現代パラレル 010

※現代パラレル(設定)

 小松田君がバカだ。本当にバカだ。救いようのないバカだ。
「だから彼を使うのは無理があると言ったんだ」
「そうですかねえ」
 一年音楽科の立花仙蔵は涼しげに人の話を流した。どうもこの人を食ったような態度が苦手だ。特にこうして意見が食い違った場合、何故だかこちらが不利な状況に立っているかのような気がしてしまう。四つも下の相手に、だ。
「それでは利吉さんが代わりにやって下さるという事ですか?」
「僕はその日は出られない。でも代わりの演奏者なら探して来る」
「そう言われましても、これはお遊びでやってることなんですよ」
「だから?」
「やりたいように、やりたいんです。最初から小松田さんの演奏で、とのプランでしたから」
 君ん所ではそれが普通なのかも知れないけどな。だが仮にもプロの僕はそれは許せない。望んでもいない演奏者に初演の曲を任せるなんて。しかも小松田君だなんて。さらに付け加えると小松田のバカは今日。
「小松田さんから連絡あった?」
「……ない…」
 遠くで嫌な会話が聞こえた。そう、小松田は今日の朝から何故か職場にも顔を出していない。失踪だ。
「逃亡は舞台人の必殺技だからなぁ」
「伊作君、恐い事は言わないで」
 ホントに頭が痛い。痛い痛い痛い。本番二週間前、一回も彼の演奏を聴いていない。いや二週間有れば、まだ救いがある。
 だが悪い事に僕の方の時間が無い。今日彼の演奏を聴いて、それから僕の方も手直しをして、その間向こうも色々考えて貰って、さらにまた新しく上げた譜を小松田君に渡して、それから――どう考えても今日彼に会えないと困る。
 もう嫌だ何で小松田君にこんなに関わってるんだろう。絶対失敗すると判っているのに。
「まあ、気長に待ちましょうか」
「そんな」そんな、反論したいが対処法が全く浮かばない。
「利吉さんは慌てすぎだと思いますけどね」
「完璧主義なんだよ」
 だが確かにその通りだとは思う。それにしても小松田君が関わっていなければ、そこまで焦る事も無いのだが。
「所で小松田さんは今何をしているんだと思います?」
「彼の行動を予測しようっていうのかい。そりゃ絶対無理だ」
「どうしてですか。親しいんでしょう」
「親しくはない、縁があるだけだ。腐ったやつな。だいたい、小松田君が僕の予想範囲内で行動していた試しがない。いいか、普通に考えると、社会人にもなって連絡なしで仕事に来てない時点でおかしいだろ。電話しようがメールしようが、携帯は電源が切れている。家電もお兄さんが出て『さあ、どこでしょうか。聞いておりません』と言うばかりだ」
「よく知ってますね、いつもの事ながら」
「まあね」苦虫を噛み潰してしまったかのような気持ちだ。「沢山迷惑をかけられているからね。ともかく、そんな感じで現在何所にいるか判らない」
「小松田さんの行きそうな場所は?」
「学校以外のどこにある」
 学校を追い出された後も学校が大好きで、遂に職を手にした位だ。何で今日サボっているのか、それこそ意味が判らない。
「じゃあ校内を探しましょうか」
 と善法寺伊作は立ち上がった。この場の仕切となっているらしい彼は、どんな逆境にもめげない、強靱である種の諦めを覘かせる精神構造をしている。
「そこら辺でお腹空いて倒れてるかも知れないよ!」
「小平太じゃあるまいし、それはないと思うよ。利吉さん、実習室にはいなかったんですよね」
「ああ、影もなかった」
 小松田君は以前、というか頻繁に実習室の歓談スペースで寝ている。仕事中にもかかわらず、学生に混じって、無防備に備品などを散らかして寝ている。さんざ止めろと忠告したのだが、未だ暇になるとそこにいる。
「探すだけ無駄だと思うけど……」
「何故ですか?」
「いや、何となく」
 それは全く根拠のない勘だ。というかもう帰りたい。どうせ待ってても来ない気がするし、探しても無駄骨な気がする。
 ぶっちゃけると疲れた。小松田のバカの事を考えてしまったし、しかもこの濃いメンバー(立花に善法寺に七松、潮江、中在家が揃っている)の中に入れられてしまった事も。
「帰っていいかな」
「代わりの日を先に決めて頂けるなら」
「じゃあ、明日で」
「いいんですか? 利吉さん、プロって言う割には暇なんですね」
「うるさいよ」
 人の神経を逆撫でするのを楽しんでいるようにも見えるし。疲れる。

 そして家に帰ると、ドアの前にそいつがいた。
 あんまりな結果に疲れ果て、声を掛けるのが躊躇われた。だがそこをどいて貰わないと、家に入れない。
「学校はどうしたの」
「今日は非番です。だから今日練習の日です」
「あ、そう……どいてくれる」
「別に通せんぼしてたわけじゃないんですが。あ、おじゃまします」
「何でついてくるんだ!」
「だから、練習の日ですよ!」
 そう言い争っている内に、小松田君は僕のピアノを勝手に開けている。
 ああもう、判ってきた。
「今日の練習は、僕の家でだったっけ?」
「はいそうです」
 誰だよ連絡したやつは。もしかしてこれは罠か。僕の精神をすり減らすために、あの一年坊主の内誰かが仕組んだ罠なのか。
 猛烈にピアノの音が聞こえてくる。
 そして明日もコレは行われるのか。どうやって逃げだそう。
 善法寺伊作曰く、「逃亡は舞台人の必殺技」だと。身を以て体現したい。

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