5、6年生(久々知中心)と絡む綾部

「げっ」と、久々知兵助先輩が言った。足下に灰色の、細く短い縄のようなのが這っている。マムシだ。
「あいつ、逃がしたな」
 言いながら、片足をさっと後ろに引いた。
「マムシ、嫌いですか」
「好きな奴はそう居ないだろうさ」
「あんまり動じなそうに思ってたんです」
「おれが?」
 マムシが胴をくるくる回し、首を擡げて立ち上がった。また、先輩が何歩か後じさった。
「しかし、迷惑だな。噛まれる奴も出るだろうに」
「先輩が恐がるとは意外です」
「いや、恐いわけでは無くてね」
 そこまで言ったところで、塀の向こうで犬の吠えているのが聞こえた。忍術学園の外は鬱蒼と木々の茂る山で、野生の犬とかはあまりいない。狼なら居るが、昼間っから動物が意味もなく建物に近付いてくることは、そうそうない。
「良い所で帰ってきたな」
 と先輩が言う様に、あれは学園で飼っている犬だ。しかもただの犬ではなく、人より大きな忍犬だ。賢いから言うことを良く聞くし、車を引かせることだってできる。
 再び犬が吠えた。
「ようし! 飛べ!」
 そう叫ぶのが聞こえた直後、塀を跳び越えて、犬が現れた。四、五匹いる。だけでなく、先頭の犬には人が跨っていた。
 青い忍装束の、竹谷八左ヱ門先輩だった。
「よう! 出迎え、感謝する」
 にこやかに笑いながら、犬の集団と共に見事に着地した。
「何で、おれがお前を待ってなきゃいけないんだ」
「違うのか?」
「い組は四年と合同で、授業の帰り道さ。こっちは、楽なもんだったけどね」
「そうかあ。おれの方は中々、骨の折れる仕事だったよ。でもこいつらが無事だったから良かった、良かった」
 言いながら、乗っている犬の頭を撫で回した。確かに、竹谷先輩と犬たちは泥や何やらで汚れている。
「竹谷先輩の犬ですか?」
「おう、おれが手塩に掛けて育ててるのさ。将来有望な忍犬どもだ」
「賢そうですね」
「おれに似てね」
「それは」久々知先輩が吹き出した。「犬に失礼だ」
 久々知先輩に同意しているみたいに、犬たちが同時にきゃんきゃんと可愛らしく吠えた。
「何だよ、お前らまで」
 口をとがらせて、言う。
「犬の言葉が判るんですか」
「当人曰く、な」
 久々知先輩が小声で耳打ちした。
「信じていないのですね」
「ん、まあ」
 苦笑い。この人は現実的なのだ。冷めているとも取れる。
「聞こえてるっての」
「何が?」
「兵助、お前なあ」
 竹谷先輩が何か言いかけた時、ギャン、と犬の一匹が妙な悲鳴を上げた。
「どうした!?」
 叫んだ犬の足下に、マムシが一匹。竹谷先輩が慌てて駆け寄った。
「あ、忘れてた」
「噛まれたのか!?」
「そいつもお前のだろう? 逃がすなよ、人間が噛まれたらどうするんだ」
「大丈夫か? いや、噛まれてはいないな。びっくりしただけか? 任務が終わって気が抜けてたから、驚いたんだな? そうだな、うん、そうか」
「おい、聞いてるのか?」
「大丈夫だな、だーいじょーぶ」
 久々知先輩が肩を竦めた。
「手に負えないな」
「先輩、動物苦手ですね」
「どういう意味?」
「何となく……」
「苦手っていうか、なぁ」
 犬をひとしきりあやした竹谷先輩が、首にそのマムシを巻き付けてみせた。
「それにしても、助かったな、お黒」
「なんだそれ、名前か?」
「こいつは体の色が濃いからな。加えて雌だ」
「助かったって、どういうことですか?」
「だって、お黒は前に兵助に踏みつぶされそうになったことがあったもんな」
 マムシは竹谷先輩の首で波打ちながら、それでも決して噛み付こうとすることはない。この子も、先輩が育てているのだろう。
「そうか、あの時の蛇か。あれは悪かったって、何度も言っただろう」
「そう、悪い。兵助が全面的に悪い。お前も気をつけた方が良いぞ、えっと」
 私の方をみて、口をまごつかせた。
「綾部喜八郎です」
「ごめんごめん、咄嗟に出てこなくて。綾部、こいつはなあ、邪魔だからって、こーんなかわいいお黒を踏みつぶそうとするようなやつだから」
「へえ」
 さっきは、嫌がっている様に見えたのに。
「咄嗟に、危ないと思ったら足が出てたんだ」
「それ、言い訳になってない」
「正直に言ってるだけだからな」
「恐かったのではなかったのですか」
「いや、恐くは無いな。毒にも有る程度慣れてるし。その時は伊助か三郎次かが近くにいて、ホントに単純に、危ないって思っただけなんだ。ほら、下級生はまだ毒に慣れてないだろう」
「言い訳じみて来たな。な? 色々言っても、こいつは冷静っつうか冷血なやつなんだ」
「そうは見えませんが」
 そんな、大げさに言う程には思えない。
「ふとした瞬間に出るんだよ。綾部もそのうち見るだろうさ。尤も、ここで勉強してる奴は、多かれ少なかれ、そういう面は持っているだろうけど」
 そういうものだろうかと不思議に思ったのは、竹谷先輩が忍術学園に限定して言ったからである。ここにいない人間だって、みんなそういう側面があるんじゃなかろうか、と。
 確かに、私の周りの人間はその傾向が極端な様にも思えるが。
「それにしても、そのお前がよく殺さずに居てくれたな」
「そりゃ、前にあんだけ切れられれば。犬でも覚える」
「おいおい、そりゃあ、犬に失礼だ」
 犬たちがまた吠えた。今度は、少し不満げに聞こえた。

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