現代パラレル 011
※現代パラレル(設定)
どうも僕の学科は授業時間が不安定だ。九十分の授業が教授の一言で終わる時もあるし、今日のように校門が開いている時間ギリギリまで続いたりする。ちゃんと撮れなかった僕が悪いんだろうけどさ。
帰宅する頃には空は充分暗くなっていたが、学校の周りにはまだ学生がうろついていた。っていうかうちの学校の周りは常に変な学生がうろついている。芸術系の大学だから、というか変人が集まる学校だから仕方ないのだろうけど、きっと地域の住民はもの凄く迷惑だろう。道端で奇声を発したり踊り狂ってたりするヤツがいるし。
そしてそんな集団の中に文次郎を発見してしまった。よくある事だけど。
僕はあえて見えなかったフリをして通り過ぎた。
「文次郎のバカ野郎」
アパートに戻ると小平太がぼやいていた。当の文次郎の姿はなく、彼が授業で使うと言っていた台本が小平太の矛先を受け止めている。台本は大きめのこたつ――何せ五人以上が座れる事を前提に共同購入した物だから――の上に散乱している。シェイクスピア“ハムレット”。ハムレットのセリフに蛍光色の線が引かれているという事は、ハムレット役なのか。学科でも主役を貰えるなんて大したもんだが、信じられないほど暑苦しい王子だな。
「伊作、文次郎が酷いんだよ」
「はいはい。今日は課題で忙しいからね、僕は部屋に戻るから」
「何するの?」
「写真が暗いって言われたからパソコンで明るく編集する」
「見たい!」
別に文句はなかったので着いてくる小平太を止めなかった。
僕の部屋はベッド、パソコン、本棚しかない。狭いから色々置きたくないのだ。テレビは共同スペースの居間に置いてあるし、仙蔵と違って音楽にあまり拘りがないのでオーディオ関係もMP3プレイヤーしか持っていない。これが長次の部屋ならでかい鏡と筋トレのための道具が置いてあるし、文次郎の部屋も同じ様な感じだ。仙蔵の部屋はアップライトのピアノと譜面台に高級そうなオーディオ類、それと僕と同じようにパソコンを置いているのでさらに狭く感じる。小平太の部屋は混沌である。
「文次郎が約束破ったんだよ」
「ふーん」僕は作業の手を止めずに答えた。
「俺の方の舞台より学科を取ったんだよ。憎くない?」
「学科を取らないと卒業出来ないじゃないか」
「卒業とかはどうでもいいよ! 俺の方が約束先だったんだよ」
「小平太は卒業しないつもりなの?」
「あんま考えてないや。四年経ったらいつの間にか卒業じゃん。それよりさー、約束破るって友達としてどう思う?」
「さあ、情報が少なすぎて何とも言えないな。そういえばさっき文次郎を見たよ」
「どこで?」
「学校の前の公園。なんか学科の人と騒いでた」
「何だと!」
突如小平太は立ち上がった。いきり立って拳をふるわせている。
「遊ぶ暇があれば練習に参加しろ!」
僕に言われても困る。それに文次郎は多分遊んでいたワケじゃないだろう。
だがしかし猪突猛進が信条の小平太は、叫びつつ部屋を出て行った。
疲れるなあと思いつつも、心配してしまうのはあんまりにもお人好し過ぎるだろうか。同学年からは欠点だと言われ後輩達からは長所だと言われる。
「小平太、僕も行こうか?」
声を掛けたときには既に小平太は靴を履き終え外に飛び出す直前だった。
「俺が文次郎を見事成敗するのを見届けてくれ!」そしてドアの前。
「ようし、今だ!」
ドアが小平太の言葉に応えた。敵意を以て勢い良く開いたドアが小平太の鼻っ面を襲撃し、彼は見事成敗された。
「これでやつは昇天、見事仇討ちは完了だ!」
「……近所迷惑だよ」
文次郎め、どれだけテンション高いんだ。
「近所迷惑――ふむ、確かに許し難い行為だ。だが我が友よ、疑心に捕らわれ友を成敗するなどと申したのはあちらの方。私はそれに答えたまで」
どうやら先ほどまでの集まりはかのシェイクスピアの練習だったらしい。完全にハムレットになりきっている。前代未聞に暑苦しい文次郎扮する王子は、言いながらオーバーなアクションで僕に手を差し出した。芝居に乗れと言っているのだろうが、
「気持ち悪いよ」
生憎僕は文次郎ほどテンションは高くなかった。
「ノリが悪いな」
「課題の途中だったんだ。しかもこんな夜中に」
「芝居は終電直前、夜からが本番だ」
「いつの時代だよ……」
「文次郎!」
小平太が復活した。鼻が真っ赤だ。
「何で俺が成敗されなきゃいけねえんだよ」
「それは文次郎が俺との約束を破ったから!」
「しかたねぇだろ、学科が」
「学科なんてどうでもいい」
「小平太、文芸と比べたらだめだよ」
小平太の在籍する文芸は八学科中もっとも緩いと評判だ。何せ文を書けばそれで文句ないのだから、授業も組み方によっては週半分も出てこなくていいらしい。要するに暇人。だから小平太のように文学と全然関係ないところで活躍する人間も多く、混沌とした学科となっている。
「てめえこそ練習サボってんじゃねえか」
「そうなの?」
そういえば小平太はこたつに入ってくだを巻いていただけである。練習はしてなかった。
すると小平太はクラス全員の前で作文の誤字を先生に指摘された小学生のように赤くなりつつ憤慨した。
「だって文次郎が帰ってくるの待ってたんだ」
図体のでかい小平太がチラチラ視線を逸らす姿はとても大学生と思えない可愛らしさがある。まあだから許されるとか何とかは無いけど。
「なら、練習行くぞ」
「え、文次郎はさっきまで学科の練習だったんじゃないの?」
「ああ。次のハムレットに向けて公園でやってた」
何でもない風に言う。呆れた、今までずっと練習だったにも関わらずさらに小平太の練習に付き合うのか。小平太と文次郎が何かやるっていうのだからきっとダンスの舞台だろう。こんな深夜動ける場所はそう多くない。きっと練習に行くのはまたあの公園に違いない。
「身体壊さないようにね」
「そんなにヤワじゃねえよ。行くぞ!」
「おう!」
二人は元気よく飛び出していった。文次郎なんか帰ってきて玄関に私物を散乱させるだけ散乱させまた同じ所に出かけていったのである。
あいつらはバカだ。体力バカ。
しかし文次郎は明日になるとさらに隈が濃くなっているんだろうな、と考えつつ、僕は頼まれてもいないのに文次郎の私物を彼の部屋にちゃんと放り込んでやった。