もう消灯時間は過ぎてるんだから」
 向こう側から小松田さんの声が静かに聞こえた。行灯に照らされて、微かにだけど彼の形の影が見える。
「ごめんなさい」謝りながら、なぜだか少しほっとした。
「金吾、寝ようよ」
「うん。小松田さんも、遅くまでごくろうさまです。おやすみなさい」
「はーい」
 明かりが遠くなる。手探りで布団に潜り込む。
「金吾どうして突然起き上がったの?」
「さあ、何でだろう」
 喜三太が、小さな声でよく判らないなぁと言った。そうだろうと思う。でもいつかきっと、それを知るんじゃないかとも思う。
 目を閉じると、さっき見た行灯の火影が視界にちらついた。もう一度目を開けて、本当の暗闇を見つめる。暫くすると焼き付いた火は消えて無くなったが、代わりに少し目が慣れて、暗い部屋が見えた。先生の言うとおりだ。
 隣で喜三太が寝息を上げる。行灯が無いのに微かに見える。
 闇に生きるのに炎は不要なのかもしれない。

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