現代パラレル 004

※現代パラレル(設定)

 電車の中、バスの中、街の中、唯一学校ではそうでもないけど、色んな所で、よく若い女性に睨まれる気がする。
「思い上がりですよ」
「やっぱりそう思うか」
「自意識過剰なんじゃないすかね。もう若くもないんだし、出会いもないし、若い子見て夢を見るのは止めましょうよ」
 養ってやっているというのに、何て言い草だ。こいつ、本当に中学生だろうか。
「でもなあ、あの女子高生とか、こっち見てないか?」
「きっと土井先生の上の広告見てるんですよ」
 私の方も話の女子高生の方も見ずに、きり丸は鼻で笑って目を閉じた。眠い、という事だろう。電車の揺れるリズムは確かに眠くなる。
 だが私は眠る気にならない。どうしてかというと、やっぱり、あの突き刺さるような視線が気になって仕方がないからだ。
 その娘は多分高校生だ。この近くでよく見る、派手な制服をさらに派手に着こなしている。派手な理由を列挙していくと、まず肌が小麦色。髪の毛も行きすぎた冗談のような茶髪。化粧が凄い。どう凄いかというと、目の回りが気になる。こんな距離でも(だいたい三メートルぐらい)はっきり判るぐらいに、マスカラ付けすぎでゴワゴワの睫、そうでなくても目の回りは真っ黒に縁取られていて、悪魔的な印象がある。
 彼女の斜め上の女性ファッション誌の広告の一文――「小悪魔メイクで男を落とせ! 今年のアイメイクは黒&しっかり」――を、過剰に体現している。ファッションモデルの女性もガングロで茶髪、目の周りが真っ黒で下品に光るアクセサリーをこれ見よがしに装着して、もう小悪魔なんていう可愛らしさはあんまりないと思うんだが、そう思うのは私が既に年齢以上に老けてしまっているという事だろうか。ちなみに、まだ私を睨んでいる女子高生は、どうしてもモデルよりも見劣りする容姿で、メイクの腕も劣っているために――別に私は彼女を卑下したいのではなく、それが一般人と芸能人の明確な、どうしようもない差だと思っているだけだ――小悪魔系というよりも悪魔というよりも、そう、魔物だ。
 その魔物の破壊的に短いスカートから、顔と同じ小麦色の凶暴な素足が伸びている。
 若さではち切れんばかりの太股は、肉感たっぷりで周囲の男の視線を集めるのに充分だ。私ももっと若ければ、魅力的に見えたんだろう。それよりも凶暴性を感じてしまう私は、きり丸の言うとおりに若くない。
「次は日暮里〜右側のドアが……」
 若いんだか年食ってるんだか判らない女のアナウンスが聞こえた。なんだか今日は乗ってから随分長かった気がする。蛇に睨まれた蛙の心境だろうか。
「きり丸、降りるぞ」
「はーい」
 ぱっと目を開けて、きり丸が座席から立った。寝起きにしては、元気だ。
「寝てなかったのか?」
「うん。もうすぐ着くなって思ったら」
 ドアが開く。私は例の女子高生の事もあって、足早に降りた。人の波がホームへ流れる。私もその流れに乗った。きり丸とはぐれないように片手を繋いで――こういう事をすると、もう子どもじゃないんだから、ときり丸は苦笑する。
「ちょっと」改札を出る直前で、若くて低い女の声に話しかけられた。
 まさか、と思って振り返ると、やっぱりあの娘だ。目が、すごくつり上がっている。だけどそれ以上に戸惑ってしまう事には、彼女は息を切らしていたのだ。人混みを掻き分けながら、私たちを追ってきたから、と考えると思い上がりになるだろうか。
「あの、いつも山手線で」
 そこまで言って、彼女は顔をぐしゃっと崩して、それから俯いた。
 これは、もしかして。それともここまできて、やっぱり私の思い上がりだという事になるのだろうか。
「ごめんなさい」
 再び顔を上げた時は、やっぱり目をつり上がらせて、口をぎゅっと結んでいる。前後の事情が無ければ、やっぱりどうしても睨み付けている顔にしか見えない。しかも、行きすぎた美意識のせいで魔物だ。
 でも、今見上げてくる目は素直に可愛いと思った。半分ぐらいほほえましさ。残り半分は、やっぱり彼女自身の努力によるものだと思う。そう言うと、語弊があるけど、どうも上手く言えない。
「変な事言って、ほんとうごめんなさい。いつも、この時間、山手線乗ってて、わたし西目白高で」
「うん」
 言っている事は支離滅裂。でも、息切れしながら話してくれる内容は聞かなきゃいけない気がする。
「だからその、いっつも気になってたんですよ、気になってたっていうかほんとう、わたしずっと」
「早く帰りたいんだけど」
 きり丸が私の袖を引っ張った。空気の読めないやつめ。
 私は、話の途中にごめんね、と彼女に謝ろうとしたが、遅かった。遅かった、というのはちょっと違うかもしれない。どっちにしろ結果はおなじだっただろうし。ただできるだけ穏やかな方法を取りたかったのだ、私としては。
 きり丸の姿に気がついた彼女は、マスカラ付けすぎの目を真ん丸くして、毒苺をついさっき食べたばかりのような赤い口をぽかんと開けて、
「子供!?」
 結構大きな声で叫んだ。
 それから顔をみるみる真っ青にして、かと思うとすぐに真っ赤にした。焼けた肌でもすっかり判るぐらいに。そして彼女は再び魔物的な凶暴性を取り戻した。
 鞄から、何やら白い箱を取り出すと、
「バーカ!」と叫んで私に投げつけた。そしてまた駅ホームの階段へ、走っていく。
 あっというまに階段を駆け下りて、彼女は見えなくなった。一連の嵐のような出来事に、私は何とも言えず立ちつくした。周囲の無関心な感情が、逆にやたら痛い。
「おれ、何か悪い事言いました?」
 きり丸も目を丸くして驚いている。何が起こったのか、理解できていないらしい。
「お前、意外と子供だなあ」
 私が言うと、きり丸はやっぱりよく判らないという顔をして頭を捻った。
 それから私はひしゃげた白い箱を拾い上げて見たが、どうしていいか判らず、また地面に置いた。きっと私が貰うべきものなんだろうけど、断るつもりだったんだから、受け取る権利は無いと思ったからだ。
 その様子を見ていたきり丸が、「そういう所がなけりゃ、もっともてると思うんですけどね」と言った。
「仕方ないだろう」と言うと、
「どっちが子供なんだか」
 と、妙に大人びた顔で言った。きり丸の方こそ、子供なんだか大人なんだかよくわからない。
 その後、件の彼女には二度と会わなかった。合いたいと切望するような感情は無かったが、寂しく思ったのは事実だ。電車の中で同じ制服の子を見ると、彼女だろうかと思って顔を確かめたりするんだけど、不審に思われて睨み付けられるのがオチだった。それにもし彼女がいたとしても、化粧が変わっていたらきっとわからなかっただろうし。
 あのプレゼントの中身は、なんだったのだろうか?

落乱 目次

index