現代パラレル 003

※現代パラレル(設定)

 立花仙蔵は不機嫌だった。というか彼は疲れていた。疲れていると不機嫌になるタイプなのである。
 さらに言うと、疲れている彼の不機嫌を助長させる理由が、この稽古場にあった。
 潮江文次郎と七松小平太が異様に元気なのである。
 今、目の前の二人は体を温めるためと称して、仙蔵の嫌いなロック・ミュージックに合わせてリズム取りをしていた。リズム取りというのは、曲のリズムに合わせてアップもしくはダウンでリズムを体で取る事だ。
 それは結構だ。リズムを取れるよう、練習する事なのだから、ダンスにも歌にも非常に結構な話なのである。仙蔵も一緒にやれと言われるのは、それは当然の事だ。だが仙蔵はダンスが苦手だ。だから、リズム取りも嫌いだ。そのリズム取りを今やっている。それも確かに理由の一部だったかも知れない。だがそれ以上に、腹の立つ事に、文次郎と小平太は。
 異様に元気なのだ。
 ただのリズム取りの筈なのに、二人は勝手に振りを作って踊り出しているのである。
 その二人が視界にはいるだけで苛々する。
 さらにそれだけでなく、この元気な二人は仙蔵に向かって色々指図をし始めるのだ。
 「次ダウンでサイドステップね」「じゃあ別なステップに変えて、アップは倍速」
 「今リズムがずれたな」「上半身が硬いぞ」
 苛々。
 苛々。
 仙蔵は疲れていた。直前に腕立て伏せと腹筋を五分間ずつぐらい続けた。それに片足でのターンの練習のために、つま先立ちで綺麗に上に上がる練習を三十分ぐらいは続けていた。
 彼にとっては、限界だった。
 それなのに文次郎と小平太は元気に踊っているのである。人に指図しながら。
(ヘタな踊りを見せるな)
 腹の中で悪態を付く。
(文次郎とか本気で死ねばいいのに)
 仙蔵はどんどん不機嫌になっていくのだが、ノリに乗っている文次郎と小平太は最早二人の世界で、仙蔵の異常に気がついていない。
(本気で死ねばいい)
「死……」
 今度は口に出して言ってしまいそうになった。残りの言葉を慌てて飲み込んで、周りの誰も聞いていなかった事を確認する。
 仙蔵の隣に机を置いて、なにやら書類を書いていた善法寺伊作と目があったが、彼はにっこり笑っただけで、どうやら何も聞いていなかったらしい。
(良かった)
 流石に友人に向かって、小声で死ね、と言うような人でなしになるのは嫌だ。
 仙蔵は自分のあまりの不機嫌さに気がついて改めようとしたが、視界にまた二人が入ったので、そう上手くもいかなかった。
(別に文次郎が死ねばいいとか思っているわけではない)
 自分に言い聞かせる。
(寧ろ文次郎が死んだら私は嫌だろう。……別に嫌でもないか?
 いや、駄目だ。
 文次郎が死んだら嫌だ。そういう事にしよう。
 私は文次郎が死んだら嫌だ。
 私は文次郎が死んだら嫌だ。
 文次郎の事が嫌いなのではない。
 むしろいっそ好きだ。好ましい人物だと思っている。
 そうだ、そう考えておこう。そういう事にしておけば、死ね、などと考えないだろう。
 私は文次郎が好きだ。
 私は文次郎が好きだ。
 私は……)
 疲れ果てて顔を引きつらせたまま、アップでサイドステップを繰り返す仙蔵の姿は異常だった。隣に座っている伊作は段々不安になってくる。
(私は文次郎が好きだ)
「ねえ、仙蔵、少し休んだらどうだい。無理に文次郎達につきあう事もないよ」
「私は文次郎が好きだ」
「……は?」
 仙蔵がおかしい!
 伊作は慌てて席を立ち、仙蔵の顔を正面から見た。
 ぐったりしている。そりゃそうである。彼は文次郎や小平太ほど体力があるわけではない。疲れているのは明らかだ。
「仙蔵、大丈夫?」
 肩を揺さぶりながら、伊作ははっとして周りを見回した。さっきの仙蔵の言葉を、他の誰かが聞いていたんじゃないかと心配になったのだ。
「体力のないヤツだな。伊作、ほっとけ」
 文次郎が離れた場所から言った。その様子から察するに、別に何も聞かなかったらしい。
 伊作はほっと胸をなで下ろした。
「仙蔵、仙蔵?」
「あ、伊作……」
「今ぼーっとしてたよね?」
「……していたな……」
「何言ったか覚えてる?」
「……」
 仙蔵は思い出していた。というか薄々感づいていた。
 途中から声に出して言っていたんじゃないかと。気がついていたが、そんな自分を止めるほどの体力も残っていなかったのだ。
「伊作……今のは……」
「うん、僕しか聞いてないから、大丈夫だよ。文次郎に見とれて言っていた言葉なんか、誰にも言わないよ」
「違う、そうじゃない」
「疲れてて本音が出るってのは有ることだよ。ちょっと水でも飲んで休みな」
「違う!」
 叫んだ。精神の限界だった。ついでに体力の限界も来た。
 そして軽く気を失った。

 気を失っていたのはほんの数分で、目が覚めてもまだ文次郎と小平太が踊っていた。また苛々してきた。
「文次郎とか本気で死ねばいい」
 今度ははっきり声にだして言っていた。そしてそれを、伊作に聞かれた。伊作は机に寝かされていた仙蔵の様子を見ていたのだ。
「まだ死なないと思うよ」あっさりと返す。
「呪うだけで死ねばいいのに」
「文次郎に聞こえる声で言えば」
「めんどくさい……それにそこまで酷い人間じゃない」
「そうなの?」
 伊作が笑う。仙蔵はもう一度気を失いたくなった。
「所で、どっちが本音なの」
「判ってるだろう……」
「いやね、キャストが険悪な関係になってると困るからさ、確認だよ」
 気を失いたくなる衝動を抑えて、仙蔵はできるだけ冷静に答えを考えた。
 直ぐに相応しい答えに辿り着いたが、声に出すのがためらわれた。ああ、まだ気を失っていたい。
 しかし、もう本番まで時間がないのを仙蔵は理解していた。ごねている場合でもないのである。
「正直に言うとな」意を決して本音を出した。「私は不機嫌だったのだ」
「そうだろうね」
「だからどちらも本音ではない。本当は、中間だ。よい友人でライバルだと思っている」
 それが本音だった。それを言うために仙蔵はプライドの一部を噛み千切ったにもかかわらず、伊作は「うん、知ってたよ」何でもない様に答えた。
「はあ」ため息と共に仙蔵は体を起こした。
 そしてもう一度稽古場に立つ。ストレスと疲れで倒れても、まだ練習を続けるつもりなのだ。
「今日はもう止めたら」
「あいつらに笑われて、私が黙っていられると思うか?」
「思わないけどさ。だから、止めてるんだよ」
「無駄だな。見ていろ、どんなに奴らが踊りが得意だろうが、最後に笑うのは私だ」
「はいはい」
 仙蔵が戻ってきて、稽古は本格的な振りの練習になった。
 仙蔵は練習中は殆ど笑わない。呆れるほど真剣になっているのだ。それを見て文次郎が「もっと楽しそうにやれ」と言った。
 そこで仙蔵は「うるさい、死ね」と返した。

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